Wiener コアラの会 文章改訂版

この度前回書いた文章の新改訂版を公開します。この文章は、国会議員の方々に送付するものとして作成しました。
変わっている箇所も多々あるので、是非ご一読下さい。

Winer コアラの会についてはこちらをご覧ください。


拝啓

不躾ながら突然国会議員の方々へ文章を送る事をお許し下さい。
夏も中頃に差し掛かり、本格的に暑さの増した今日この頃、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。私の住んでいるウィーンでは暑いですが、からっとしているのでクーラーのない建物でも何とか生活できています。
日本では節電、円安、物価高等の影響により、国民全体の負担が日増しに増えている状態で、皆様方にとっては大変な時だと思います。コロナはまたぶり返して昨日はとうとう過去最悪の感染者数を更新してしまいました。私は8月31日に約2年半ぶりに一時帰国を致します。それまでには下火になって欲しいものです。また、ウクライナ紛争の問題で世界中が巻き込まれていますが、どうぞ皆様方のご尽力でこれ以上の死者の出ない平和な方向へお導き下さい。それに加え安倍元総理の訃報を耳にし、心よりご冥福をお祈りすると共に改めて人間いつ死ぬかわからない一度きりの人生、私なりに最後まで諦めずに自分の意志を貫き通そうと新たに心に決めたところです。
またこの事件をきっかけに国民が政治家の皆様方とどう関わっていくかという事を考えさせられ、政治に関心を持つ国民が増えると思いました。

実はこの文章は今年の5月頃に皆様方に読んで頂こうと思って執筆しておりましたが、参議院選もあってあまりにも慌ただしい時期であると思い、選挙後であれば落ち着いてご一読頂けると考え、この時期まで待ってから送ることにしました。

申し遅れましたが、私は、湯浅勇治と申しまして、つい3年程前まで、30年余りウィーンの国立音大指揮科で世界中のオーケストラ、歌劇場の指揮者になる若者の教育をしておりましたが、持病の糖尿病の悪化による右眼失明、左眼緑内障という事で第一線を退きました。その後、現在世界的に進んでいるクラシック音楽界の衰退を憂い、伝統のあるモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト等のクラシック音楽を本場ウィーンより徹底的に調査をしこの状況の打開策を提示して実行しようと、Wiener コアラの会(非営利団体)を立ち上げました。   

さて、何故音楽団体の代表が日本の国会議員の方々にこんな文章を読んで頂きたく思ったかと申しますといくつかの訳がございます。

第一に、世界的文化遺産であるクラシック音楽がここ10年で急激な衰退の傾向にあり、このままではあと10年で今の3割程度に、15年後にはほぼ2割程度の規模になってしまうというある学者の意見が有ります。250年以上続いている伝統のクラシック音楽がこのままで行くと30年後にはほぼ消滅してしまう危機にあるのです。
因みに、ウィーンクラシック音楽界の伝統維持を代表するもののひとつにウィーン芸術週間(ヨーロッパ三大音楽祭の一つ)があります。かつては毎年5月から6月の間毎日世界中から一流の音楽家が集まりウィーンの団体との共演を繰り広げられていましたが、代表の代替わりがあった7年前よりクラッシク音楽祭の機能は果たさず演劇中心の全く違ったモノとなってしまいました。5月、6月と言うとこの音楽祭目当ての観光客でチケットやホテルの手配が困難だったのですが、現在ではスカスカな状況です。観光業界はこういったことやコロナとのダブルパンチで倒産が相次いでいます。

西洋に於ける文化の歴史は、人類の精神的向上、学問としての偉業等が様々な分野に発展しましたが、特に人間の感覚の中で聴覚を使って人間の脳を刺激し、感言語を超えて世界中の人々の感情に影響を与えることの出来る芸術文化がクラシック音楽なのです。この衰退現象をなんとしても阻止しないとこの文化は本当に途絶えてしまうのです。そこで私は第二の故郷である音楽の都ウィーンを中心に、この伝統を守る事を始めた次第です。そして故郷である我が日本を始めとして全世界の賢明な国会議員の方々へ同じようにこの絶滅危惧にあるクラシック音楽文化に対してのご理解ご協力をお願いするもので御座います。

第二に、日本におけるクラシック音楽の歴史です。古くは、織田信長、豊臣秀吉は、既に西洋音楽に接しておりましたが、後の鎖国によりそれが途絶えてしまいます。歴史は跳んで、明治初頭の岩倉具視使節団は、政治、軍事、経済、医学等ばかりで無く、西洋文化、特に音楽、舞踏の伝統も取り入れる努力をしたそうです。その後明治政府は東京音楽学校(東京藝大の前身)や舞踏会、鹿鳴館を中心に西洋文化を拡めました。ヨーロッパで国王、貴族、大富豪がこの文化を守ったのと同様に、日本でも戦前までに華族、政治家、財界人を中心に文化、教養の基礎として上流階級、中流社会にまで西洋芸術文化は拡まっていきました。ステレオ等無い時代です。ヨーロッパと同じ様に家庭内でクラシック音楽を奏でるというような事が上流社会では起こっていたのです。
因みに天皇家をご覧下さい。上皇陛下はチェロを、上皇后陛下は非常に巧みにピアノをお弾きになられ、天皇陛下はヴィオラを学生時代からオーケストラでお弾きになられています。先代、先先代の方々もそうであったでしょう。
戦後国民の平等化が進みクラシック音楽を嗜む人も増え、日本でもヨーロッパでもクラシック人口は最大値まで達しましたが、普及が拡がり容易に触れることが出来るようになった反面、クオリティを追求する人の数が減少しました。レコードの出現、ステレオの普及をピークにCD、サブスクサービスと便利になればなる程、内容は軽薄となり現在に至っています。

日本の文科省の教育システムでは小中高校を通じて週1時間が普通、多くても2時間、また指導要項も終戦直後のものと基本的に変わっていませんし、まして現場の責任者となり得る学校長に音楽専科の教師がなることは1パーセント以下の確率しか無いようです。改革なんて土台無理です。また、音大への補助金や行政運営の文化会館等の箱物の利用方法なども稼働率が低くてお粗末な文化事業と言わざるをえません。他にも文化庁等の一般オーケストラ団体等への不十分で現代にそぐわない不公平な助成金など、問題は挙げたらキリが無いですが、これが現在のクラシック音楽界に対する国、県行政の方針の現状です。やはり国会議員の方のお力が必要です。

第三に、2年前の調査で何らかの形でクラシック音楽に携わっている人と好んで聴く聴衆の数が約1300万人、これだけの数の割にクラシック音楽界代表の国会議員の数が実は0です。要は私達に市民権が無いのです。そこで今回この様な文章を読んで頂いて皆様方の中でクラシック音楽界のお味方、ご協力をなさって下さる方を探したいと思い立った訳です。大変不躾な方法で申し訳ございません。とにかく国会議員御本人様に直接読んで頂きたいと思います。
またこの文章はまだまだ続きますが、この運動の中心となるのが新たに結成した『Wiener コアラの会』なのです。是非秘書の方と相談をして読み易い方法で全文をお読みになって頂ければ幸いです。

安倍元首相襲撃事件が起こったこのような時期で申し訳ありませんが、政治家の方が文化を通じて節度と関心を持って国民に接せられる事を願い、こんな文章を書いてしまいました。

旧統一教会の問題より学ぶ事
政治家の方々にはちと面白くない事件が舞い上がってしまいましたね。この問題は多面に渡っていますよね。
 先ずは所轄である文科省がもっと毅然とした態度で宗教法人にあたるべきであると思います。宗教法人がある意味で自由なのは解りますが、今回の場合韓国の宗教団体が布教という名の下に日本での異常な方法で集金活動をした事に発しています。先ずは法を改めて、集金活動には強い条件をつけるべきでしょう。例えば日本で集金したお金は日本国内の活動のみに使用するとか、要は規則がもっとしっかりすれば、必要以上の金銭の動きもなくなり日本への興味も少なくなるのではないでしょうか。日本は良いマーケットですよね。それ以外の布教や団体の行動は自由ですので、それにピリピリしたり政治家の方が関わっていてもそんなに問題がないと思います。それよりも同じ文科省の所轄である文化、教育面にご協力と興味をお持ち下さい。現代は何でもマスメディアの影響で世間の風潮が動いてしまいます。こういう考えがなくなる様に、人間が長い間育んで来た文化の力をもう一度考えるべきだと思われます。文化は人間にゆとりある発想を促し人生形成の為に必要十分な要素を提供することが出来ます。クラシック音楽を始め文学、美術等歴史を感じられるものは他の学問や行動に変え難い力を持っているのです。文化的発想の中には子供に対する教育にエクストラな厳しい躾をせずに豊かな人間形成を学ばせる事ができるのです。宗教法人にうつつを抜かすよりもっと簡単に良い人間環境が出来ると思います。この事をお考えの上、御協力頂きたいのです。
またクラシック音楽人口だけでも1300万人ですよ。皆んな真面目な有権者達ですよ。お忘れなく。

   
秘書の方々へお願い

日頃よりのお仕事ご苦労様でございます。今回は直接に議員先生方に書いた文章ですので、秘書の方々のところで握り潰さずに必ず先生に読んでいただける様にご助力をお願いします。読み易くプリントアウトするなり宜しくお願いします。
出来れば短くても結構なのでご意見をご返信頂ければこの上なく有り難く存じます。宜しく御計らい下さい。
また秘書の方もお読みになって頂きたいですし、地方議員の方、お知り合いの財界関係の方々でクラシック音楽に興味のある方、文化貢献にご興味のある方へもご送信、拡散をして頂けたら幸いです。
以下のリンクより本文章のPDF及びワードのデータをダウンロードいただけます。
https://drive.google.com/drive/folders/18aV4yJPwUp0DZhi_3vekEpprNYP0yRXd?usp=sharing

本文に入る前にロシア、ウクライナの戦争について
 
私は政治の事をとやかく言うつもりは毛頭ございませんが、この問題はこのままいくと本当に長期化してしまうのではないでしょうか。私にはウクライナ、ロシアを合わせて100人程の音楽家の知人がおりますが今殆どの安否すら解らない状態であり、国際的音楽活動なんて皆無に等しいです。ロシア、ウクライナの優秀な演奏家がヨーロッパ、アメリカ、日本等で演奏出来ないのです。この行き来が無いだけでクラシック音楽界の衰退が進んでしまうのです。オーケストラの音楽興業もロシアと多国間では全くの皆無です。政治の力で何とか成らないもんですか。
それに気を付けないと、NATO側は良いですが、ロシア側に中国や北朝鮮、アフリカ、中南米の共産主義国が同調したら先ずは経済戦争が、そして直ぐに簡単に武力戦争になってしまうでしょう。次のターゲットが北海道である事は皆様方ご存知の通り明らかですよね。その際、我が国の自衛隊は隊員殆どが辞めてしまい、我が国の志願兵は0、アメリカをはじめNATO諸国、ましてや他のアジア諸国の武力援助は無し、1週間で北海道は占領されてしまうでしょう。こちらの方がウクライナより簡単に実現可能でその後戦後処理の際、ロシアは今よりも強い権限で世界を相手獲った交渉が互角に出来るのではないでしょうか。危険ですね。でも有りうる事です。ヨーロッパは絶対に日本を助けないですよ。お忘れなく。

この文章を読み始める前に今の現状について知って頂きたい事を述べます。
コレは誹謗中傷でなく現状なのです。

後日書き足し:
先日誹謗中傷の件について新しく法律が改定されたようですが、不特定多数の誹謗中傷をする人を取り締まる事で言論の自由に制限がかからない事をお願いします。議論、意見の主張が存在する所では当事者が誹謗中傷を考えていなくても相手側の捉え方でどちらにでもなってしまいます。少なくとも私は誹謗中傷は一切しておりません。事実だけを正確に伝えているつもりです。
また持続化給付金について色々な詐欺事件が発覚している様ですが、このシステムの悪かったところは迅速な交付を目指した為に、後日役所ではなく第三者機関が交付の判定をしたところにあります。因みに一般音楽家では多数の方が受領されております。情報によりますとネット上で確実に受領出来るノウハウ等飛び交っていたらしいですよ。自由芸術家や自宅音楽教師など良きも悪しきも受領者は結構な数います。不正が見つかったのは、氷山の一角でしょう。国の機関がもう一度受給した人全員から提出された書類のコピーを集め再審議をすべきだと思いますが、国側のミスである為に支給取消し交付金返納は出来ないですね。私の思うに少なくとも2割ぐらいの方は不正に交付されてしまったと思いますね。ですからある一定の方だけを責める事や交付金返納なんて絶対にしないで下さいね。お願いします。


クラシック音楽界に関わる人々の状況

1、私的、公的の音楽団体に所属している大半の音楽家
現状維持で満足はしていないものの、波風を立てたく無い。経営側からの圧力を恐れて自由に意見が言えない。殆どの人がこれに属する。事なかれ主義、日々のオーケストラ演奏と教える事以外の文化向上の為の研修研鑽をあまりしない。文化人としての自覚が少ない。クオリティが低い演奏にも甘んじている。演奏に対する意見が経営陣に反映されない。演奏会が演奏家でなく経営陣の方針で左右され過ぎている。つい先日もこの事を実証する様な事の報告を受けて唖然としてしまいました。
2、私的公的音楽団体の経営側 
第一に現状維持型、採算重視、芸術上の追求は二の次。聴衆を軽んじていると思われるコンサート。誇大広告と思われる宣伝。
3、個人演奏家 
誇大広告の割には実力が伴わない日雇い的な仕事。文化的ポリシーが余りにも無い。
4、教育関係 
大学を始め大半の教師の文化に対する勉強不足。教育システムの悪さ。世界的音楽家が育たない環境。経営方針による教師への圧力。
5、学生 
音大受験迄の勤勉さに比べその後の怠惰な勉強。実力に合わない名声ばかりを追求。
6、一般聴衆、アマチュア音楽家 
一番被害を被っている。必要以上に高いチケット。誇大広告やYoutubeなどに惑わされ易い。要は文化に対する正しい知識を得て、いい加減な音楽家に惑わされない事。この層が一番音楽文化的な改革にとって重要。とにかく良い文化的見識を身につける事。怠惰な音楽家の区別がつく様に。
7、マスコミ、その他の音楽関係業務の方 
文化向上が第一の方針であるべきであるが、そうでない。

これらの問題は皆、クラシック音楽という伝統文化を継承、精進する気持ちがない事から起こっています。まずは全クラシック音楽に関わるの人々の心構えから改良しなければならないでしょうか。
このあたりがクラシック音楽文化の現状です。酷いもんでしょう。みんなただ黙っていたのです。誰も勇気を持って言い出す人がいなかったのです。そうしたらこんな状態となってしまいました。改革は問題だらけで前途多難です。
では細かくお話を進めましょう。


(国会議員の方へ)
これより先の文章は、音楽関係の方への現状、お願いが中心で書いたものなので専門用語があったり読みにくいとは思いますが、この文章で現在のクラシック音楽界の状態をほぼ8割方正確にご理解頂けると思います。出来るだけ最後までお読み下さい。宜しくお願いします。

改訂:(新たに改訂した部分)
国会議員の方々にご理解頂きたくこの文章を改訂致しました。これより先の部分は去年1年間かけて作った文章の改訂版です。一度読んだ方も是非もう一度お読み下さい。
この後日本の経済界の重鎮の方々にも読んで頂こうと思っております。
さて2月15日に日本語版で旗上げしたWiener コアラの会ですが、この間いろいろな事を学びました。
まずは7月上旬のドイツ語ウィーン版の開設を契機にいろいろと改善をしていこうと思います。
後から知った事ですが国会議員の方で構成されている文化芸術振興連盟というものが存在するのですね。また会員も衆参合わせて約200人程と強い味方がいらした事を嬉しく思いますが、私は皆様方の耳にはなかなか入らない実情をお話ししようと思っています。


改善策

まずWiener コアラの会の運営にあたり余りにも理想が強すぎた為に、会員の方、これから会員になろうかと興味を持って頂いている方々はやや萎縮なさっているところがあると思います。実はこの文章は今の日本クラシック界のありとあらゆる問題点、恥部、弱点を明確に表したもので、長所良点を極力省いて記載しております。第一稿は約17000人程度方に読んで頂いたのですが今回は一年をかけて出来るだけ一挙に1300万人のクラシック人口の殆どの方に読んで頂ける努力を致します。問題意識を感じた皆様の一人一人が該当する部分を直して頂いたり注意をなさって頂くだけで日本のクラシック音楽界が少しでも良い方向へ進むと考えて書いたものだとご理解下さい。
人によっては暴露本と間違える方もいらっしゃると思います。そのつもりは毛頭無くクラシック音楽人口の1300万人の方一人一人の小さい努力がクラシック音楽界の発展に直接つながるのだとご理解を頂き、むしろ私の頭では浮かばない長所良点の伸ばし方をご教授頂きたいのです。私の書いた事をひとつでも行動してみてそれによって少しでも良い結果が出来た時、ゴリヤクがあったとしてその後コアラの会に入会頂ければ、全体に少しでも運動が進み、私にとって嬉しい限りです。また立場上本会に入会しづらい方にはアカウント名のみの会員登録も受け付けます。またこの運動にただ資金援助して頂くという形でも大変有り難いです。そして是非拡散をお願いします。これによって少しでも会員を増やすことが出来ると思います。とにかく改革は一歩一歩着実にです。そうお思いになってこの文章をお読み下さい。お願いします。
色々と真実を知って頂きたいのはやまやまですが、これを実行なさるのは皆様なので少しずつ勇気を持ってお試し頂き、そして新しいアイディアのご提示をお願いします。音楽は楽しまなければいけませんが、それには、文化を守る為のルールと努力が必要です。要はこのクラシック音楽界の発展と経済的な安定が理想の状態に近づけばこのクラシック人口の減少を防ぐ事が可能だと思います。

勇気がなく本音の言えない音楽家と勉強をしなくてカッコばかりを気にしている日本のにわか芸術家、勉強しない学生、伝統を知らずに薄っすらな研究と知識で教えている大学教師を含む音楽教師の方々、もう一度ご自分の現在の活動を考えて下さい。皆様は芸術家であって芸術屋では無いのです。お間違えの無い様に。

どうしても私は文章が硬くなってしまいますね。音楽を演奏したり聴いたりする事は本来ならば、楽しむ事、好きになる事が第一ですね。でもこの特に数ヶ月間の間に見聞きしたことによると国会議員の方に知られてはちとまずい程このクラシック音楽界は曲がっているんです。全く誠実ではありません。この原因は300年も続いている伝統の文化の継続と楽しい文化として発展させるという考えが共存していなく、音楽界の主流が現状維持、誰かがやる、事なかれ主義、人に誹謗中傷されたく無い、という行政係官の様な空気が充満しているためです。何人かのウィーンで勉強した人間に帰国後の日本の状態を聞くと悲惨なものですよ。後で何を言はれるかわからないので彼らは自分自身で本心が言えないのです。言えば職を失います。彼らは常に怯えています。
因みに今日本の音楽界で現存するオーケストラやその他の団体、音大を含めた学校の教師、学生、個人教師を含め本当に日夜自分から勉強して鍛練をしている人は実は10パーセントもいない様ですね。要は仕事としてこなして糧を得ているばかりです。そんな現状をコントロールをするものも無し、音楽界を牛耳っているのは文化継承とは全く程遠い経営陣であって芸術家でないのです。でも弱い音楽家はお金を持ってくる経営陣の言いなりで、良く無いものにもあたかも良いふりをして我慢をしているのが現状です。その人達が演奏するものを聴かされているのが一般聴衆です。曲がったものを恰も良いもののようにそれに宣伝をして皆んなで黙って高価なお金を取ったり払ったり、本当にある意味では滑稽な無法地帯ですね。これに今ではYouTuberの進出です。益々破茶滅茶ですね。でもコレが現実です。ああまた文章が暗くなりました。
こういう事を含めて改革をしたいのです。

因みにここでウィーン版のWiener コアラの会の設立文章をご披露しましょう。まるで違いますよ。本来はこういう文章を考えていました。

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ドイツ語版、新しい日本語版
遂に活動を開始する
『Wienerコアラの会』発起人よりご挨拶

2022年6月4日版

Wiener コアラの会代表の湯浅勇治です。
2月15日に日本で始まったWiener コアラの会がようやっとウィーンでも開始されます。最初の計画時より約3年をかけての開設です。当初の考えより要望が大きくなりなかなか一度には実現できませんが会員の方々と一緒に少しずつ実現していこうと思います。

まずは、過去30年の間ににウィーンで勉強した方々、現在の学生さん、ウィーンでお仕事をなされた方、ウィーンにお住まいで会った方、ウィーンを愛してる方々、そうそう大事なのはウィーンのクラシック音楽の大好きな方々を中心にお声をかけ音楽家を中心に一般聴衆、愛好家とにかくクラシック音楽に何処か関係したり大好きな方々とwebサイト上で繋がり交流を作って色々意見を交換したり、昔の交流を呼び戻したり、新たな繋がりを作る機関として始める予定でいます。一応意見交換の際、出来るだけ実名提示と個人情報厳守の意味で会員制とし安心して交流をして行こうと思います。とにかく交流が第一なのです。この為にwienerコアラの会では会員の方に自由に会内で色々なものを企画したり、zoomによる懇談会等を企画しています。先ずはお誘い合わせの上ご加入下さい。
この団体は非営利団体(Verein)として2021年8月に認可を得ています。会員制としまして、ネット上での誹謗中傷、個人情報漏えい防止の為に会費制を取らせて頂きます。年会費は60ユーロを一口とし何口でも結構です。この会費は事務所の最低限の運営費、最低限Verein幹部以外の人件費のみに活用させて頂きます。60ユーロとしたのは1ヶ月5ユーロコーヒー一杯分を我慢して貰う金額としました。また東欧、ロシア、ウクライナの友人にも入会出来るように考えた次第です。
 
まずは私からのお願いですが、
皆様方の交流の為に音楽家も音楽家以外の方も自己紹介を兼ねた音楽家名刺なるものを作成して頂きます。コレによって会員同士の交流円滑を図ります。
また特に音楽家の方には音楽活動向上の為に音源データを中心としたご自分の音楽マーケット向けのPR情報を制作して頂き活動的音楽家のコーナーを設け、ご要望であれば、このwienerコアラの会より各関係団体への情報提供をし、皆様方の音楽活動の手助けをさせて頂きます。
ゆくゆくは新しいアートの音楽家情報事務所の開設を目標とします。
特に若手の発掘に興味があります。
 
交流の活性化を狙い、出来るだけ皆様方の現在の活動状況を活動欄にてお知らせ下さい。
ネット社会の現在では情報を正確に出来るだけ沢山の方々に伝えていく事が前提ですが、先ずは信頼出来る仲間を集めてそれを増やしていける方法を取りたいと思っています。

次に現在世界中でクラシック音楽界が衰退の方向で進んでいます。1960ー1980年をピークにかなりのスピードです。ある学者の意見では10年後にはクラシック音楽人口が今の3割程度になってしまうという事らしいのです。
因みに皆様方ご存知の wiener Festwochen は、7年前より様相を変え現在では演劇中心のモノに代わってしまって5月、6月にあった伝統の音楽祭は現在消滅したも同然なのです。皆さん力を併せて復活しましょう。とにかく凄い勢いで衰退が進んでいるのです。私はウィーン国立音楽大学指揮科で30年奉職して参りました。この衰退現象を打破する為に皆様方とウィーンクラシック音楽界の全盛期復帰の努力をしようと思っています。最後まで頑なまでに守られていた伝統のウィーンの音楽語法、ウィーン訛りによる演奏の再現、雰囲気を取り戻して古き良き時代を思い出して頂きたいのです。
そして皆様方にはこの交流の輪を世界中の指揮者へ、音楽家へ、音楽団体へ、一般聴衆へと拡めて頂きたいのです。宜しくお願いします。
また世界中の指揮者、指揮を勉強なさっている方との交流募集も1ヶ月後より始めようと思います。


Verein der Wiener Koalano Kai
(Internationale Musiker ihnenvernetzung und Vermittlung)

Lerchenfelderstr.62-64/14 A-1080 Wien Austria

Vorstand Mitglieder
Vorstand Yuji Yuasa
Vize Vorstand Michael Schneider
Schriftsteller Moritz Lauer
Kassier Georg Sonleitner


追伸:
実は2月15日の時点で我が祖国日本でWiener コアラの会日本版は始めました。私のあまりにも強い要求の為に私の長文は読んで頂けたにも拘らず賛同して同じ活動をして頂ける方が予想以外に少なかったのです。この事の反省を含めてWiener コアラの会のウィーン版をきっかけに刷新しようと思います。
日本の方々の募集もオーストリアの方々と同じに、過去30年の間ウィーンで勉強した方々、ウィーンに留学したい方、プロの音楽家でウィーンを中心に活動なさっている方、ヨーロッパデビューをしたい方、ウィーンでお仕事をなされた方、ウィーンにお住まいであった方、ウィーンを愛している方、ウィーン音楽を愛してる方、若手音楽家でヨーロッパに留学を望んで世界的に羽ばたこうと意志を持っている方、若手音楽家のデビュー、支援にご興味のある方それに日本のクラシック音楽界の向上を望んでいる方、現在の日本のクラシック音楽界、教育界に疑問を抱いている方と本会にご協力ご援助して下さる一般聴衆の方、私の長文の内容を試されて効果を感じご同意される方を中心に募集します。この方が同じ目標に対してポジィティブに話が出来るのでこの様にしたいと思います。あ、そうそう、もちろん私の専門分野である世界を目指す指揮者の方も募集します。
この文章を確認した次の日、兼ねてからの約束で元ウィーンフィルコンサートマスターのキュッヒルさんご夫妻と久しぶりのお食事をしました。たいへん話が盛り上がり、特に往年のクラシック音楽文化伝統の継承と今後の将来の事に関しては私と同意見でかなり突っ込んだ話となり何らかの形でのキュッヒル氏のご尽力を頂けるとの事でした。大変心強く思います。定期的にお会いしてコアラの会のご意見番をして頂くつもりです。

キュッヒル先生の凄さ
今回2時間半程の長いお話の中で先生のウィーンの音楽を愛している事、現役を一生続けていかれる事、クラシック音楽界の問題については私以上に考えていられる事がよく理解出来ました。先生の凄さの事ですが、私は今までずっと先生は天才だと思っていましたが、実はそれより本当の努力の虫なのです。ウィーンアカデミー学生の時代20歳の時、ウィーンフィルの第二コンサートマスターの試験に受かりました。コレが12月の下旬、1月の4日からの仕事の開始です。それまで殆どオペラを知らずに世界中の注目を受ける地位での1度の間違いの許されない毎日が始まったそうです。最初に一年の間に40種類のオペラ本番を毎日コンサートマスターとしてこなさなければならなかったそうです。毎日がほぼ初見の状態でも完璧にこなす責任感、この崖っぷちの状態が先ず最初の試練でした。とにかくやるしかないのです。一つミスをすればウィーンフィルの伝統に傷がつくしそれイコール1年間の試用期間解雇に繋がります。要は楽員全体の全会一致の賛成で初めて決まるのです。先生はあれ程厳しかった事は今までなかったと言います。ですからその後何でもものおじせずに向かっていった事の努力で、世界一のコンサートマスター、オペラ、室内楽、弦楽四重奏、ソロ活動、ウィーン音大教授、他の音楽祭への出演ありとあらゆる音楽活動をなさった人がクラシック音楽界の将来を一緒に考え、実行の手伝いを買って出ている訳です。本当に文化人です。これがウィーン音楽の伝統です。皆様方も負けずに努力して下さい。音楽家にとって努力は最大の力なりでです。どうです怠けてはいませんか。常に文化人でいましょう。先生はご自分でインターネットは出来ませんのでこの音楽界の神様の様な先生のお言葉は私がお伝えする事とします。

昨日また2時間程キュッヒル先生とお話をしました。ずいぶん突っ込んだ内容で先生の現在までの特に引退なされた後 6年間で急速にウィーンクラシック音楽界があまりのスピードで変化をしている事を嘆いていて、先生はこれを復興させる事は現在の情勢を考えると半ば諦めているとの事でしたが、私の誠意は感じて頂き、とにかく色々な意味で援護射撃をしてくれるそうでした。

私の書きました長文について
この度『Wiener コアラの会』刷新にあたり、あの長文の改訂版を作り再度皆様方には読んで頂きたいと思います。この文章は誹謗中傷の暴露記事ではありませんが現在のクラシック音楽界の問題点、短所、盲点、恥部を全てを記載しておりますので掲載されていない部分は全て良点、問題点なしとお考え下さい。この文章は今回全国1300万人のクラッシク人口の出来るだけ多くの方々に読んで頂き記載されている内容の一つでもご自分で実行して頂きたいのです。その結果一つでも貴方にとって良い事、共感する事があればコアラの会へご入会(立場上問題のある方はアカウント入会でも可)あるいはご援助、ご協力をお願いします。因みに今回の文章は国会議員の方全員にお配りするつもりでおります。また拡散をお願いします。

6月4日 ウィーンにて
湯浅勇治



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文章を本文に移しましょう。

今日、ようやっと皆様方に読んで頂ける文章が完成しました(2021年6月)。クラシック音楽界の将来を考え約1年余り熟考した文章です。大変長文で通して読まれると約1時間強かかります。何日かかっても良いですから、必ず全文をお読み下さい。いままで皆さんがオフレコにしていたお話など沢山の事実が書かれています。この文章を読んで怒りを覚える方も中にはいらっしゃると思いますが、一度皆様方に問うてみたい、と発表させて頂きました。誹謗中傷するつもりは毛頭御座いません。私はここで書くアイディアを良い方向に実現させていくつもりです。是非じっくりご一読ください。また、あらゆる方法を使ってこの考えを拡散し、沢山の方々に読んで頂きたいと思っています。


なおご意見のある方は、以下の方法でご連絡下さい。
1、Facebookのメッセンジャー(https://www.facebook.com/yuji.yuasa.10/)
2、メールアドレス
koalanokaiVIP@gmail.com


ご連絡の際は必ず実名とご役職をご記入願います。どなたからのご意見であるかを確認したいのでお手数ですがご協力お願いします。


まずはじめに

今日は(2021年)3月2日、今日からSNSを使って皆様方に私の今後やっていこうと思っている事を紹介していこうと思います。ある知人の女性からは短く簡潔に、項目別に文章を分けるなどしたほうがいい、と助言を頂いたのですが、そうすると自分の読みたいものだけを読んで他を飛ばしてしまう可能性がありますし、とにかく全文を読んで頂きたいので敢えてダラダラとした田中角栄元首相の演説口調の文章にしました。ご了承下さい。

最初にお断りしておきますが、残念ながら私は重度の糖尿病により右眼を失明し、左眼は緑内障という状態の為、非常に不自由な思いをしております。従って簡単に文章書くことができませんので、弟子に頼んで口述筆記をしてもらったり、色々と工夫してこれをSNS上に載せるようにしようと、まずは考えました。

今回一番お話ししたい点は、特に次の10年間、クラシック音楽界の発展ということを考えたとき、たいへん先細りの傾向にあると言える、ということです。それに加えてこのコロナパンデミックです。この事について皆様方にもよく考えて頂き、世界的にクラシック音楽界がもっと繁栄する様に、とペンをとった次第です。この文章では、現在の音楽界の問題点を掲げ、それに対する提唱点を述べていきたいと思います。


まず音楽家全体が持つべき最低条件

はじめに、現在音楽に携わっている方々全員に、もう一度音楽芸術家としての心得えと在り方を再確認してもらうことが重要だと思います。

特に現在既に音楽業界で従事されている方、それを目指している方、音楽学生の方等へ 音楽家の条件。

1、最も自然な状態の音楽を表現できる事。
音楽上では何が自然で何が不自然かをもう一度よく知る事です。わかりきった事を言っているようですが、これを実現する事が何よりも難しい。特に近年忘れられている部分ではないでしょうか。

改訂:
皆様方ご自分でチェックなさって下さい。

2、もうひとつ大事な事は、クラシック音楽が何百年も続いた芸術であること。この歴史と伝統を徹底的に研究をして表現をする。その為には、まず知識が必要です。それと、それを表現できるだけの技術、そしてそれを判断できる感覚と能力。

改訂:
コレも要チェックです。皆さん出来ている気になっていませんか。

3、そして毎日諦めないで訓練する事です。

4、音楽屋(お金稼ぎが第一)にならずに音楽芸術家になる事。

この両者の違いは非常にはっきりとしていて、芸術というものは聞き手(相手)も人間であり頭脳があるという事です。聴衆も音楽家も、供給された音楽を各個人の頭脳の中でその人の持っている知識と融合して出来あっがったものが「文化」な訳です。だからこの事を理解した上でその可能性を提供することが出来る人を「文化人」と呼んでいる訳です。ただ感覚のことだけを追求していて、聴衆にもそのことしか提供出来ない人を「音楽屋」と呼んでいる訳です。

5、いつも世界トップクラスを目指している事。
この100年の間にいったい何人くらいの人が音楽家として世界的に名を遺したでしょう。恐らく巨匠といわれる人は100人位じゃあないですか。現在は風潮として音楽、作品を使ってどういう風に自分を表現するかなどと表現方式ばかり考えて、この芸術に歴史がある事を忘れてしまっている人が多いようです。日本には歌舞伎等の古典芸能という立派な手本があるではないですか。皆さん方は伝統を守る彼等と同じくらいの努力を毎日していますか。

6、クラシック音楽で今一番忘れられているのがこの伝統の伝承です。ほんとうにこれを実現する為には訓練努力と知識が必要です。

改訂:
7、自分の音楽を信じてくれて演奏出来る仲間がいる事
8、その演奏を聴いてくれる聴衆ファンが大勢いる事。
9、グローバルな考え方、国際人である事。

先ずはご自分でチェックして見て下さい。wienerコアラの会のモットーは、真面目で自分に厳しく、勤勉である事です。コレが他人に対する信用に繋がるというものです。

指揮者について

その前に先ずは自己紹介から。私は1956年昭和31年の6月20日に千葉市で生まれました。6歳の時から親の言いなりでピアノを習い、それから14歳中学2年の時にたまたまテレビでNHK交響楽団と指揮者のサヴァリッシュ先生の番組を見て、指揮者に憧れるようになりました。
 その番組の中で指揮者の勉強方法やオーケストラの練習をしている姿を見て興味を持った覚えがあります。そしてたまたま運良く斉藤秀雄先生と面識ができ、何とか先生のご指導を受ける機会を得たのですが、残念ながら先生はすぐに亡くなられてしまいます。そしてその後私は東京藝術大学の指揮科を受験しましたが、これは見事に落ちてしまいました。再度の受験準備をしている時に不慮の事故に遭い、残念ながら指揮者になる道を一時断念せざるをえなかったのですが、その後右往左往あった後決断をして24歳でヨーロッパのウィーン国立音楽大学に留学します。その後は大変充実した学生生活を送り、3年目よりヨーロッパにおいてキャリアが始まりました。その後すぐに事故の後遺症が出てしまって指揮者活動を断念せざるを得なくなり、教授陣と生徒達の推薦もあって母校で教育者の道に入ることになりました。おかげさまで自分の母校であるウィーン国立音大がそのまま私を受け入れてくれましたので、30年もの間教鞭をとることができました。この間、世界一流の音楽家やウィーンの殆どの音楽家、音楽教師と深く交流関係を持つことができ、実践の活動はなくなったものの、指揮者教育の場面では世界的なレベルまで達したものと思っております。歴代の教授陣といえば、ワルター、クレメンス クラウス、ワインガルトナー、スワロフスキー、スイトナー、エステルライヒャー、ハーガー、私、ラーヨヴィッツ、ストリンガー。生徒としては、カラヤン、アバード、メータ、ヤンソンスをはじめとして大半が世界中のオーケストラや歌劇場で活躍をしています。私が教えたこの30年の間にも、世界中のオーケストラや歌劇場で、常任指揮者、音楽監督経験者だけでも100人を超えていますし、とくに最近では、キリル・ペトレンコがベルリンフィル、オロスコ・エストラーダがウィーン響の音楽監督になる(但し楽団長との仲違いでこの4月で突然辞任をしてしまいました)と言うように、教え子が世界の中心的存在となるようになりました。またアジア人に関しては、ヨーロッパで活躍させる為にはどうしてもコンクールを優勝させるしかなかったので、その方面に力を入れ、生徒の入賞者が50人を超えました。1つの学校でこれだけの人材を輩出した事は我々が誇れることだと思っています。日本人の中には皆様方お馴染みの者もいると思います。(阪哲朗、曽我大介、下野竜也、三ツ橋敬子等)今や世界中で少なくとも300人程の弟子達が毎日コンサートを指揮しているでしょう。
さて私の事はこのくらいにしますが、どうしてこのウェッブサイトを使って皆様方に色々なお話をしようかと思ったかといいますと、私が健康上の理由で教職を早期退職をして、この健康状態でこれから先出来る事を探していたからです。

指揮者業界の話

さてここからは詳しくわかり易い説明をする為に、私の専門分野で特にオーケストラ指揮者業界の話をしましょう。現在自称指揮者であると思われる人は世界中でだいたい少なくとも1万人くらい、日本でさえ自分の名刺に指揮者と書いている人は少なくとも1000人くらい、そのうち70人くらいの人がプロオーケストラと何らかの形で働いています。この内10人くらいの人が現在の大手音楽事務所やオーケストラに気に入られてより多くの活動をしてしています。さて、1000人の日本人指揮者のうち何パーセントぐらいの人が私が最初に掲げた様な充分な研究研鑽をしているでしょうか。おそらく数パーセントにも満たないと思います。
ここで「指揮者としての条件」を私なりに考えてみました。

1、基本的な技術がしっかりしている事。1番必要なのは耳、要するに優れた聴力です。これは一般的に言うソルフェージュの事ですが、この場合何が大事かと言いますと、絶対音感があったり、その音が何の音かと判るだけでなく、音の高さあるいは音色、音質をどういう風に作ったらそれが人間の感情にどういう風に影響するかを考え、それらを完璧に聞き分けられる耳をまず作ることなのです。
2、次にそれを相手に伝える能力が必要です。まず指揮というものは、日本の場合では斎藤秀雄先生がいろいろ考えた指揮の技術、これは手の動きをわかりやすく簡素化をする事で図形と言う概念を考えて作ったものですが、自由自在に手を動かせるようになる為の運動修得ということのみを考えた場合、世界最高の指揮法教程だと思います。
指揮で1番大事なことは、音楽の完成品を指揮によって示すと言うことだけでは無いのです。あくまでもそれは、まず演奏家があって、演奏家が弾く事に対して、どういう風に演奏すべきかというある意味での予定を相手に伝え、その予定の中で演奏家が音楽の形をつくりあげていくと言うことなんです。そしてその都度、0.何秒の間にその出来た音を聴き、音楽上の誤差を直したり、新しい音に対する変化指示をしたりすることが大事なのです。その都度その都度違っていく経過を指示するのです。それを瞬時に出来ること、これが指揮の本来の極意です。残念ながら現在では見やすいこと、わかりやすいことばかりが強調されていますね。誰もが見やすい動きを手の動きで表すことも大変難しいことです。ですからこの事ばかりが発達してしまいました。現在の大学の指揮科のレッスンはどういう風に演奏会で振るかとか、どうしたらコンクールに勝てるか程度のレッスンしかしていませんね。残念な事です。しかも、現在世界的な指揮者の中で、この見やすいという点ですばらしい技術を持った人はほとんどいません。日本人でも2人しか知りません。秋山先生と私の弟子の下野だけです。あとは誰も私の求めている基準に達していません。日本で1000分の2とは悲しいことですね。
皆さんその見やすい基礎を学ぼうとするのですが、残念ながらこの指揮法というものはある意味で最初の基本的なことまでしか教えることができませんし、それ以上に自分の力で指揮者になっていく人が今ほとんどいません。音楽教育の歴史の中である意味で一番遅れているのはこの指揮者の技術向上の問題です。斉藤先生が作った日本の技術と言うのは、まず日本人にあった技術であり、考え方です。演奏する相手側が優れた音楽家であり、いろいろな事ができるという前提のもと大体の事を伝えると言うヨーロッパ型の指揮法の教本ではありません。弾けない人達もいて、その人達もなんとか合奏に合わせて弾けるようにさせようとする発想です。これは世界のオーケストラの指揮法とはある意味で違った方向ですけれども、相手に対しての動きが直接的に影響を与えると言うことで、指揮のドライビング(オーケストラの操縦方法)の指揮法としてははるかに卓越しています。ですから使い方次第なんですが、斉藤指揮法を本当の意味で克服した人は小澤征爾さんしかいないのです。他の方々は残念ながら指揮の動きの事ばかりに走っています。ですからこの指揮法を最大限に活用できる人はなかなかいませんし、他の(流派の)人達はやや精神論が進みすぎていたり、要するに指揮を振る格好の事ばかりを考えていたり、精神的な事ばかり言っていてどういう音、音楽を創成するか、伝統的に継承されている音楽の部分等、大事な部分に考えが至っていない。ほとんど現在の日本の指揮者や指揮の先生達はこの域を超えていません。非常に残念です。ヨーロッパやアメリカでは、手が不器用なために大まかな事を指揮によって伝える程度で、オーケストラのドライビング技術は50年前とほぼ変わらない状態です。

改訂:
因みに最近女性の若い指揮者が増えましたが、やたら格好と容姿の事ばかりの人が殆どですね。まだ私の推薦出来る女性指揮者は0です。

最近はネット上で参考程度ではありますがなんとなく若い指揮者の傾向が解ります。一言、レベルが猛烈と低いですね。嘆かわしい。全体に指揮の見た目は良くなりましたが、コントロール、音楽への直接的な影響、音楽性、あらゆる面でまだまだですね。
この程度のヴィデオを観て若手の発掘をしているのが、実は現在の音楽事務所、オーケストラマネージャーの方々なのです。彼らの耳も眼も洗練されたものでなければなりません。指揮者以上の見識、知識が必要です。

改訂:
こんな指揮者業界の有様を見るに、要は教育が大問題です。ちゃんとした生徒を輩出できる学校団体の問題、教師の問題、若手を育てながら経験を積ませる団体の少ない事、異常なまでの指揮者志望者の増大それに伴うクオリティーの低迷化。やりたいとやれるは大違い。問題が余りにも多過ぎる。一つ一つ真剣に
解決案が世界中で必要だと思う。特に私が現役を退いた後からが酷過ぎる。

斉藤指揮法教程の良い勉強方法

ここでこの斉藤指揮法教程の一番良い勉強方法をお教えします。まず運動の項目は運動自体と理論を100%マスターする事。理想の動きを知るうえでは秋山先生、高階先生のビデオを参考にすると良い。練習曲に関しては音楽の事は二の次とし使用するテクニックを忠実に使って再現する。

改訂:
出来れば初版本が一番良い。改訂版は様々な弟子の意見が入り過ぎていて斉藤先生のオリジナルさに欠ける。演習は必ずピッタリ指揮のとおりより点を見たら弾ける2人から4人のピアニストと行なう。

次に実際のオーケストラ曲での演習ではどういう風に振るかということではなくて、手の動きによってオーケストラがどういう風に演奏されるか、音、音楽がどう変わっていくかという点に神経を集中させて実践する。とにかく出てくる音をよく聞き、瞬時に自分の理想の方向へコントロールする事が大事である。その事に集中すれば非常に早くその効果が出て、本来の手によるオーケストラ操縦法を正しく身につける事が出来ます。

改訂:
次に大事な事はタイミングよく決して大振りにせずに斎藤教程の上手く使うには音の出る点を確実に音楽的に出せる事と点前、点後を上手く使い分ける事でその操縦力が変わってくる事です。本当に大事な事です。コレが殆どの人が出来ない点です。コレが出来る様になってから加速、減速のやり方をもっとマスターすれば完璧です。ヨーロッパや他の指揮法は点の存在とタイミングの事は一切考えずに大体の図形と気持ちとその雰囲気から脱していない事ですね。この考え方の差は大きいと思います。

さあ後は色々な実践あるのみです。と書いたのですが、基礎的なものを習得していない者がアマチュアオーケストラのように不完全なものを沢山指揮してしまうと、いつも曖昧な妥協点を捜してしまう指揮になってしまう。

改訂:
斉藤先生もこの事はおっしゃっていました。最初のうちは教師が一緒につくか、最良ではないがビデオ等で後で確認してもらう様にした方が良いと思います。
因みにペトレンコを含むウィーン卒業の指揮者の大半は私の元で斉藤指揮法の基礎は教わっているので、動きの事は100パーセントではないにしてもマスターしている者が多いです。

3、これらの事が実際に聞き分けられる耳と運動神経、それを創り出す音楽性、知識を使って実際の楽曲の訓練を行うことが必要です。

4、ここで指揮者にとっての最低限必要な学問の確認をしましょう。見識のある良い音楽を創ることと、合奏能力を高める事の出来る指揮者はなかなかいません。これから一番養成していかなくてはならない事です。
基本的な音楽知識を完璧に備える事は重要な事です。オーケストラ全体を統率するためにそれだけに皆が納得のいくだけの音楽性と知識が必要です。名刺に指揮者と書いている方々、どうぞご自分で次の点をご診断下さい。

 -1 優れた耳、ソルフェージュ能力がある。
 -2 誰が見てもわかるバトンテクニックを持っていて殆ど100%アンサンブルをコントロールできる。
 -3 良い音楽をすぐに実際に演奏出来る演奏家であり、理論家や批評家でない事。
 -4 楽曲の予習の為に、相当な程度のピアノが弾ける。
 -5 スコアリーディングがピアノでほぼ初見で行える。
  

オペラについて(とび込みの話)

日本ではなかなか上手くオペラの勉強が出来ないと思っている人が多いと思われます。要は環境作りなんです。先ず周りを見てもオペラを専門的に勉強している指揮の生徒が少ない。オペラを教える指揮の先生が少ない。良いオペラに接する機会が少ない。オペラの興味が市民団体程度のものが主流である。オペラ普及の方針がいつも後手にまわっている。新国立劇場、二期会、日本オペラ振興会など、歌手中心の手前味噌的な活動しかされていない。
もし真剣にオペラの発展を考えるならば、

改訂:
 国がオペラ普及運動をヨーロッパの様に、国家予算でしなければならない。ヨーロッパでは各国とも大抵国立州立の歌劇場が存在するが日本ではそれにはまだ無理があるので現在ある公文協を使って多目的ホールを上手く改造をして東京、大阪、札幌などの大都市ばかりを考えず、

改訂:
全国に普及させる為に、国家予算で(やっぱり理解のある国会議員さんが必要がありですね)
 スポーツの国体の様に全国オペラフェスティバルを隔年持ち回りで各県で開催し、海外招聘、新国立劇場、二期会、オペラ振興会グループ公演、市民オペラ開催県、市民オペラ他県グループ2団体公演等で全部で6団体3公演ずつ全18公演を2ヶ月間で開催する。こうすれば一挙にオペラが普及する。それまでにホール、歌劇場などの箱の改良、新設を含め費用は国、地方公共団体、地元協賛企業、特に交通企業によって予算は折半、コレを音楽事務所にコーデイネートさせる。

クラシック音楽文化の普及という事を考えると、総合芸術のオペラが中心となって良いと思う。ヨーロッパの文化の中心は、博物館、美術館、オペラ座、その他劇場であり、その次にコンサートホール、図書館が続くのである。

話がオペラの事になってしまったのでこのまま続けますが、一番のオペラ普及の方法はTVの教育番組放送、NHKだけではなく、民放も視聴率獲得のことばかり考えて低俗な番組ばかり作り国民を堕落させずに、文化的放送、特にオペラを増やすべきである。現在のクラシック番組はとにかくちゃんとしたものが少なすぎる。30年前の方が意義と興味が存在した。堕落をさせたのは誰であろう。オペラとは西洋文化総合芸術の筆頭であるから、これが文化度向上の良い方法である事は間違いない。国、文科省、文化庁は箱だけはと初期段階にはお金を出すが、その先は全くと言っていいほど興味を示さない。オペラ全般を牽引していく人がまるでいない。この事業をできる良い音楽家が、殆どいない。オペラに関するあらゆる文化に精通してる人が本当に誰もいないのです。直ぐにも始めなければならない事です。
必要な人材は、西洋文化に精通し勤勉でマーケティング作りに強い支配人、オペラを総合文化として捉えられる文化人、オペラ音楽に長けた音楽監督、オペラ舞台を音楽、伝統を踏まえて作れる舞台監督、言語習慣を問題なく強い歌唱力と表現力を持った歌手陣、オペラ演奏に慣れたオーケストラ、合唱団。これに音楽事務所。日本では二期会、オペラ振興会はもう60年以上、新国立劇場でさえ20年以上経っているのに、この分野の進歩はかなり遅い。理由は、一つの信念を持って全体像を考え、良い選考の下に人事を考えなくてはならないのに、しがらみばかりを考えてずうっと進歩していない状況にある。


改訂:
理想の文化人指揮者ペトレンコという男

ミュンヘンの例を見てみよう。私の弟子のペトレンコがミュンヘン国立歌劇場の音楽監督になって2年半で、オペラの事務方、音楽上では歌手陣、オーケストラ、合唱団(演出、舞台を除く)は彼の思い通りの世界一のクオリティに達するに至った。残念ながら、政治的な都合で演出家と舞台監督の一部の人事に彼の意見の全てが反映されなかった所もあったが、これは良い例だと思う。この駄目な方の例を日本では20年、30年とやっているのである。だから、ミュンヘンではペトレンコを手放した事を後悔し、クオリティは急激に悪化、ベルリンフィルでは彼を音楽監督に受け入れて大喜びである。ちなみにペトレンコは違うクラスの生徒にも関わらず、私がアジア人に特別に指揮を教える土曜の会に参加して私から色々なことを盗み学び取ったと思います。とにかく勤勉である事、素直な事、反応、反射神経の良い事は今でもよく覚えています。学生時代、暇な時の彼は私の教官室に入り浸りで、よく質問攻めに遭いました。聞き上手、教わり上手でしたね。デビュー当時は彼の殆どのコンサートを聴きに行った事を覚えています。彼も今年50歳になったのであるが今や世界一の指揮者と言っても過言ではないと思います。実はこの文章の改訂版を書いている時(2022年5月25日)に、我が母校のウィーン音大の学生オーケストラに卒業後2度目の客演に来て練習をしている最中です。とにかく自分にも他人にも妥協を許さず厳しいヤツで肩腕の故障を推しての練習らしい。激痛の為2度の練習をキャンセルしてもまだ諦めずに演奏会を実現しようと必死の努力をしている様であります。若い音楽家にはこの音楽に賭ける執念が通じれば良いのですが、私はコンサートへは目が見えず人に迷惑がかかるので失礼しようと思いますが、弟子の太一には行かせて様子を伺おうと思います。この太一は才能のある子で先日ウィーン市立音大の大学院卒業試験コンサートで満場一致、カーテンコールでは客席からの太一コールで聴衆を沸かせました。ペトレンコに彼の教育を託そうと思います。ペトレンコとは数年前にこんな話をした事があります。どんなに有名になっても、自分の世話になった楽団、母校と若い才能の育成を忘れない様にと。彼は今50歳にも関わらず全てを着実に実行しています。そして泣き言を言はずに、偉そうにもせずに謙虚に。実に男らしい日本人であるならばとんでもない武将の英雄に違いない。私にはいつも可愛い孫悟空であるが、日本の音楽家の皆さん見習うべきでですよ。

ちなみにこの土曜の会に参加した生徒の95%が現在指揮者として活躍しています。参加した生徒でヨーロッパからキャリアを始めた者の80%は歌劇場での仕事を経験しています。
日本では指揮科を含めオペラを総合的に教える音大、学校が存在しない。ここから始めなければならないのです。この道は非常に険しいです。国が公共団体が多額の予算で立ち上げないといつまで経っても同じ状態です。そしてそこで教えられる教師を探さなければなりません。今行われているオペラ運動なんて趣味の戯れ言程度ですよ。この発足に立ち向かう人材と緻密な計画が必要です。今の日本のオペラ体制では100%実現不可能でしょう。とにかくこの事を実現出来る人材を捜しましょう。
この様に理想のクラシック音楽界を創り上げる人材が育たないのも日本クラシック業界の現状です。誰もが、もっと低いレベルの完成度で仕事をして満足しているからです。皆さん考え方を変えましょう。私がどの位の危機感を持ってお話ししようとしているかおわかりですか。とにかく今回はクラシック音楽界でのありとあらゆる問題点を列挙しています。
先ずこれらの人材を作る専門分野の学校が皆無に等しいので、早急に作るべきです。

話を元に戻しましょう。
指揮者の勉強の課題の話でしたね。

  -6 オペラの勉強に必要なピアノの能力、初見能力、歌の発声学、オペラの原語を理解できる語学能力、特に 独、伊、仏、英
音大指揮科卒業までに最低オペラ30曲、レパートリーとして、準備、弾き歌いは勿論の事、一週間以内に公演可能なレベル。
  -7 ちなみにその他の交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽管弦楽曲を合わせて 300曲ほどのレパートリー保持。これも音大卒業まで。これが世界的レベルに達する為の必要最低条件だと思います。私もその様に歩んでまいりました。
  -8 ここで楽曲分析勉強予習の為に必要な学問をマスターしている事。
作曲技法、旋律学、楽式論、和声学、対位法、管弦楽法、楽器論、音楽史、演奏の歴史、オペラ史、発声学、装飾音法などなど
作曲の方法はちゃんと知っていなければならないですね。基礎として自分でシンフォニーの1つや2つは書けなければいけないです。
この中で日本人が1番おろそかにしてしまう事は歴史の分野です。音楽がどういう風な背景によって出来あがってきたのか、その時代の他の芸術、時代背景等を知り、例えば演奏会の隣の席にベートーヴェンがいると思える状況設定が出来たら凄い事ではないですか。
そういう場を音楽を通して作り上げていくのが芸術というものです。

改訂:
この音楽的学問の事は演奏家を含めた音楽全般に携わる方、より良く音楽を文化として捉える方、プロ、アマを問はずどなたにも勉強して頂きたいと思っています。コアラの会ではゆくゆくはこの勉強方法や自習推薦書物等を紹介します。
要するに音楽大学で習得しなかった部分をコアラの会では自主的に勉強を促す事をします。

みなさんが演奏会場やCD、ヴィデオの演奏を聴く事によって、それを自分の頭の中で創造形成できる事こそが芸術の本来成し遂げられる人間にしか出来ない行為だと思います。そういう場面に遭遇する機会が最近非常に少ないじゃないですか。その歴史的なシュミレートを頭の中にある知識を元にして創造して作り上げることです。
現代人は現代社会の雑踏の中ストレスや苛立ちを癒やす為にぐらいにしか音楽の意義を考えていない人の方が多いのでは無いですか。現代人の頭は機能の進んだ最近のコンピューターと同じように、機能が沢山分離していて、その中で不必要な物をどんどん省いて処理していますが、芸術を実行する場合では脳の中で1つのコンピュータープログラム上で全てを同時に処理するという初期のシステムのコンピュータの考え方とほぼ同じだと思われます。

要するに現代のコンピューターは沢山の人が簡単に使用出来ますが、初期のコンピューターを使うには基本知識がたくさん必要です。何億もある可能性から知識と経験によって1つの物を見つけ出せる、これが人間の脳のできる素晴らしい能力であり、それを0.01秒という瞬時で人間の脳で演算していくという能力が音楽家、特に指揮者には必要なのです。指揮者における0.01秒のタイミングの遅れはそれだけでも致命傷になりかねないのです。

5、次に人間性の問題。指揮者は自分1人で演奏ができませんから、いくら良いものを持っていようと、勉強しようと、テクニックがあろうと、それを自分で演奏出来ないので他人にやってもらわなければならないです。その為には人間性、性格の良い事が非常に必要になるわけです。この点では日本人の生徒でうまく世渡り上手をうまくやっている者はいます。ただ悪い政治家のようにうわべだけで心が伴わない者がほとんどです。プローべの時にただただ不必要に丁寧語を使ったり…あー気持ちが悪い。とにかく自然に振る舞う事です。無理矢理こうあるべきだと自分自身を変える必要はないです。この点で問題のある人は、人の上に立って仕事をする才能が無いかも知れません。そういう人は指揮者になる事は諦めた方が良いと思います。ある意味で良い指揮者になるという事は総理大臣になるより難しいことかもしれません。また実力も無いのに偉ぶるなどは言語道断です。勘違いも甚だしい。
指揮者になるには、本当にその全てのものが必要なんです。適当な指揮者になっている方々、よいですか。100人のオーケストラを指揮する事だけでなく、そのオーケストラ全体の働く人達との有りとあらゆる面での良い関係を作っていくことも重要な事です。これが演奏に影響をあたえてしまうのです。これに加えて経営基盤、政治基盤を持っていれば申し分ない事でしょう。最近はこのこととファンとの関係ばかり気にしている指揮者が多いですね。芸能人ではなく芸術家です。お忘れなきように。

6、このあとに述べる点が、今現在日本人指揮者の一番欠けている点だと思います。というのは最低限、指揮者が生涯に身につけなければならないレパートリーのことです。基本的な交響曲、管弦楽曲はもとより、オペラ、特にR. Strauss、Wagnerの作品で最低限薔薇の騎士とワルキューレを含めた5作品程度は、一週間以内に公演スタンバイできるようにしておく事が当たり前のことです。さて日本の指揮者さん達でその事が可能な人は、私の予想では1000人中3人か4人くらいです。韓国も台湾も似たようなものです。私が世に出したウィーン卒業生のうち50人くらいは、一週間で必ずこれらの公演を指揮出来ますよ。基本的な教育の考え方が違うのです。これがこの芸術の牽引的な役割を担ってきたウィーンの伝統です。今の日本のクラシック音楽の牽引者たる日本人指揮者はこの程度なのです。ただただ嘆かわしい事です。今のこのコロナ禍ではこの程度の日本人指揮者達で代行の演奏会をやっているんです。コロナが終わったら本当に考えなくてはなりませんね。次に最近よく言われるカリスマ性ですがカリスマと言うのはあらゆるものが備わっていればそのまま自然に出てくるものです。ですからカリスマ性を一生懸命強めようとしてもそれは無駄な事だと思います。指揮者に対しての事はこのくらいにして。       
次に他の音楽家の話をしましょう。


一般音楽家の足跡

ここで若い演奏家の人たちの為に、わかりやすくこれまでの音楽を勉強している人が進んできた道のことについてお話をしましょう。
まずは普通の音楽学生の大体の例ですが、小さい時からピアノを勉強してる人の大半の例をちょっとお話しします。まずは早い人で3歳から4歳、遅い人でも7歳から8歳位までの間に本人の意思というよりは大抵が母親の意思で音楽を情操教育の1つとして音楽教育を受けます。大抵は近くのピアノの先生、ヤマハの音楽教室だったり、もう少し程度の良い所ですと桐朋学園の音楽教室であったり、まあ最初にこのような場で音楽に接して楽しく教育を受けます。その中で成績が優秀である場合で、そしてその子が興味を持った場合、親は音楽をもっと専門的に身につけさせようと考え、将来的に音大に進学させる、と言うような事を考えはじめます。それが大体中学生頃じゃないでしょうか。そしてその後は専門的な音楽の技術を教え、良い音楽大学に受からせることの上手い先生を探し、その先生の下で研鑽を積んで音楽大学に入ります。ここまでの間に、よくありがちなことですが、他人との競争心を煽らされたり、また何らかのステータスを取らせるために子供の頃からコンクールに興味を持たさせ、そのことによって本人だけじゃなく親また専門教師が自分の名誉のためにも、コンクール参加を促します。これによって音大に入る頃までに既にいくつかのコンクールに受かっていたり、それから先も大きなコンクールを目指したりするのです。

コンクールの話

ではそのコンクールの話を少ししましょう。私も実は自分の教育の場面で、特に指揮科の学生のアジア人がヨーロッパの中で生きていく為の最低限の条件として、やはりコンクール入賞という事に力を入れてしまいました。まあ結果として50人以上の国際指揮者コンクール入賞者を輩出しましたが。しかし、コンクールに勝つという事と良い音楽をするという事は仕上げ方が全然違ってしまうのです。結局コンクールの意義は、本人が何かの目標を持ってその達成努力をする事と、両親の安堵感、あとは殆どが周りの人間、音楽教師、音楽団体、音楽事務所、マスメディアの仕事の興味の為に、あなたの経歴を良くする事です。でもコンクールばかりを挑戦していると音楽性も人間性も違った方向ばかりを追うようになってしまいます。特になかなか入賞しない状態が続き、なお且挑戦を続けると良くない。気をつけて下さい。とにかくコンクール中心の音楽教育は熟考すべきです。
  

音楽家の話の続き

さあ念願の音大に入りました。次に起こる事は音楽バカの育成です。この大学4年間の殆どが自分の専科の事と学内の閉ざされた生活環境によって人間形成の一番大事な時期に、経験しなければならない事や広く芸術家としての心構え等の自覚もつかずに時間が過ぎてしまい、一般の大学生達に比べると卒業の時点で基本的な人格形成という点でかなり遅れてしまうわけです。特に音楽家としてどういう体験がどういう風に、特に音の変化の部分が人間の心を動かしたり感動させたりする事を出来る様にする要素とは何か。この事は常に追及しなければなりませんが、その為には、色々な音楽知識、一般的な広い学識と人間形成の為の経験、それを実現する為の機会が必要です。しかし、ある程度の理解できる可能性があっても実際は全ての面で中途半端なのです。

改訂:
大抵の学生達の言葉です。
大学時代、主科は一応満足で音楽副科はつまらなく、興味もなく単なる学問で実際の演奏と結びつける内容など全く習っていない。殆ど大学時代に有意義に習った覚えがないと言うんです。要はコレをコーデイネートするのが実はソルフェージュの教師であり主科と副科と確実なタッグを組めば日本の大学生は格段と進歩をしますよ。大学の学長さん本気で考えた方が良いですよ。それとソルフェージュの先生、知識と音楽的能力の向上をお忘れなく。また主科の先生、ソルフェージュや副科の先生をバカにしないで下さい。生徒達の興味の無さは、あなた達にも責任が有ります。

この時点までに教育を受ける者、教育をする者、両者とも実際どの程度のものが必要とされているか、みんな疑問だらけなのです。それは現代では音楽の必要性がある意味で疑問視されているからです。まずどうして音楽を勉強しているのか。これを生涯のライフワークとして考えているのか。今の時代は学問を受ける者は自由であるからあまり強要は出来ないかもしれないが、その分学ぶ側の心得という事がとても大事なように感じます。

改訂:
大学教育について

この2、3ヶ月の間にショックな事をたくさん聞きました。
年間で音楽大学の卒業者は
全国で約3500人
このうち生涯勝ち組として日本の音楽界で演奏活動が出来る人が約1パーセント、大学の教師として残れる人が3パーセント、海外ののオーケストラに就職出来る人が1パーセント。あとは殆どが専門分野の仕事だけでは食えなく、個人レッスンや、エクストラの仕事、自分の仲間と小さな演奏会を細々くやるか、アマチュアを教えるしか無いのです。コレが現状の方法で行くとこれ以上の進歩はありえません。問題点を書き出して見ましょう。
 1、音大卒業者の就業率が極端い低い事。
 2、少子化の問題
 3、 1、2の問題により定員割れ。その為に入試問題の低レベル化に伴い誰でも入れる学校全体の急激なレベル低下
4、誰でも入れるならば卒業を超難しくして(国家試験の導入)、卒業出来れば
ステータスと資格が与えられてより就職状況も良くなるし学内での生徒の勉強が見違える向上する。
 5、現在は生徒を連れて来た教師への優遇化非常勤講師に就任させてその生徒数で給料査定に多大な影響があるそうです。あり得ない。
 6、非常に増えた非常勤講師、少なくなった専任、名前ばかりの教授陣コレでは良い生徒を輩出出来ない。
 7、学校全体の確固とした教育理念が無い。要は音楽文化を教えるのに文化的歴史的知識がまるでお粗末。コレでは大学の意味がない。個人レッスンと同程度で技術面と精神論的なもののみ。学内で知識を習う事が出来るがコレを歴史的事実に鑑み実際にの演奏上に反映する授業がまるで無いに等しい。要は教師の低落化。この事は殆ど文科省の責任であると思われる。文科省の役人に対して意見が出来るのは国会議員の方々なのです。
私は何人かの現留学生に聞きました。日本の学生当時、文化人と思われる先生に会ったり指導を受けた事があるか事があるかという質問の答えは全員0、私の留学学生時代の答えは7人、ずいぶん違うと思いませんか。コレが実状です。
8、小中高の先生になるのには教員免状と採用試験が必要であるが、何故か大学ではコレを必要としていない為原則として各学校責任で任命が出来る。要は野放し状態であるから外人の招聘を含め場合によっては学長の独断判断で教師の人事が決められる。恐ろしい問題である。
 9、実は音楽の都ウィーンでも同様の問題が起こっている。ここ15年ほど前より国立音大の教授の最終決定権が文科省にあったのが今は学校のみ判断で決定出来る。現在起こっている事は、女性学長と3人のうち2人の女性副学長と教育科の進出により教授会より学校の代表委員会議の方が強くなりこのメンバーの7割が女性となりこの5年ほど女性の採用が格段と増加している。ですから必然的に伝統を重視していたウィーンフィルを中心としたオーケストラ楽器教授陣が15年前は44人中22人だったのに対して現在は8人しかいないのです。コレも伝統を失ってしまう原因の一つです。ですから私はコアラの会を立ち上げて古き良き時代の事も考えながらより良い方向へと考えているわけです。この為にウィーンフィルの友人が事務局長であった時代にウィーンフィルの教授が減った分教育機関の見直しとしてウィーンフィル独自のアカデミー(生徒養成機関)の立ち上げを提言したところすぐに実現をしてくれたのですが、そのうち優秀な生徒には沢山の女性の応募が多くてウィーンフィルの団員も必然的にヨーロッパ出身の女性が増えてしまってかえってインターナショナル化を早めてしまった結果になってしまいました。
 10、現在の私立音大の最大の問題点は経営基盤の方法です。現在は経営者と教育者がいて結局経営者に教育者が雇われている状態なのでコレが逆転する要するに、創立当時の様に教育者が経営陣を任命する方法を採らないとこの問題は永遠に解決しません。コレは他の音楽団体オーケストラ、オペラ劇場などにも言える事なんです。芸術や教育はなにがあっても第一義に考えられなければいけません。
 11、バブル時に巨大化された学校経営の解決策は、生徒数の確保や意味のない目新しい専科を作る事ではなく原点に戻ってクラシック音楽のみの専門大学への勇気を持って移行して縮小化をすべきす。設備も縮小化をし最低限のものだけにし教職員の縮少を第一として先ずは節約、少数精鋭主義に転換すべきでは無いでしょうか。
 12、教授、准教授は、3年毎の年棒採用試験制、講師は全員非常勤。これでかなり身の引き締まった給与体系に成るのではないですか。人事査定は引退した名誉教授と学長のみに託せば良い事です。そしてこの人事は最終的には大学の教師に資格審査がない分文科省の認可制としそれに応じた資金援助を文科省が行なう。
 13、音楽大学改革には文科省の全面的に法律面、経済面での協力が必要です。それを動かしてもらうのが、国会議員の方々なのです。こうすれば、先ずは学内の整理が出来ますのでかなりの縮小化が可能になります。お考え下さい。
 14、とにかく意味の無い先生、生徒を作らない。学校のレベルアップは適面だと思います。
 15、各学校は新しい経営方式として1校1音楽事務所とタイアップをして生徒、教師の演奏活動を既に学生時より興行させる。

とにかく音楽大学改革は直ぐに始めなければならない事です。

ここに有名な我らが最高の教育者 斎藤秀雄先生の生前のNHK 女性手帳のインタビューを載せておきます。皆さんご覧下さい。特に教育に携わっている方、大学の経営陣の方、有りとあらゆる先制業をしている方、現在の学生諸君、このヴィデオを見で背筋を正されないならば、もう末期症状ですな。クラシック音楽界は本当に将来が無いですな。

斉藤先生のヴィデオのNHK女性手帳のインタビューを添付

https://youtu.be/LvVDJZvckoI


私が影響を受けた先生達

ここで私がウィーンに留学している間に、自分の覚悟を決める為に私に強い影響を与えて下さった先生である、ヨーゼフ・メルティン教授の話をしましょう。彼は皆さん方がよく知っているハーノンクール氏の先生でヨーロッパ、ウィーンのバロック古典音楽の第一人者であった方です。この方はユダヤ人で、第二次世界大戦中実はナチスドイツの迫害を受けましたが、彼だけは父親の友人の助けでその難を逃れました。彼と一緒に仕事をしていた彼のユダヤ人室内管弦楽団の連中は彼以外全員がガス室に送られ殺害されました。彼はその当時の話を私に涙ながらに、どうして先生がずっと今まで音楽を続けられたかと言うと、仲間と一緒にした音楽、戦争中自分達がいつ死ぬがわからないその状況下でやった曲の一つ一つがいつも思いだされる事、また死んでしまった仲間の代わりに音楽の発展に貢献したいと思った為、だそうでした。死ぬ直前まで言っていたことです。私達の指揮科講座の時、先生が用意されたオーケストラのパート譜は、この室内管弦楽団の一人一人が自分で書き写したもので一人一人の名前が書いてありました。この先生の音楽はいつも彼等と一緒に演奏している感がありました。とにかくウィーンではバロック音楽の生き字引と言われ、音楽知識を彼より持っている人に私はまだ会ったことがありません。なおかつユーモアに溢れ誰よりもご自分が一番楽しんでいるような演奏をなさいました。とにかく音楽がわかりやすくて自然で、でも理論と伝統にかなっているのです。日本人では見た事がないですね。殆ど彼の持ち合わせたものを持っていないという事です。残念です。彼は私が彼の家に遊びに行くといつも濃いコーヒーを入れてくれて、俺が入れるとカミさんより多くコーヒー豆を入れるんだと言い、私に懇切丁寧に言葉の通じない部分をなんとか伝えようとして色んなことを教えてくれました。私のバロック音楽、ウィーン古典音楽の基礎は彼から学んだもので、彼より知識を持った人、またそれに相当する位の書物で優れたものを知りません。それほどの人なのです。でもこの彼が、私に音楽と言うものがあなたの人生にどれだけ影響与えるかはわからないけれども、いつなんどきに人間はお迎えが来るかわからない。その最後の時まで絶対に努力を諦めない事。これがこの音楽という学問をやる人の一番大事な心得だと思う、と教えてくれました。
私はこれをそのままあなた達にも伝えたいのです。そう考えると現時点での日本における、あるいはヨーロッパにおいてもそうですが、現在の音楽教育あるいは音楽の業界そのすべてのものがとにかく甘いというか、曲がっているとは思いませんか。一言、なめるんじゃねーよって言うことですよね。
気をつけないと、いくら勉強しても技術だけを伸ばすことばかり考えて、曲がってしまった音楽家人生を送ることの始まりとなってしまうというわけです。要はどういうことが人の心を動かすことの出来る要素かという事の基礎を知ることなんですが、それを見極めたり教えたりする事の出来る教師が今ほとんどいませんから、コンクールなどに興味を持たせ、ただ技術ばかりを追及しているというのが現状ではないでしょうか。
 
改訂
ウクライナ、ロシアの戦争の事を考えるとメルティン教授が浮かんできます。何とかウクライナ、ロシアの音楽家がヨーロッパ、アメリカ、日本の音楽界で制限無く音楽活動が出来る様にしたいものですね。国会議員の先生方宜しくお願いします。

ここで私が非常に影響受けた先生をあと3人紹介しましょう。その1人はウィーン・フィルのファゴット奏者であったカール・エールベルガー教授です。彼は19歳でウィーン・フィルに入りなおかつウィーンのアカデミーの教授にもなりました。この彼が何が凄いかと言うと、ウィーンの重要な管楽器奏者、ウィーン・フィル、ウィーン交響楽団、トンキュンストラー・オーケストラ、ウィーン放送交響楽団のほとんどの人が彼のもとでウィーン古典派の管楽器の室内楽の授業を受けていました。要は彼がウィーンの伝統を伝承し、皆に提供していたわけです。またもう一人尊敬するウィーン・フィルのコンサートマスターの1人であったサモヒル教授は、一番多い時でウィーン・フィルのヴァイオリニストのうち30人が彼の弟子だったことがあります。ウィーンフィルのキュッヒル先生も、アルバンベルク クワルテットのピヒラー先生の先生で、またウィーン音大のヴァイオリンの教授14人中10人が彼の生徒でした。この方ともう1人第一コンサートマスターであったシュナイダーハン教授にも私は可愛がってもらいました。私はこの3人の先生の力で、ウィーン伝統の音楽語法がどういうもので、どのように伝えたり教えたりするのかをたくさん学ばせていただきました。学生になってすぐに私はウィーンフィルの教授のほとんどの個人授業に顔を出していました。とにかく指揮科に入っただけではわからないことをたくさん教えていただきました。これが私の学生時代できた最高の宝なのです。ですからいろんな事の知識とそれを実際の音としてまたどのようにそれを作っていくかと言うことを全てこの学生時代に実証させてもらいました。これはほんとうに私の財産なのです。私と同じ位の体験を今の学生達に体験があるかと言うことについては、非常に疑問です。
ですから、学生生活の内に出来る事は工夫をすれば山ほどあるよ、という事です。

またコンクールの話に戻りましょう。コンクールは入賞者を民主主義の多数決で決めようとしたり、あるいは政治的に自分の門下の生徒を上に持ち上げるためにさせる人もいます。と言うことでより良い音楽家を作ると言う点では、はっきり言って良い方法とは思えません。音楽事務所の方々は自分自身の判断によって若い可能性のある音楽家を世界的な職業音楽家にする自信が足らないので、このようなシステムに決定を委ねているわけで、またこの事でマスコミ等に売り込む事が楽に動けるので、そのためにコンクールを利用しているようなところがあります。
   
音楽家の育成の為の費用

さあここでひとりの音楽家を育てるのにどのくらいのお金がかかるを考えてみましょう。先ずは大学入学まで。親と子供の二人三脚のようにこの道は続いて行きますね。
 
6歳から中学3年まで
主科の月謝   12万 x 6年
        48万 x 3年
副科の月謝   12万 x 3年
楽器代  ピアノ   70万
専門楽器 ピアノ   200万
     弦楽器   150万
     主科管楽器 70万
楽譜、CD代 12万 x 9年

高校1年から大学入試まで
主科の月謝     8万 x 36ヶ月
副科の月謝     4万 x 36ヶ月
レッスン交通宿泊費 12万 x 36ヶ月
楽譜、CD代     1万 x 36ヶ月
(浪人すると 1年分が加算される)

   
大学4年間
学費        
国立大    私立大
初年度                      150万    300万
2-4年次合計で       240万    600万
大学院2年間                    160万    300万
楽器代 管楽器       80万〜150万
弦楽器、ピアノ      200万〜1000万

生活費、部屋代(地方出身者の場合)  月15万
楽譜代、CD 、コンサート      月2万
   
海外留学の場合 (4年間)
留学準備金  200万
学費     30万~200万 x 4年
生活費   月20万

日本人が考える音楽家になる為の費用とは多かれ少なかれこの様なものではないでしょうか。とてつもない金額ですよね。皆さん方にはこれだけ既に掛けられているのです。親御さんには感謝すべきですよ。

大学卒業時、この時点迄でまだいろいろな意味で時間的にも経済的にも余裕があると、海外留学、と言うことになります。日本人の場合大半が既に大学を卒業しているのでヨーロッパの大学に入学する事は競争の面では比較的やさしい事です。後は費用さえ工面出来ればこれは簡単に実現出来ます。彼等が次に考える事は、勉強をする事は勿論ですが、自分の名前を世の中に出そうという事で、コンクールをしたり別の有名な先生に個人的についたり、また小さいながらもたくさんのコンサートを探したり。そのようなことをして履歴、経歴を良くしようと考えている人が多いですね。大半の学生はヨーロッパの大学、大学院で研鑽を積む事を出来るだけ短い期間を設定し、コンクール等で名声が出ない場合のみ最後まで卒業をして日本に帰国をする事を考えていて、最初からヨーロッパで音楽の活動をする事は考えてはいないようであります。こんな状態の日本人留学生に対して現地の教授達も親身になって教える気力が無くなってしまいますよね。
これが実情でないでしょうか。

さあここからが本題です。
ここ迄の話をまとめると、一人の音楽家を世の中にだす為には約1500万から2500万円くらい費用がかかるという事です。贅沢な道楽ですよね。道半ばで諦める事は仕方のない事なのでしょうか。親の言いなりに半ば強制的に始めた音楽が日に日にちょっとした興味を持ち始めてだらだらと続けていって気がついたら音大も卒業もしたのだが大した実力も付かず辞めるに辞められずに結局の所、それを決定するのは金銭的な問題になっていませんか。どっちみち音大生の75%が女子大生、10%が長男か一人息子、親が非常に裕福であるとか、親に代わる結婚相手を含めて経済的支援者が現れればこの道楽は続けられ、その途中でコンクール入賞やなんらかの形で名声を得る事ばかり考えてこのゲームを続けている状態ではないでしょうか。自分が音楽家を続けていくかどうかということを大半の人が経済的理由で決めてしまっているのが現状であると思います。人生の半分をこの音楽という芸術とともに歩んできたのでしたら、もっと使命感をもって自分の人生設計をして欲しいのです。甘過ぎますね。

さあここで、もう一度音楽家芸術家とはどうあるべきか自分なりに考えていただきたいのです。要は緻密な人生設計をして欲しいのです。         

先ずはご自分のクオリティーについて。技術的な面、レパートリーの面、知識力、他の芸術との関連知識、いろいろあげたらキリがないですが、ちゃんと皆さんもう一度計画し見直してください。そうしてそれを実行なさってください。こういう根本的な事を皆さん忘れているのですよ。人生には好転する為のチャンスが何度か来ると言います。20代迄に3回、30代では2回、40代で1回、これを確実にモノに出来るようにするのが鍛錬の力です。皆さん方芸術家は人の出来ることをするのは当たり前。それ以上の事が出来てはじめて芸術家になれるのです。
ここでちょっとお耳に入れたい事があります。ドイツ語では音楽家が貰う報酬をHonorar(ギャラ)といって、月々定期的に貰う給料をGehalt と言います。要は音楽芸術家が貰うのがギャラであり、オーケストラ、合唱団、大学の先生が貰うのが給料であります。給料には保障があり日本と同じように保険、年金が義務付けられています。ギャラの方は保障が無いのでその分報酬額が高いのですが、特に老後が不安です。私は音楽芸術家は自分で老後の為の個人年金を掛けるべきだと思います。ちなみにウィーンは世界で一番ギャラが安いのです。ウィーンフィルが存在する理由に国立オペラだけの仕事ですとオペラの曲ばかりで管弦楽曲が出来ないから。もう一つは給料だけでは報酬の安い国ですから、食べられる事だけでギャラの入る仕事として別団体を作りウィーンフィルの名前でコンサート、CD録音、演奏旅行をしている訳です。ギャラからは高い税金と年金を別に払っている訳です。また、給料だけでなくギャラも貰うことは芸術家にとって大事なステータスでもあります。日本、韓国、アメリカではギャラが必要以上に高い気がします。この事は伝統芸術文化の存続という点ではマイナス効果を与えていると思います。必要以上に要求すればまたそれ以上に支払いをする者が出てきて無意味な競争心を煽り立てる事になるのです。これの原因が現在の形の音楽事務所の存在です。
さて、後でまたお話をするつもりですが、私の大きな提言の一つに、音楽芸術家の為の年金と保険のシステムを作る、ということがあります。良いシステムが出来れば経済的にも将来的にも音楽芸術家がもっと研鑽する事により時間がかけられ、音楽屋でない真の音楽芸術家を生み出せる可能性が多くなると思います。


ウィーンに於ける日本人音楽家、留学生

ウィーンには毎年600人程度の日本人音楽家、留学生がいます。この内実際に常時活動している音楽家は35人程度、うち80%が女性でヨーロッパ人との既婚者が多く男性は5人もいません。これに留学はしたものの、名声もあげられず帰るに帰れずなんとなくズルズルといる人が100人くらい、後は殆どが経済的に不安の少ない人で現地人と結婚している女性、学生時代と同じようにろくに勤勉であるわけでも無く小さなプライベートなコンサートをしてあたかもすごい活動をしているかのように経歴に書いている人、これに現在音楽大学に在学中の100人、残りは勉強しているのかしていないのかわからない人が入れ替わって毎年だいたい600人くらいいる訳です。なんか甘い人が多く無いですか。でもこれが実情なんです。こういう事や日本の音楽屋、音大生、何となく経済的保護を受けながら音楽を続けている人、この方々の意識改革をしない限りは単なる趣味、金持ちの戯れ言としか世間には見られません。先ずはここから改革です。


音楽上の得な話

なんだか最初から暗い現実のお話ばかりなので、ここで皆様方に,良いフレーズ感を持てる様になる、最短の簡単な訓練方法をお教えしましょう。本当に簡単ですよ。

先ず良いフレーズ感とは何か。わかりやすいやすい事,あっさりしている事、あまり長くない事、覚え安い事,これが実は全てなんです。

偉大な作曲家達は人間のこの感性にあった曲を作ろうと必死だった訳です。作曲家は山ほど居たわけですが、その中からこの感性にあった作品ばかりが長く生き残りました。この歴史が伝統なのです。残念ながらこの感性の部分は伝承という方法でしか後世に伝える事が出来ません。このような事をついこの前までひた向きに守っていたのが,音楽の都ウィーンです。いつもこの伝統を200年以上大切に守り続けたからできた事でした。ウィーンの伝統とはいまお話した、良いフレーズ感を持っているという事です。もう一度言いますが、これを訓練するのは難しくありません。これは別にウィーンの伝統的な訓練方法ではありません。ですが、私の方法で根気良くすれば誰にでも簡単に良いフレーズ感が身につくことが出来ると思います。大事なことは諦めない我慢と努力の意志です。

それでは訓練に入ります。
用意する物:今ご自分が勉強している楽譜 鉛筆(出来れば3B) 。
またはIMSLP等でプリントした楽譜 鉛筆。
楽譜と同じ曲の音源、再生装置、出来るだけ良質のもが良い。

1、ひとつの音源を楽譜を見ながら1回聴く。その際にフレーズ分けをし、鉛筆で印、そして縦線を引く。2回目に違う演奏で聴き、1回目の縦線を確認しながらフレーズの最初の小節に、その区切られた小節数を書いていく。3回目、また違う演奏で聴き正しいか確認をする。3回聴くまでにフレーズ分けが完了できる様にする。要するに、早い判断が必要でです。
2、これを毎日1曲ずつ、先ずは1ヶ月続ける。曲目の選定は、簡単なものから段々複雑な物へと変えていくのですが、あまり急いで曲目を難しくしてはいけません。徐々に難易度を上げましょう。例えば、ピアノを習っている方なら、ソナチネ集から古典派の曲目へ、これは子供にも有効で、勉強した曲で順番にやって良い。他の楽器をやっている方は先ずは自分の専門楽器の曲で、次にオーケストラ曲に進まれると良いでしょう。この時点では、正しくフレーズ分けが出来たか出来ないかは、さほど重要でなく、3回のうちに完了する事が大事です。即ち聴くと同時に俊敏に頭の中でのひと固まりにするフレーズ構築力をつける訓練です。
オーケストラの曲目へ進む事は非常に良い事です。というのは、オーケストラの曲でこの課題をこなすと先ず色々な音色に対して敏感になります。またオーケストラスコアという楽譜を知る事となり段々と知識が必要となって来ます。また毎日曲目が増えていくので色々な作曲家を知る事が早く出来ます。こなす課題の順番は、交響曲でしたら先ず、ハイドンを5曲、モーツァルトを5曲、ベートーヴェンを5曲という風にこのフレーズ分けの効果が早く出る様に古典派からロマン派へ、それからバッハ、近代の曲という風に進めていきましょう。今日では、IMSLPやYouTube等を使えばお金を掛けずに簡単に実行出来てしまうので皆様方は大変幸せだと思います。曲目はこれにオペラを段々加えて行ってください。それはフレーズと言葉の関係を訓練する為です。
3、2ヶ月目から1、2、の練習に加えて次の練習を行います。先ずは日本語の物で良いですから、300字ぐらいのテキストを探して下さい。ニュース、新聞の原稿から1つ、小説から1つ、漫画から1つ、官能小説から1つ、これを先ずは自分が、NHKのアナウンサーになったつもりで全部読む、次に役者になったつもりで、次に政治家になったつもりで、2回ずつ読んで下さい。そうして最後に自分自身で文章に応じて一番良いと思う話し方で話して下さい。これを1日おきに実行して必ず録音して聞いてみてください。着実に表現が良くなりますよ。これを月日が経つうちに、ドイツ語で、英語で、イタリア語で、フランス語でと輪を拡げていくのです。

4、この時点から、毎日1分120歩のテンポで毎日歩いて下さい。カチカチとiPhoneなどのメトロノームを使わずに2歩づつ数を60数え1分したらストップウォッチ見てチェックこれを何回も行なう。少なくとも半年ぐらいは続けて欲しいものです。必ず良いテンポ感と極めて微妙なテンポの動きが判るようになり身に付きます。お試し下さい。
5、この頃にはフレーズ、話し方の抑揚の事が、明らかに今までとは違って感じてきます。
6、約3ヶ月目くらいから、音楽と言葉との関係の訓練に入ります。音楽によって人の感情の動かす一番重要で簡単な事、それは変化度合いなんです。ダイナミクスと音色は大体の人がわかるのですが、ことアゴーギグ、テンポに関してはなかなか理解が得られない。それはこれが単独では効果があまり大きくなく、他の2つの要素と微妙にいつも関連して出来るものであるからです。とにかく微妙な変化に敏感でなくてはならないのです。音楽も言葉も微妙な変化にによってその効果が出るのです。言い換えれば、絶えず変化をしているのです。本当に少ない変化から、自然界の動き、平静な感情状態、興奮状態、病的状態、死の状態、物質の状態等。
という事は、音楽、言語の部分では、隣り合う音,隣り合うシラブルは絶対に同じものはなく絶えず変化している事になります。 
この違いを理解する訓練がここから始まります。微妙な違いは伝統、伝承の中から学ぶことが出来るのです。

先ず音楽の世界では、最小限の単位をEinheit、つまり動機、次の大きさの単位をフレーズと言い、動機にもフレーズにも必ず頂点があり、その頂点に向かって音楽は高揚し、終点に向かって減衰するのです。この繰り返しを様々な形で何度もすると楽曲が成立するわけです。この状態と興奮度を曲線で表すとその曲のクライマックスが解ります。最小限の動機頂点は言葉のアクセントに近く、この小さな単位でも必ず頂点が存在します。それは言葉の訓練の際に体得出来たと思われます。次の大きさの塊がフレーズです。単位は4小節ないし8小節が基本です。この中にも必ず頂点が存在し、音楽は頂点に向かって高揚しそこからまた終点に向かって減衰する訳です。この段階では和声の動きと対位法の仕組みがこの頂点を作り出しています。
さあこの動機上の頂点と、フレーズ上の頂点を確実に捉えられれば皆様方の音楽は見違える程、自然で音楽の向上にかなった演奏が出来る様になります。大事な事はもう一度、動機、フレーズには必ず頂点が存在し、頂点に向かっては音楽が高揚し、終点に向かって減衰する、という事を必ず実行する事です。このフレーズの時間ぐらい人間は記憶する事が出来ますが、それ以上の時間は瞬間的に頭脳処理が出来ないのです。8小節のフレーズの頂点は大抵の場合、カデンツ上の終わりのドミナントに頂点がきます。そこに向かって音楽が高揚しドミナントからトニカに向かって減衰し安定する。そしてまた直ぐに高揚が始まって次のフレーズを創るのです。この動機とフレーズの関係を飽きる事なく作っていくと名曲の完成です。
 
改訂:
これに連続性を含んだ非連続性が大事な要素です。人は同じ事が続くと最初はそれを良しとしますが3回以上ただ続くとくどいと言って聞かなくなります。コレも人間の脳の性質です。ですから人間の脳が興味を持つ様にするには、全く同じものは2回まで、3回目からは何れかの事を変化していけば興味を続けて持ってくれるという訳です。コレも名演名曲の極意です。

次に高揚曲線と名演、名曲の存在について。

さて名曲の条件ですが、この音楽上の頂点が無数に存在し、その強さがちょっとずつ違っていて、その曲全体の頂点の位置の連携がフレーズを形成する高揚線と同じ形に存在する時、これを名曲と判断できる訳です。要するに最初から始まって頂点が全体の4分の3以降に存在するものです。
8小節のフレーズで解りやすく解説すると、フレーズは1小節目から始まり、動機上のアクセントによる微妙な変化をともなって3小節目でちょいと高揚し、そのまま半終止の4小説目で微かな休止をしそのまま高揚を続け7小説目のドミナントに達してそこからトニカへ終息する。これを曲線で表すと何かに似ていませんか。そうです、男性のSEXカーブ曲線です。男の本来持っている自然な興奮度曲線の事です。この曲線と同じように興奮度で作曲したものが名曲として残っている訳です。元来男性の作った曲に名曲が多くて女性の作った曲があまり世に出ない事、男性の世界でこの文化が発展した事等、一概に間違いだとは言い難いです。
また演奏の面でも、この効果を守っている人は殆ど例外なく巨匠として名を遺して居ります。ちなみに、クライバー、フルトウェングラーは間違い無くその一例で、この部分が彼等の演奏には大変反映されている訳です。興味深い話でしょう。皆さんで実験してみて下さい。頭の中での創造が大事です。もしこれを実験なさって体感体得なさった方は、私の提案が、現代の日本クラシック音楽界を中傷非難をするものでは無く、真実だという事がわかって頂けると思います。私はニセモノでは有りません。但し、あんまり大きい声では言えませんが、この方法でフレーズ感ができてしまうと、日本の音楽家の音楽がつまらなく感じるようになります。だけど、良いフレーズ感はつきますよ。まぁ要するに、美味しいものの見分け方がつくということです。

改訂:
戯れ言
昔指揮科のレッスン中に生徒達に男性のSEXカーブ曲線とフレーズの関係の話をした時に週末の課題としてブラームスの第一交響曲を頭に浮かべながらパートナーと夜の営みを試せという話をした事があります。週明けの彼等の報告は100%の好報告でいつもと違って素晴らしいとか長続きしたとかでした。やっぱり人間の営みに名曲の条件(音楽の条件)はピッタリマッチしているとの実証だと思います。男性の方名曲何でも良いですから是非お試しあれ。成功の暁には是非良い事を学んだとして、コアラの会への入会をお願いします。はははは

この文章を書いている時に、エリザベートピアノコンクールのファイナルの結果が出ました。期待されていた日本人は、3位と4位でした。音楽事務所、音楽団体、聴衆共々期待をかけていたのですが、優勝が獲れずに残念な結果となりました。あと何日かしたら、マスメディアを含めて何も起こらず忘れ去られてしまうでしょうね。また若い音楽家は優勝をするまで興味を持ってもらえない日々が続くのでしょうか。それで優勝したとします。でも興味を持たれるのは次の優勝者が出るまでですよ。私は優勝者の大量生産をしていましたので、このことはよくわかっているつもりです。冷たいクラシック音楽界だと思いませんか。仕事にならないと、彼等なりの判断で何も起こらないのです。若い演奏家はこの結果だけで、人生の進む速度が変わってしまうのです。そんなにコンクールを優勝する事が大事ですか。皆さんも良くお考え下さい。これが現在の日本の音楽界のやっているやり方ですよ。いくらこの方法をとっても進歩発展はないですね。

今回の一番の主旨

私が今回この提言をしている主旨は、10年後の世界的レヴェルでクラシック音楽界の発展させる為であり、その為には全てのジャンルに於いて梃入れが必要だということです。
将来のある音楽学生、今まで音楽を勉強をしていた方、プロの個人的音楽家、オーケストラ等の音楽団体へ所属している方、アマチュア音楽家、音楽大学の教師、小中高の音楽教師、音楽教室、個人音楽教師、アマチュア団体の指導者、音楽事務所マネージャー、私設音楽マネージャー、音楽評論家、音楽出版社、音楽的マスメディアの方々、文化に関する公共機関、役所、公文協を中心としたホール、現在までのいろいろな音楽活動の為のスポンサー、鑑賞団体、クラシックが大好きなファン、一般聴衆、学校で音楽クラブ活動をしている小中高の一般生徒、等々これら全ての方面に、です。そうしてこの構想を先ずは日本で、続いてヨーロッパ、アメリカ、中国、韓国、南米とどんどん世界中に拡めていくつもりです。

改訂:
募集:
上記の方々の為にこのコアラの会に入会して頂き、コロナ禍で行ったノウハウを使ってネット上で脳内革命文化人向上の為の講義或いは論評提示等をしませんか。過去を含めて音楽大学で副科を担当なさった方またそれに相当する方で1300万人のクラッシク音楽界関係者対象でお願いしたいのです。また各種経営に携わる方特にベンチャー企業の経営者の方で音楽関係者の脳内革命にご協力とご興味のお有りの方ご一報ください。

とにかくクラシック音楽界のありとあらゆるジャンルの方々には将来を熟考して頂きたいのです。そしてこのテーマについて意見の交換をして頂きたいのです。その場が「wiener コアラの会」(コアラは私のニックネーム)。 
またこの会は多面に活躍されている同志たちの交流会として利用して頂き、この会と交流が始まった方は、他の会員の方からの要望は、原則、同志という事で常識的に可能な限り受け入れて実行して頂く事としたい。つまり、ご自分の意見に必ず責任を持つべきあるということです。その為にも、この「wiener コアラの会」では、会員制をとり、意見交換の場合出来うる限り記名制、現在の職種も公開した上(立場上無理な方はアカウント名で良い)で行ない、この会の中では誰もが平等の扱いを受けます。また会の運営にあたり、小生(湯浅 片眼失明の糖尿病、腎臓病)一人で尚且つ、年金生活者の財源だけでは殆ど何も出来ず、この業務を手助けしてくれる者達(音楽留学生)が必要で、その者への僅かばかりのお礼、諸経費等の経済的援助が必要です。明日へのクラシック音楽界と音楽家一人一人の為なので、会員お一人ずつからご負担を頂き、年間助成金というお気持ちで1口 60ユーロ、約7500円(月5ユーロ)のご負担をお願いしようと思っています(何口でも可)、又これ以外に大口助成は大歓迎です。あまりお金の事は書きたくないのですが、最低限10年以上継続しなければならないですし、本来私は貧乏人なのでなかなか良いアイデアが浮びません。良いアイデアがあればお教え下さい。是非是非御賛同、ご参加ください。
改訂;
(会計報告は原則として年末に一度させて頂きます)

このコアラの会を世界的に広めるべく 名前をwiener コアラの会として ウィーンでは、先ず手始めに、過去、現在にウィーンで勉強した事のある方、ウィーンで活動している音楽家を世界的に集め輪を広げて行こうと思っています。


さあまた話を本文にもどしましょう。

音楽マネジャーと音楽家との関係

現代の若い音楽家がプロの音楽家になる為には?と考えると、多かれ少なかれ現在の音楽マネジャーがその鍵を握っています。その音楽マネージャー界の経営方針にはちと問題があるように思えます。
まず世界的に観ると、世界中のクラシック音楽界を牛耳っているのは、約20人程の音楽マネージャーだけなのです。この連中が仕組んだ計画に世界中の音楽関係者が実は振り回されているのです。これを真似しているのは日本の大手マネジャーであり、それに日本中の音楽団体、末は音楽学生までが言う事を聞いてしまっている訳です。
世界の音楽マネジャーの中でドイツに4人、オーストリアに2人、イギリスに4人、フランスに3人、イタリアに2人、ロシアに1人、アメリカに4人、これらの人達が作ったそれぞれの音楽事務所が鍵を握っている訳です。さあじゃあ彼等には何が出来るでしょうか? 自分で演奏する以外、現在では全ての事が出来る(マネージャー達が自分の思い通りになる)のです。
そもそも音楽マネージャーが実際に職業化したのは第一次世界大戦後と言われています。戦争で荒廃した世界各地に音楽を届けようと、まだ事務所化せず1人で実際に現地に行ったり、手紙を使って自力で色々な演奏団体やほぼ行方不明となっていた音楽家達を探し出し、公演を行う補助をしていたのでした。沢山のギャラを要求するまでも無く、みんながまた演奏できる事に喜びを持った時代でした。まだ国家が音楽界に資金援助をする前の時代です。音楽なんぞは、最初は王様や貴族の戯れ言として始まり、ベートーヴェンの時代ぐらいから一般民衆にも拡がりつつ 、この頃には大富豪がパトロンとして存在するようになり、音楽家はまだそれほど稼いではいませんでした。古き良き時代ですね。そんなに沢山の人が音楽家であったわけでも無く、パトロンとしては良いものにしかお金をださず、ですから限られた人々の世界であったのです。そしてその後民主化が進みプライベートな音楽団体が出来始め、今度は民主国家がこれに支援をし始めます。そして二度目の世界大戦を経て戦後の音楽界の基礎が出来上がりました。そして時代が進むにつれ、様々な部分がそれぞれ独自に発展をしていきました。この多様化した中で一番失われてしまったものが、いつも最高のものを追い続ける精神です。この音楽が学問として大衆化した事。義務教育の中に取り入れられた事。また一般市民への情操教育としての普及。最初は大金持ちの子女教育としての意義しかなかったものが、これだけ一般民衆に普及していくと経済的に余裕がなくても出来る方法が必要となってくる。民主化された戦後の中で誰隔たりなく教育が受けられたり、体験出来る場所の提供という事で、音楽大学、多目的ホール、ヤマハなどの楽器販売、音楽教室、レコード、CD、ヴィデオ、DVDの販売、関連書籍、楽譜、文献の研究と販売と、枚挙にいとまが無いほどに拡大されたのがクラシック音楽界なのです。何度も言うようですがこの普及に関しての全体の統一感がない事、それを管理する機関、人物がいない事、これはある意味でこれから先の問題となってしまう点だと思います。一つ一つより良い方向へ進む事が望まれます。

改訂:
多様化、大衆化で起きる問題点とは普及を第一として音楽人口は増えるものの伝統、伝承、クオリティはどうしても軽薄です。

さて、現在の音楽事務所はいったい何をしているでしょうか。

1、音楽家のスケジュールとマネー管理
2、音楽家の報酬決定と請求
3、音楽家の興行中の交通、宿泊、食事の斡旋
4、音楽家の付き人
5、音楽家の宣伝、広告
6、所属音楽家の決定
7、音楽関係団体との交渉
8、音楽家のスポンサー探し
9、官公庁関係との処理
10、一般聴衆との交流、チケット販売
11、マスメディアへの対応と売り込み
12、音楽祭、フェスティバルの企画
13、依頼公演のマネージメント
14、事務所独自企画

というように、実は仕事量が半端ではありません。ですから彼等が一人一人の音楽芸術家にかける時間と労力が、理想の方向に簡単にアレンジメントができなくなり、ついつい音楽マネージャー側の合理的で都合の良い方向になってしまっているという訳です。現在はその究極の一歩手前のところに来ているのです。これらの事に対して現在の音楽事務所はある意味で音楽家、音楽団体に対して独断の決定権があります。
更に彼等(音楽マネージャー)の収入は音楽家からの収入の10から15%報酬であり、他の経営、経済コンサルタントのマネージメント料から比べるとその収入額はあまりにも少な過ぎます。
ですからおのずと音楽家を育成したり、人生設計の示唆するいうより、もっと採算や合理化に走っても仕方ないかもしれません。

さあそれでは、どうあるべきか。これは音楽家が勉強する事よりももっと難しい問題です。幾つかの改善策を考えますが、ここを直すという事は現在の音楽界の根本的な考え方を変えるという事です。ですから現在存在する音楽事務所が改革をするというよりも新しい考えのクラシック音楽界のコーディネーターを作ってしまった方が簡単かもしれませんが、先ずは改革という点でお話ししましょう。

1、音楽事務所の第一経営方針は音楽の伝統文化の継承と芸術音楽家のより良い仕事環境の構築。やたらとお金稼ぎに走る音楽屋を絶対に作らない。
2、音楽家を商品のように売り出さない。
3、マネージャー自身文化人牽引の仕事であるべきなので、音楽家、文化人と同様かそれ以上の教養、知識を持ち、いつもその先端にいて欲しい。
4、正規契約音楽家の数を減らす。
改訂:
勉強しない音楽家はクビ

一人一人の音楽家を生涯面倒をみる。老後の事まで。どこの事務所を見ても所属音楽家の内実際に仕事が成り立っている人数が15%以下である。
5、事務所全体の職員の数を減らす。音楽家の数にあっただけの数に減らす。これによって一人一人への対処が格段と向上する。事務所の経費を削減して必要以上に演奏家報酬を上げない。
6、無闇に市場へ音楽家を数多く送らずコンサートの数を減らして一回一回の質の向上を目指す。このコロナ禍で、たくさんのコンサートが代役によって行われています。これによって日本人演奏家で潤った人もいる事でしょう。代役という事は、セカンドベストという事ですよね。日本全体にこの風潮が当たり前とされている。日本のクラッシック界はどこを見ても普段からこの感じじゃあないですか。それまでして無理に沢山の演奏会を続けるべきでしょうか。品質劣化原因の一つです。
7、例えばオーケストラの場合一か月に何回ぐらいコンサートを開いているでしょう。平均で10回ぐらいですか。その為のプロダクションの数も多過ぎるし、指揮者も代わり過ぎるし、先ずは演奏上の品質アップを第一とし、同じプロダクションでのコンサート回数を増やす(最低でも3回)。またどんな演奏会プロダクションでも練習は最低3日間、各コマ数を現在よりも15分づつ延ばし、その分練習の質の向上を図り、曲目もそれなりにオーケストラのアンサンブル向上の為のものをもっと増やす。客ウケばかりを考えない。残念ながら日本のオーケストラのレベルは技術はやや向上しても日本の方々が思っていらっしゃるよりはるかに音楽的にレヴェルの低いもので、ここ15年間基本的にははっきり言って向上していません。コロナ禍の時代が来なくてもやっぱり同じだったんですよね。根本的にどんな問題があるかはオーケストラの項でゆっくりお話しをしましょう。特にオーケストラの側でも練習の出来ない指揮者でも良しとする風潮を根絶する。オーケストラ団員への気遣いで練習時間を短くする様な指揮者は言語道断、それを促すマネージャーは最低。きちんとオーケストラを向上させる事の出来ない指揮者は日本のプロのオーケストラ音楽界から追放すべきである。
8、必要以上にギャラを多く要求しない。とにかく経費を抑えて仕事にあった報酬額を要求して、楽団員の給料とあまりに大きい格差を作らない。舞台上でのギャラの格差は良い演奏コミニケーションと結びつかない事がある。
9、指揮者、演奏家の決定はいつも楽団品質向上を第一目的とする。
10、出来れば楽団とは年間契約を結び個別のマネージメント料を音楽家からは貰わず、決められた予算のもとにそれに合った指揮者を選定する。下手な指揮者を送れば次年度からの年間契約に影響が出る。要するに下手な指揮者、演奏家を持たなくなる思考に変えていく。
11、いつもピリピリとした状態で世界からの情報にもっと明るくなければならない。世界の音楽事務所でネット上の繋がりだけで情報を得てそれを楽団に売るなどはもってのほかである。ちょっと語学が堪能だからといってそんな若い社員ばかりにせず、往年の時代のように、世界の情報は実際に現地に赴いてそこから良い真の音楽家を探してくるような仕事をして欲しい。今世界を牛耳っている音楽マネージャーは少なくともそういう風にしてきた人達なんです。とにかく現在の音楽事務所は2世代以降の社員教育が全くなっていない。自分の担当する演奏会に行かない等もっての他です。私はそういう若い自称音楽マネージャー達はこの業界からは追放すべきだと思っています。
12、日ごろ音楽マネージャーは縁の下の力持ちである事を忘れ、軍隊の参謀だと勘違いをしている輩が多い。若手社員、若い指揮者を作るのも教育です。今両方とも教育をきちんと受けていない同士が、悪い仕事ぶりをしている訳です。どんな指揮者がいるか名前を書きましょうか。まあやめておきましょう。ちなみにそんな指揮者は日本には約20人くらいいて35才から50才までの人で、全員が音楽事務所に所属していて、オーケストラを世界的レヴェルにする事も出来ませんが、マスコミやネット上でチヤホヤされています。音楽事務所のさしがねでしようね。皆さん外車を持っていらっしゃいますが、誰一人私の指揮者の条件である 、リヒャルトシュトラウスの薔薇の騎士を一週間以内で公演スタンバイ出来る人はおりません。これが現在の日本の指揮者、音楽マネージャーの実態です。10年後が考えられますか。無理ですよね。こんな事が至るところで起こっているんですよ。本気でやらなければ変わりません。どうぞ皆様方もご熟考下さい。お願いします。

13、最後に二人の音楽マネジャーの見本のような人がまだ日本にいることのお話です。お二人ともK音楽事務所の出身者で、一人目のS氏は、今やウィーンでも、兵庫でも活躍している指揮者、S君の育ての親です。バーンスタイン氏とコンタクトを取りS君とのコンタクトの橋渡しをし、とにかく彼を指揮者にする為の裏の努力は全てしたと言っても過言では無いと思います。彼が留学の時資金が無いとスポンサーを捜して必要な資金を工面し、彼に負担が掛からないようにして、つい最近までそのスポンサーの名前を明かさなかった程です。S氏と指揮者S君には本当の意味の絆を感じます。二人目はH氏といって、ある若手指揮者K君に最初から彼のキャリアに合わせた仕事を探して彼を育て、今でもこれから先のことを考えて仕事を作ってあげています。こんな昔気質の良いマネージャーもいるのですよ。尊敬します。二人の指揮者には、世界を目指して欲しいですね。
13、とにかく音楽家と音楽事務所の関係をもう一度根本から変えましょう。現在は音楽事務所が仕事を提供してその商品としての音楽家が存在している。要は音楽事務所が音楽家を雇っている関係にあるのです。これを逆の発想として音楽家が音楽事務所を雇う形にするのです。基本的に音楽家は直接に演奏団体と交渉をし、自分で処理できない部分を音楽事務所に委ねる方法です。そうする事によって、主従が逆になり、偉そうな音楽事務所も無くなり、それにへいこらする音楽家もいなくなり、コンクールや経歴ばかりで判断するシステムも無くなるのではないでしょうか。これも今回の大きな提案事項の一つなのです。この方がオーケストラ、演奏団体側も音楽家側も健全に良い音楽家を探したり目指したりする事に意欲を持って進められると思います。一番手短に出来る改革ではないでしょうか。
14、この他にもたくさんの提案はありますが、もう一つ大きな新しい役割は、音楽家の為の年金制度(後で丁寧に後述)の運営の中心的機構として活動をして欲しいのです。この事務的な仕事は音楽事務所の新たな仕事分野となり手数料の収入が必ず入ると思われます。

改訂:
A音楽事務所社長Iさんにエールを送る

ふとある記事を読んでlさんの現在の立場上出来る事を探っていらっしゃる事を目にしました。このなかなか動きの悪いクラッシク音楽界にあって貴方の運動は将来の一番鍵を握っている地位だと思います。やっぱり音楽事務所が牛耳るのですかね。目の付け所が非常に良く的確です。クラ協、オーケストラ協議会、日本演奏連盟、文化芸術振興議員連盟、公文協などクラッシク音楽界の発展のカギとなるところは大体抑えていて貴方の手腕次第でどっちにも転がりそうですね。期待をしています。但し世界を牛耳った音楽事務所マネージャーの二の前にはならぬようご注意下さい。また私の弟子4人もアマティでお世話頂き有難うございます。ぶっちゃけたお願いですが、今や一番の問題は音楽家、音楽教師、音楽学生の事なかれ主義、勉強、研鑽の興味なしの堕落さ、世界一を目指さず生活重視の思考、周りの環境の為に自分の意見が言えない音楽家、その音楽家を使って商売をしている音楽事務所、オーケストラ。特に今回文化芸術振興連盟の国会議員の方には綺麗事では無くまた経営、予算の事よりも腐っている職業音楽家の実態は確実に知ってもらった方が良いと思われます。要は最良の状態が無いのであれば補償はあり得ないし、一般聴衆に不良品を提供する事になります。私は真実を話して悪者になりますからなんとか今のクラシック音楽界を変える努力をお願いします。また日本の音楽家を世界の檜舞台に送り出す努力をお願いします。

改訂:
ここで余り触れたくない悪き慣習から起こる問題
プロのオーケストラ団員、経営側、長年の経験のある指揮者、音楽事務所によって次の様な事が当たり前の様に起こる事です。ウィーンのオーケストラでは大抵3日練習、ゲネ、本番が定説です。日本では定期公演でも時によってはこの原則すら守られず、練習を出来るだけ割愛してまう用でぬね。怠惰な芸術家のあるまじ悪き習慣ですね。文化事業のかけらもない。多分コレに関わっている方は誰も真剣には考えないでしょう。コレがあなた方の文化事業ですよ。この事実は一般聴衆を始め関係者以外は解らない部分ですよね。この感覚が音楽学生にも蔓延しているんです。毎年年末に200回以上あるドル箱のベートーヴェンの第九演奏会どうせ1日か2日練習でしょう。地方公演の巡業コンサートやはり1日か2日ですかね、それも気迫のない練習ですかね。ある企画もので4代オーケストラが一堂に聴けるというコンサート、チケットが1万円を超えるもの、この練習もこの為の練習はどこも1日だった様ですね。お客様は満員でも信頼のおける知人数人に聞いたところレベルはオーケストラがヘタか、演奏の良し悪しではなく指揮者の言いなりか、ただ詰まらないか、寝たそうです。聴衆を馬鹿にしないで下さい。もし皆様方がヨーロッパに演奏旅行をするとしたらそんな準備はしないと思います。またある地方オーケストラの地方自治体主催のコンサート、売り上げ向上の為に、地元出身の中堅指揮者、著名な歌手、ソリストの共演、7000円のS席で満足度ほぼ無し。ソリストが聞こえず余りにも管楽器のクオリティが悪く弦楽器はうるさいだけ、聞くところによるとコレも1日練習という。本当にお客さん逃しちゃいますよ。もうクラシック音楽会はゴメンだとの聴衆の声。地方を馬鹿にするな。コレが実態ですよ。

音楽事務所のIさん、Sさん、Hさんを育てた、元梶本音楽事務所の会長の故梶本尚春氏に感謝と敬意を表してご冥福をお祈りします。

また音楽事務所、オーケストラ、オペラ団体、音楽大学、その他音楽団体の経営者の方々へお願いですが採算経営を考えて文化事業をすれば自ずと文化度が下がる事をお忘れなく。とにかく文化人を育てる事が250年以上続いたクラシック音楽界を破壊しない方法です。ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ブラームスを超えた人材が出来ますか。でも彼等より稼いでる音楽に従事している人が殆どでは無いですか。それでは聴衆も支援者もすぐ離れていってしまいますよ。

この文章を読み返してる上で、またふと皆様方、特に音楽マネージャーの方々へお話ししたい話があります。それはある二人の方の紹介です。一人はヴォルフガング・アルミンクさん。彼は皆様もご存知の新日フィルの前音楽監督のクリスチャン・アルミンクの父上で、私のご意見番で非常に尊敬できる方です。息子さんは私が最初から教えた生徒でしたが、とにかくよくホテルサッハーのカフェで色々なお話を聞いて下さり、その事を直ぐに実行に移してしまうのです。この頃彼はポリグラム社(ドイツグラモフォン、デッカ、フイリップスの親会社)のオーストリア社長で、ウィーン音楽界で彼の名を知らない人はいませんでした。ちなみに彼の引退記念パーティはウィーンのコンツェルトハウスの全てのホールを使い、ヨーロッパ中の著名な音楽家が集まりそれは壮大なものでした。私との話で、指揮者を育てるのにCDを使いたいけれど学校では予算が下りないと言うと、次の週にはCD約5000枚をただで送って下さいました。学校側がこれに対して図書館に寄贈の手続きをしなければならないとか、簡単に生徒には貸し出し出来ないとか面倒くさい事を言い出すと、これはYujiさんに寄付をするという事にして下さり、生徒達へ簡単に貸し出しが可能になりました。また私がオペラのレーザーデイスクを何とか何処かで放映出来ないかと提案すると翌年には、市庁舎の広場で夏の間オペラフィルムフェスティバルとして実行され、そこには露店もでき、夏の間のウィーンの一大行事となりました。またあるときには私がカラヤンさんの博物館を作ろうと話すと、次の週には、カラヤン未亡人とザルツブルク市長と話し、ザルツブルクでは良い場所が取れないということでその2年後にカラヤンセンターをウィーンの中心部に作ってしまいました。こんな行動力のある理解者は他に会ったことがありません。私はまたこのような方にお会いしたいし、自分もそうありたいと思っています。これも伝統の街ウィーンの産物だと思います。
もう一人の方は、田中路子さんという方ですす。彼女の経歴は波乱万丈で、最初ウィーンに声楽科の学生として留学し、その間ウィーンの最大閥であったコーヒー王、ユリウス・マインルに見染められ結婚をします。ウィーンでは大騒動となり在日本大使館は彼女を強制送還しようとしますが、オーストリア外務省がそれを助けます。その後彼女の方から別れ話が出て次のお相手は、その当時ドイツで一番有名であった俳優、デ・コーヴァ氏と再婚をします。私は若杉弘先生の紹介で何度かミュンヘンでお会いしていろいろなお話を聞きました。彼女に世話になった指揮者といえば、先ずは朝比奈隆さん、次に小澤征爾さん、パリ時代の最初重要な人達とのコンタクト音楽界に限らず政界、財界人との橋渡し、ブザンソンコンクール優勝の後のカラヤンとの関係も彼女からです。同じように、岩城宏之さん、ドイツデビューのお膳立て、若杉弘さん、日本の仕事がうまくいかなかった時のヨーロッパにおいてのサポート、数多くの音楽家、それに日本の政治家までその力は凄い、素晴らしいの一言です。私はとにかくお会いした時に沢山の時間をとって頂いたことが非常に記憶に残っています。おそらく死ぬ直前まで、日本とヨーロッパの繋がりの為に努力をなさっていたと思います。あの頃日本の音楽家がヨーロッパに羽ばたくきっかけをいつも考えていらしたのでしょう。
特に音楽マネージャーの方は見習ってください。
また思い出した方が二人おります。
コンツェルトハウス元プレジデントのハエルテル博士、 
ムジークフェライン元館長グルーダ・グントラン女史。
お二人とも二十数年間の在務期間中ほぼ毎日演奏会を聴いていらした方です。これがウィーンの歴史です。日本の館長さんの中にこんな方は、どのホールにもいらっしゃらないでしょう。
ハエルテル博士は我が指揮科部会のVerein(非営利団体)の責任者としてよく御一緒させて頂き、色々とウィーンの音楽歴史のお話をして頂きました。
グルーダ・グントラン女史は、ムジークフェラインの名物館長としてウィーン音楽界で知らない方はいないほど、言わばムジークフェラインという名の老舗名女将と言ったところでしょう。彼女は舞台の袖の録音コード用の穴から指揮者の見えるところに椅子を置かれて毎日そこで演奏を聴いていらっしゃいました。指揮者、ソリストが演奏を終了すると一番先に会う、言わばステージマネージャーの様でその優しい演奏後の応対を私は今も明確に覚えております。舞台の袖のこの場所には、グルーダ・グントランのボックスと書いてムジークフェラインに残っています。ちなみにカラヤン、バーンスタイン両氏ともウィーン公演の時最初の練習の前に必ずグントラン館長さんに花束を持って行ったそうです。またこんな事もありました。まだコンピューターの導入前の話です。ウィーン芸術週間の前に、私の知人のある日本企業の支店長のS氏がチケット前売り日に出張で購入したい物が手に入らないのではないかと心配して、私に館長に訊いてくれないかと尋ねられました。館長は、企業の名前からS氏の名前をすぐに当てこの事をこころよく了解し、処置をすぐして下さいました。この頃ムジークフェラインの定期会員は少なくとも約4000人、カードによるデータ管理の時代、彼女は殆どの定期会員の名前を覚えていたのです。毎年変わっていく定期会員名をですよ、覚えていらしたのですね。信じられない事です。でもこれが世界の中心ウィーンのムジークフェラインのクオリティです。敬服します。こんな事は日本だって現在何処だってありえない事です。見習いましょう。
思い出は切りなく浮かんでくるのですがこの位にしましょう。なんにせよ、この二人と知り合いであったために私は運良く長い間ムジークフェライン、コンツェルトハウスの演奏会を無料で聴かせて頂きました。

改訂:
この諸先輩の様なヨーロッパで有名な青少年の為の有名な観賞団体、ジュネスオーストリアの事務局長に私の弟子であったシュルツ氏が就任をして、wienerコアラの会への全面的協力、後援の話が持ち上がっています。色々な案件の実行がこれで随分実現可能になりました、ドイツ語版の完成直後からお手伝いをお願いするつもりです。日本の才能のある若者達よ、あなた方のウィーンヨーロッパデビューもコンクールなどをしなくてもコアラの会の会員で活動報告上に自分の音源を提出しておけばウィーンデビューも近い将来実現可能ですよ。コレがコアラの会のやり方です。お忘れなく。

この文章を読み直しているうちに、次のような情報を得ました。

(月刊音楽祭、https://m-festival.biz/21807より一部抜粋)
“著名アナリストのドリュー・マクマヌスが毎年行っている2021年版音楽業界レポートが発表された。レポートは米国内の音楽界の経済情報を伝えており、全米の音楽監督の報酬ベスト10が明らかになった。

発表によると、第1位はシカゴ交響楽団の音楽監督を務めるリッカルド・ムーティ。
音楽監督の報酬の順位は以下の通りで、1位のムーティは3,420,804ドル(約3億7,611万9,186円)、10位のマリン・オールソップは756,911ドル(約8,322万2,760円)。

 リッカルド・ムーティ(シカゴ交響楽団音楽監督)3,420,804ドル
 グスターボ・ドゥダメル(ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団)2,857,103
 マイケル・ティルソン・トーマス(サンフランシスコ交響楽団)2,139,720
 アンドリス・ネルソンズ(ボストン交響楽団)1,787,000
 ヤニック・ネゼ=セガン(フィラデルフィア交響楽団)1,672,167
 フランツ・ウェルザー=メスト(クリーブランド交響楽団)1,485,371
 オスモ・ヴァンスカ(ミネソタ管弦楽団)1,036,622
 ヤープ・ファン・ズヴェーデン(ダラス交響楽団)911,024
 ヤープ・ファン・ズヴェーデン(ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)816,375
 マリン・オールソップ(ボルチモア交響楽団)756,911 ”

勿論この額は各指揮者の全収入ではありません。一楽団からの音楽監督への報酬額です。
ここに上がっている9人のうち、オーケストラを上手にする達人は、1人か2人です。あとは音楽事務所と楽団側が売りやすい、つまり仕事を作りやすい指揮者として選んだものです。しかしながら、それに対してこの莫大な報酬金を与えている。これが現在アメリカにおけるクラシック音楽界の衰退の原因の一つでもあります。このような売り方をしていたために、コロンビアアーティストは潰れたではありませんか。日本も真似をして、(ここまで酷いことはないでしょうが)、指揮者や音楽家に必要以上のギャラを払う必要はありません。それを決定するのは、音楽事務所であり、オーケストラの責任者たちです。自分で自分の世界の首を絞めない。
クラシックの音楽家は、プロサッカー、プロ野球選手ではありません。彼らは活動生命が非常に短い。指揮者は一生です。だから、一回のギャラをそんなに高くせず、大体満遍なく届くようにすべきだと思います。
ちなみに後年のカラヤン、バーンスタインはウィーン公演において、貰った報酬の全額を、Musikverein、Konzerthausに寄付していました。


オーケストラについて

オーケストラはクラシック音楽界にとっては一番中心的存在であり、オーケストラ界の発展はそのままクラシック音楽界全体の発展でもあるので、改革は慎重に行われなければなりません。
現代のオーケストラに対しての改革案をここに示します。ちょっと意外な事が多いかもしれませんが。
殆どが音楽事務所の項で書いた事と重複してしまいますが、

1、オーケストラの第一経営方針はクラシック音楽は伝統継承文化である事。その事を無視したような演奏形態や興行をしないこと。
2、各演奏会は必ず演奏会目的がしっかりしている事。
3、各団員は伝統継承者である事、音楽芸術家である自覚を持つ事とし、勤勉に常により良い仕事環境を保つ事。やたらとお金稼ぎに走る音楽屋を絶対に作らない。
4、音楽家を商品のように売り出さない。
5、一人一人団員を生涯面倒をみる。老後の事まで。
6、事務所全体の職員の数を減らす。音楽家の数にあっただけの数に減らす。
7、無闇にコンサートを開かず回数を減らして一回一回の質の向上を目指す。このコロナ禍の時代でたくさんのコンサートが代役によって行われています。これによって日本人演奏家は仕事が増えたかもしれないが、その分演奏会の本来の目的、演奏の質の点では目標に達したでしょうか。妥協をしたのでは無いでしょうか。潤った人もいる事でしょう。それまでして無理に沢山の演奏会を続けるべきでしょうか。この間の仕事は要はセカンドベストであるという事です。
8、例えばオーケストラの場合一か月に何回ぐらいコンサートを開いているでしょう。平均で10回ぐらいですか。その為のプロダクションの数も多過ぎるし、先ずは演奏上の品質アップの為に同じプロダクションでのコンサート回数を増やす(最低でも3-4回)。またどんな演奏会プロダクションでも練習は最低3日間、各コマ数を現在よりも15分づつ延ばし、その分練習の質の向上を図り曲目もそれなりの大曲にもっと挑む。楽員側から、練習時間の短縮要求なんてありえないことである。オーケストラの側からは、練習の出来ない指揮者でも良しとする風潮を根絶する。きちんとオーケストラ向上させる事の出来ない指揮者は日本のプロのオーケストラ音楽界から追放すべきである。
9、ソリスト、指揮者に必要以上に高いギャラを払わない。とにかく経費を抑えて仕事にあった報酬額を要求して楽団員の給料とあまりに大きい格差を作らない。舞台上でのギャラの格差は良い演奏コミニケーションと結びつかない事がある。
10、指揮者、演奏家の決定はいつも楽団品質向上を第一目的とする。すなわちできる限り音楽監督、常任指揮者を使って楽団の基本部分の向上を図り、個々のオーケストラが適当に万能なオーケストラにならずに個性的な特徴あるオーケストラを目指す。
11、音楽事務所とは年間契約(フランチャイズ契約)を結び個別のマネージメント料を音楽事務所は演奏家からは貰わず、決められた予算のもとにそれに合った指揮者を音楽事務所から送られる。下手な指揮者を音楽事務所が送れば次年度からの年間契約に影響が出る。いつもピリピリとした状態で世界からの情報に明るくなければならない。

12、外人演奏家については、先ずオーケストラ側から最初に直接コンタクト取りその後の交渉を音楽事務所に委ねる。決して事務所からの売り込み演奏家とは簡単に契約をしない。
13、国や県市町村と公的機関からの補助金を第一に当てにしない。様々な意味で段々圧力をかけられるからである。
14、民間の大口援助者をオーケストラ業界全体の問題として探し、オーケストラ協議会全体で交渉しそれを区分する。
15、現在のオーケストラ公演の形態は、自主公演(定期)、スポンサー付き公演(名曲等)、売り公演、公共団体補助公演(音教等)に大きくわけられるが、このニーズに応じて、指揮者、演奏家、公演の質までがカテゴリー化されている。
これはオーケストラ側の経営上の方針であり、オーケストラ品質向上には何の役にも立っていない。現在の大半のオーケストラの経営の最大の興味は現状維持であり、これをただ続けていては世間の誰もがクラシック音楽界に興味を持たなくなる。技術、品質全ての面でトップを目指す事である。これは芸術家として最大の重要点である。
こんな事、新たに言われなくても十分にやってますと言われるにちがいありません。よく解っています。私はもう一度根本から色々と考え直して頂きたいのです。特に現在の国、地方公共団体との関係がもう少し違った方法での援助がなされないかという事です。国、都道府県は御役所仕事、現状維持を好み、なんでも変更する事に異論を唱え自分達の仕事の合理化を勤めようとする団体です。

改訂:
ここにも国会議員の方のご意見、後押しが必要だと思います。

特に子供の為の演奏会について
原則として常任指揮者が指揮をし、プログラム企画を自分で考えそれを実行する。現場の学校の先生や子供達の喜ぶそうな曲を選ぶ必要は無い。演奏する会場が許すならば、PTA、年金生活者も安価で聴けるようにする。さもないとどうしてもクオリティーが下がり子供に良い影響を与えられない。コレを守れないのオーケストラには文科省からの補助金は一切でない。このぐらいにしないと低いレヴェルで子供達に飽きられる。

16、最後に厳しい事を言います。
どうして日本のオーケストラが上手くならないか。先ずは前に掲げた問題で最も大事な音楽上の喋り方、つまり音楽語法の考え方の根本が楽団内でずれている事です。一つの楽団で考えてみましょう。同じ楽団でどれだけ違った音楽教育を受けた人達が集まっているでしょうか。音楽家というものは、受けた教育によって直ぐに意気投合することが出来ますが、あまりにも沢山の流派が存在すると、人は一瞬でどれに合わせて良いか判断できないものです。これがずうっと続くとそれがマンネリ化しその事に注意を払わなくなります。ましてや指揮者に統率力のない場合、この楽団内で出来る仕事は、音程やリズムを合わせる事、奏法の一致、それと見やすい棒で簡単に縦の線だけ合わせる演奏をする事、これをするだけの練習を、日本中のオーケストラでは40年近くも続けているのです。もういい加減に考え方を変えませんか。いいですか。日本だって良い時期は有ったんですよ。NHK交響楽団は1970年頃から1990年頃の間、名誉指揮者にサヴァリッシュ、スイトナー、マタチッチ、シュタイン等、独墺音楽に長けた同じ音楽語法を喋る指揮者を呼び徹底的に教育を行いました。この時期にN響は格段の進歩を遂げ現代に至っています。読響でさえ、チェリビダッケが来た二週間、スクロヴァチェフスキが常任であった良い時期、音楽語法のわかる厳しい指揮者の洗礼を受けて格段の進歩を遂げています。
最近は、安定しているベテラン、中堅日本人指揮者、あまりギャラの高くない外人指揮者、人気が高く比較的若い日本の指揮者を交互に使って、団員も聴衆も飽きないようにさせるのがオーケストラ事務局の手腕となっていませんか。日本のオーケストラは本当に今上手ではありませんよ。オーケストラを育てることができる指揮者は世界にも沢山はいません。世界中のオーケストラが日本と同じような事をやっているので、良い指導者を見つければ変わる可能性が沢山あり、世界でも有数なオーケストラになるチャンスもあります。忘れないでください。
ここであるオーケストラの演奏部長さんがこのコロナ禍に於ける彼の楽団の政策のようなものを発表していました。指揮者のやり繰りに困って定期公演を中止にして、その分レパートリー曲を日本の指揮者を使って公演を作り、また、日頃なかなか登場出来ない若手指揮者を起用したという話でした。非常に苦労が見え気持ちもわかることですが、このオーケストラ団員の持っている実力と自尊心からすると、彼らの実力と同等かそれ以下の指揮者ばかりとの仕事で出来上がった演奏会を聴かされるのでしょう。オリンピックが終わるまでの間、このパターンが続くことでしょう。8月頃(2021年)までの予定を見るとその光景が伺えます。オーケストラ側の言い訳に思えてなりません。この期間は、低いレベルの公演が続くのかと心配です。ちなみにこの公演指揮者は全て日本大手の音楽事務所さん所属の方達です。癒着感満載ですね。強い指揮者のいないオーケストラは、司令官のいない軍隊と同じです。少佐や中尉クラスに支配されている軍隊でなく、司令官のいる軍隊にしましょう。また聴衆は、いつも回転寿司やスーパーのお寿司でなく、舌の肥えた人は老舗のお寿司をいつも食べたいと思っている事をお忘れなく。ちょっと言い過ぎましたかね。

改革:
今はコロナも終わりつつありますが、コロナが始まった頃の何人かのオーケストラの事務局長とオーケストラ協議会の幹部との討論会のYoutubeを見ました。皆さん方あの頃の経営上の工夫のお話をしていましたが、聴衆に対しては殆ど眼中になく目新しい改革もなく自分達がどの様に食べていけるかの事ばかり、芸術文化の伝統継承の話は皆無、オーケストラ団員の話もまるで関心がないかの様に要は文化団体の経営陣とは思えない討論を聞いて現在のオーケストラ経営と団員の向上に対する関心の無さにショックを覚えてしまい先行きに希望が持てなくなりました。とにかく団員の意見なんて全く反映されていないでしょうね。悲しい限りです。
 最初は客足も戻りますがやり方を変えないと日本中が不況です。それに思いの外の物価上昇、最初の節約は文化と決まっています。コレを機に大きくクラシック離れが進むでしょう。持続化給付金、補助金、聴衆の増加は当分あり得ないと思います。
 あまり意味の無いウェブサイトの改良。特にウェブサイト上での聴衆向けの演奏会プログラムの下勉強の為の細かい説明、文化向上的意義のある聴衆向けの音楽概論、音楽史。楽団独自のアーカイブの無料試聴可能。過去の出演指揮者の現代の状況報告。演奏家による楽器説明。ウェブサイト自体に文化的意義のあるものとしてそれによって顧客集めをする。
 少なくとも定期会員には経済的問題点と収支報告をし現在の経営状態を正確に知ってもらう。音楽監督、常任指揮者による任期間の楽団の展望と計画を提示。
聴衆にもっと寄り添う楽団のイメージを与える。

話を戻しますと、
いいですか、現在の国、都道府県の担当職員達は国民の為にといって上からの強い圧力に動かされている古いくさいコンピューターに過ぎないのです。プログラムを変えない限りは現状維持になってしまうのです。ですからコンピューターのプログラムを変えるか、そのプログラムを簡単に変更できる権限を持つ人間を納得させる事です。こう考えれば、自ずとアプローチする部分が狭まって来ると思います。いちオーケストラが独壇でやる事でなく、全てのオーケストラの為にオーケストラ協議会がこの仕事を必死に行う事が大事だと思います。

改訂:
ここにも国会議員の方に関係各庁ののコントロールと現状を知って頂きたいのです。

少しここでウィーンフィルとベルリンフィルの例を出してみましょう。彼らの来日は世界的クオリティのある楽団が日本に来るということで、そのチケットはいとも簡単に売れて興行が成り立っています。これはなぜかというと、知名度だけでは無く、実力とその公演が人に影響与えると言うこと、必ず良いものにありつけると思うから、そこに多額のお金を払っても人が集まるのです。でもこのコンサートも必要以上の多額のお金が動いています。このチケットが安くなれば、むやみやたらに日本の オーケストラコンサートも高いチケットを売らなくなるでしょう。
ちなみに私のウィーン学生時代、国立歌劇場のカール・ベームのフィガロの結婚の公演をある手続きをして、たったの17円で観た覚えがあります。

何度も言うようですが、どこの国のオーケストラも世界一を目指しているところは少ないでしよう。現状維持と自分たちの生活の為が全面に出ています。これが現状ではないでしょうか。この点をオーケストラの側が本当に変えない限りはそれに対する本当の意味の大口のスポンサーも存在しないし誰もがその存続を必要なものとは考えず結局文化庁程度の出す微々たる補助金、それも何かを理由をつけた補助金にしがみついたりしていくしかないわけです。
札幌にバーンスタインを呼んで「PMF」というミュージックキャンプを作った人はS氏と言う音楽マネージャーでした。彼は本当に若者が世界中から集まってそこで世界一の指導が受けられると言うパターンをつくりあげました。(タングルウッドの日本版)。バーンスタインは亡くなりましたが、この後段々と大型スポンサー以外に札幌市がお金を出して口を挟むようになり、一番大事な部分が地元の役人の力の下に変えられてしまったのです。この時点でS氏が札幌から離れて、世界一の音楽教育キャンプを目指すという当初の目標が見えなくなってしまいました。様は行政官の都合の良い方法で言うことをよく聞く音楽屋と音楽マネジャーが中心となった音楽キャンプへと変わってしまったのです。バーンスタインがほぼノーギャラで始めたこのキャンプに、今や音楽監督には数千万円のギャラを払うようになり、その監督がたいした教育もしていない有様です。こんな市場にしてしまったのは日本の業界と音楽事務所ではないでしょうか。でもこの音楽キャンプを始めたおかげで、キタラホールと言う日本で一番音響の良いホールができたり、札幌の音楽文化の貢献にはなったと思います。しかしながら、現在の市民の関心度はかなり低いものとなっています。日本クラッシック音楽界の縮図と言えるでしょう。

アメリカ ボストンにおける良い例
小澤征爾さんの招待でタングルウッド音楽祭とボストン響を訪れた時の話です。ボストン響はアメリカの中で一番経済的に恵まれたオーケストラです。たいへん賢い経営をしていると感じました。先ずシーズンが9月に始まり3月までは基本的にボストン響としての仕事をします。4月から6月までは同じオーケストラがボストン・ポップスオーケストラの名前で仕事をします。この間3ヶ月間の収益で殆どボストン響全体分の収益をあげているとの事でした、そして7、8月はタングルウッドの音楽祭の収益で基本的にまかなっているそうです。ボストン・ポップスオーケストラの時はコンサートホールに椅子とテーブルを入れて、お酒を飲みながら演奏が聴けるそうです。現在もそうしているかは定かではないのですが、考え方は素敵ですよね。より一般に認められる様な気がします。

改訂:
例えば、在京のオーケストラもオーケストラ毎に時期を決めて1年のうち2ヶ月程度集中して歌謡曲、ポップスのみの仕事して収入源を増やす。この仕事分配と収入分配は公平にオーケストラ協議会が行なう。

またタングルウッドでは素晴らしいスポンサーシップのシステムを見ました。それは日本の様に大型スポンサーのみで無く、参加者一人一人に対して2ヶ月間個人用のスポンサーが付くのです。フェスティバルの講習生からオーケストラの団員まで、例えば音楽監督の為のスポンサーとか、コンサートマスターの為とか第2フルートの為とか、という具合です。またこのスポンサーは世襲制で欠員が出ると公募する形だそうですが、なかなか欠員が出ないそうです。フェスティバル中スポンサーとそれを受ける側の食事会、交流会等も開かれています。これはスポンサー側にはたいへんステータスのある事でライオンズクラブみたいな物です。これがボストン響の中でも存在しているそうです。興味深いですね。お考え下さい。

改訂:
またこれから先の将来の展望として、若い音楽家の為に実業団的オーケストラは考えられないでしょうか、アイディアは安定収入の為に自衛隊の音楽隊に最近就職をして音楽を続けると言う話を耳にしましたので、要はスポーツの実業団と同じく午後2時まで企業で就業し、それ以降を音楽に時間を充てる。やり方さえ考えれば出来ない相談ではないと思う。

日本の音楽界から追われた二人の指揮者

ここでタングルウッドの話をしたついでなんですが、先ずタングルウッドのセミナーは英語圏で一番権威あるセミナーです。このセミナーに参加出来るだけで相当な名誉であると同時に、アメリカ音楽界で音楽家として最も良いスタート地点に立てると言われていましたが、現在はどうでしょう。ここ数年の情報は定かでは無いので。
ここで私がお話ししたいのは二人の指揮者の事です。二人とも現在は日本の音楽界から見捨てられ、非常に厳しい音楽人生を歩んでいる様です。原因は己自身の問題から起こった事なのでその事についてあれこれ言うつもりはございません。ただもう反省はして、時間もある程度経っているので、オーケストラとマネージャーの皆さんを中心に、もう一度最後のチャンスをこの二人にあげて欲しいのです。また音楽ファンの方々も是非コンサートを聴いてあげて欲しいのです。実は二人とも私の関係者で、タングルウッドセミナーの参加者でもありました。そして二人とも指揮者コンクールの優勝者で、日本のオーケストラの音楽監督経験者です。一人は私の弟弟子にあたるものです。現在60歳近くになってしまいました。20代でコンクール優勝、タングルウッドでクーセヴィツキー大賞を受賞、殆どの日本のオーケストラを指揮、30代から40代の初めまでに3つのオーケストラの音楽監督を歴任して、殆どのオーケストラの定期公演を指揮し、その頃には一番忙しかった指揮者のひとりでした。それがいつの間にか、音楽事務所との問題、オーケストラとの問題により、あっという間にコンサートのチャンスが全く無くなってしまったのです。怖いですね、日本の音楽界は。彼はある意味で使い捨てられたと思います。若い時殆ど外国にも行かずに音楽事務所の提供する仕事を一生懸命にこなし、ゆっくり研鑽する時間も無く音楽家文化人としての気質を促進する事もなかったのですが、使い勝手が悪くなったらお払い箱っていう感じですかね。彼は今オーストリアの国籍を取得してウィーン人としての人生をはじめ、音楽の研修は毎日欠かさずしている様ですよ。なんとかチャンスをあげて下さい。お願いします。
もう一人は私の弟子です。タングルウッドのセミナー参加者で、指揮者コンクール優勝者、音楽監督経験者で、良いクオリテイのCDを作ったり精力的な活動をしていたのですが、彼の起こした金銭的トラブルによりこの業界から追放されてしまいました。彼も日本の業界でばかりで仕事をしていたのでヨーロッパではあまり通用しなく、現在では殆ど活動がありません。その事件から10年です。そろそろ最後のチャンスを与えてやって下さいませんか。彼ももう50歳代です。音楽事務所の方々、とにかく音楽家の使い捨てはやめましょう。
改訂:
彼の場合は金銭問題で未だ解決がついていない様です。解決したら復活を考えてあげて下さい。

話をもとに戻しましょう。
いいですか、世界にはお金はあります。ただしお金とはたくさん有るところに集まってくるものです。みてください。オリンピックもアメリカの放送局の放映権と政治的な勢いによって、健康を害しその不安と闘っても断固実現すると言う姿勢です。でもそれは何かといえばお金が動いちゃうからです。経済が成り立つからです。これはクラシック音楽の世界と同じで、こんな時期にオリンピックを実現するのに、たった10人くらいの人達によって決定させることができてしまうのです。本来なら人間的、人道的な考えがこのスポーツ精神の中に溶け込んで開催の良し悪しを決定しなければならないのに、政治的や経済的な理由で開催の決定をしようとしています。スポーツマン精神に反しますね。悲しいです。

クラシック音楽界のお金の話

クラシック界のお金のお話をしましょう。
お金はある所にはあるんです。日本のオーケストラが必要とする位の額は、集め方の考えを変えればいくらでも集まると言うことです。現代ではそれをするコーディネーターはいくらでもいます。後はそのコーディネーターとお金を出す側を納得させればいいだけです。この時に本当に文化の事を理解できる人を探すという事が大切です。そしてそういう人に、生涯にわたってのご理解とご支援をお願いするのです。私は、クラッシック音楽に携わる人達が私の提案している様な方向性で活動をするようになれば、必ず理解者が増え良い方向へ導かれると信じています。20人の人間によって現在の歪んだ音楽市場が出来たのだから、20人くらいの人の動きでこのクラシックの世界を変える事だって出来るという事です。
頑張りましょう。

人生は一回しかないですからこういう改革に勇気を持って接して下さい。この様なクラッシック音楽発展の考えを私は日本から始めてウィーン、ヨーロッパ、アメリカと広めていきたい。これを行なう事が千葉生まれのウィーン人である私が、クラシック音楽という大きな文化の恩恵を頂いた音楽芸術家として、この文化に対してお返し出来る事と思っております。
様々な改革において思考的先進国は、中国とインドです。現在では日本、アメリカ、ヨーロッパは後進国です。
改革をするには、ワクチン、10万円給付、マスクの配布等でお解りの様に、国公共団体が絡むと全てが遅い。要するに団体として機能させなければならないからです。でも逆にオリンピック開催の為のように国家的圧力を掛けると急に動きが速くなりますね。

改訂:
こんな国家ばかりを当てにすると国会議員の方のご負担ばかりが多くなってしまうので、民間の力で即決の出来るトップの人間と交渉すべきです。トップの人間で行動力のある人を探しましょう。皆さんもフットワークの良い人間でいましょう。
 私の弟子の中に反田恭平という若者がいます。彼は率先してこの事に取り組んでいて、国からの補助もなく素晴らしいアイディアで自分の考えの賛同者を作り理想に向かって邁進しています。まだ20代であるにも関わらず頼もしい限りです。私も見習わなければと思います。是非応援してやって下さい。世界的な音楽家になると思いますよ。

 もっと日本人指揮者、ソリスト、オーケストラのヨーロッパ有名な音楽祭への常時出演です。小澤征爾さん以来もう10年あまり誰も出演しておりません。要はヨーロッパの伝統音楽なんですから、ヨーロッパで認められなければ、本来ダメという事です。この点をお忘れなき様に。

何度も繰り返す様ですが、そもそも日本に於ける音楽教育についてもう一度考えてみましょう。
大抵の場合はじめは音楽は習いごと程度と考えているのですが、段々とんでもないことになってしまうんですね。ですが、例えばヨーロッパの場合ではそんなに大きな問題はならないのです。日本やアメリカ、韓国の場合、音楽教育に多額のお金をかけたりしますが、ヨーロッパの中ではこんなにお金をかけることなく学ぶシステムがありますし、誰もが簡単に音楽教育をさせようとも思っていません。ここで大事な事は指揮の生徒達の勉強段階のところで言ったこととほぼ同じですが、とにかく勉強することです。この勉強とは伝統芸術ですから、ただピアノあるいは楽器を弾いていればいいということではありません。ヨーロッパにいればそれだけ文化と直接結びつくことができますし、環境さえ整えられれば伝統芸術を学ぶのに最適です。ところが、その伝統芸術を習おうとする人のほとんどが海外旅行と同じ位の心持ちでこちらで勉強して日本に帰っていきます。そんな風に日本に帰国した人に限って、自分はウィーンのことがよくわかるみたいな感じを出すから余計にタチが悪い。確かでない技術、確かでない知識をかざして、経済的に安定していてちょっとした演奏技術とコネのある人がプロの楽団に入るか、それに入れなかった人はいろいろな鑑賞団体とコンタクトを取り、他の同じような環境の人と小さな音楽会をあちらこちらでやらしてもらっているというのが現状でしょう。これを皆さん一生続けるんですか。どこかでこの方法を変えないと。ここ40年間、私が見た日本、韓国、台湾、アメリカ、実はヨーロッパでもこういうことが充満してきています。特に若い方々にこの事は解って頂き、あまり大きい声では言えませんが、歳をとってもこのままの方法でずっと続けていきたい方はそのままおやりになれば良いと思います(チャンスは、20代で3回、30代で2回、40代で1回)。若い人達がいまの方法を続けると言うことになるとただただマンネリ化するだけで、進歩が起こらない。もう一度考え直して欲しい部分は、クラシック音楽は今産まれたものではなく伝承芸術である事。日本で言えば歌舞伎、能と同じでですから伝承、継承していく事が重要なのです。

先生という言葉について

先生、人は尊敬の念を持ってこの敬称を使っていますが、どうもこの言葉には魔物が潜んでいます。そもそも先生と呼ばれる人達は、実際の公的機関の教授、教師、医者、弁護士、政治家とそれなりに地位のある方々で、こう呼ばれて気分の悪い人はいないと思います。あるひと時の優越感に浸れるのではないでしょうか。この敬称によって偉くもないのに偉そうな態度の人を作ってしまうことが恐ろしいことだと思います。私自身こうなる事を防ごうと教師なりたての頃はプロフェッサー、先生と呼ばせずに、ファーストネームか勇治さん、湯浅さんと呼んでもらっていたのですが、弟子の下野だけが固辞して先生と呼んだ為に、他のものが真似をして、だんだん私も気にしなくなってしまいました。慣れというものは恐ろしいものです。私もこの魔物に取り憑かれたと職を引退した後に感じます。66歳になりましたが、皆様方には是非先生とは呼ばないでいただきたいのです。お願いします。どうしてこういう事を書いたかというと、クラシック音楽の世界では無数の先生が存在し、別に地位があるわけでも資格があるわけでもないのに(他の職業の方は大抵国家的資格を持っている)平然とこれを使い、いい気でいる者も多い。クラシック音楽の世界では先生という敬称をやめて何か他のものを考えた方が良いと思います。センパイ(先輩)とか師匠とかお館はどうでしょうか、まだこの方がしっくりとくる。この方が親しみやすい感じがしますので。
ちなみに昔、CBS-SONYの本部長さんが私に言ったことがあります。“歌謡曲の世界では、CDを100万枚売ってようやく一人前と云われ、その10年後辺りで初めて先生と呼ばれる。でもクラシック音楽界の人は、CDを1000枚も売れば先生と呼ばれ肩で風を切っていると。うわぁー、自尊心の塊みたいなお話でしょう。これが現実です。


録音について

現在はより自由な社会になりましたので、誰が録音しても誰がそれを商売としてもそんなに問題がないですよね。ただ、そのことによって、あまりにも簡単に録音出来て、その出来もデジタルのために、良し悪しを簡単に見分けられない状態になったんです。現在ではものが発達し過ぎて、面倒くさいので、そんな細かい作業をして質の向上を目指すようなことはしません。
ですからここ15年以上録音の技術は進歩していません。そんなに細かい表現の出来ない録音媒介を使ったもので、音楽家達は自分の一生を決めるヴィデオやCD、履歴やデモテープを送り、大したことのない装置で聞き、審査をしている、という事をよく聞きます。挙げ句の果てにはこの程度のクオリティのネット配信をしてコンサート配信と称して沢山の人がお金を取っている。言語道断です。
もう少し個々のジャンルで品質向上の為のコントロールが必要です。
録音技術に長けた方、この『Wiener コアラの会』を通じて意見交換をし、新しい技術の発展につなげて下さい。

改訂:
新しい録音再生技術の発展がないとクラシック音楽の発展は本当に止まってしまいます。CD市場をご覧ください。もう頭打ちじゃないですか。もっとハイレゾとかそれ以上のものの出現がクラシック音楽界の発展を助けると思います。また音楽家がこの録音媒介を使用するならばそれなりの知識が必要ですね。カラヤンはその当時の最先端技術を熟知いていてそれをうまく拡めていった最大の功労者なのです。

 コンクールについて

コンクールにおける良い点
1、音楽学習者に対して、勉強目標を与えられる。
2、コンクールの結果によってステータスが与えられたり、その結果肩書に近いネームバリューが出来る。経歴に匹敵する程影響力が強い。
3、現在、コンクールの数も無限に存在し自分のステータスを昔より簡単に上げられる。
4、コンクールをきっかけに国際交流が始められる。
5、音楽マネージャー、音楽団体とのコンタクトができる。
6、マスメディアに載せてもらえる。

コンクールに於ける悪い点
1、コンクールに勝つ為の勉強をしてしまう。
2、自分の学習方針がコンクール入賞だけになる。この際芸術家を目指す勉強とはだんだんかけ離れてくる。特にウィーンでは、ヴァイオリン、ピアノ、声楽科にこんな日本人留学生が非常に多い。この人達に文化を吸収する気はまるで無い。
3、名声を上げる事だけを考えるので、コンクールに優勝するとすぐ完全帰国をし、日本の音楽マネージャーの下で文化に無縁な日本仕様の音楽屋になっていく。
4、生徒達の会話は殆どが、コンクールとデビューの事ばかり、日本人の優秀な生徒同士でネット上の繋がりのみ。ヨーロッパ人との交流が極単に少ない。
5、日本の音楽マネージャー、マスメディアの連中との交流ばかりを考えている。
6、音楽マネージャー達は自分自身で音楽家を見極めきれないので、コンクールの結果をたいへん重要視する。これではどうしても正しい芸術家を探し出せない。こんな事だから日本の音楽界の道は厳しい。誰もが適当な音楽マネージャーになれる事にも問題がある。音楽マネージャーにも厳選な国家試験を作るべきである。要は良い音楽家を育てる為には指揮者程度の知識は最低限必要である。
7、現在世界には1000以上のコンクールが存在する。今から40年前では150程度であった。これだけ沢山コンクールがあるので、どれに権威があるのか無いのか誰も判断出来ない。コンクール入賞は肩書の一つに過ぎない。
8、現在コンクールを主催して金儲けをする団体まで出る始末。コンクールを誰でも催せる時代なのである。これを一生を決める一つの選定基準にされたらたまらない。
9、今や学内コンクールもザラにある。
10、コンクールの選抜方法にも問題があります。どうしても多数決の意見なので、よっぽどとてつもない才能がない限りは、殆どの場合中庸の才能しか見つからない。
11、自分もコンクール入賞者を50人以上世に出してきたが、その中で本物の指揮者になったのは半分くらい。私は色々と言いたい様に意見を言っていますが、全てが実際の経験からの意見です。
12、賞金や演奏会の副賞があったりしますが、全て援助が薄過ぎます。もしするのであるならば手厚くアフターケアをするべきです。

今ここで私が計画をしている指揮者コンクールのお話をしましょう。アジア全体からこの50年間、世界的な指揮者と言えば、小澤征爾とチョンミュンフンのみ、ヨーロッパに於いてザルツブルク、バイロイト音楽祭に出演出来る指揮者は、今のままでは一人も出てこないでしょう。こんな事にならない様にと考えました。

開催は3年に一度
場所は関西の何処かのオーケストラ(何でも東京第一にならない様に)
練習使用語は英語
参加者はアジア人35才まで
書類審査、予備審査で50人に絞り込む

1日目
直接1次試験は、英文による音楽、文化に対する筆記試験、ソルフェージュ試験、課題オペラのピアノ弾き歌い
ここで10人に絞り込む
2日目
30分の持ち時間で課題曲2曲を自分で時間配分をして指揮、練習しても通すだけでも構わない。
3日目
4日目と同じ要領で 別の課題曲2曲
5日目
10曲の中から抽選で選ばれた序曲を30分づつ練習、夜にコンサート

審査員は全員アジアでオーケストラを持っている音楽監督
審査方法としては、各審査員が自分の入賞者を選ぶが、他の審査員の過半数の同意が必要。
賞金は無し。
入賞者は2年間、審査員の音楽監督、オーケストラの下で研鑽を積み、最低10回のコンサートを指揮する。その生活費等はスポンサー又は楽団が保証する。
2年後に、日本とヨーロッパ(ウィーン)でデビューコンサート。この際、各有名楽団事務局長、音楽事務所長を招聘し直接契約交渉をする。

改訂:
嬉しい事に、ペトレンコがベリリンフィルのカラヤンアカデミーで下野が広響で独自のコンクールを始めた事はうれしい限りである。とにかく若手を育てるという事でアフターケアーを考えている様であるので期待をしています。日本の国際指揮者コンクールは日本人の指揮者の有名大学指揮科出身者だけの登竜門の様で日本の楽団の為にはなっているが、外人がこのコンクールで優勝しても何の意味もないコンクールの様である。意義を持った国際コンクールになって貰いたいものである。因みに次のブザンソン国際指揮者コンクールの審査委員長に佐渡君がノミネートされている様なのでちょっと楽しみである。

歌手について

次に歌手の方々の事はどうでしょうか。歌手の方々はどうしても自分の体を楽器にして演奏するのですから、他の音楽家より難しい部分があると思いますが、やはり他の音楽学生と同じ考え方で勉強、就職活動をしている感があります。先ずはコンクール入賞。
また、日本には残念ながらちゃんとした歌劇場と言うものがありませんので、歌手を本当の意味で育てていくための機関が非常に少ないと思われます。今存在するのが、新国、二期会、オペラ振興会、琵琶湖オペラ程度です。これらの団体は残念ながら歌手の方々に完全に安定した収入を与える職場では有りません。その会に入っていても日雇い状態でましてや出演が決まると今度はチケットのノルマが待っています。
歌手の人達にとって、日本には安心してゆとりを持って自分の芸術だけを突き詰めて仕事出来る環境が全くないと言っても過言ではないと思います。劇場が無いからソロ活動をしますよね、今日本で何人くらい人がソロ歌手として食べていけているでしょうか。20人もいないと思いますよ。音楽事務所も厄介なもので仕事作りが大変です。それに歌手生命は他の演奏家より短いし、本当にお先真っ暗ですよね。順を追って考える必要があると思います。
歌手が一生やっていくためにどういう風な道を進んでいかなければならないかと言う事に対して、学生時代からきちんと進路について考えさせること、国やその他の団体等が歌手の就業方法を改めて考える事が本当に重要なことです。
現代の歌手達の道は、大学受験の頃に専攻を決め大学進学、3年次の頃に自分の声域、声質によって進路を決め、その頃から小さいコンサートに参加をし、オーディションにかたっぱしから申し込み、芽が出るまでそれを続ける。その間有りとあらゆる歌うことの出来るバイトを続け、生活の為に異種のバイトを始める。女子声楽学生の半分は普通の音楽学生と同じで裕福な家庭が多いが、残りの半分と殆どの男子学生は学生時より生活費に事欠く者も多く、7割程度の人がバイトを掛け持っています。この段階で就職出来る事などほぼない。それでもこの業界にはしぶとい奴が多いので(笑)、なんとか生き長られる者もいます。本当のところ、一番何とかしてやりたい人達です。大学卒業後裕福な学生達は、留学を考え、大抵はイタリア、ドイツ、ウィーンへ留学をしますが、基本的な声質、声量、語学能力がヨーロッパの劇場で働ける基準には到底及ばなく、殆どが退散して日本へ帰国します。また劇場では活動出来ないと思うと、特にお金のある方々はリート科、オラトリオ科に進み、簡単にディプロムだけを習得して帰国して大学の先生の仕事を探し、その間に結婚するというのが定番でしょう。
あまり将来が見えませんね。ちなみに日本留学生のヨーロッパでの就職状況は悲惨なものです。実はヨーロッパの主要歌劇場と音楽事務所は随時自分達の希望に合った歌手を探していますが、私の知っているリストには殆ど日本人の存在がありません。その理由はある意味で明らかだと思います。世界のクラシック音楽界で日本が一番遅れているのは指揮者と歌手の活躍です。悲しい事です。教育機関、演奏団体、国が本当に梃入れしない限り、明日は無いと思います。本当にお考え下さい。私には計画があります。でも今私が提案しても、現在お仕事をなさっている方はただ反対するだけで、現状の事しか考えないと思うので、なかなか改革には至らないと思います。
まあでもだし惜しみせずに少しだけはお話ししましよう。
最初の仕事は、次の人達から成り立つ委員会を作る事です。大事なのはこの時点で各ジャンルより、何でも直ぐに実行できる即戦力のある方を2人ずつ選出し、各ジャンルの代表が一人も欠けない事です。
オペラ団体の現音楽監督の指揮者、劇場事務方のトップ、オペラ団体のトップ、演出家、舞台監督、歌手、オーケストラ代表、オーケストラ団員、音楽事務所、文化庁文科省の役人、スポンサー団体、音楽ジャーナリストより選出された24名で構成。日本におけるオペラ活動の最終決定権を持つ。ゆくゆくは全ての綿密な計画を練る為のオペラ活動の本部となる。公演内容から演奏家のギャラまで全ての決定権を持つ。今まではごく一部の人達に委ねられ、結局大した発展をみていない。

改訂:
こんな団体を作るきっかけを国会議員の方にお願いしたいのです。

目標:
1、現在プロの歌手で食べるに困らない日本人は20人もいない。あとの人は生きるのに精一杯である。とにかく職場作りから本格的にしなければならない。
2、歌う機会を作るということと日本中の人にオペラを知ってもらうこと、歌手のレパートリー作りのために、どのオペラ団体も年間に最低1プロダクションは日本中で同じオペラを公演する。例えば今年は魔笛、来年はヘンゼルとグレーテルという様に、日本中ありとあらゆる場所でこのオペラを上演するわけである。少なくとも日本中で市民オペラ、アマチュア団体を含めて約100団体が最低3公演ずつやったとしたら、日本中で曲が有名になり、ソリストも1パートずつ、最低100人がレパートリーを持つ事が出来る。この数を確実に増やしていけば日本のオペラ界の歌手の底辺が広がり、欧米の歌劇場デビューのきっかけともなろう。決して出来ない相談ではない。なおこの公演には、文化庁文科省が率先的に資金援助をすれば意義のある文化貢献となるに違いない。何となくダラダラと続いている音楽鑑賞教室に出資するより有意義ではないだろうか。
ベートーヴェンの第9は1年間で200公演以上行っていて、オーケストラ、歌手にとっては稼ぎ頭である。似た様な事が起こると良いと思います。

いま頭に浮かんだ事ですが、あまりコンクールと考えずに、オペラのど自慢をNHKのEテレか何かで、開催出来ないでしょうかね。オペラを大衆化するのには良いことだと思います。大正時代日本もあの頃モダンな浅草オペラの繁栄がありました。音大の先生も生徒さんもバカにして相手にもしないと思いますが、実はあの頃の録音を聴いてみると、同じ時期の欧米の歌手の実力に損傷ないクオリティーですよ。現在演奏の格差の方がどんなに大きいことか、皆さん歴史を学びましょう。
さあ歌手の皆さん、正しい見識を持ち、世界を目指しましょう。そうする事によって、あなた方の将来も変わると思います。とにかく勉強と活動の場を拡げましょう。

改訂:
もう既に改革の一環でもっとカラオケ界に有名オペラアリアの導入運動をこのコアラの会でし始める準備をしています。ヒントになった事は、日本の住宅事情でカラオケの店で練習をしている歌手を耳にしました。
また オペラの大阪遷都の運動も始めようと思っています。コレはびわ湖オペラの音楽監督に私の弟子阪哲朗が就任するきっかけに出来るだけ関西出身の歌手を中心に先ずは歌手教育から。日本語でも
同じ演目を大阪カレッジオペラで。演奏会形式で他のオーケストラで。またそれに現存する兵庫芸文の佐渡裕オペラ。東京よりも可能性が大きいと思われます。コレにオペレッタを加え、吉本興業あたりとの共同制作、大阪音大でオペラ総合教育。これだけ一緒に動けば新しいオペラの中心 浪速オペラ の完成です。面白いでしょう。こういうアイディアを提供するのがコアラの会なのです。
コレも国会議員の方お願いしますね。

少し良い事も聞きましたよ。有名な演出家を中心に魔笛のキャラバン公演を行なったそうです。演出と歌手陣はほぼ同じで、地方によって、オーケストラ、指揮者が代わるという事です。地方にオペラが普及するという点ではOKですが、一部の歌手のみしか恩恵を受けられないみたいです。文化庁からお金が出たのですから(結局有名な演出家の為に)、熟考してうまく先に続けて貰いたいものです。


 次にまた音楽教育についてお話をしましょう。
まず、音楽教育には必ず全体を貫くひとつˋのポリシーが必要です。現在の日本の音楽教育には一番欠けているのはこのポリシーだと思います。音楽をひとつの技術習得の為のものと思っていることが、非常に多くの部分を占めているからです。      
また、普通の義務教育の事ですが、明治の時代からほぼ変わらない音楽の指導要領と言うものに準拠し、明治の時代の教育者が考えた枠組みをいまだに無理矢理使い続けていること。これを大きく打破しているものは戦後の音楽教育の中でほとんど見られません。義務教育で求められている音楽教育における目標があまりにも低いため(尋常小学校、尋常小学校高等科等昔の義務教育)に、これを行なっても誰も音楽が必要とも楽しいとも思わず、結局意味のない時間が過ぎてしまっているわけです。週1時間か多くても週2時間の間に何が教えられるのでしょうか。
私は芸術の分野を担当する教師が一番しなければならないのは、芸術の本質である、人間が頭脳を使ってそれぞれの分野から取り入れたものを頭の中で具現化する力(これは小説を読んで頭の中で具現化する事に似ている)を養い、それによって人間形成の上で必要な感性を豊かにする。これが芸術を使った授業の到達点ではないかと思われます。より想像力に富んだ人間形成を目的として、若ければ若いほど良いでしょう。
もう一つ、芸術を教える先生が今、日本の教育で一番欠けている躾、常識、礼儀、あるいは人間としての最低の生きるためのルールをうまく混ぜ合わして教えていくことが義務教育がすべきことのひとつではないかと思います。その事を考えると、文科省や文化庁等のやっている教育指導の補助等はお笑いぐさです。特に小学校中学校における移動音楽教室。これには多くの予算が組まれていますが、現在行われている方法は私が子供の時に学校で受けた昭和30年代、今から約50年前のものと全ての面であまり変わっていません。またそれに使われている予算もほとんど変わっていないのが実情です。こんな状態でしたら、やってもしょうがないです。やめてしまったほうがいいと思います。とにかく小中学校の段階の義務教育の音楽には、思いっきりテコ入れをしなければいけないでしょう。

改訂:
私の小学校のときの教師の話しをします。彼は中山千秋先生と言い当時新設モデル校であった母校に就任なさいました。全校生徒に対して音楽のソルフェージュ能力を身につけさせる為に朝毎日20分間校内放送を使って聴音のテストを毎日3か月ほど実習させたり、器楽クラブを低学年、高学年と2つ作り両方とも関東大会へ出場した事を覚えています。また音楽活動を校内で発達させる為にいいですか今から55年前ですよ。1965年に千葉の一小学校に子供テレビ局をまだヴィデオの無い時代に白黒の小さなカメラ一つで開局をして給食時に約40分間毎日音楽放送をしていました。毎日クラスの担当が変わって内容もピアノのソロだったり、器楽部演奏だったり、クラス毎の合唱やアンサンブルだったりてんやわんやの放送でしたが私としては良い印象だけが残っています。私が小学校の4年の時に授業で笛の授業が始まりました。ソプラノが一般的だったのですが、私がアルトを買ってきて見せるとすぐに高学年中に広めすぐに皆がアルトを吹ける様になった記憶があります。その後私がテノール笛を見つけてくると学校で良い笛を買って頂き笛のアンサンブルを組んでバッハのフーガト短調やバルトークのピアノ曲の演奏をして全国の小中学校の先生方を集めた研修会で披露した事も思い出されます。
似た様な熱血漢あふれる先生に佐藤博先生がおります。
私は初めてお会いした時の事を鮮明に覚えています。千葉県の幕張総合高校でオーケストラの指導をなさっていて確かR Straussのアルペン交響曲だったのですがこの指導されていた団体がアマチュアの高校生それもビギナーを含めたオーケストラの響き作りの丹念さとその執着心に度肝を抜かれた事は鮮明な記憶です。その後CDを聴かされまた仰天こんなスーパー先生から簡単に最高の職場を奪った県の教育委員会の気がしれません。単なる教員の一箇所での活動防止の為の措置で県内の音楽にうとい他校へ無理やり転勤させて本人のやる気を失わせて結局は退職に導くとコレが県行政団体の上からの命令によって素晴らしい文化の芽を平気につまんでしまうのが行政担当官の実状です。
コレも国会議員の先生方何とかならんですかね。コレは文科省の方針で通常一般公立高校では平均で5年から7年で転勤の様です。コレも現状を特にクラシック音楽のマイサスになる様な事を文科省が平気でやっているのです。コレも市民権がない為なのです。


 習い事と伝統音楽、特にクラシック音楽の個人レッスンについて
これも問題はほとんど変わらないと思いますが、現在一番欠けている事は、どういう風なものを最終的に求めているかと言うことです。
ちなみに非常に良い例で、かつて現在の桐朋学園を作った方たちが一番最初にした事は、戦後間もない荒廃した土地の中で、将来日本にクラシック音楽の世界を普及する事、あるいはその為の人材を作る事が、日本の文化向上、ひいては国力向上のために必要なものと考え、そのためにより良い音楽家を作るための基礎教育を幼児期から行う仕組みを作った事でした。音楽に関する理論と実践を並行して行うことを目指して、桐朋学園の子供のための音楽教室ができました。そしてその子たちが大きくなったときの為に中学校、高校を作り、最終的には短大、そして桐朋学園という学校を作っていったのです。そんな風に、先の将来のことを考えながら音楽教育の場を作ってきました。凄く意欲的ですよね。こんな時代が日本にもあったのに、現在はその形だけで、その当時の先生方の意識とはかなりかけ離れていると思います。また、普通の私学、あるいは個人で教えていらっしゃる方々は、先生ご自身の経済的な糧を得るために教室を開いていると言うのが現実ではないでしょうか。まず何よりポリシーを持ちましょう。本来の意味での教育の精神が私の知る限りでは思いきり欠けています。
と言いますのも、私が30年間ウィーン国立音大で教えているときに日本からも世界中からもいろいろな生徒が来ましたが、その生徒たちの持っているポリシーに一番欠けている点は、実は、どうして音楽をするのか、その音楽が世間一般のどういうことに影響及ぼすか、また自分の人生の中で音楽がどういう位置づけにあるかと言うことです。ほとんどの生徒にとってそれらのことがあやふやです。彼らはまず名声を得ること、そしてそれによって音楽家として稼げるようになること、そのようなことをまず最初にしようとすることを小さい時から教育され、それを続けていました。
全てが全てこうだとはいいませんが、25才くらいの学生たちがこんな事ぐらいしか考えていないと思うととても悲しくなります。
この程度の音楽家達が演奏したり、色々と話をしたりしても、一般の方にはただ感覚的に受け入れられるかもしれません。でも、現在の一般人の方々は大抵、音楽をただ勉強してきた音楽バカと違って頭脳明晰は勿論の事、場合によっては音楽家以上に専門分野についても博学です。こういう聴衆を相手にコロナ禍の代役ばかりの演奏会や自分達の糧の為の何度も延期された演奏会を続けている音楽関係者は、ある意味でお笑い者です。今やられている低度のものでは、音楽芸術を浸透させる事も感銘を与えることもできません。この点もちゃんと理解させて教育をしないと、クラシック音楽界からそれなりの文化人は生まれません。文化人は文化のある環境(この環境作るのは難しいですね。)の中から生まれて、文化を通じて人々にいろいろな影響を与えることができるのです。それができた時に初めてひとりの音楽芸術家として勉強した人が文化人となるわけです。ですから、音楽家が最初に音楽を習い始めた時から、たとえ最終的に音楽家にならないとしても、躾けながら教育していく事は非常に大切な事だと私は思っています。

改訂:
ここで大変興味深いヴィデオをお見せします。斎藤秀雄先生のインタビューのものです。是非ご覧下さい。

videoのアドレス
をここに貼る
YouTube上の 斎藤秀雄インタビュー NHK 女性手帳


音楽教育団体について

私の知る限りでは、有名なところですと、ヤマハ音楽教室、カワイ音楽教室、桐朋子どものための音楽教室、ピティナ、鈴木鎮一ヴァイオリン教室、篠崎ヴァイオリン教室、その他大都市に必ず1つか2つ、地方でも有名な音楽教室が存在しています。それだけ日本の情操音楽教育は進んでいると思われますが、非常に注意が必要です。これらの団体は、元来創設者が非常に苦労をして、戦後すぐの日本に音楽文化を根ざそうというポリシーの下に築き上げたのです。しかし、何十年も経つ間にポリシーが大きく変わっていませんか。全てが大企業化してしまい、教育という名のビジネスに変わってしまったのです。講師を雇う上でもマニュアル通りの試験があり、教育方針もマニュアル通りを求めています。文科省と同じ方向ですね。文化教育とはかけ離れてしまいますね。ちょっと外食産業と似ていませんか。最初に作った1号店は味のことだけ考えますが、それが企業化すると、経営の事が中心となり、出来るだけ店舗毎に格差が無いように…などと考えます。日本人企業の大好きなパターンです。教育、文化はビジネスとしてやるものではないですよね。皆さんもお考えください。
私は特にこのジャンルで働いている方と、代表の方も含めてじっくりと話し合いがしたいですね。

ここでピティナの福田成康さんにエールを送りたいと思います。ご母堂の福田靖子さんの意思を継がれてこのピティナを牽引されています。殆どの表には出ずに縁の下の力持ちの様にでも彼の代で確実に大きくなったのは事実です。このピアノ指導者協会の動向が日本の将来のクラシック音楽界の鍵を握っていると思います。今までの福田さんの偉業に対し心から敬意を表しますす。ご苦労様でした。一緒に頑張っていきましょう。
あ、そうそう将来指揮者になりそうな生徒を育てて下さいね、お願いします。まあコンクールの位置づけにはもう少し思案が必要だと思いますが。

音楽を伝統と伝承芸術としての考え沢山色々な話をしてしているうちに一番大事な事を忘れないように。
伝統芸術の筆頭にあるのは歌舞伎の世界ではないだろうか。歌舞伎の歴史は大体クラシック音楽と同じくらいで、ピークを江戸時代後期に迎え、その後それほど衰える事もなく、現在まで続いています。その要因の一つは、世襲制度です。子供の時から親族によって伝承された芸術は、書いたものでの暗記は許されず、もっぱら、頭と身体のみによって覚えこまされていくわけです。ですから基礎の部分に誤差がないのです。この鍛錬を300年もの間、変わること無く続けていくのです。ですから、有名な市川団十郎を襲名する頃には、全ての物が備わっているという事になります。素晴らしいですね。普通の人が到達し得ないもの、これも芸術なのです。ちなみにもっと一般に普及する為に歌舞伎を習うシステムを作ったとします。世界中でも広まり、変に亜流に進むと、ヨーロッパの歌劇場で、金髪の歌舞伎が上演されたりするんじゃないですか。この事は歌舞伎界の方々にとって自明のことであるかと思いますので、そういうことは起こらないでしょう。

では現在の特に日本のクラシック音楽界はどうでしょう。金髪歌舞伎状態ではないですか。私はこの状態に突入していると思います。もう少し例を挙げましょう。世襲制を守りながら一般庶民に拡げたものに華道と茶道があります。これらの方が音楽には近いですね。それは一般庶民に拡めるときに特に女性への子女教育、情操教育として用いた事にあります。明治になって、武家のたしなみとして継承されていたものが裕福な一般市民に普及し戦後はもっと庶民化をし沢山の流派ができて、ある意味で乱立状態です。
この状態に近いのが、今の日本のオーケストラです。色々な流派(ウィーン、パリ、ベルリン、ジュリアード、芸大、桐朋等)で修行した人間の集合体として週替わりの指揮者の中で2日ぐらいの練習で創りあげたコンサートを聴かされているのが、現状ではないですか。あるところまでの流派の統一がきちんと無ければ単なる乱立状態の上で基盤の統一性に欠けてしまうわけです。簡単な例を挙げると、音楽上の倚音があった場合色々な宗派によってその弾き方が違います。ドミナント、トニカの関係もまた違いますし、シンコペーションの弾き方も違います。音程の合わせ方も、音楽語法上のアクセントの位置、例をあげたらきりがないこの統一はアンサンブル上の最低基準です。日本のオーケストラは昔に比べると良く弾けるようになりましたが、語法の一致、アンサンブルの最低条件の徹底ということでは、非常に遅れています。
要するに音楽上の語法が一定でない状況で毎週のように違った指揮者で違った音楽をやっても乱立状態のオーケストラを見易い指揮で合わすことだけを取り繕うコンサートの仕上げ方になってしまうのではないでしょうか。皆さん方が思うほどこのオーケストラ内の統一の部分音楽上の基礎語法の一致は簡単ではありませんので、先ずはオーケストラの改革として絶対にやらなければならない事です。それが出来る指揮者を探してじっくりと実行する事が重要ですよ。本当に見違える様になりますよ。さてこのような理想のアンサンブルを作った人は、カラヤン・ベルリンフィル、ベーム・ウィーンフィル、チェリビダッケ・ミュンヘン・フィル、ムラヴィンスキー・レニングラードフィル、オーマンデイ・フィラデルフィア管、理想の音楽語法を持っていた人がフルトヴェングラー、クライバーというわけです。現存の指揮者では殆んどいません。これはオーケストラ事務局と音楽事務所が原因でもあります。昔、ペトレンコが、学生の時私の教官室に来てよく理想のオーケストラについて、カラヤン、チェリビダッケの理論と練習の仕方についてよく話し合ったりしたものです。彼は必ずベルリンフィルをカラヤンの黄金時代と匹敵するかそれ以上のものを創り出すと思います。彼のここが他の指揮者よりも卓越したところだと想います。ベルリンフィルが彼を選んだ一番の理由でしょう。久しぶりに電話をしてみようと想います。
さっきの歌舞伎役者の話ですが、世襲制から生まれた揺るぎない基礎能力、ここが一般映画に出演しても他の俳優とは一段も二段も違うところです。同じ世襲制度に近い事を頑なに守っていたのがウィーンクラシック音楽界でしたが、今は非常に現代化され一部崩れかかっています。その修復もかねて『Wiener コアラの会』の発足です。
基本的な音楽語法の一致を形に示したのはチェリビダッケです。彼は当時経営難に陥っていたドイツ総合ランクで68位だったミュンヘン・フィルを僅か3年で、総合ランク3位まで持ち上げた人でした。行った事は、オーケストラ楽員の、基礎音楽語法の統一、音程訓練、文化知識感の改革、とにかくあらゆる芸術上の改革を徹底的に行いました。一回のコンサートに対しての練習時間は最低でも18時間、今の日本のオーケストラで考えられますか。出来ないと言って何もしないんじゃないですか。改造はここからですよ。
日本人の指揮者の皆さん、閉じられた国でお金稼ぎばかりしていないで、佐渡君のように、世界の檜舞台でお仕事しましょうよ。期待していますよ。


マスメディア、CD会社、放送局、音楽出版社の方々へ
   
先ずマスコミの方々へ

一番の問題点はあなた方の活動の消極化と実際の記事の真表性、それに事実報道なのか意見なのか、要は全て曖昧なところで物事が動いていて、実際に皆様方の仕事ぶり、意義を一般の人に理解を受けていない事です。クラシック音楽界の発展の為に世論を動かせるのはあなた達の行動如何だと思います。先ず一般大手マスメディアの中で、文化が人間社会をより良くする為にどれだけの要因であるか。とか文化啓蒙活動の奨励とか、やる気になれば幾らでもできる分野となり得ると思います。本来私がやろうとする事はあなた達の力で行うべきものなのです。儲けの仕事探しばかりに走らないで下さい。

改訂:
意見と現実を区別して確実に正しく正確に伝えて下さい。戦時下の大本営発表とか間違った方向へ読者、リスナーを導くなどは言語道断です。ウクライナ戦争の報道も同じですね。どこまでが事実でどこからがコメントなのか今の報道は良く解らないですね。


ついでに、批評家の方々へ

現代の批評の大半は先ずは何でも良いこと探してそれから欠点を少しだけ探すなど、あたりきたりの評論が多い世の中、そんなにあなた方が評価している程、日本の演奏家は素晴らしいですか。PTAに責められている新米教師では無いのですから、もっと威厳を持って厳しく判断をして下さい。あなた方の軟弱な態度がクラシック音楽界を堕落させてしまった要因の一つでもある訳ですよ。今のままでは、今後日本からサルツブルグ、バイロイトの音楽祭へ招聘される指揮者、演奏家なんてあり得ませんよ。でもあなた方の書かれた批評文を読むと素晴らしい演奏ばかりという事になってしまうのです。今や二流、三流の演奏会が日本で見られます。もう一度皆さん毎日音楽文化の勉強なさって日本のクラシック音楽界を牽引する文化人となって下さい。今や一般聴衆の中に批評家の方よりも文化見識に関して優れている方がいらっしゃいますよ。日本のクラシック音楽界は至るところ問題だらけですよね。

この批評家の方々へ提案です。

国選批評家という名で2年毎に厳選な試験の基で3人を選び出してあらゆるコンサートの批評を依頼する。彼等の報酬は1回の批評料が10万円、年間200回のコンサートをこなす事(年収2000万円)を義務とし、それをマスコミは、批評家からの依頼には100パーセントの全文掲載をする。こうすれば、国選批評家の記事はことごとく掲載されるしその批評も手厳しい本音の物となるであろう。とにかく国選でない場合は今までのように柔らかい批評を書いていれば良いのであります。報酬の額はあまりにも違うので皆さんこぞってこの職に就こうとすると思います。それにはクオリティが必要となりそれによる競争も起こるので、批評家の質全体の向上も図れると思います。私は13歳から66歳の現在まで、音楽の友、レコード藝術、音楽現代、音楽芸術(現在は廃刊)を欠かさずに日本から取り寄せて購読をしています。ですから批評の変化、日本の情報は場合によっては日本の人より正確に把握しているつもりです。
改訂:
コレにも国会議員の方のお力が必要です。

CD会社、放送局の方々へ

ネットによる安易な無料配信、放映の為に、メディアの世界ではある意味での無法地帯となっています。この事はCD会社、放送局の利益侵害にもなり、それ以上の問題点としてあまりにも自由に質の悪いソースが世界中に溢れており、聴衆の耳をも悪くしてしまっているのです。今や人はネットデジタル程度の音で慣れてしまいそれ以上のクオリティを求めなくなってしまっています。先ず何かの方法でこれに打ち勝つ方法を考えなければなりません。著作権法とか何かでこの状態を変えなければなりません。要は何でも簡単に無料で手に入る事を変えないとこれらの業界にとっては死活問題になってしまいます。また新しい再生技術、システムの発明も視野に入れて下さい。私も良案を考えて見ます。CD、オーディオファンの方もお考えください。
この著作権法ももう一度偏りのないクラシック音楽界発展の為に良い方向へと改革すべきだと思います。
改訂:
国会議員の方この問題はクラシック音楽普及の為には本当に熟考しなくてはならない問題です。CD業界の死活問題なのです。

趣味音楽鑑賞家、一般聴衆、音楽愛好家、アマチュア音楽家、CD愛好家、オーディオマニア、小さなアマチュア音楽会を企画なさる方

これまで長い間音楽の専門家とその候補生を中心に話を進めていましたが、ここから少しここに掲げた方達へのお願いについてお話しします。
実は皆様方が一番このクラシック界の発展の為の鍵を握っている方々だと思っています。

というのは、実際に音楽家の道に進んでしまっている方にとって、恐らく、彼らの中で新しい試みに関して気持ちを向けて変化させていくことは、容易では無いと思われます。ですから、皆様方が第三者の立場からより良い方向に導いて頂けないかという事です。私も趣味が講じて音楽を専門とする職業音楽家に成ってしまいましたが、職業とした者には何らかの簡単にはいかない問題がある様です。

改訂:
現在の音楽関係の職場上でのしがらみ、音楽演奏に相反する人間関係と結構大変の様で殆どの人がコレを壊してまでの改革に勇気が湧かないのです。放っておけば本当にかわらないですからね。この部分の文章は5月10日に書いています。コアラの会へ入会された方もまた私のこの文章に同意された方も皆さん静観されている方が殆どです。こんな事ばかり書いていると本当に皆さんを敵に回してしまいますが、それでも敢えて私は言い続けます。

そこで、このわだかまりの無い一般聴衆、アマチュア音楽家の方々から、この様な音楽家達に対して率直な意見、御鞭撻を思った通りに伝えて欲しいのです。但し無記名でなく、記名で。そしてまた専門家より詳しく勉強なさって欲しいのです。その交流の場所として、wienerコアラの会を活用して頂きたいのです。まだまだ思考錯誤を繰り返していますが、会員は音楽家から、一般聴衆まで、年齢職業に関係なく募集をし、もっと交流が出来る様にして参ります。ですから単なるファンの集いの様な事にならない様にと思っています。むしろ世間知らずの音楽家が色々交流を通じて社会勉強が出来たり、要するに彼等に沢山の影響を与えて文化人にして欲しいのです。ですから会員同士では原則としてお互い交流拒否をしない様に考えています。
 ここでの交流が本当にこれからのクラシック界改革の原点になる事を望みます。趣味人(びと)こそ、本当にこの文化の鍵を握っているのです。

改訂:
この方々が一番数が多くこのクラシック音楽界を引っ張っていける存在なのです。そして国会議員の方、良い音楽界のの環境作りはこの方々と共に動いて頂きたいのです。この方々の行動如何でクラシック人口が増加するのだと思います。

ここで各々の趣味人の方々へ個別なお願い

改訂:
1、趣味音楽鑑賞家の方々へ
鑑賞団体のブログ等を拝見すると音楽家に対して非常に美辞麗句が多く、あれでは音楽家の成長には何の意味もありません。何も非難だけをしろという訳ではありませんが、もっと音楽家の成長を考えた上での批評を正確に相手の音楽家に伝えて欲しいのです。よくTwitterに載っている様なものではなくて。最近プロの批評家達の手ぬるい事、此れが今の日本の音楽家を堕落、二、三流にしてしまった原因でもあるんですよね。政治形態といい、教育現場といい、現代のクラシック音楽界といいみんな同じ問題から始まっていると思われます。
本当に重要な部分なんです、宜しく。
あとはご自分なりの音楽評論日記をつけて欲しい事。本会では活動欄で皆様方には正しい厳しい批評をプロ評論家以上に投稿して頂きたいのです。そしてあなたの選んだ生涯一番のCD名盤一枚選んで音楽家名刺上にお書き下さい。

2、一般聴衆の方々へ

改訂:
1、で挙げた、先ずは生涯ー枚名盤の選択、そして聴いた演奏会を、“大感動”、“中感動”、“小感動”、“×”、の評価を考えて活動欄にて掲載なさって下さい。ゆくゆくは食べログのクラシック音楽版をwienerコアラの会で作ろうと思っています。とても厳格なもので、世界的普及を目指すつもりでおります。

ですから私は、聴衆の皆様がこの世界をより良くする要素であると信じるのです。この評価に意味がある様にするには、一般聴衆の質も向上させなければなりません。そのために聴衆の皆様も勉強なさって下さい。それを勉強できる機関もこれから作ろうと思っています。ご期待ください。さて、亡くなった指揮者のカール・ベーム氏は、日本の聴衆が世界一であると絶賛してしていましたが、本当にそうある為には、文化とはそこに居合わせるものすべてに影響を及ぼす力のある事であり、それには一人一人の頭脳の中で出来上がる各々の現象、此れが即ち文化の力の産物であるということを再確認しなくてはなりません。これからは、過去のウィーン人が伝統の名の下に受け継いで行ったクラシック文化を、日本においても日本独自のものではなく、正統的な伝統文化が繁栄する場所として形成しようではありませんか。

3、音楽愛好家の方々へ
1、2、の項で言った事は言うに及ばず、皆様方は特に音楽が好きで好きでたまらないとい方々で、私もこの部類に入る思います。CD、DVD、レコード、楽譜、録音等予算の続く限り集め続け、要するに収集癖なのです。沢山所有している事とそれを自慢する事と知ったか振りをする事がしたくてしたくてしようがない人、クラシックファンの男性にに多いですね。(クラヲタ)
ちなみに私事(自慢話)ですが、私の音楽関連の所有物は、

 CD 約15000枚、オペラDVD 約300枚、
 レコード 約12000枚、
 中学1年の時より始めたFM Air Check(現在も続いている)
 カセットテープ 約80000本、
 オープンリールテープ 約1000本、
 2012年より mp3にて録音 約100TB、
 オーストリア放送、ラジオシュテファン、バイエルン4、NHK-FM、New York、BostonのFM局のクラシック番組をまだ毎日録音をしています。
 音楽楽書 約1000冊、オーケストラのスコア 約7000冊。

私の家は倉庫のようなものです。
どうですか。本当に度を越えているでしょう。
この私と同類の方々も非常に大事な人材です。何故ならば私を含めて彼等は大抵しぶとく、根気強い。彼等にこの聴衆、愛好家の人達とうまく交流し合えば、この聴衆団体は、物凄く大きな存在となるでしょう。但しもっと正しい知識を付けて欲しいですね。

4、アマチュア音楽家の方々
この方々は大変多くて、元来音大を卒業したにも関わらず、訳あってアマチュア音楽家になってしまった方、過去現在部活やアマチュア団体に所属している方、個人演奏家、オーケストラ、吹奏楽団、合唱団、オペラグループ、その他アンサンブル。とにかく日本のアマチュア音楽活動は世界一です。
さあ、この方々にも私はもう一度世界に羽ばたく音楽芸術家と同じアプローチをして頂きたいのです。別に演奏家になる事だけではありません。何か、クラシック音楽文化持続の為の努力をして頂きたいのです。アマチュアの方から凄い研究者が出たり、プロの人達がタジタジになってしまうほどの知識や演奏能力があったり、文化人はここからも生まれるチャンスがある訳です。

5、オーディオマニアの方
えてして職業音楽家の人達はオーディオ関連の事に疎く、その程度の知識でネット配信をしたり録音をしたりしています。こういう人達にオーディオに於ける可能性や、素晴らしいオーディオ装置で聴いた時の演奏の印象の違いを教えてあげて欲しいのです。良いオーディオ装置で聴く音の良さを何とか伝えて欲しいのです。

6、小さなアマチュア音楽会を企画なさる方、その演奏会を聴いたり支援をなさる方々へ
皆様方の啓蒙的活動、特に若い音楽家の為なかなか簡単に出来ないコンサートの企画運営をなさっている方に、敬意を評します。但し非常に注意をして欲しいのです。と言うのはこの演奏会に出演させて頂いている者がなかなか味を占め、何回も同じ様なコンサートをして発展性が無い、というような事をよく聞きます。特に女性では他にコンサートの可能性も無くこういうコンサートを何回かやっているうちに自分の限界を感じ、その先の研鑽をやめ、次の生活保護者(結婚)を見つけた後その安定感の中で小さなコンサートを続けている、という事をよく目にします。若手を本当に育てるおつもりならば、あまり安易に演奏会を与えないで下さい。結構これは日本の音楽界発展に反する事になりかねないと思います。特に若い女の子には、年配の方が優しく手を差し伸べてしまう傾向があります。音楽界発展の為に厳しくご指導下さい。お願いします。

何度も言うようですが、このジャンルの方々の御理解がこの改革の是非を左右します。


再度 音楽家の生活について

最後にもう一度音楽家の生活のことを色々と考えてみましょう。私が今一番提案したい事ですが、前にも言いましたように、音楽家が勉強する為に親は1500万から2500万円のお金をあなたにつぎ込んでいます。このお金をどれだけの人が自分の人生のうちに返せるでしょうか。99%の人は無理だと私は思います。私自身もそのお金の全てを親に返すことができませんでした。これを踏み倒さずにお金を出していただいた両親のことも考え、自分の将来のことも、また自分の子孫のためのことも考え、どういう風に生活生計を成り立てていくかと言うことのお話をしましょう。
これはいくつかの問題を分けて考えなければいけないと思います。まず音楽家を目指すほとんどの学生、95%以上の人は、要するに裕福な家ですくすくとに育っていたんです。ですから親はそれをまるで苦労のないように見せかけて心配をさせずにあなた方にお金をつぎ込んで行ったんですね。

 音楽家年金について

さあこれがどこまで続くか続かないか、場合よってはその途中で皆さんが、音楽を研鑽する事を断念するとします。それをいとも簡単に続けるためには女性であれば同じように裕福な人との結婚をして経済的な助けを受ける手があります。これによって続けている方はだいたい半分以上じゃないですか。あとの方は何かの方法で音楽家の仕事をしながら生きています。さぁどうしましょうかね。
私はまず皆さん方の将来、老後の事を考えてみました。年金の事です。私はヨーロッパにいて、良い年金のシステムで贅沢をしなければ何とか生活が出来ます。それに引き換え日本の場合ではどうでしょうか。今皆さん方音楽家の入れる年金と言うと国民年金ですよね。国民年金は毎月に1万6000円程度それを40年払い続けた場合そうすると60歳までにそれを完了し65歳から月々50,000円程度のお金が出るんですが、これもこのまま何年か経つと、満額出るかどうか判りません。それでは今のままでいった場合に月々50000円の年金で生活のできる人はどのくらいいるでしょうか。誰もいないと思います。国民年金はこれに補う形の国民年金基金という余計に積み立てる方法がありますが、自営業の人用で音楽家にはあまり実用的ではないと思います。普通のサラリーマンの方は厚生年金と退職金受け取ると言うのが現状のようですね。音楽家の中でもオーケストラの団員、大学の先生達は、一般のサラリーマンの方と同じ年金のシステムが適用されます。
平均で厚生年金の場合で平均で月15万円程度、納金負担は給料全体の約18%を雇い主と個人が半分づつ負担です。これ以外今のところ音楽家にあった年金はありません。自営業の方々が加入する年金はありますが、月毎の同額の掛け金は音楽家にとっては負担が大きいと思います。

改訂:
ある地方オーケストラの女性奏者の例
外国留学の後30代後半で入団。60歳で定年その後5年間特別常トラ扱いで給料目減りようやく65歳で年金生活。退職金が約300万円ちょっと年金支給額が月約10万円コレだけでは生活出来ないと、楽団の言い分は勤続年数が少ないと。20年以上真面目に働いて何も文句も言はずでもコレが現実であると。

そこで私が今考えた年金は、個人的なiDeCの応用型で、年金の積立方法は、演奏会の出演料の一部を積み立てるという方法です。

例ですが、演奏会の出演料が
 3万円以下なら 2000円
 5万円まで   5000円
 10万円まで  10000円
 20万円まで  20000円
 30万円まで  30000円
 50万円まで  50000円
 50万円以上  70000円
を一回毎に納める。
年金なので原則として65歳まで交付されない。
家庭の不幸等不慮の事故の場合に限り、金利なしで払い戻しが出来る。
大体の目安として25歳から65歳まで40年間で
普通に演奏活動をしていたら約1500万円位になる計算である。これを一括で貰うか、月15万円を100ヶ月、国民年金と共に貰うかである。これは単純計算なのでこれに資産運用やその他諸々の特典がつくと思われるので決して損はしないと思います。また本人死亡の場合は遺族に直ぐに現金が届くようなシステムとしようと思っています。かなり現実感を持って実現できると思います。

改訂:
65歳以降も継続が可能で5年毎で延長が可能となる
wienerコアラの会の会員である事が条件で、この業務の代行は音楽事務所と大手保険会社に委託する考えでいます。

 コレを実現する為にも国会議員の方の手助けが必要です。

ここに掲げた全部、色々なジャンルの方々を含めて皆様方に、10年15年先のクラシック音楽界の将来を考えて頂きたくこの文章を作りました。
さて私はこの事を理解したり或いはこの事を実行したり、この考え方に感銘を受け、これから先、考え方が共有できる方々とともに音楽人生をしていきたいと思っています。
音楽を専門的に勉強をし始めた方、音楽大学に既に在籍している方、現在海外に留学されている方、大学卒業後日本の中で音楽活動始めている方、既にプロの音楽家として日本の音楽団体に所属をしてその中で活動している方(これはフリーで音楽事務所に所属している方も含みます)、そしてその音楽事務所に従事なさっている方、交響楽団を始めとする音楽団体に従事なさっている方、公文協を含めた日本のホール、その他音楽図書館等で働いている方、音楽大学高校で教えていらっしゃる方、一般の小中高校で専科で音楽を教えている方、音楽教室の講師先生、個人で教えていらっしゃる方、これに加え一番話を聞いて頂きたい聴衆の方、ファンの方、音楽趣味の気狂いな人、アマチュア音楽家、音楽ジャーナリストの方、音楽雑誌等の編集者の方、音楽書籍の出版社の方、また放送局を始めとするマスメディアの方、CD、DVDの制作に携わっている方、違うジャンルにいてクラシック音楽を使ってお金儲けをしようとする方、クラシック音楽界に昔の大富豪のように多額の寄付をしようとする方、このようなたくさんの人達によって現在の日本のクラシック音楽界、まぁ世界的にも同じですが、成り立っているのです。この方々一人一人に1日に15分だけ10年後15年後のクラシック音楽界のあるべき姿を考える時間を作っていただきたいのです。また研鑽と言う意味では音楽に携わっている方は最低1日3時間精進して頂きたいのです。私はこの事を行おうとする方々、協力者たちと、私のこれからの人生のパートナーとして交流を持ちたいと思っています。どうぞ御熟考下さい。
さてもう一つお願いは、私の考えを皆様方の手で沢山の方々に伝えていただき、仲間を増やして頂きたいのです。とにかく拡散のお手伝いをお願いしたいのです。
それに加え、私と同じように第一線をリタイアなされた方にも同じように色々考え、沢山意見をして御尽力頂きたいのです。
これらのことを賛同できる方々を新たに集めて、その方達と一緒に私の掲げたいろいろな音楽活動をしていきたいと思います。まずはそのためのホームページのようなものを作って、そこに参加してご理解いただける方々を集め、その方々には私はどんな努力も惜しまずに私のあらゆる知識を提供しようと思っています。とにかく今年(2021年)の6月末頃にはこのシステムを作り上げようと思っています。まずは日本の方から次にウィーンを中心に全ヨーロッパの方々、そしてアメリカの方々最後に韓国中国を含むアジアの方々と南米の方々にこの考えを広めて世界的になものとしていこうと思っています。この会の名称は私のあだ名であるコアラから、Wiener コアラの会としたいのです。1年から2年後には世界中に広まるように何とかその輪を広げるつもりです。広がる上で私1人では何もできないので、そういうことお手伝いしていただく人も必要です。どうぞ宜しく。

皆様方へのお願い
何度も繰り返す様ですが、毎日15分、10年後のクラシック音楽界のビジョンというものを考える時間を皆様ご自身で作って頂きたい。この中から新たな良きアイデアが生まれる様な気がします。その際は御一報下さい。
そうそう大事な事を言い忘れていました。それは、音楽家の第一モットーは、常にたくさんの方々へ夢を提供する事です。仕事に疲れた後、それでもコンサートへ足を運んで下さった方へ心の癒しと、ほんのちょっと現実から離れ、幸福になる時間を提供し、音楽文化の偉大さを共有する時間を持つ事です。この事を毎回絶対に裏切らないクオリティーが必要なのです。とにかく我々は夢を与える事を忘れてはいかんのです。


『Wiener コアラの会』について

改訂: 
私の今までお話いていた事を実行に移す為の機関として『Wiener コアラの会』を立ち上げました。先ずは2月15日に日本で7月中にウィーンで専用Webサイトを作成し、そこでのやり取りを中心に情報交換をしながら、会の運営をしていこうと思っています。会員制を採り、会員内で活動交流は自由とし、ウィーンを中心としたクラシック音楽の発展を目指す団体としての活動がメインとなります。是非ご参加下さい。

申し込み方法:
Webサイト上の申し込み書に記入をして、所定の方法で会費を納めて頂くと直ちにWebサイト使用許可が下り活動が開始されます。

改訂:
 世界共通の音楽家名刺とは
会員の皆様方全員にお願いです。特に音楽活動をなさっている方に簡潔に必要事項だけを記載した世界共通の履歴書(音楽家名刺)を作成して頂きます。現存する履歴書、ビデオ等は、あまりにも規格が違いすぎるため、音楽事務所、オーケストラ等現在の雇い主側が欲しい情報としては不充分です。音楽家にとって必要な部分の情報が少ない割に、自分を聴衆に売り込もうとする広告宣伝部分が多すぎて、あまり専門的には通用しません。この規格がある程度一定であれば、仕事を提供したり人材を探すのに、より有効な判断材料となるでしょう。企画側も正しい判断で適切な人材を探す事ができると思います。これによって埋もれた才能を探そうということです。さあ皆さん、世界にはばたくチャンスですよ。とにかくまずは世界的に普及させる事です。
音楽家以外の方も出来るだけこの世界共通音楽家名刺にご参加下さい。

世界共通音楽家名刺

同じ内容のもので母国語版と英語版を作る。

職業選択欄として、
・一般音楽家でフリー、または所属機関のある方(音楽事務所、オーケストラ等の団体)
・教育関係の方
・音楽関係の仕事に従事されている方
・音楽一般愛好家、音楽を趣味に持っている方
・有能な若手音楽家の個人マネージャー志望の方
・音楽へのスポンサー、またその希望者
・音楽家志望の学生、音大生、卒業生
・アマチュア音楽サークルに参加している方等
・過去にウィーン留学、居住経験者
、ウィーン愛好家


演奏投稿欄
・VideoかAudioを15分間掲載(YouTubeのURLを貼り付け)、最初の3分は必ずモーツァルトを録音する(音楽スタイル確認の為)。その後12分間の構成は各自判断。

写真は5枚まで

履歴書の部分は必要事項を枠内に記入。ダラダラとした文章形式はとらない。記入項目は約50箇所。非常に綿密に記入。記入拒否項目もOK、明らかな虚偽が発覚した場合は、直ちに掲載から外される。全てが信用の下で行なわれる。過去の演奏動画や写真、現存の履歴等の添付は可能。

記入項目例:

全員に
名前、性別、生年月日、専攻楽器名
身長、体重
現在の職業(出来るだけ詳しく)、所属団体
過去5年間の職業
最終学歴
可能言語 ABCでランクを添えて
自己紹介   400字くらいまで
自己アピール 400字くらいまで
性格自己判断
  
音楽家関係の方へ
今現在、自分の得意な曲を5曲(この内の1曲を音源に提出すると良い)
レパートリー表(歌手の場合、オペラ名と役柄名を記入、公演経験の有無を必ず記入) 500曲以内
一日の平均練習時間

ウィーン留学経験者へ
『Wiener コアラの会』ですので
過去ウィーンでの滞在期間、目的
過去ウィーンでの演奏会記録
過去ウィーン留学の場合、専攻科目、留学期間、師事した教授名、Diplomの有無、当時交流のあった学友の名前、出来るだけ多く

全員に
現在興味のある作曲家 3人
現在興味のある演奏家 3人
あなたをこの会へ推薦した方

音楽家、学生の方へ
1日の平均練習時間
過去3年間の演奏会内容(所属団体も含めて)出来るだけ詳しく、これから3年間の本番予定内容(所属団体も含めて)正確に
今後の自身のコンサートに対する展望、クラシック音楽界に対する要望(詳しく)

コンクール入賞歴 3つまで
出身校 3校まで、専攻科目、師事教師名 3人まで、
本人の尊敬する音楽家(故人を含めて) 3人まで

自分の活動したい地域 日本(地域的),日本全国、ヨーロッパ、全世界等
自分の活動したい分野、現在の所属団体、連絡先
自身で出版した書物、録音したCD、DVD

全員に
深い交流のある音楽家 5人
湯浅氏との関係 師弟関係、友人関係、知人関係、他人を通して関係、名前程度、未だ無関係
自分の判断で、生で聴いた名演奏 3つまで、CD、ヴィデオ、放送等での名演奏 3つまで、感銘を受けた音楽書 3冊、感銘を受けたその他一般書物 3冊まで
音楽以外の他趣味 3つまで、CDの所有数、音楽以外での得意分野

掲載内容は随時変更可能

原則としてこの音楽家名刺はコアラの会メンバー同士は閲覧可能です。お互いの信用関係の下で公開をする。また本人の希望で本人情報を送って貰いたい団体が有れば可能な限りコアラの会より送ります。

また記入箇所については義務では無く自由ですので出来る限り記入して頂ければ結構です。
ただ、虚偽の記入だけはおやめ下さい。お互いの信頼関係を壊すことになりますので。

『Wiener コアラの会』
運営:
私と、私の身体の不自由を手助けしてくれてドイツ語、英語、日本語が堪能でありコンピューターに詳しい音楽家である人、独語圏担当、英語圏担当の協力者の基本4人で運営し、活動内容によって人員を増加する。

オーストリアでVerein、非営利団体で認可(ヨーロッパでの活動権確保)
Vereinの役員
*湯浅勇治 『Wiener コアラの会』会長
*ミヒャエル・シュナイダー 副会長(ウィーン国立音大指揮科助教授)
月尾摩美 事務局長(予定) 日本語、独語、英語、事務局全般担当
*モーリッツ・ラウラー 書記、ドイツ語圏担当
*ゲオルグ・ゾンライトナー 会計、ウィーン音楽家担当(ウィーン交響楽団)
メイスン・ルーベルト 英語圏担当
ペーター・ベヒーニエ 会計監査(税理士)
住沢明加留、平塚太一 WEBSEIT責任者
で構成される。
(*は非営利団体 wienerコアラの会 開設申請時の役員なので無報酬が原則)

運営費用:会員からの年会費、賛同して下さる大口賛助会員からの助成金,会員の方がこの会より何らかの恩恵をを受けた際のお礼金(寄付金として)
によって運営しますが、最初に思ったよりもお金がかかるという事が解り、とにかく、お金を集めなければならないことを理解しました。年会費は上限が無いので、いくらでも寄付の形でご援助を頂ければと思います。
運営費使用途;人件費、事務所、studio、倉庫の維持費、通信費、コンタクトに必要な経費等

改訂:
毎年年末に会計報告があります。

会員募集;

改訂:
1、過去30年の間ににウィーンで勉強した方々、現在の学生さん、ウィーンでお仕事をなされた方、ウィーンにお住まいで会った方、ウィーンを愛してる方々、そうそう大事なのはウィーンのクラシック音楽の大好きな方々を中心にお声をかけ音楽家を中心に一般聴衆、愛好家を含みます。
2、音楽家、音楽学生であり、『Wiener コアラの会』の主旨に賛同できる方。申し込み後世界的音楽家名刺を作って頂きます。
3、Wiener コアラの会 主催の催しに参加したい方。
4、音楽家ではないが、『Wiener コアラの会』の主旨に賛同して主催の催しに参加したい方。
5、現在指揮者か、指揮科学生か、将来指揮者を目指している方(国際指揮者部)。
6、過去にウィーンに住んだり、行ったり、とにかくウィーンの街が大好きな方(ウィーン愛好部)。

 音楽家でない方も出来るだけ音楽家名刺をお作り下さい。交流のきっかけにしたいので。

とこれらの方々を募っています。

正会員;
1年間1口EUR60より(1ヶ月あたりEUR5、美味しいコーヒ一1杯分) 、何口でも結構なので、お支払いいただきます。だいたいEUR60は日本円で7,500円位になります。
こんな少額から会費を集めようとした理由は、長い間会員になって頂きたいため、また、学生の特に若い方、これからクラシック音楽界を背負っていける可能性のある方々に参加して頂きたいからです。また、私の学生時代の経験から、特にロシア、ウクライナ、東欧圏からの方々のために、西側の貨幣、ユーロで会費を払うことがあまり負担にならない様にと考えました。とにかく出来る限り世界中から会員を集めたいのです。

改訂:
団体会員;
1ヶ月毎に500ユーロずつ最低1年間の契約をして頂きます。また団体会員の認めた方は、団体友人会員として契約期間中は当会の準会員(一部参加出来ない制限付き)になれる。後日正会員に変更可能。)

今団体会員に考えているのはオーストリア青少年鑑賞団体(ジュネス)、これによってオーストリア中の26歳以下ジュネスの会員であれば、殆どのの音楽学生、若い聴衆は本会の準会員となれる。同様に日本のある小さい画期的な某音楽事務所、新設する若いオーケストラ、音楽教室を持つ某楽器店、某音楽大学という様にどんどん広めて行こうと計画中です。

  大口会員;
大口に助成をなさって頂ける方。

改訂:
大口の助成、寄付金の場合国によって税制が多少違いますのでお手数ですが外国非営利団体への助成という事でご自分お税理士の方とご相談下さい。

名誉会員;
wienerコアラの会の発展の為に招聘した方

Yujiの友;
私(湯浅勇治)と過去交流のあった方、とにかく何はともあれ、私に助成、賛同して協力をしてくださる方。

会費とは別に、一年に何度でもいくらでも寄付として御助成頂ければ幸いです。

改訂:
経営コンサルタントの方で当面の資金繰り当会の年間約3000万円のアレンジに興味のある方ご一報ください。

世界のクラシック音楽界の発展の為に『Wiener コアラの会』へのご参加、ご意見とご尽力をあらゆる分野の方からお待ちしています。いい加減にネット上で批判したり邪魔をしたりする人を防止する意味でも、少ない金額ですけれども会費を徴集して真面目にこの事に取り組んで頂ける人と交流をしたいと思っています。

『Wiener コアラの会』への申し込み方法

ネット上で申し込み用紙を記入をして会費1口60ユーロ(何口でも可)を所定の方法で送金して頂ければ完了です。入会後世界共通音楽家名刺を作って頂きます。これは何度も変更が可能ですから最初から完璧に作成する必要はありません。

            
最後にもう一度、この文章を読んで怒りを覚えた方もいられると思いますが、誹謗中傷の為に書いた訳では決してなく、日頃からの歯に絹を着せない口調で書いた文章なのでお許しください。私の意見は忠実に書いたつもりです。御熟考下さい。
また再三再四のお願いですが、今まで現役で活躍されてリタイアされた方のお力が必要なのです。この先細りにある前途多難な日本の、いや世界のクラシック音楽界、発展の為には皆様方の頭脳、ノウハウが必要です。また、若い音楽家を目指す方には、必ず生涯音楽家で居る事を決心して頂きたいのです。
あとはこの文章を多くの方に読んで頂きたいので有りとあらゆる方法で出来るだけ拡散をお願いします。

この文章では日本の事ばかりを書いてしまいましたが、私のもう一つの狙いに、音楽文化継承を、音楽の都、ウィーンより広めたいという気持ちがあります。その為にこの会の名前を、『Wiener コアラの会』といたしました。

この会の会員募集に次の方々もお誘いしたいのです。
1、音楽を通じて、ウィーンを愛している人
2、ウィーンへ行った事のある人、これから行きたいと思っている人
3、ウィーンに住んでいる人、過去に住んでいた人
4、ウィーンで音楽の勉強をした人(大学、音楽学校、個人レッスン、短期間セミナーを問わず)
5、ウィーンで演奏をした事のある人
6、なによりもウィーンの職業音楽家の方々

この方々も仲間に入って頂き、ウィーン人との交流、世界的にウィーンを愛する人々へと輪を広げたいと思っています。会員の方々同士の交流が目に浮かぶ様ですね。
  
 指揮者の座談会について
丁度この間に皆様にお伝えしたい事が出来ました。
先ず先日TV番組で指揮者の皆さんの座談会で将来のクラシック音楽界の事についての話がありました。あのような場を作った事にはたいへん意義があると思いましたが、お話の内容等は残念ながら確信には触れていなかったと思います。その中ではO氏の発言には学びうるところがあった様に思います。皆さん現立場上での意見で、将来の職業音楽家の事を考えた発言が多かったように想います。私はもっともっと事は深刻になると思いますけれど、少なくとも、現在の職業音楽家だけの事ではなく、音楽に関わる人全体に提唱する様な事をこの立場の人がすべきではないでしょうか。次回があるならば、もっと突っ込んだ話をすべきだと思います。皆さんこのままクラシック音楽は続いて行けるという前提で話をしていましたが全然危機感がないですね。文化は放っていても自然と続くものではありません。ちゃんと見ていないとあらぬ方向へ行ってしまうと思います。考え方がちょっと甘かったと思います。何かコロナ禍を理由に規模の小さいあまり意味のないイベントが至る所で開催されている様ですが、関係者の方々はもう少し先を見据えて実行なさって下さい。


 マルクス・ガブリエル氏 について
この間一人良い事を提唱している哲学者がいらっしゃました。あるインタビューを見たのですが、マルクス・ガブリエル氏といって、倫理道徳資本主義を唱えていらっしゃいます。将来の政治、経済の在り方を説いた方で、現在では世界有数企業のアドバイザーをなさっていらっしゃいます。要はただ金儲けばかりをせずに倫理感、道徳感を踏まえて資本主義社会を構築すべきだと言っています。この方の経済的理念にのって、クラシック音楽界の将来を考えることは非常に興味深い事です。彼の偉業はここに書きませんので皆様方ご自分でお読み下さい。何度も何度も言う様ですが、ありとあらゆるジャンルの音楽関係の方々の一人一人の努力がない限りこの世界の10年、20年後は考えられません。今がチャンスです。伝統の継続と新しい探究、それに一人一人の向上心、日本から本場ヨーロッパに沢山の世界に通用する音楽家を送り出しましょう。その為の『Wiener コアラの会』なのです。

また、ついこの前こんな事がありました。私の側でウィーン留学をしていた子が日本へ帰国して2年が経ちました。残念ながらもうウィーン時代に習った事の7割ぐらい忘れてしまって日本仕様の音楽になってしまっていたのです。ウィーン留学は殆ど意味をなさないという訳です。残念です。これくらい環境によって左右されてしまうのです。

最近近しい方にこの会を立ち上げるのにどの位に資金があるの、と聞かれ全くのゼロから始めると言ったら信じられないと言われました。私は実力と信念を持ち続ける事が輪を広げたり理解者を増やす事だと信じています。この信念を一生続けるつもりで居ます。この事が私のクラシック音楽界から得た財産への恩返しだと思っています。

先日、ペトレンコが、最後のバイエルン歌劇場の仕事のシリーズとしてサロメを指揮し、私は健康上の都合で行かれなかったのですが、弟子の平塚が観て参りました。その感動を一生懸命私に伝えようとした時、彼は、ペトレンコが日頃私がレッスン中に言っている事と同じ様にそのまま指揮をして(オペラを指揮をする時は、右手でオーケストラ、左手で歌手を指揮をしてコントロールをする。歌手へのアインザッツは出来うる限り全てを行い、100パーセント歌手をコントロールする。これはオペラを指揮する際の基本中の基本であると私は自分の生徒全員に教えているのですが)それを確実にこなしオペラ全体を手中に納めていて、こんな完璧な指揮者と公演は見た事がないと言っておりました。ペトレンコはとにかく基本を外す事のない指揮者で、平塚は自分の今までの日本での勉強の曖昧さを反省をし、新たに世界的な指揮者になろうと私に誓いを立てました。私にとっては弟子が弟子に多大な影響を与えたと言う事で教師冥利に尽きるという事を味わらせて頂きました。
実はこれは環境と伝統と勤勉さが成せる技だと思います。
改訂:
この後平塚は自身の大学院の卒業試験でブリテンのオペラ 真夏の夜の夢 をペトレンコと同じ様に基本に忠実に指揮をして最優秀賞を貰いカーテンコールの際
太一コールで聴衆を湧き上がらせた程でした。卒業演奏会ではペトレンコ以来の感動を得ました。彼に話して彼の元で勉強させようと思っています。

今の日本ではこの様な環境が色々な面で揃わないと思います。こういう環境作りをしましょう。そしてクラシック音楽界の発展に導いて行きましょう。


 私の日本の弟子の方々へ

私は本来なら、弟子の方々に今回私がやろうとしているようなこの仕事を率先してやって欲しかったのですが、皆殆どが音楽を理想と現実との天秤にかけて、日本では現実の中でどう活動するかという選択肢をとった者が多い様です。結果として生きるに精一杯で他人に夢を売るなど殆どが出来ていない状態です。この中で成功をした者は20年前からあるやり方をして既存の音楽事務所に認めてもらってそこから仕事を頂くという形を続けています。これをこのままいくら続けても体制は絶対に変わらないし、この事は音楽界全般に言えます。
 弟子の皆様方も30代、40代、50代と人生で一番活動せねばならない時にたいした大望もせずにこれから後の人生同じ様に過ごすのですか。同じ方法をやっても体制は変わりませんよ。それでも現実の状態を維持する事を選ぶのですか。私の弟子であるのなら死ぬまで理想を忘れず追い続けて下さい。この事は、日本音楽界全体にも言える事です。今が改革をするチャンスなのです。皆様方の即日からの行動力に期待します。音楽家は一般の方に夢を売れなければ市民権は永久に無いのです。

私は日本に於ける問題をあからさまに書きましたが、実はこの問題は、ウィーンでも世界でも同じなのです。音楽界を牛耳っているマネージャーとそれに加担をしている人により犯されていて、伝統も伝授もあったもんじゃない。とにかく今のクラシック音楽経営者陣はあってはならない方向にクラシック音楽業界全体を導いています。ウィーンでさえそうですよ。国立歌劇場、ウィーンフィル、ウィーン芸術週間、ウィーン音大、これにザルツブルグを始め殆どの音楽祭、歌劇場、オーケストラでこの問題が起こっています。これを良い状態にするには、今の経営陣を刷新するか、考え方を昔ながらの方向に戻すしか無いのです。彼等は経営のノウハウはよく知っていても芸術、伝統は二の次、とにかく採算第一、それにあわよくば余裕があれば文化、芸術の事を考えると言った感じなんです。
2022年の元旦にザルツブルグ音楽祭で100周年記念の公演としてモーツァルトのドンジョヴァンニの公演がありました。はっきり言いますともう世も末ですね。クラシック音楽界の牽引者であるべきのザルツブルグ音楽祭でこの様な公演を当たり前の様にやられたら、本当に末期症状としかいえません。演出、演奏共にクラシック音楽界250年の歴史を一瞬でぶち壊してしまう程の酷さです。時代考証全く無し、演出家と指揮者による自己満足の世界、オーケストラの汚い音、モラル、道徳、文化何も感じる事は出来ませんでした。30年前のカラヤン、ベームの時代にザルツブルグの音楽祭を観る事が出来た私は幸せ者でした。この公演を最初に観た方は二度と高いお金を払ってサルツブルグには行かないと思うでしょう。皆様方も是非ご覧下さい。皆様方の現在の文化度を自己判断するのに良い材料だと思います。
この様にヨーロッパ全体の8割以上の職業音楽家は、音楽界を牛耳っているマネージャーとそれに加担をしている人間達の下でだいぶ理想の形とは変わってしまった音楽をやっているという現状の部分があるわけです。  
この様な事情の打開策として『Wiener コアラの会』を立ち上げた訳ですが、私の一番の狙いは、この運動を日本より始める事です。というのは、過去どの時代も、クラシック音楽に限らずどのジャンルにおいても、ヨーロッパ、アメリカが中心で、日本、アジアがそれを追うという考えなのです。どうせ日本人、アジア人には文化など解るわけがない。とぐらいにしか考えていません。ウィーン、ヨーロッパでも自国のクラシック人口が大幅に減少しているのです。ですから国家の援助も大きく減少しているのが実態です。ちょっと頭のいいマネージャー達が彼等の利益ばかりを追う様に全体が動いていってしまうのです。
黄色い豚 という言葉をご存知ですか。これはヨーロッパ人から見たアジア人の事で要は奴隷の様に蔑んで使う言葉です。私はヨーロッパで何度も嫌な思いをしてきましたし、それと闘う意味でアジア人中心に指揮者コンクールに入賞させ、日本の斎藤小澤指揮テクニックをウィーン、ヨーロッパに拡めたりしました。一時期ヨーロッパで指揮のテクニックを習うならウィーンのユウジに習えとまで云われるようになりました。並大抵の努力ではなかなか出来るものでもありません。
要は、今日本に於いて、正しくクラシック音楽の文化、伝統を保存しつつ発展させる事を、今クラシック音楽に携わっている人達が将来の音楽界に対する理想的な運動として始めるならば、日本人の勤勉さ、国力を持ってすれば、次世代にはウィーン伝統の音楽を日本人の力で正しく伝統文化を受け継ぐ事ができ、クラシック音楽の歴史の中でその偉業(日本人の大きな参加と援助)が残り、単なるヨソモノで無くなり、ウィーン、ザルツブルグをはじめとする音楽祭へ音楽家を定期的に送る事というようなことも達成できると思います。これらの事を実現したく皆様方一人一人の援助と努力をお願いするものであります。単なる黄色い豚ではなく、ヨーロッパ人が稼ぐ為だけの日本ではなく、クラシック音楽界の伝統文化をヨーロッパ人よりも正しく伝えていく歴史上重要な役割として、日本の存在を刻みたいのです。それを始めるのに今が一番良いタイミングだと思います。

『Wiener コアラの会』としての活動を幾つか考えてみました。
まず大変大事な事ですが、当会は非常に真面目な会でクラシック音楽界の将来の発展を最大の目的にしていますので、この目標に則った上での意見交換は大いに結構です。ただし、ネット上での誹謗中傷はもってのほかです。意見を載せる際は必ず実名で、反対意見などを言う場合にもその理由をはっきりと書いて頂きたいのです。

改訂:
とにかくどのジャンルの話でも議論は大いにでも結構です。会員がご自分達で企画をし月毎に討論をするテーマを決めてその意見を出し合う事やズームによる討論会などを実現して頂きたいのです。

先だってNフィルの演奏会後に指揮者の事でTwitter上で、聴衆者、演奏家、それにその賛成者、反対者、楽団を含めたトラブルがあった様ですが、意見を交わすこと自体は大いに結構ですが、それを必要以上に他人へ広めたり実際の問題とはかけ離れた事で問題を大きくしてしまった様です。ですから私は意見をする方ははっきりと実名で自分の身分を証し責任を持って自分の言葉で意見を言って欲しいのです。これがこの『Wiener コアラの会』での掟です。
次に皆様方の研究発表の場を作ろうと思います。子供騙しの様な物でなく歴史に残る様な出典を希望します。またこの機会に、ウィーンのクラシック音楽を知る上で忘れてはいけない名著、ハンス・スワロフスキー教授の指揮者の為の本(ウィーン音大指揮科でバイブル的存在の本で、これによって、アバド、メータ、ヤンソンス、ペトレンコ、(私)が育てられた。)の日本語版を『Wiener コアラの会』の企画の一つとして、来年中には出版致します。
また、特にご年配のクラシックファンの方でクラシック音楽界へ何らかの寄贈を考えている方へのお手伝いをします。(先ずは『Wiener コアラの会』へ寄付して頂けると嬉しいのですが(笑))
例:個人的なスポンサー、出版事業等、留学生の渡航費用 等
また交換欄を設け、売りたし、買いたし、探し物、質問、困った事等の掲示をします。
海外、国内の市場への新しい方法での音楽家紹介。
とにかくいろいろな事の出来る団体作りをします。

文化遺産である音楽資料の保存について

たまたま昨年日本に帰国した際にネットオークションで中古のCDを多量に買ったのですが、最初は自分の自分の収集癖の為と、それから自分の指揮者の弟子の為にと考えていたのですが、量が多くなって約3900枚程買ってしまい、自宅にも置ききれなくなって、これを地域の文化向上の為に使えないかと考え、千葉市の稲毛という町の中で地域にクラシック音楽を普及しようと頑張って私設の稲毛音楽堂という小さなホールでコンサートを催していらっしゃる吉岡さんという方にこのCDを寄贈し、地域の特にご年配の方、これからクラシック音楽に興味を持って貰えそうな小中高校生達のために、私設CD図書館を開設しようとしています。題して『稲毛・ウィーン コアラの会 CD図書館』です。CDを地域住民の方に貸し出して、その返却時にCDケース中にその曲の演奏コメントを書き残すシステムにしようと思っています。(実は図書館の開設を次回来日時にすぐ実現するつもりでいたのですが、ついこの前集中豪雨(台風10号)で家に保管をしていたCDの一部が水に浸かってしまい急遽移転させたり大変でした。家の方も被害甚大で改築した部分の茶の間、台所、風呂場、階段、物置部分が壊滅的です。その上母家部分の屋根総張り替えという事になってしまいました。こういった惨事にもめげずに私設CD図書館や『Wiener コアラの会』実現に向けて努力を続けるつもりでおりますので応援して下さい。お願いします。)

私はこの事を考えているうちに、次の様な不安な気持ちに襲われてしまいました。私の死後私の膨大な音楽資料はどうなってしまうのだろうかと。何も遺言を残していなければ、適当にブックオフの様な中古量販店に二足三文の値段をつけられ後は処分されてしまうのではないかと。実際私が去年中古で購入したCDは、3900枚全部で150万円程でした。一枚あたり384円となります。
私が言いたいのは、その昔一生懸命にお金を貯めて買ったCDやレコード(当時2300円)が今やその1割5分の値段で買えてしまうのです。中古買い取り業者の価格ですと100円以下の価値にしかならないのです。同様にウィーンでも中古レコードが1枚あたり1ユーロ(130円)で購入出来ます。一瞬嬉しいですがフルトウェングラーの名盤の価値が130円の価値しかないと思うと複雑な気持ちになってしまいます。著作権法の問題も含めてクラシックCDレコードをダメにしたのがこの価格破壊が大きな要因であると思います。何らかの方法でこの業界の復帰、或いはYouTubeを含めた新たな録音媒体に対する料金システムを考えるなどしなければなりません。変に無料化したり、意味もない団体に著作権料を払わされたりするのではなく、根本のシステムを整え、無尽蔵な料金ではなく正しい価値に適した共通の支払いシステムを作ることがこの分野の発展を導くと思います。

改訂:
国会議員の方宜しくお願いします。
あそうそう忘れないうちに、国会議員の方々も是非に wienerコアラの会へご入会を頂き活動欄にて皆様方のご尽力の程をご報告頂きたいと思うし、ご知人方への勧誘、拡散を宜しくお願いします。特に当会の為に団体会員、大口会員を宜しく。

また年配の方で私の様に貴重な音楽的資料財産(CD、レコード、楽譜、楽書、FM録音、テレビ録音等)をお持ちの方、また大量に処分をなさりたい方、音楽家のご遺族の方へのご提案なのですが、私が今回地元のクラシック音楽界の底上げ運動に協力したく考えた事ですが、私にはまだまだウィーンにも日本にも膨大な資料があります。私はこの資料が私の死後無駄なものとして簡単に処分されるのを恐れ、『Wiener コアラの会』の中で後世に残したいと考えています。そのための良いシステムをこれから考えていきますので、皆様方も大切な音楽資料を後世に遺す事をお考えください。中古屋へ安く売り捌くほど愚かな事はないと思います。この音楽資料を大切に後世のクラシック音楽界のために貢献させる事も、音楽界発展の為の要素であると信じています。必ずウィーンコアラの会で良い方法を考えますので安易なご処置はおやめください。お願いします。これを世界的に拡げるつもりでおります。
 
この件の実現に向かってwienerコアラの会ではスペースを設けて先ずは重要な音楽家特にウィーンのクラシッ音楽界に貢献した方のオーケストラスコアを保存して後日はご要望が有れば会員の方にはWEBSEIT上で閲覧が可能な様にに計らいます。
現在の処
ペーター・シュヴァルツ教授(元札響音楽監督)
カール・エステルライヒャー教授


次に重要な音楽資料を集めるのに高校のクラブ活動を利用するのです。野球部や吹奏楽部の様に「クラシック音楽部」というものを作って頂きます。顧問には音楽専科の教師が担当をし、クラシック音楽を聴きディスカッションをするクラブですが、先に述べた歴史的音楽資料を寄贈という条件で一般の方々から集めて整理をして保存をし、学内、ゆくゆくは地域住民の為に貸し出し、音楽資料図書館の機能を持たせ、クラシック音楽の普及と地域社会への文化貢献として貴重な音楽資料の収集と保存に努める。先ずは私立の校長、理事長の理解を得て、彼らの力によって、教育委員会、公立高校へと輪を拡げる。立派な地域文化活動となると思います。

改訂:
またこの資料が膨大になった際、特にCDは刑務所内の受刑者の人間更生の為に刑務所内にクラシック音楽CD図書館を作り、CDウォークマンを大手電気メーカーより特注+寄付をしてもらい受刑者が出訴後人間更生をしてクラシック音楽ファンとなりコンサートへ通う。理想のクラシック音楽の使い方ではないですか。それにこの方法はそんなに経費が掛かりません。国会議員の方だったら法務省に掛け合って直ぐにも実現出来そうなきがするんですが。


やや衰退したウィーン芸術週間、クラシック音楽伝統な音楽祭の通常復帰

実はウィーン芸術週間では毎年5月、6月の2ヶ月間芸術週間主催のクラシック演奏会が毎日のように開催されていたのですが、2017年以降現在まで全く様相を変えこの主催形式がほぼ消滅してしまいました。私はこの実情を調べまた古き良き時代のような芸術週間の復活の運動をしようと思っています。


皆様の私的音楽アドバイザー
これはまだまだ思案中ですので確実に実現するするかどうかわからないのですが、要は音楽家をはじめとする『Wiener コアラの会』の会員の方のみの個人的音楽アドバイザーに私がなるということです。
内容と言いますと 
 -1、将来の相談。大学、留学、職業、研究、コンサート、活動方法、教育方針、勉強方法とありとあらゆる音楽に関する相談を、永年のあらゆる分野との繋がりと経験を持ってじっくりと受けさせていただきます。
 -2、『Wiener コアラの会』の一つの目標である新機軸のミュージック・エージェント構築の為に才能ある世界に通用する若手演奏家の発掘と教育の為に、音楽家名刺を駆使してその存在を世界的に公表します。先ずはその才能を探し出し、ネット上で出来うる限りですが、ヨーロッパで通用する音楽家になるためのアドバイスをします。

その為に必要であるならば、音楽レッスンと音楽家としての今後についてアドバイスをします。私の健康状態の関係で多くは出来ませんが、効果が上がるだけの事はしようと思います。なおどんな方にでも時間が許す限りは実行するつもりでいます。1、2、の事は原則としてMessengerを使い直接電話、或いはFacetimeやZoomにて行う予定です。レッスン代相談料は一切頂きませんので、会費1口分を『Wiener コアラの会』の運用資金としてご寄付頂ければ結構です。

世界共通の演奏家名刺について
個人データベースとして所定の用紙に記入して頂くところは全く同じですが、それとは別に、専門家やマネージャー業界の為に、補足として一般に出回っている様なフライヤーや、履歴書+広告の様なものの添付、他のWebサイトへのアクセスも簡単に出来る様にし、この掲載の為のアドバイザーも常備します。お気軽にご相談下さい。現在では翻訳プログラムも非常に進歩しています。うまく使って世界的なコミニケーションへ参加してください。

改訂:
経済面について
2月15日よりコアラの会の運営を始めてみた結果、思ったより運営活動金がかかる事がわかりました。2月の当会開始までに私の準備予備金(約600万円)の殆どを使ってしまうほどでした。という事は、1年間に換算すると諸経費人件費を考えると年間で最低でも約2500万円位の予算が必要です。当初の予定では、なるべく会費と当会の主旨に賛同してくださる大口会員の方の力だけでの集金を考えていたのですが、それだけでは無理そうです。ちなみに会費のみの運営だと、年間で最低でも3500人の会員が必要です。結構経営が大変だという事を思い知らされてしまいました。皆様方もたくさん同志を集める事にご協力下さい。この『Wiener コアラの会』を通じて良い繋がりや恩恵を得た時に、寄付金という形で皆様方の判断で寄付をお願いしたいのです。宜しくお願い申し上げます。

今年はウィーンに居りますので、テレビからですが、大晦日のこうもりとウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴きました。毎年恒例の行事なのですが、本音でお話しします。
まずはこうもり、毎年のメンバーからすると歌唱、演技、アドリブ、全ての面で水準以下。オーケストラの演奏面でも、演奏に粋さを感じ得ず、指揮者も真面目さは出ているものの、コロナ禍で観客の大半がオーストリア人であるはずなのに、喜歌劇であるにも関わらず会場から笑いがほとんど出ない。演出の基本は昔のシェンクのものなのですが、本人が演出を行っていない為にありきたりとなっていました。とにかく手を抜いているか、劇場側の手配の悪さを非常に強く感じた公演でした。私が聴きに行っていたならば、間違いなく途中で帰っていたでしょう。主催者側としてあってはならないことです。ドイツのBクラス劇場の出来と言うところです。ウィーンであるまじき一夜でした。内部関係者によると、根本の問題は、新任の、演奏家、スタッフの人事権を持つ、日本でいう演奏部長(事務局長)の采配で、もう半年以上問題ばかりということです。いくらオーケストラ、合唱団が練習してもこの方法では良い結果は生まれないというのです。最高峰であるべきウィーンでも、日本と同じ様な有様です。
この文章の中に書いてある様に、世界中の20人くらいの音楽マネージャーが自分達の利権によって演奏家を牛耳っていて、其れを真似した良い例ですね。世界中でこの問題が起きているのです。だから私が改善のための提唱をしているのです。
さて、元日は恒例のニューイヤーコンサートでした。今年はバレンボイムの指揮で開催され、良い感じで始まったのですが、段々と活気の無いコンサートになってしまって残念に思いました。皆さんお聴きになってどう思われましたか。これにも原因があります。まずバレンボイムは、高齢80歳での参加でした。彼の場合、指揮者としての技術の根本が高齢と病気明けによって残念ながら正しく機能していないこと。人は歳をとるものです。彼は最高の音楽家ですよ。でも老齢の為にオーケストラコントロールの基本が既に出来なくなっている感がありますね。。残念で仕方がありません。高齢者運転免許返上の時期なのですかね。他の曲目ではまだまだいける可能性があると思いますが。

改訂:
日本でも似た様な事が起こっている様です。人間歳は取るものです。引き際は肝心だと思います。

しかし、今回はオーケストラの側にも問題があります。ここから先は専門的なものの為に音楽家の皆様方注意をしなくてはならないところです。
ウィーンフィルはこのところ楽団員の構成が大きく変わりました。楽団の演奏伝統維持を第一としていた昔のようにウィーン人男性のみではなくなり、ウィーンで勉強したオーストリア人→旧オーストリア帝国の出身者→ヨーロッパ全土→世界中→女性も含む、というように技術第一主義としてこの30年間でどんどん変化してしまったのです。現在では全楽員の4割以上が外国人であったり女性であったりするのです。要は普通の他のオーケストラと差が無くなってきているということです。音楽上の根本の部分は楽団に入ってから仕込まれるのです。血統が純粋ではなく、混血状態なのです。色々な事を伝承するという意味では随分昔と意味合いが変わって来ました。ウィーンの伝統を知っている人にとってはちょっと悲しいことです。特に謙虚に現れることは、伝統のウィーン風ワルツの3拍子についてです。非常に微妙な部分ですが、既にウィーンフィルも外国のオーケストラ化しています。あの絶妙なタイミングでは無いのです。私はウィーン音大指揮科の生徒にウィーンのワルツの基本を教えていましたから、このことについてはハッキリと断言出来ます。
ボスコフスキーの時代までは、指揮をする人、コンサートマスター、団員達、全ての人間がウィーンで育って勉強していたので、変なワルツのリズムになる筈がありません。現在では新旧の楽員達がが入り混ざっていて(因みにボスコフスキーの時代からの団員はもう居ません)、殆ど一年間で今の時期しかワルツの演奏もせず、ニューイヤーコンサートに出演する指揮者のほとんどが外国人というのが実情です。本当に伝統を持ち続けることは大変難しく、伝統を止める事は簡単なのです。

一つ良い事は来年のニューイヤーコンサートはオーストリア人のウェルザー・メストの指揮であることです。彼はウィーンの伝統を継承できる唯一の指揮者です。これを機に国立歌劇場音楽監督への復帰を期待します。

以前ニューイヤーコンサートの日本実況中継にゲストとして出演した人に羽部真紀子さんが居ります。彼女は現在ウィーンの由緒あるダンス学校でオーストリア人相手にウィーンの伝統的なワルツを中心とした公式舞踏会に生徒達が出場出来る様、ダンスだけでなく身のこなしやマナー、歴史、文化との関係等全般の教鞭をとっています。本年度中には、アジア人では初となるTanzmeister (昔でいう親方)という名誉ある称号をオーストリア国家から授与される予定です。そうなると彼女はヨーロッパで自分の舞踏学校を作ったり自分の舞踏会を催したり出来るのです。凄くありませんか。実は彼女は私の弟子で、女流指揮者です。東京藝大指揮科卒で、ウィーン国立音大留学中に舞踏の道へと進みました。今後は舞踏、指揮の両方を生かしてウィーンのワルツの伝統を護り続けて欲しいですね。日本で鹿鳴館時代を思わせる舞踏演奏会を催して貰いたいです。期待しています。

また良い事として、YouTube上の激選クラシックチャンネルを配信しているナコさんの行跡を知りました。クラシック音楽の普及に対する努力や、企画、台本、撮影、編集を出来るだけ一人でやっていること、配信している内容に対する勉強の度合いを見て、大変良いことだと思いました。彼女もこれからは文化を継承していく人なのです。クラシック音楽の発展の為に責任を持って今後も活動を続けて下さい。アマチュアだと言って責任逃れはだめですよ。

改訂:
ナコさん、前よりやや勉強が薄くなりつつあります。ヒットばかりを気にせずに音楽ファンを正しい方向へお導き下さい。

また著作権の問題で日本コロンビアとの良い関係を作り、クラシック音楽の発展にブレーキをかける現在の悪法、著作権法の改定の為の第一歩として アッパレです。現在の一般公共放送でのクラシック音楽番組の程度の低さ、内容の無さに比べるとアマチュアのあなたが行なっている事の方がずっとクラシック音楽の将来の為になっていると思います。一度コンタクトを取って話をしたいものですね。


さて他にもYouTube上で何人かの方のチャンネルを観ました。色々工夫をなさっていると思いますが。皆様方次のことをお考え下さい。公の場面に物事を表出するということには、責任があります。現在のYouTube上では、表現に対する規制がないほぼ無法地帯となっております。いいですか、文化に関する問題は、責任を持って掛からないと曲がった方向へ人々を導いてしまう恐れがあります。メディアが多少はクラシック音楽に興味を持っているこの時期こそ、皆様方のYouTubeがこれからのクラシック音楽会の発展に与える影響は大きいのです。ご注意ください。お願いします。

最後に嫌な話です。毎年2月に、東京で都民芸術フェスティバルという伝統的なイベントが開催されました。元来は、この期間中は安価に在京のオーケストラのある程度の格式のある演奏会が聴けて、指揮者も定期公演常連組が担当しているという、良いクオリティーのイベントでした。殆ど都の財政で賄わられるため、チケットが大変安価でクラシック初心者でも気軽に購入できました。唯一東響だけが若手の為の登竜門としてチャンスを与え、練習時間も3日間と定期公演並みの待遇で臨んでいました。
ところが、今年はどうでしょう。定期公演クラスの指揮者が1人、名曲クラスが1人、他全員がまだ名も無い若手ばかりです。都からの予算はそれ程多く無い筈ですから、安易にコスト削減の為の策を打ったと言うわけでしょうか。しかも、練習は殆どが1日だそうです。オーケストラ事務局の皆さん。聴衆をあまり馬鹿にしないで下さい。甘く見ると、クラシック音楽ファンがまた減ってしまいますよ。こんな杜撰な企画をするならば、知人を介して都知事に進言をして予算を止めて貰いますよ。これは脅しではありません。二度とこんなことが起こらないように真面目にお考え下さい。
この様に、どうも現実問題として世界中至る所でクラシック文化向上の為の行動に問題がある様です。こんな事が起こらない様に活動するのが、『Wiener コアラの会』なのです。

改訂:
因みにウィーン響の練習と演奏会の関係は、通常3日練習、ゲネプロ、3公演、ウィーンフィルでも3日練習、ゲネプロ(公演)、1〜3公演を全て同じホールでという原則を守っていいます。
コレは日本のオーケストラとはだいぶ違いますね。商業採算主義か、演奏第一主義か、要は文化人か音楽屋か、聴衆を馬鹿にしているか、していないかの違いじゃないですか。興味深い事です。
詳しい日本のオーケストラの実情ははオーケストラの項で書いてありますのでご参照下さい。

追伸
この『Wiener コアラの会』のドイツ語版の開設とウィーンサイドが軌道に乗った時に、湯浅指揮セミナーを千葉市の稲毛で開催しようと思います。現在指揮者の方、指揮者になりたい方、指揮の活動をなさっている方は是非ご参加下さい。今後の活動方法、勉強方法など個別に徹底的に助言させて頂きます。興味のある方の聴講も歓迎いたしますが、会場が小さいので実際に聴講できる方には日程的に制限があるかも知れません。その節はまた発表させて頂きます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。これを機にクラシック音楽界の発展の為に御尽力お願い致します。

敬具

2022年5月30日 ウィーンにて

湯浅勇治安倍元首相襲撃事件が起こったこのような時期で申し訳ありませんが、政治家の方が文化を通じて節度と関心を持って国民に接せられる事を願い、こんな文章を書いてしまいました。

秘書の方々へお願い

日頃よりのお仕事ご苦労様でございます。今回は直接に議員先生方に書いた文章ですので、秘書の方々のところで握り潰さずに必ず先生に読んでいただける様にご助力をお願いします。読み易くプリントアウトするなり宜しくお願いします。
出来れば短くても結構なのでご意見をご返信頂ければこの上なく有り難く存じます。宜しく御計らい下さい。
また秘書の方もお読みになって頂きたいですし、地方議員の方、お知り合いの財界関係の方々でクラシック音楽に興味のある方、文化貢献にご興味のある方へもご送信、拡散をして頂けたら幸いです。
以下のリンクより本文章のPDF及びワードのデータをダウンロードいただけます。
https://drive.google.com/drive/folders/18aV4yJPwUp0DZhi_3vekEpprNYP0yRXd?usp=sharing

本文に入る前にロシア、ウクライナの戦争について
 
私は政治の事をとやかく言うつもりは毛頭ございませんが、この問題はこのままいくと本当に長期化してしまうのではないでしょうか。私にはウクライナ、ロシアを合わせて100人程の音楽家の知人がおりますが今殆どの安否すら解らない状態であり、国際的音楽活動なんて皆無に等しいです。ロシア、ウクライナの優秀な演奏家がヨーロッパ、アメリカ、日本等で演奏出来ないのです。この行き来が無いだけでクラシック音楽界の衰退が進んでしまうのです。オーケストラの音楽興業もロシアと多国間では全くの皆無です。政治の力で何とか成らないもんですか。
それに気を付けないと、NATO側は良いですが、ロシア側に中国や北朝鮮、アフリカ、中南米の共産主義国が同調したら先ずは経済戦争が、そして直ぐに簡単に武力戦争になってしまうでしょう。次のターゲットが北海道である事は皆様方ご存知の通り明らかですよね。その際、我が国の自衛隊は隊員殆どが辞めてしまい、我が国の志願兵は0、アメリカをはじめNATO諸国、ましてや他のアジア諸国の武力援助は無し、1週間で北海道は占領されてしまうでしょう。こちらの方がウクライナより簡単に実現可能でその後戦後処理の際、ロシアは今よりも強い権限で世界を相手獲った交渉が互角に出来るのではないでしょうか。危険ですね。でも有りうる事です。ヨーロッパは絶対に日本を助けないですよ。お忘れなく。

この文章を読み始める前に今の現状について知って頂きたい事を述べます。
コレは誹謗中傷でなく現状なのです。

後日書き足し:
先日誹謗中傷の件について新しく法律が改定されたようですが、不特定多数の誹謗中傷をする人を取り締まる事で言論の自由に制限がかからない事をお願いします。議論、意見の主張が存在する所では当事者が誹謗中傷を考えていなくても相手側の捉え方でどちらにでもなってしまいます。少なくとも私は誹謗中傷は一切しておりません。事実だけを正確に伝えているつもりです。
また持続化給付金について色々な詐欺事件が発覚している様ですが、このシステムの悪かったところは迅速な交付を目指した為に、後日役所ではなく第三者機関が交付の判定をしたところにあります。因みに一般音楽家では多数の方が受領されております。情報によりますとネット上で確実に受領出来るノウハウ等飛び交っていたらしいですよ。自由芸術家や自宅音楽教師など良きも悪しきも受領者は結構な数います。不正が見つかったのは、氷山の一角でしょう。国の機関がもう一度受給した人全員から提出された書類のコピーを集め再審議をすべきだと思いますが、国側のミスである為に支給取消し交付金返納は出来ないですね。私の思うに少なくとも2割ぐらいの方は不正に交付されてしまったと思いますね。ですからある一定の方だけを責める事や交付金返納なんて絶対にしないで下さいね。お願いします。


クラシック音楽界に関わる人々の状況

1、私的、公的の音楽団体に所属している大半の音楽家
現状維持で満足はしていないものの、波風を立てたく無い。経営側からの圧力を恐れて自由に意見が言えない。殆どの人がこれに属する。事なかれ主義、日々のオーケストラ演奏と教える事以外の文化向上の為の研修研鑽をあまりしない。文化人としての自覚が少ない。クオリティが低い演奏にも甘んじている。演奏に対する意見が経営陣に反映されない。演奏会が演奏家でなく経営陣の方針で左右され過ぎている。つい先日もこの事を実証する様な事の報告を受けて唖然としてしまいました。
2、私的公的音楽団体の経営側 
第一に現状維持型、採算重視、芸術上の追求は二の次。聴衆を軽んじていると思われるコンサート。誇大広告と思われる宣伝。
3、個人演奏家 
誇大広告の割には実力が伴わない日雇い的な仕事。文化的ポリシーが余りにも無い。
4、教育関係 
大学を始め大半の教師の文化に対する勉強不足。教育システムの悪さ。世界的音楽家が育たない環境。経営方針による教師への圧力。
5、学生 
音大受験迄の勤勉さに比べその後の怠惰な勉強。実力に合わない名声ばかりを追求。
6、一般聴衆、アマチュア音楽家 
一番被害を被っている。必要以上に高いチケット。誇大広告やYoutubeなどに惑わされ易い。要は文化に対する正しい知識を得て、いい加減な音楽家に惑わされない事。この層が一番音楽文化的な改革にとって重要。とにかく良い文化的見識を身につける事。怠惰な音楽家の区別がつく様に。
7、マスコミ、その他の音楽関係業務の方 
文化向上が第一の方針であるべきであるが、そうでない。

これらの問題は皆、クラシック音楽という伝統文化を継承、精進する気持ちがない事から起こっています。まずは全クラシック音楽に関わるの人々の心構えから改良しなければならないでしょうか。
このあたりがクラシック音楽文化の現状です。酷いもんでしょう。みんなただ黙っていたのです。誰も勇気を持って言い出す人がいなかったのです。そうしたらこんな状態となってしまいました。改革は問題だらけで前途多難です。
では細かくお話を進めましょう。


(国会議員の方へ)
これより先の文章は、音楽関係の方への現状、お願いが中心で書いたものなので専門用語があったり読みにくいとは思いますが、この文章で現在のクラシック音楽界の状態をほぼ8割方正確にご理解頂けると思います。出来るだけ最後までお読み下さい。宜しくお願いします。

改訂:(新たに改訂した部分)
国会議員の方々にご理解頂きたくこの文章を改訂致しました。これより先の部分は去年1年間かけて作った文章の改訂版です。一度読んだ方も是非もう一度お読み下さい。
この後日本の経済界の重鎮の方々にも読んで頂こうと思っております。
さて2月15日に日本語版で旗上げしたWiener コアラの会ですが、この間いろいろな事を学びました。
まずは7月上旬のドイツ語ウィーン版の開設を契機にいろいろと改善をしていこうと思います。
後から知った事ですが国会議員の方で構成されている文化芸術振興連盟というものが存在するのですね。また会員も衆参合わせて約200人程と強い味方がいらした事を嬉しく思いますが、私は皆様方の耳にはなかなか入らない実情をお話ししようと思っています。


改善策

まずWiener コアラの会の運営にあたり余りにも理想が強すぎた為に、会員の方、これから会員になろうかと興味を持って頂いている方々はやや萎縮なさっているところがあると思います。実はこの文章は今の日本クラシック界のありとあらゆる問題点、恥部、弱点を明確に表したもので、長所良点を極力省いて記載しております。第一稿は約17000人程度方に読んで頂いたのですが今回は一年をかけて出来るだけ一挙に1300万人のクラシック人口の殆どの方に読んで頂ける努力を致します。問題意識を感じた皆様の一人一人が該当する部分を直して頂いたり注意をなさって頂くだけで日本のクラシック音楽界が少しでも良い方向へ進むと考えて書いたものだとご理解下さい。
人によっては暴露本と間違える方もいらっしゃると思います。そのつもりは毛頭無くクラシック音楽人口の1300万人の方一人一人の小さい努力がクラシック音楽界の発展に直接つながるのだとご理解を頂き、むしろ私の頭では浮かばない長所良点の伸ばし方をご教授頂きたいのです。私の書いた事をひとつでも行動してみてそれによって少しでも良い結果が出来た時、ゴリヤクがあったとしてその後コアラの会に入会頂ければ、全体に少しでも運動が進み、私にとって嬉しい限りです。また立場上本会に入会しづらい方にはアカウント名のみの会員登録も受け付けます。またこの運動にただ資金援助して頂くという形でも大変有り難いです。そして是非拡散をお願いします。これによって少しでも会員を増やすことが出来ると思います。とにかく改革は一歩一歩着実にです。そうお思いになってこの文章をお読み下さい。お願いします。
色々と真実を知って頂きたいのはやまやまですが、これを実行なさるのは皆様なので少しずつ勇気を持ってお試し頂き、そして新しいアイディアのご提示をお願いします。音楽は楽しまなければいけませんが、それには、文化を守る為のルールと努力が必要です。要はこのクラシック音楽界の発展と経済的な安定が理想の状態に近づけばこのクラシック人口の減少を防ぐ事が可能だと思います。

勇気がなく本音の言えない音楽家と勉強をしなくてカッコばかりを気にしている日本のにわか芸術家、勉強しない学生、伝統を知らずに薄っすらな研究と知識で教えている大学教師を含む音楽教師の方々、もう一度ご自分の現在の活動を考えて下さい。皆様は芸術家であって芸術屋では無いのです。お間違えの無い様に。

どうしても私は文章が硬くなってしまいますね。音楽を演奏したり聴いたりする事は本来ならば、楽しむ事、好きになる事が第一ですね。でもこの特に数ヶ月間の間に見聞きしたことによると国会議員の方に知られてはちとまずい程このクラシック音楽界は曲がっているんです。全く誠実ではありません。この原因は300年も続いている伝統の文化の継続と楽しい文化として発展させるという考えが共存していなく、音楽界の主流が現状維持、誰かがやる、事なかれ主義、人に誹謗中傷されたく無い、という行政係官の様な空気が充満しているためです。何人かのウィーンで勉強した人間に帰国後の日本の状態を聞くと悲惨なものですよ。後で何を言はれるかわからないので彼らは自分自身で本心が言えないのです。言えば職を失います。彼らは常に怯えています。
因みに今日本の音楽界で現存するオーケストラやその他の団体、音大を含めた学校の教師、学生、個人教師を含め本当に日夜自分から勉強して鍛練をしている人は実は10パーセントもいない様ですね。要は仕事としてこなして糧を得ているばかりです。そんな現状をコントロールをするものも無し、音楽界を牛耳っているのは文化継承とは全く程遠い経営陣であって芸術家でないのです。でも弱い音楽家はお金を持ってくる経営陣の言いなりで、良く無いものにもあたかも良いふりをして我慢をしているのが現状です。その人達が演奏するものを聴かされているのが一般聴衆です。曲がったものを恰も良いもののようにそれに宣伝をして皆んなで黙って高価なお金を取ったり払ったり、本当にある意味では滑稽な無法地帯ですね。これに今ではYouTuberの進出です。益々破茶滅茶ですね。でもコレが現実です。ああまた文章が暗くなりました。
こういう事を含めて改革をしたいのです。

因みにここでウィーン版のWiener コアラの会の設立文章をご披露しましょう。まるで違いますよ。本来はこういう文章を考えていました。

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ドイツ語版、新しい日本語版
遂に活動を開始する
『Wienerコアラの会』発起人よりご挨拶

2022年6月4日版

Wiener コアラの会代表の湯浅勇治です。
2月15日に日本で始まったWiener コアラの会がようやっとウィーンでも開始されます。最初の計画時より約3年をかけての開設です。当初の考えより要望が大きくなりなかなか一度には実現できませんが会員の方々と一緒に少しずつ実現していこうと思います。

まずは、過去30年の間ににウィーンで勉強した方々、現在の学生さん、ウィーンでお仕事をなされた方、ウィーンにお住まいで会った方、ウィーンを愛してる方々、そうそう大事なのはウィーンのクラシック音楽の大好きな方々を中心にお声をかけ音楽家を中心に一般聴衆、愛好家とにかくクラシック音楽に何処か関係したり大好きな方々とwebサイト上で繋がり交流を作って色々意見を交換したり、昔の交流を呼び戻したり、新たな繋がりを作る機関として始める予定でいます。一応意見交換の際、出来るだけ実名提示と個人情報厳守の意味で会員制とし安心して交流をして行こうと思います。とにかく交流が第一なのです。この為にwienerコアラの会では会員の方に自由に会内で色々なものを企画したり、zoomによる懇談会等を企画しています。先ずはお誘い合わせの上ご加入下さい。
この団体は非営利団体(Verein)として2021年8月に認可を得ています。会員制としまして、ネット上での誹謗中傷、個人情報漏えい防止の為に会費制を取らせて頂きます。年会費は60ユーロを一口とし何口でも結構です。この会費は事務所の最低限の運営費、最低限Verein幹部以外の人件費のみに活用させて頂きます。60ユーロとしたのは1ヶ月5ユーロコーヒー一杯分を我慢して貰う金額としました。また東欧、ロシア、ウクライナの友人にも入会出来るように考えた次第です。
 
まずは私からのお願いですが、
皆様方の交流の為に音楽家も音楽家以外の方も自己紹介を兼ねた音楽家名刺なるものを作成して頂きます。コレによって会員同士の交流円滑を図ります。
また特に音楽家の方には音楽活動向上の為に音源データを中心としたご自分の音楽マーケット向けのPR情報を制作して頂き活動的音楽家のコーナーを設け、ご要望であれば、このwienerコアラの会より各関係団体への情報提供をし、皆様方の音楽活動の手助けをさせて頂きます。
ゆくゆくは新しいアートの音楽家情報事務所の開設を目標とします。
特に若手の発掘に興味があります。
 
交流の活性化を狙い、出来るだけ皆様方の現在の活動状況を活動欄にてお知らせ下さい。
ネット社会の現在では情報を正確に出来るだけ沢山の方々に伝えていく事が前提ですが、先ずは信頼出来る仲間を集めてそれを増やしていける方法を取りたいと思っています。

次に現在世界中でクラシック音楽界が衰退の方向で進んでいます。1960ー1980年をピークにかなりのスピードです。ある学者の意見では10年後にはクラシック音楽人口が今の3割程度になってしまうという事らしいのです。
因みに皆様方ご存知の wiener Festwochen は、7年前より様相を変え現在では演劇中心のモノに代わってしまって5月、6月にあった伝統の音楽祭は現在消滅したも同然なのです。皆さん力を併せて復活しましょう。とにかく凄い勢いで衰退が進んでいるのです。私はウィーン国立音楽大学指揮科で30年奉職して参りました。この衰退現象を打破する為に皆様方とウィーンクラシック音楽界の全盛期復帰の努力をしようと思っています。最後まで頑なまでに守られていた伝統のウィーンの音楽語法、ウィーン訛りによる演奏の再現、雰囲気を取り戻して古き良き時代を思い出して頂きたいのです。
そして皆様方にはこの交流の輪を世界中の指揮者へ、音楽家へ、音楽団体へ、一般聴衆へと拡めて頂きたいのです。宜しくお願いします。
また世界中の指揮者、指揮を勉強なさっている方との交流募集も1ヶ月後より始めようと思います。


Verein der Wiener Koalano Kai
(Internationale Musiker ihnenvernetzung und Vermittlung)

Lerchenfelderstr.62-64/14 A-1080 Wien Austria

Vorstand Mitglieder
Vorstand Yuji Yuasa
Vize Vorstand Michael Schneider
Schriftsteller Moritz Lauer
Kassier Georg Sonleitner


追伸:
実は2月15日の時点で我が祖国日本でWiener コアラの会日本版は始めました。私のあまりにも強い要求の為に私の長文は読んで頂けたにも拘らず賛同して同じ活動をして頂ける方が予想以外に少なかったのです。この事の反省を含めてWiener コアラの会のウィーン版をきっかけに刷新しようと思います。
日本の方々の募集もオーストリアの方々と同じに、過去30年の間ウィーンで勉強した方々、ウィーンに留学したい方、プロの音楽家でウィーンを中心に活動なさっている方、ヨーロッパデビューをしたい方、ウィーンでお仕事をなされた方、ウィーンにお住まいであった方、ウィーンを愛している方、ウィーン音楽を愛してる方、若手音楽家でヨーロッパに留学を望んで世界的に羽ばたこうと意志を持っている方、若手音楽家のデビュー、支援にご興味のある方それに日本のクラシック音楽界の向上を望んでいる方、現在の日本のクラシック音楽界、教育界に疑問を抱いている方と本会にご協力ご援助して下さる一般聴衆の方、私の長文の内容を試されて効果を感じご同意される方を中心に募集します。この方が同じ目標に対してポジィティブに話が出来るのでこの様にしたいと思います。あ、そうそう、もちろん私の専門分野である世界を目指す指揮者の方も募集します。
この文章を確認した次の日、兼ねてからの約束で元ウィーンフィルコンサートマスターのキュッヒルさんご夫妻と久しぶりのお食事をしました。たいへん話が盛り上がり、特に往年のクラシック音楽文化伝統の継承と今後の将来の事に関しては私と同意見でかなり突っ込んだ話となり何らかの形でのキュッヒル氏のご尽力を頂けるとの事でした。大変心強く思います。定期的にお会いしてコアラの会のご意見番をして頂くつもりです。

キュッヒル先生の凄さ
今回2時間半程の長いお話の中で先生のウィーンの音楽を愛している事、現役を一生続けていかれる事、クラシック音楽界の問題については私以上に考えていられる事がよく理解出来ました。先生の凄さの事ですが、私は今までずっと先生は天才だと思っていましたが、実はそれより本当の努力の虫なのです。ウィーンアカデミー学生の時代20歳の時、ウィーンフィルの第二コンサートマスターの試験に受かりました。コレが12月の下旬、1月の4日からの仕事の開始です。それまで殆どオペラを知らずに世界中の注目を受ける地位での1度の間違いの許されない毎日が始まったそうです。最初に一年の間に40種類のオペラ本番を毎日コンサートマスターとしてこなさなければならなかったそうです。毎日がほぼ初見の状態でも完璧にこなす責任感、この崖っぷちの状態が先ず最初の試練でした。とにかくやるしかないのです。一つミスをすればウィーンフィルの伝統に傷がつくしそれイコール1年間の試用期間解雇に繋がります。要は楽員全体の全会一致の賛成で初めて決まるのです。先生はあれ程厳しかった事は今までなかったと言います。ですからその後何でもものおじせずに向かっていった事の努力で、世界一のコンサートマスター、オペラ、室内楽、弦楽四重奏、ソロ活動、ウィーン音大教授、他の音楽祭への出演ありとあらゆる音楽活動をなさった人がクラシック音楽界の将来を一緒に考え、実行の手伝いを買って出ている訳です。本当に文化人です。これがウィーン音楽の伝統です。皆様方も負けずに努力して下さい。音楽家にとって努力は最大の力なりでです。どうです怠けてはいませんか。常に文化人でいましょう。先生はご自分でインターネットは出来ませんのでこの音楽界の神様の様な先生のお言葉は私がお伝えする事とします。

昨日また2時間程キュッヒル先生とお話をしました。ずいぶん突っ込んだ内容で先生の現在までの特に引退なされた後 6年間で急速にウィーンクラシック音楽界があまりのスピードで変化をしている事を嘆いていて、先生はこれを復興させる事は現在の情勢を考えると半ば諦めているとの事でしたが、私の誠意は感じて頂き、とにかく色々な意味で援護射撃をしてくれるそうでした。

私の書きました長文について
この度『Wiener コアラの会』刷新にあたり、あの長文の改訂版を作り再度皆様方には読んで頂きたいと思います。この文章は誹謗中傷の暴露記事ではありませんが現在のクラシック音楽界の問題点、短所、盲点、恥部を全てを記載しておりますので掲載されていない部分は全て良点、問題点なしとお考え下さい。この文章は今回全国1300万人のクラッシク人口の出来るだけ多くの方々に読んで頂き記載されている内容の一つでもご自分で実行して頂きたいのです。その結果一つでも貴方にとって良い事、共感する事があればコアラの会へご入会(立場上問題のある方はアカウント入会でも可)あるいはご援助、ご協力をお願いします。因みに今回の文章は国会議員の方全員にお配りするつもりでおります。また拡散をお願いします。

6月4日 ウィーンにて
湯浅勇治



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文章を本文に移しましょう。

今日、ようやっと皆様方に読んで頂ける文章が完成しました(2021年6月)。クラシック音楽界の将来を考え約1年余り熟考した文章です。大変長文で通して読まれると約1時間強かかります。何日かかっても良いですから、必ず全文をお読み下さい。いままで皆さんがオフレコにしていたお話など沢山の事実が書かれています。この文章を読んで怒りを覚える方も中にはいらっしゃると思いますが、一度皆様方に問うてみたい、と発表させて頂きました。誹謗中傷するつもりは毛頭御座いません。私はここで書くアイディアを良い方向に実現させていくつもりです。是非じっくりご一読ください。また、あらゆる方法を使ってこの考えを拡散し、沢山の方々に読んで頂きたいと思っています。


なおご意見のある方は、以下の方法でご連絡下さい。
1、Facebookのメッセンジャー(https://www.facebook.com/yuji.yuasa.10/)
2、メールアドレス
koalanokaiVIP@gmail.com


ご連絡の際は必ず実名とご役職をご記入願います。どなたからのご意見であるかを確認したいのでお手数ですがご協力お願いします。


まずはじめに

今日は(2021年)3月2日、今日からSNSを使って皆様方に私の今後やっていこうと思っている事を紹介していこうと思います。ある知人の女性からは短く簡潔に、項目別に文章を分けるなどしたほうがいい、と助言を頂いたのですが、そうすると自分の読みたいものだけを読んで他を飛ばしてしまう可能性がありますし、とにかく全文を読んで頂きたいので敢えてダラダラとした田中角栄元首相の演説口調の文章にしました。ご了承下さい。

最初にお断りしておきますが、残念ながら私は重度の糖尿病により右眼を失明し、左眼は緑内障という状態の為、非常に不自由な思いをしております。従って簡単に文章書くことができませんので、弟子に頼んで口述筆記をしてもらったり、色々と工夫してこれをSNS上に載せるようにしようと、まずは考えました。

今回一番お話ししたい点は、特に次の10年間、クラシック音楽界の発展ということを考えたとき、たいへん先細りの傾向にあると言える、ということです。それに加えてこのコロナパンデミックです。この事について皆様方にもよく考えて頂き、世界的にクラシック音楽界がもっと繁栄する様に、とペンをとった次第です。この文章では、現在の音楽界の問題点を掲げ、それに対する提唱点を述べていきたいと思います。


まず音楽家全体が持つべき最低条件

はじめに、現在音楽に携わっている方々全員に、もう一度音楽芸術家としての心得えと在り方を再確認してもらうことが重要だと思います。

特に現在既に音楽業界で従事されている方、それを目指している方、音楽学生の方等へ 音楽家の条件。

1、最も自然な状態の音楽を表現できる事。
音楽上では何が自然で何が不自然かをもう一度よく知る事です。わかりきった事を言っているようですが、これを実現する事が何よりも難しい。特に近年忘れられている部分ではないでしょうか。

改訂:
皆様方ご自分でチェックなさって下さい。

2、もうひとつ大事な事は、クラシック音楽が何百年も続いた芸術であること。この歴史と伝統を徹底的に研究をして表現をする。その為には、まず知識が必要です。それと、それを表現できるだけの技術、そしてそれを判断できる感覚と能力。

改訂:
コレも要チェックです。皆さん出来ている気になっていませんか。

3、そして毎日諦めないで訓練する事です。

4、音楽屋(お金稼ぎが第一)にならずに音楽芸術家になる事。

この両者の違いは非常にはっきりとしていて、芸術というものは聞き手(相手)も人間であり頭脳があるという事です。聴衆も音楽家も、供給された音楽を各個人の頭脳の中でその人の持っている知識と融合して出来あっがったものが「文化」な訳です。だからこの事を理解した上でその可能性を提供することが出来る人を「文化人」と呼んでいる訳です。ただ感覚のことだけを追求していて、聴衆にもそのことしか提供出来ない人を「音楽屋」と呼んでいる訳です。

5、いつも世界トップクラスを目指している事。
この100年の間にいったい何人くらいの人が音楽家として世界的に名を遺したでしょう。恐らく巨匠といわれる人は100人位じゃあないですか。現在は風潮として音楽、作品を使ってどういう風に自分を表現するかなどと表現方式ばかり考えて、この芸術に歴史がある事を忘れてしまっている人が多いようです。日本には歌舞伎等の古典芸能という立派な手本があるではないですか。皆さん方は伝統を守る彼等と同じくらいの努力を毎日していますか。

6、クラシック音楽で今一番忘れられているのがこの伝統の伝承です。ほんとうにこれを実現する為には訓練努力と知識が必要です。

改訂:
7、自分の音楽を信じてくれて演奏出来る仲間がいる事
8、その演奏を聴いてくれる聴衆ファンが大勢いる事。
9、グローバルな考え方、国際人である事。

先ずはご自分でチェックして見て下さい。wienerコアラの会のモットーは、真面目で自分に厳しく、勤勉である事です。コレが他人に対する信用に繋がるというものです。

指揮者について

その前に先ずは自己紹介から。私は1956年昭和31年の6月20日に千葉市で生まれました。6歳の時から親の言いなりでピアノを習い、それから14歳中学2年の時にたまたまテレビでNHK交響楽団と指揮者のサヴァリッシュ先生の番組を見て、指揮者に憧れるようになりました。
 その番組の中で指揮者の勉強方法やオーケストラの練習をしている姿を見て興味を持った覚えがあります。そしてたまたま運良く斉藤秀雄先生と面識ができ、何とか先生のご指導を受ける機会を得たのですが、残念ながら先生はすぐに亡くなられてしまいます。そしてその後私は東京藝術大学の指揮科を受験しましたが、これは見事に落ちてしまいました。再度の受験準備をしている時に不慮の事故に遭い、残念ながら指揮者になる道を一時断念せざるをえなかったのですが、その後右往左往あった後決断をして24歳でヨーロッパのウィーン国立音楽大学に留学します。その後は大変充実した学生生活を送り、3年目よりヨーロッパにおいてキャリアが始まりました。その後すぐに事故の後遺症が出てしまって指揮者活動を断念せざるを得なくなり、教授陣と生徒達の推薦もあって母校で教育者の道に入ることになりました。おかげさまで自分の母校であるウィーン国立音大がそのまま私を受け入れてくれましたので、30年もの間教鞭をとることができました。この間、世界一流の音楽家やウィーンの殆どの音楽家、音楽教師と深く交流関係を持つことができ、実践の活動はなくなったものの、指揮者教育の場面では世界的なレベルまで達したものと思っております。歴代の教授陣といえば、ワルター、クレメンス クラウス、ワインガルトナー、スワロフスキー、スイトナー、エステルライヒャー、ハーガー、私、ラーヨヴィッツ、ストリンガー。生徒としては、カラヤン、アバード、メータ、ヤンソンスをはじめとして大半が世界中のオーケストラや歌劇場で活躍をしています。私が教えたこの30年の間にも、世界中のオーケストラや歌劇場で、常任指揮者、音楽監督経験者だけでも100人を超えていますし、とくに最近では、キリル・ペトレンコがベルリンフィル、オロスコ・エストラーダがウィーン響の音楽監督になる(但し楽団長との仲違いでこの4月で突然辞任をしてしまいました)と言うように、教え子が世界の中心的存在となるようになりました。またアジア人に関しては、ヨーロッパで活躍させる為にはどうしてもコンクールを優勝させるしかなかったので、その方面に力を入れ、生徒の入賞者が50人を超えました。1つの学校でこれだけの人材を輩出した事は我々が誇れることだと思っています。日本人の中には皆様方お馴染みの者もいると思います。(阪哲朗、曽我大介、下野竜也、三ツ橋敬子等)今や世界中で少なくとも300人程の弟子達が毎日コンサートを指揮しているでしょう。
さて私の事はこのくらいにしますが、どうしてこのウェッブサイトを使って皆様方に色々なお話をしようかと思ったかといいますと、私が健康上の理由で教職を早期退職をして、この健康状態でこれから先出来る事を探していたからです。

指揮者業界の話

さてここからは詳しくわかり易い説明をする為に、私の専門分野で特にオーケストラ指揮者業界の話をしましょう。現在自称指揮者であると思われる人は世界中でだいたい少なくとも1万人くらい、日本でさえ自分の名刺に指揮者と書いている人は少なくとも1000人くらい、そのうち70人くらいの人がプロオーケストラと何らかの形で働いています。この内10人くらいの人が現在の大手音楽事務所やオーケストラに気に入られてより多くの活動をしてしています。さて、1000人の日本人指揮者のうち何パーセントぐらいの人が私が最初に掲げた様な充分な研究研鑽をしているでしょうか。おそらく数パーセントにも満たないと思います。
ここで「指揮者としての条件」を私なりに考えてみました。

1、基本的な技術がしっかりしている事。1番必要なのは耳、要するに優れた聴力です。これは一般的に言うソルフェージュの事ですが、この場合何が大事かと言いますと、絶対音感があったり、その音が何の音かと判るだけでなく、音の高さあるいは音色、音質をどういう風に作ったらそれが人間の感情にどういう風に影響するかを考え、それらを完璧に聞き分けられる耳をまず作ることなのです。
2、次にそれを相手に伝える能力が必要です。まず指揮というものは、日本の場合では斎藤秀雄先生がいろいろ考えた指揮の技術、これは手の動きをわかりやすく簡素化をする事で図形と言う概念を考えて作ったものですが、自由自在に手を動かせるようになる為の運動修得ということのみを考えた場合、世界最高の指揮法教程だと思います。
指揮で1番大事なことは、音楽の完成品を指揮によって示すと言うことだけでは無いのです。あくまでもそれは、まず演奏家があって、演奏家が弾く事に対して、どういう風に演奏すべきかというある意味での予定を相手に伝え、その予定の中で演奏家が音楽の形をつくりあげていくと言うことなんです。そしてその都度、0.何秒の間にその出来た音を聴き、音楽上の誤差を直したり、新しい音に対する変化指示をしたりすることが大事なのです。その都度その都度違っていく経過を指示するのです。それを瞬時に出来ること、これが指揮の本来の極意です。残念ながら現在では見やすいこと、わかりやすいことばかりが強調されていますね。誰もが見やすい動きを手の動きで表すことも大変難しいことです。ですからこの事ばかりが発達してしまいました。現在の大学の指揮科のレッスンはどういう風に演奏会で振るかとか、どうしたらコンクールに勝てるか程度のレッスンしかしていませんね。残念な事です。しかも、現在世界的な指揮者の中で、この見やすいという点ですばらしい技術を持った人はほとんどいません。日本人でも2人しか知りません。秋山先生と私の弟子の下野だけです。あとは誰も私の求めている基準に達していません。日本で1000分の2とは悲しいことですね。
皆さんその見やすい基礎を学ぼうとするのですが、残念ながらこの指揮法というものはある意味で最初の基本的なことまでしか教えることができませんし、それ以上に自分の力で指揮者になっていく人が今ほとんどいません。音楽教育の歴史の中である意味で一番遅れているのはこの指揮者の技術向上の問題です。斉藤先生が作った日本の技術と言うのは、まず日本人にあった技術であり、考え方です。演奏する相手側が優れた音楽家であり、いろいろな事ができるという前提のもと大体の事を伝えると言うヨーロッパ型の指揮法の教本ではありません。弾けない人達もいて、その人達もなんとか合奏に合わせて弾けるようにさせようとする発想です。これは世界のオーケストラの指揮法とはある意味で違った方向ですけれども、相手に対しての動きが直接的に影響を与えると言うことで、指揮のドライビング(オーケストラの操縦方法)の指揮法としてははるかに卓越しています。ですから使い方次第なんですが、斉藤指揮法を本当の意味で克服した人は小澤征爾さんしかいないのです。他の方々は残念ながら指揮の動きの事ばかりに走っています。ですからこの指揮法を最大限に活用できる人はなかなかいませんし、他の(流派の)人達はやや精神論が進みすぎていたり、要するに指揮を振る格好の事ばかりを考えていたり、精神的な事ばかり言っていてどういう音、音楽を創成するか、伝統的に継承されている音楽の部分等、大事な部分に考えが至っていない。ほとんど現在の日本の指揮者や指揮の先生達はこの域を超えていません。非常に残念です。ヨーロッパやアメリカでは、手が不器用なために大まかな事を指揮によって伝える程度で、オーケストラのドライビング技術は50年前とほぼ変わらない状態です。

改訂:
因みに最近女性の若い指揮者が増えましたが、やたら格好と容姿の事ばかりの人が殆どですね。まだ私の推薦出来る女性指揮者は0です。

最近はネット上で参考程度ではありますがなんとなく若い指揮者の傾向が解ります。一言、レベルが猛烈と低いですね。嘆かわしい。全体に指揮の見た目は良くなりましたが、コントロール、音楽への直接的な影響、音楽性、あらゆる面でまだまだですね。
この程度のヴィデオを観て若手の発掘をしているのが、実は現在の音楽事務所、オーケストラマネージャーの方々なのです。彼らの耳も眼も洗練されたものでなければなりません。指揮者以上の見識、知識が必要です。

改訂:
こんな指揮者業界の有様を見るに、要は教育が大問題です。ちゃんとした生徒を輩出できる学校団体の問題、教師の問題、若手を育てながら経験を積ませる団体の少ない事、異常なまでの指揮者志望者の増大それに伴うクオリティーの低迷化。やりたいとやれるは大違い。問題が余りにも多過ぎる。一つ一つ真剣に
解決案が世界中で必要だと思う。特に私が現役を退いた後からが酷過ぎる。

斉藤指揮法教程の良い勉強方法

ここでこの斉藤指揮法教程の一番良い勉強方法をお教えします。まず運動の項目は運動自体と理論を100%マスターする事。理想の動きを知るうえでは秋山先生、高階先生のビデオを参考にすると良い。練習曲に関しては音楽の事は二の次とし使用するテクニックを忠実に使って再現する。

改訂:
出来れば初版本が一番良い。改訂版は様々な弟子の意見が入り過ぎていて斉藤先生のオリジナルさに欠ける。演習は必ずピッタリ指揮のとおりより点を見たら弾ける2人から4人のピアニストと行なう。

次に実際のオーケストラ曲での演習ではどういう風に振るかということではなくて、手の動きによってオーケストラがどういう風に演奏されるか、音、音楽がどう変わっていくかという点に神経を集中させて実践する。とにかく出てくる音をよく聞き、瞬時に自分の理想の方向へコントロールする事が大事である。その事に集中すれば非常に早くその効果が出て、本来の手によるオーケストラ操縦法を正しく身につける事が出来ます。

改訂:
次に大事な事はタイミングよく決して大振りにせずに斎藤教程の上手く使うには音の出る点を確実に音楽的に出せる事と点前、点後を上手く使い分ける事でその操縦力が変わってくる事です。本当に大事な事です。コレが殆どの人が出来ない点です。コレが出来る様になってから加速、減速のやり方をもっとマスターすれば完璧です。ヨーロッパや他の指揮法は点の存在とタイミングの事は一切考えずに大体の図形と気持ちとその雰囲気から脱していない事ですね。この考え方の差は大きいと思います。

さあ後は色々な実践あるのみです。と書いたのですが、基礎的なものを習得していない者がアマチュアオーケストラのように不完全なものを沢山指揮してしまうと、いつも曖昧な妥協点を捜してしまう指揮になってしまう。

改訂:
斉藤先生もこの事はおっしゃっていました。最初のうちは教師が一緒につくか、最良ではないがビデオ等で後で確認してもらう様にした方が良いと思います。
因みにペトレンコを含むウィーン卒業の指揮者の大半は私の元で斉藤指揮法の基礎は教わっているので、動きの事は100パーセントではないにしてもマスターしている者が多いです。

3、これらの事が実際に聞き分けられる耳と運動神経、それを創り出す音楽性、知識を使って実際の楽曲の訓練を行うことが必要です。

4、ここで指揮者にとっての最低限必要な学問の確認をしましょう。見識のある良い音楽を創ることと、合奏能力を高める事の出来る指揮者はなかなかいません。これから一番養成していかなくてはならない事です。
基本的な音楽知識を完璧に備える事は重要な事です。オーケストラ全体を統率するためにそれだけに皆が納得のいくだけの音楽性と知識が必要です。名刺に指揮者と書いている方々、どうぞご自分で次の点をご診断下さい。

 -1 優れた耳、ソルフェージュ能力がある。
 -2 誰が見てもわかるバトンテクニックを持っていて殆ど100%アンサンブルをコントロールできる。
 -3 良い音楽をすぐに実際に演奏出来る演奏家であり、理論家や批評家でない事。
 -4 楽曲の予習の為に、相当な程度のピアノが弾ける。
 -5 スコアリーディングがピアノでほぼ初見で行える。
  

オペラについて(とび込みの話)

日本ではなかなか上手くオペラの勉強が出来ないと思っている人が多いと思われます。要は環境作りなんです。先ず周りを見てもオペラを専門的に勉強している指揮の生徒が少ない。オペラを教える指揮の先生が少ない。良いオペラに接する機会が少ない。オペラの興味が市民団体程度のものが主流である。オペラ普及の方針がいつも後手にまわっている。新国立劇場、二期会、日本オペラ振興会など、歌手中心の手前味噌的な活動しかされていない。
もし真剣にオペラの発展を考えるならば、

改訂:
 国がオペラ普及運動をヨーロッパの様に、国家予算でしなければならない。ヨーロッパでは各国とも大抵国立州立の歌劇場が存在するが日本ではそれにはまだ無理があるので現在ある公文協を使って多目的ホールを上手く改造をして東京、大阪、札幌などの大都市ばかりを考えず、

改訂:
全国に普及させる為に、国家予算で(やっぱり理解のある国会議員さんが必要がありですね)
 スポーツの国体の様に全国オペラフェスティバルを隔年持ち回りで各県で開催し、海外招聘、新国立劇場、二期会、オペラ振興会グループ公演、市民オペラ開催県、市民オペラ他県グループ2団体公演等で全部で6団体3公演ずつ全18公演を2ヶ月間で開催する。こうすれば一挙にオペラが普及する。それまでにホール、歌劇場などの箱の改良、新設を含め費用は国、地方公共団体、地元協賛企業、特に交通企業によって予算は折半、コレを音楽事務所にコーデイネートさせる。

クラシック音楽文化の普及という事を考えると、総合芸術のオペラが中心となって良いと思う。ヨーロッパの文化の中心は、博物館、美術館、オペラ座、その他劇場であり、その次にコンサートホール、図書館が続くのである。

話がオペラの事になってしまったのでこのまま続けますが、一番のオペラ普及の方法はTVの教育番組放送、NHKだけではなく、民放も視聴率獲得のことばかり考えて低俗な番組ばかり作り国民を堕落させずに、文化的放送、特にオペラを増やすべきである。現在のクラシック番組はとにかくちゃんとしたものが少なすぎる。30年前の方が意義と興味が存在した。堕落をさせたのは誰であろう。オペラとは西洋文化総合芸術の筆頭であるから、これが文化度向上の良い方法である事は間違いない。国、文科省、文化庁は箱だけはと初期段階にはお金を出すが、その先は全くと言っていいほど興味を示さない。オペラ全般を牽引していく人がまるでいない。この事業をできる良い音楽家が、殆どいない。オペラに関するあらゆる文化に精通してる人が本当に誰もいないのです。直ぐにも始めなければならない事です。
必要な人材は、西洋文化に精通し勤勉でマーケティング作りに強い支配人、オペラを総合文化として捉えられる文化人、オペラ音楽に長けた音楽監督、オペラ舞台を音楽、伝統を踏まえて作れる舞台監督、言語習慣を問題なく強い歌唱力と表現力を持った歌手陣、オペラ演奏に慣れたオーケストラ、合唱団。これに音楽事務所。日本では二期会、オペラ振興会はもう60年以上、新国立劇場でさえ20年以上経っているのに、この分野の進歩はかなり遅い。理由は、一つの信念を持って全体像を考え、良い選考の下に人事を考えなくてはならないのに、しがらみばかりを考えてずうっと進歩していない状況にある。


改訂:
理想の文化人指揮者ペトレンコという男

ミュンヘンの例を見てみよう。私の弟子のペトレンコがミュンヘン国立歌劇場の音楽監督になって2年半で、オペラの事務方、音楽上では歌手陣、オーケストラ、合唱団(演出、舞台を除く)は彼の思い通りの世界一のクオリティに達するに至った。残念ながら、政治的な都合で演出家と舞台監督の一部の人事に彼の意見の全てが反映されなかった所もあったが、これは良い例だと思う。この駄目な方の例を日本では20年、30年とやっているのである。だから、ミュンヘンではペトレンコを手放した事を後悔し、クオリティは急激に悪化、ベルリンフィルでは彼を音楽監督に受け入れて大喜びである。ちなみにペトレンコは違うクラスの生徒にも関わらず、私がアジア人に特別に指揮を教える土曜の会に参加して私から色々なことを盗み学び取ったと思います。とにかく勤勉である事、素直な事、反応、反射神経の良い事は今でもよく覚えています。学生時代、暇な時の彼は私の教官室に入り浸りで、よく質問攻めに遭いました。聞き上手、教わり上手でしたね。デビュー当時は彼の殆どのコンサートを聴きに行った事を覚えています。彼も今年50歳になったのであるが今や世界一の指揮者と言っても過言ではないと思います。実はこの文章の改訂版を書いている時(2022年5月25日)に、我が母校のウィーン音大の学生オーケストラに卒業後2度目の客演に来て練習をしている最中です。とにかく自分にも他人にも妥協を許さず厳しいヤツで肩腕の故障を推しての練習らしい。激痛の為2度の練習をキャンセルしてもまだ諦めずに演奏会を実現しようと必死の努力をしている様であります。若い音楽家にはこの音楽に賭ける執念が通じれば良いのですが、私はコンサートへは目が見えず人に迷惑がかかるので失礼しようと思いますが、弟子の太一には行かせて様子を伺おうと思います。この太一は才能のある子で先日ウィーン市立音大の大学院卒業試験コンサートで満場一致、カーテンコールでは客席からの太一コールで聴衆を沸かせました。ペトレンコに彼の教育を託そうと思います。ペトレンコとは数年前にこんな話をした事があります。どんなに有名になっても、自分の世話になった楽団、母校と若い才能の育成を忘れない様にと。彼は今50歳にも関わらず全てを着実に実行しています。そして泣き言を言はずに、偉そうにもせずに謙虚に。実に男らしい日本人であるならばとんでもない武将の英雄に違いない。私にはいつも可愛い孫悟空であるが、日本の音楽家の皆さん見習うべきでですよ。

ちなみにこの土曜の会に参加した生徒の95%が現在指揮者として活躍しています。参加した生徒でヨーロッパからキャリアを始めた者の80%は歌劇場での仕事を経験しています。
日本では指揮科を含めオペラを総合的に教える音大、学校が存在しない。ここから始めなければならないのです。この道は非常に険しいです。国が公共団体が多額の予算で立ち上げないといつまで経っても同じ状態です。そしてそこで教えられる教師を探さなければなりません。今行われているオペラ運動なんて趣味の戯れ言程度ですよ。この発足に立ち向かう人材と緻密な計画が必要です。今の日本のオペラ体制では100%実現不可能でしょう。とにかくこの事を実現出来る人材を捜しましょう。
この様に理想のクラシック音楽界を創り上げる人材が育たないのも日本クラシック業界の現状です。誰もが、もっと低いレベルの完成度で仕事をして満足しているからです。皆さん考え方を変えましょう。私がどの位の危機感を持ってお話ししようとしているかおわかりですか。とにかく今回はクラシック音楽界でのありとあらゆる問題点を列挙しています。
先ずこれらの人材を作る専門分野の学校が皆無に等しいので、早急に作るべきです。

話を元に戻しましょう。
指揮者の勉強の課題の話でしたね。

  -6 オペラの勉強に必要なピアノの能力、初見能力、歌の発声学、オペラの原語を理解できる語学能力、特に 独、伊、仏、英
音大指揮科卒業までに最低オペラ30曲、レパートリーとして、準備、弾き歌いは勿論の事、一週間以内に公演可能なレベル。
  -7 ちなみにその他の交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽管弦楽曲を合わせて 300曲ほどのレパートリー保持。これも音大卒業まで。これが世界的レベルに達する為の必要最低条件だと思います。私もその様に歩んでまいりました。
  -8 ここで楽曲分析勉強予習の為に必要な学問をマスターしている事。
作曲技法、旋律学、楽式論、和声学、対位法、管弦楽法、楽器論、音楽史、演奏の歴史、オペラ史、発声学、装飾音法などなど
作曲の方法はちゃんと知っていなければならないですね。基礎として自分でシンフォニーの1つや2つは書けなければいけないです。
この中で日本人が1番おろそかにしてしまう事は歴史の分野です。音楽がどういう風な背景によって出来あがってきたのか、その時代の他の芸術、時代背景等を知り、例えば演奏会の隣の席にベートーヴェンがいると思える状況設定が出来たら凄い事ではないですか。
そういう場を音楽を通して作り上げていくのが芸術というものです。

改訂:
この音楽的学問の事は演奏家を含めた音楽全般に携わる方、より良く音楽を文化として捉える方、プロ、アマを問はずどなたにも勉強して頂きたいと思っています。コアラの会ではゆくゆくはこの勉強方法や自習推薦書物等を紹介します。
要するに音楽大学で習得しなかった部分をコアラの会では自主的に勉強を促す事をします。

みなさんが演奏会場やCD、ヴィデオの演奏を聴く事によって、それを自分の頭の中で創造形成できる事こそが芸術の本来成し遂げられる人間にしか出来ない行為だと思います。そういう場面に遭遇する機会が最近非常に少ないじゃないですか。その歴史的なシュミレートを頭の中にある知識を元にして創造して作り上げることです。
現代人は現代社会の雑踏の中ストレスや苛立ちを癒やす為にぐらいにしか音楽の意義を考えていない人の方が多いのでは無いですか。現代人の頭は機能の進んだ最近のコンピューターと同じように、機能が沢山分離していて、その中で不必要な物をどんどん省いて処理していますが、芸術を実行する場合では脳の中で1つのコンピュータープログラム上で全てを同時に処理するという初期のシステムのコンピュータの考え方とほぼ同じだと思われます。

要するに現代のコンピューターは沢山の人が簡単に使用出来ますが、初期のコンピューターを使うには基本知識がたくさん必要です。何億もある可能性から知識と経験によって1つの物を見つけ出せる、これが人間の脳のできる素晴らしい能力であり、それを0.01秒という瞬時で人間の脳で演算していくという能力が音楽家、特に指揮者には必要なのです。指揮者における0.01秒のタイミングの遅れはそれだけでも致命傷になりかねないのです。

5、次に人間性の問題。指揮者は自分1人で演奏ができませんから、いくら良いものを持っていようと、勉強しようと、テクニックがあろうと、それを自分で演奏出来ないので他人にやってもらわなければならないです。その為には人間性、性格の良い事が非常に必要になるわけです。この点では日本人の生徒でうまく世渡り上手をうまくやっている者はいます。ただ悪い政治家のようにうわべだけで心が伴わない者がほとんどです。プローべの時にただただ不必要に丁寧語を使ったり…あー気持ちが悪い。とにかく自然に振る舞う事です。無理矢理こうあるべきだと自分自身を変える必要はないです。この点で問題のある人は、人の上に立って仕事をする才能が無いかも知れません。そういう人は指揮者になる事は諦めた方が良いと思います。ある意味で良い指揮者になるという事は総理大臣になるより難しいことかもしれません。また実力も無いのに偉ぶるなどは言語道断です。勘違いも甚だしい。
指揮者になるには、本当にその全てのものが必要なんです。適当な指揮者になっている方々、よいですか。100人のオーケストラを指揮する事だけでなく、そのオーケストラ全体の働く人達との有りとあらゆる面での良い関係を作っていくことも重要な事です。これが演奏に影響をあたえてしまうのです。これに加えて経営基盤、政治基盤を持っていれば申し分ない事でしょう。最近はこのこととファンとの関係ばかり気にしている指揮者が多いですね。芸能人ではなく芸術家です。お忘れなきように。

6、このあとに述べる点が、今現在日本人指揮者の一番欠けている点だと思います。というのは最低限、指揮者が生涯に身につけなければならないレパートリーのことです。基本的な交響曲、管弦楽曲はもとより、オペラ、特にR. Strauss、Wagnerの作品で最低限薔薇の騎士とワルキューレを含めた5作品程度は、一週間以内に公演スタンバイできるようにしておく事が当たり前のことです。さて日本の指揮者さん達でその事が可能な人は、私の予想では1000人中3人か4人くらいです。韓国も台湾も似たようなものです。私が世に出したウィーン卒業生のうち50人くらいは、一週間で必ずこれらの公演を指揮出来ますよ。基本的な教育の考え方が違うのです。これがこの芸術の牽引的な役割を担ってきたウィーンの伝統です。今の日本のクラシック音楽の牽引者たる日本人指揮者はこの程度なのです。ただただ嘆かわしい事です。今のこのコロナ禍ではこの程度の日本人指揮者達で代行の演奏会をやっているんです。コロナが終わったら本当に考えなくてはなりませんね。次に最近よく言われるカリスマ性ですがカリスマと言うのはあらゆるものが備わっていればそのまま自然に出てくるものです。ですからカリスマ性を一生懸命強めようとしてもそれは無駄な事だと思います。指揮者に対しての事はこのくらいにして。       
次に他の音楽家の話をしましょう。


一般音楽家の足跡

ここで若い演奏家の人たちの為に、わかりやすくこれまでの音楽を勉強している人が進んできた道のことについてお話をしましょう。
まずは普通の音楽学生の大体の例ですが、小さい時からピアノを勉強してる人の大半の例をちょっとお話しします。まずは早い人で3歳から4歳、遅い人でも7歳から8歳位までの間に本人の意思というよりは大抵が母親の意思で音楽を情操教育の1つとして音楽教育を受けます。大抵は近くのピアノの先生、ヤマハの音楽教室だったり、もう少し程度の良い所ですと桐朋学園の音楽教室であったり、まあ最初にこのような場で音楽に接して楽しく教育を受けます。その中で成績が優秀である場合で、そしてその子が興味を持った場合、親は音楽をもっと専門的に身につけさせようと考え、将来的に音大に進学させる、と言うような事を考えはじめます。それが大体中学生頃じゃないでしょうか。そしてその後は専門的な音楽の技術を教え、良い音楽大学に受からせることの上手い先生を探し、その先生の下で研鑽を積んで音楽大学に入ります。ここまでの間に、よくありがちなことですが、他人との競争心を煽らされたり、また何らかのステータスを取らせるために子供の頃からコンクールに興味を持たさせ、そのことによって本人だけじゃなく親また専門教師が自分の名誉のためにも、コンクール参加を促します。これによって音大に入る頃までに既にいくつかのコンクールに受かっていたり、それから先も大きなコンクールを目指したりするのです。

コンクールの話

ではそのコンクールの話を少ししましょう。私も実は自分の教育の場面で、特に指揮科の学生のアジア人がヨーロッパの中で生きていく為の最低限の条件として、やはりコンクール入賞という事に力を入れてしまいました。まあ結果として50人以上の国際指揮者コンクール入賞者を輩出しましたが。しかし、コンクールに勝つという事と良い音楽をするという事は仕上げ方が全然違ってしまうのです。結局コンクールの意義は、本人が何かの目標を持ってその達成努力をする事と、両親の安堵感、あとは殆どが周りの人間、音楽教師、音楽団体、音楽事務所、マスメディアの仕事の興味の為に、あなたの経歴を良くする事です。でもコンクールばかりを挑戦していると音楽性も人間性も違った方向ばかりを追うようになってしまいます。特になかなか入賞しない状態が続き、なお且挑戦を続けると良くない。気をつけて下さい。とにかくコンクール中心の音楽教育は熟考すべきです。
  

音楽家の話の続き

さあ念願の音大に入りました。次に起こる事は音楽バカの育成です。この大学4年間の殆どが自分の専科の事と学内の閉ざされた生活環境によって人間形成の一番大事な時期に、経験しなければならない事や広く芸術家としての心構え等の自覚もつかずに時間が過ぎてしまい、一般の大学生達に比べると卒業の時点で基本的な人格形成という点でかなり遅れてしまうわけです。特に音楽家としてどういう体験がどういう風に、特に音の変化の部分が人間の心を動かしたり感動させたりする事を出来る様にする要素とは何か。この事は常に追及しなければなりませんが、その為には、色々な音楽知識、一般的な広い学識と人間形成の為の経験、それを実現する為の機会が必要です。しかし、ある程度の理解できる可能性があっても実際は全ての面で中途半端なのです。

改訂:
大抵の学生達の言葉です。
大学時代、主科は一応満足で音楽副科はつまらなく、興味もなく単なる学問で実際の演奏と結びつける内容など全く習っていない。殆ど大学時代に有意義に習った覚えがないと言うんです。要はコレをコーデイネートするのが実はソルフェージュの教師であり主科と副科と確実なタッグを組めば日本の大学生は格段と進歩をしますよ。大学の学長さん本気で考えた方が良いですよ。それとソルフェージュの先生、知識と音楽的能力の向上をお忘れなく。また主科の先生、ソルフェージュや副科の先生をバカにしないで下さい。生徒達の興味の無さは、あなた達にも責任が有ります。

この時点までに教育を受ける者、教育をする者、両者とも実際どの程度のものが必要とされているか、みんな疑問だらけなのです。それは現代では音楽の必要性がある意味で疑問視されているからです。まずどうして音楽を勉強しているのか。これを生涯のライフワークとして考えているのか。今の時代は学問を受ける者は自由であるからあまり強要は出来ないかもしれないが、その分学ぶ側の心得という事がとても大事なように感じます。

改訂:
大学教育について

この2、3ヶ月の間にショックな事をたくさん聞きました。
年間で音楽大学の卒業者は
全国で約3500人
このうち生涯勝ち組として日本の音楽界で演奏活動が出来る人が約1パーセント、大学の教師として残れる人が3パーセント、海外ののオーケストラに就職出来る人が1パーセント。あとは殆どが専門分野の仕事だけでは食えなく、個人レッスンや、エクストラの仕事、自分の仲間と小さな演奏会を細々くやるか、アマチュアを教えるしか無いのです。コレが現状の方法で行くとこれ以上の進歩はありえません。問題点を書き出して見ましょう。
 1、音大卒業者の就業率が極端い低い事。
 2、少子化の問題
 3、 1、2の問題により定員割れ。その為に入試問題の低レベル化に伴い誰でも入れる学校全体の急激なレベル低下
4、誰でも入れるならば卒業を超難しくして(国家試験の導入)、卒業出来れば
ステータスと資格が与えられてより就職状況も良くなるし学内での生徒の勉強が見違える向上する。
 5、現在は生徒を連れて来た教師への優遇化非常勤講師に就任させてその生徒数で給料査定に多大な影響があるそうです。あり得ない。
 6、非常に増えた非常勤講師、少なくなった専任、名前ばかりの教授陣コレでは良い生徒を輩出出来ない。
 7、学校全体の確固とした教育理念が無い。要は音楽文化を教えるのに文化的歴史的知識がまるでお粗末。コレでは大学の意味がない。個人レッスンと同程度で技術面と精神論的なもののみ。学内で知識を習う事が出来るがコレを歴史的事実に鑑み実際にの演奏上に反映する授業がまるで無いに等しい。要は教師の低落化。この事は殆ど文科省の責任であると思われる。文科省の役人に対して意見が出来るのは国会議員の方々なのです。
私は何人かの現留学生に聞きました。日本の学生当時、文化人と思われる先生に会ったり指導を受けた事があるか事があるかという質問の答えは全員0、私の留学学生時代の答えは7人、ずいぶん違うと思いませんか。コレが実状です。
8、小中高の先生になるのには教員免状と採用試験が必要であるが、何故か大学ではコレを必要としていない為原則として各学校責任で任命が出来る。要は野放し状態であるから外人の招聘を含め場合によっては学長の独断判断で教師の人事が決められる。恐ろしい問題である。
 9、実は音楽の都ウィーンでも同様の問題が起こっている。ここ15年ほど前より国立音大の教授の最終決定権が文科省にあったのが今は学校のみ判断で決定出来る。現在起こっている事は、女性学長と3人のうち2人の女性副学長と教育科の進出により教授会より学校の代表委員会議の方が強くなりこのメンバーの7割が女性となりこの5年ほど女性の採用が格段と増加している。ですから必然的に伝統を重視していたウィーンフィルを中心としたオーケストラ楽器教授陣が15年前は44人中22人だったのに対して現在は8人しかいないのです。コレも伝統を失ってしまう原因の一つです。ですから私はコアラの会を立ち上げて古き良き時代の事も考えながらより良い方向へと考えているわけです。この為にウィーンフィルの友人が事務局長であった時代にウィーンフィルの教授が減った分教育機関の見直しとしてウィーンフィル独自のアカデミー(生徒養成機関)の立ち上げを提言したところすぐに実現をしてくれたのですが、そのうち優秀な生徒には沢山の女性の応募が多くてウィーンフィルの団員も必然的にヨーロッパ出身の女性が増えてしまってかえってインターナショナル化を早めてしまった結果になってしまいました。
 10、現在の私立音大の最大の問題点は経営基盤の方法です。現在は経営者と教育者がいて結局経営者に教育者が雇われている状態なのでコレが逆転する要するに、創立当時の様に教育者が経営陣を任命する方法を採らないとこの問題は永遠に解決しません。コレは他の音楽団体オーケストラ、オペラ劇場などにも言える事なんです。芸術や教育はなにがあっても第一義に考えられなければいけません。
 11、バブル時に巨大化された学校経営の解決策は、生徒数の確保や意味のない目新しい専科を作る事ではなく原点に戻ってクラシック音楽のみの専門大学への勇気を持って移行して縮小化をすべきす。設備も縮小化をし最低限のものだけにし教職員の縮少を第一として先ずは節約、少数精鋭主義に転換すべきでは無いでしょうか。
 12、教授、准教授は、3年毎の年棒採用試験制、講師は全員非常勤。これでかなり身の引き締まった給与体系に成るのではないですか。人事査定は引退した名誉教授と学長のみに託せば良い事です。そしてこの人事は最終的には大学の教師に資格審査がない分文科省の認可制としそれに応じた資金援助を文科省が行なう。
 13、音楽大学改革には文科省の全面的に法律面、経済面での協力が必要です。それを動かしてもらうのが、国会議員の方々なのです。こうすれば、先ずは学内の整理が出来ますのでかなりの縮小化が可能になります。お考え下さい。
 14、とにかく意味の無い先生、生徒を作らない。学校のレベルアップは適面だと思います。
 15、各学校は新しい経営方式として1校1音楽事務所とタイアップをして生徒、教師の演奏活動を既に学生時より興行させる。

とにかく音楽大学改革は直ぐに始めなければならない事です。

ここに有名な我らが最高の教育者 斎藤秀雄先生の生前のNHK 女性手帳のインタビューを載せておきます。皆さんご覧下さい。特に教育に携わっている方、大学の経営陣の方、有りとあらゆる先制業をしている方、現在の学生諸君、このヴィデオを見で背筋を正されないならば、もう末期症状ですな。クラシック音楽界は本当に将来が無いですな。

斉藤先生のヴィデオのNHK女性手帳のインタビューを添付

https://youtu.be/LvVDJZvckoI


私が影響を受けた先生達

ここで私がウィーンに留学している間に、自分の覚悟を決める為に私に強い影響を与えて下さった先生である、ヨーゼフ・メルティン教授の話をしましょう。彼は皆さん方がよく知っているハーノンクール氏の先生でヨーロッパ、ウィーンのバロック古典音楽の第一人者であった方です。この方はユダヤ人で、第二次世界大戦中実はナチスドイツの迫害を受けましたが、彼だけは父親の友人の助けでその難を逃れました。彼と一緒に仕事をしていた彼のユダヤ人室内管弦楽団の連中は彼以外全員がガス室に送られ殺害されました。彼はその当時の話を私に涙ながらに、どうして先生がずっと今まで音楽を続けられたかと言うと、仲間と一緒にした音楽、戦争中自分達がいつ死ぬがわからないその状況下でやった曲の一つ一つがいつも思いだされる事、また死んでしまった仲間の代わりに音楽の発展に貢献したいと思った為、だそうでした。死ぬ直前まで言っていたことです。私達の指揮科講座の時、先生が用意されたオーケストラのパート譜は、この室内管弦楽団の一人一人が自分で書き写したもので一人一人の名前が書いてありました。この先生の音楽はいつも彼等と一緒に演奏している感がありました。とにかくウィーンではバロック音楽の生き字引と言われ、音楽知識を彼より持っている人に私はまだ会ったことがありません。なおかつユーモアに溢れ誰よりもご自分が一番楽しんでいるような演奏をなさいました。とにかく音楽がわかりやすくて自然で、でも理論と伝統にかなっているのです。日本人では見た事がないですね。殆ど彼の持ち合わせたものを持っていないという事です。残念です。彼は私が彼の家に遊びに行くといつも濃いコーヒーを入れてくれて、俺が入れるとカミさんより多くコーヒー豆を入れるんだと言い、私に懇切丁寧に言葉の通じない部分をなんとか伝えようとして色んなことを教えてくれました。私のバロック音楽、ウィーン古典音楽の基礎は彼から学んだもので、彼より知識を持った人、またそれに相当する位の書物で優れたものを知りません。それほどの人なのです。でもこの彼が、私に音楽と言うものがあなたの人生にどれだけ影響与えるかはわからないけれども、いつなんどきに人間はお迎えが来るかわからない。その最後の時まで絶対に努力を諦めない事。これがこの音楽という学問をやる人の一番大事な心得だと思う、と教えてくれました。
私はこれをそのままあなた達にも伝えたいのです。そう考えると現時点での日本における、あるいはヨーロッパにおいてもそうですが、現在の音楽教育あるいは音楽の業界そのすべてのものがとにかく甘いというか、曲がっているとは思いませんか。一言、なめるんじゃねーよって言うことですよね。
気をつけないと、いくら勉強しても技術だけを伸ばすことばかり考えて、曲がってしまった音楽家人生を送ることの始まりとなってしまうというわけです。要はどういうことが人の心を動かすことの出来る要素かという事の基礎を知ることなんですが、それを見極めたり教えたりする事の出来る教師が今ほとんどいませんから、コンクールなどに興味を持たせ、ただ技術ばかりを追及しているというのが現状ではないでしょうか。
 
改訂
ウクライナ、ロシアの戦争の事を考えるとメルティン教授が浮かんできます。何とかウクライナ、ロシアの音楽家がヨーロッパ、アメリカ、日本の音楽界で制限無く音楽活動が出来る様にしたいものですね。国会議員の先生方宜しくお願いします。

ここで私が非常に影響受けた先生をあと3人紹介しましょう。その1人はウィーン・フィルのファゴット奏者であったカール・エールベルガー教授です。彼は19歳でウィーン・フィルに入りなおかつウィーンのアカデミーの教授にもなりました。この彼が何が凄いかと言うと、ウィーンの重要な管楽器奏者、ウィーン・フィル、ウィーン交響楽団、トンキュンストラー・オーケストラ、ウィーン放送交響楽団のほとんどの人が彼のもとでウィーン古典派の管楽器の室内楽の授業を受けていました。要は彼がウィーンの伝統を伝承し、皆に提供していたわけです。またもう一人尊敬するウィーン・フィルのコンサートマスターの1人であったサモヒル教授は、一番多い時でウィーン・フィルのヴァイオリニストのうち30人が彼の弟子だったことがあります。ウィーンフィルのキュッヒル先生も、アルバンベルク クワルテットのピヒラー先生の先生で、またウィーン音大のヴァイオリンの教授14人中10人が彼の生徒でした。この方ともう1人第一コンサートマスターであったシュナイダーハン教授にも私は可愛がってもらいました。私はこの3人の先生の力で、ウィーン伝統の音楽語法がどういうもので、どのように伝えたり教えたりするのかをたくさん学ばせていただきました。学生になってすぐに私はウィーンフィルの教授のほとんどの個人授業に顔を出していました。とにかく指揮科に入っただけではわからないことをたくさん教えていただきました。これが私の学生時代できた最高の宝なのです。ですからいろんな事の知識とそれを実際の音としてまたどのようにそれを作っていくかと言うことを全てこの学生時代に実証させてもらいました。これはほんとうに私の財産なのです。私と同じ位の体験を今の学生達に体験があるかと言うことについては、非常に疑問です。
ですから、学生生活の内に出来る事は工夫をすれば山ほどあるよ、という事です。

またコンクールの話に戻りましょう。コンクールは入賞者を民主主義の多数決で決めようとしたり、あるいは政治的に自分の門下の生徒を上に持ち上げるためにさせる人もいます。と言うことでより良い音楽家を作ると言う点では、はっきり言って良い方法とは思えません。音楽事務所の方々は自分自身の判断によって若い可能性のある音楽家を世界的な職業音楽家にする自信が足らないので、このようなシステムに決定を委ねているわけで、またこの事でマスコミ等に売り込む事が楽に動けるので、そのためにコンクールを利用しているようなところがあります。
   
音楽家の育成の為の費用

さあここでひとりの音楽家を育てるのにどのくらいのお金がかかるを考えてみましょう。先ずは大学入学まで。親と子供の二人三脚のようにこの道は続いて行きますね。
 
6歳から中学3年まで
主科の月謝   12万 x 6年
        48万 x 3年
副科の月謝   12万 x 3年
楽器代  ピアノ   70万
専門楽器 ピアノ   200万
     弦楽器   150万
     主科管楽器 70万
楽譜、CD代 12万 x 9年

高校1年から大学入試まで
主科の月謝     8万 x 36ヶ月
副科の月謝     4万 x 36ヶ月
レッスン交通宿泊費 12万 x 36ヶ月
楽譜、CD代     1万 x 36ヶ月
(浪人すると 1年分が加算される)

   
大学4年間
学費        
国立大    私立大
初年度                      150万    300万
2-4年次合計で       240万    600万
大学院2年間                    160万    300万
楽器代 管楽器       80万〜150万
弦楽器、ピアノ      200万〜1000万

生活費、部屋代(地方出身者の場合)  月15万
楽譜代、CD 、コンサート      月2万
   
海外留学の場合 (4年間)
留学準備金  200万
学費     30万~200万 x 4年
生活費   月20万

日本人が考える音楽家になる為の費用とは多かれ少なかれこの様なものではないでしょうか。とてつもない金額ですよね。皆さん方にはこれだけ既に掛けられているのです。親御さんには感謝すべきですよ。

大学卒業時、この時点迄でまだいろいろな意味で時間的にも経済的にも余裕があると、海外留学、と言うことになります。日本人の場合大半が既に大学を卒業しているのでヨーロッパの大学に入学する事は競争の面では比較的やさしい事です。後は費用さえ工面出来ればこれは簡単に実現出来ます。彼等が次に考える事は、勉強をする事は勿論ですが、自分の名前を世の中に出そうという事で、コンクールをしたり別の有名な先生に個人的についたり、また小さいながらもたくさんのコンサートを探したり。そのようなことをして履歴、経歴を良くしようと考えている人が多いですね。大半の学生はヨーロッパの大学、大学院で研鑽を積む事を出来るだけ短い期間を設定し、コンクール等で名声が出ない場合のみ最後まで卒業をして日本に帰国をする事を考えていて、最初からヨーロッパで音楽の活動をする事は考えてはいないようであります。こんな状態の日本人留学生に対して現地の教授達も親身になって教える気力が無くなってしまいますよね。
これが実情でないでしょうか。

さあここからが本題です。
ここ迄の話をまとめると、一人の音楽家を世の中にだす為には約1500万から2500万円くらい費用がかかるという事です。贅沢な道楽ですよね。道半ばで諦める事は仕方のない事なのでしょうか。親の言いなりに半ば強制的に始めた音楽が日に日にちょっとした興味を持ち始めてだらだらと続けていって気がついたら音大も卒業もしたのだが大した実力も付かず辞めるに辞められずに結局の所、それを決定するのは金銭的な問題になっていませんか。どっちみち音大生の75%が女子大生、10%が長男か一人息子、親が非常に裕福であるとか、親に代わる結婚相手を含めて経済的支援者が現れればこの道楽は続けられ、その途中でコンクール入賞やなんらかの形で名声を得る事ばかり考えてこのゲームを続けている状態ではないでしょうか。自分が音楽家を続けていくかどうかということを大半の人が経済的理由で決めてしまっているのが現状であると思います。人生の半分をこの音楽という芸術とともに歩んできたのでしたら、もっと使命感をもって自分の人生設計をして欲しいのです。甘過ぎますね。

さあここで、もう一度音楽家芸術家とはどうあるべきか自分なりに考えていただきたいのです。要は緻密な人生設計をして欲しいのです。         

先ずはご自分のクオリティーについて。技術的な面、レパートリーの面、知識力、他の芸術との関連知識、いろいろあげたらキリがないですが、ちゃんと皆さんもう一度計画し見直してください。そうしてそれを実行なさってください。こういう根本的な事を皆さん忘れているのですよ。人生には好転する為のチャンスが何度か来ると言います。20代迄に3回、30代では2回、40代で1回、これを確実にモノに出来るようにするのが鍛錬の力です。皆さん方芸術家は人の出来ることをするのは当たり前。それ以上の事が出来てはじめて芸術家になれるのです。
ここでちょっとお耳に入れたい事があります。ドイツ語では音楽家が貰う報酬をHonorar(ギャラ)といって、月々定期的に貰う給料をGehalt と言います。要は音楽芸術家が貰うのがギャラであり、オーケストラ、合唱団、大学の先生が貰うのが給料であります。給料には保障があり日本と同じように保険、年金が義務付けられています。ギャラの方は保障が無いのでその分報酬額が高いのですが、特に老後が不安です。私は音楽芸術家は自分で老後の為の個人年金を掛けるべきだと思います。ちなみにウィーンは世界で一番ギャラが安いのです。ウィーンフィルが存在する理由に国立オペラだけの仕事ですとオペラの曲ばかりで管弦楽曲が出来ないから。もう一つは給料だけでは報酬の安い国ですから、食べられる事だけでギャラの入る仕事として別団体を作りウィーンフィルの名前でコンサート、CD録音、演奏旅行をしている訳です。ギャラからは高い税金と年金を別に払っている訳です。また、給料だけでなくギャラも貰うことは芸術家にとって大事なステータスでもあります。日本、韓国、アメリカではギャラが必要以上に高い気がします。この事は伝統芸術文化の存続という点ではマイナス効果を与えていると思います。必要以上に要求すればまたそれ以上に支払いをする者が出てきて無意味な競争心を煽り立てる事になるのです。これの原因が現在の形の音楽事務所の存在です。
さて、後でまたお話をするつもりですが、私の大きな提言の一つに、音楽芸術家の為の年金と保険のシステムを作る、ということがあります。良いシステムが出来れば経済的にも将来的にも音楽芸術家がもっと研鑽する事により時間がかけられ、音楽屋でない真の音楽芸術家を生み出せる可能性が多くなると思います。


ウィーンに於ける日本人音楽家、留学生

ウィーンには毎年600人程度の日本人音楽家、留学生がいます。この内実際に常時活動している音楽家は35人程度、うち80%が女性でヨーロッパ人との既婚者が多く男性は5人もいません。これに留学はしたものの、名声もあげられず帰るに帰れずなんとなくズルズルといる人が100人くらい、後は殆どが経済的に不安の少ない人で現地人と結婚している女性、学生時代と同じようにろくに勤勉であるわけでも無く小さなプライベートなコンサートをしてあたかもすごい活動をしているかのように経歴に書いている人、これに現在音楽大学に在学中の100人、残りは勉強しているのかしていないのかわからない人が入れ替わって毎年だいたい600人くらいいる訳です。なんか甘い人が多く無いですか。でもこれが実情なんです。こういう事や日本の音楽屋、音大生、何となく経済的保護を受けながら音楽を続けている人、この方々の意識改革をしない限りは単なる趣味、金持ちの戯れ言としか世間には見られません。先ずはここから改革です。


音楽上の得な話

なんだか最初から暗い現実のお話ばかりなので、ここで皆様方に,良いフレーズ感を持てる様になる、最短の簡単な訓練方法をお教えしましょう。本当に簡単ですよ。

先ず良いフレーズ感とは何か。わかりやすいやすい事,あっさりしている事、あまり長くない事、覚え安い事,これが実は全てなんです。

偉大な作曲家達は人間のこの感性にあった曲を作ろうと必死だった訳です。作曲家は山ほど居たわけですが、その中からこの感性にあった作品ばかりが長く生き残りました。この歴史が伝統なのです。残念ながらこの感性の部分は伝承という方法でしか後世に伝える事が出来ません。このような事をついこの前までひた向きに守っていたのが,音楽の都ウィーンです。いつもこの伝統を200年以上大切に守り続けたからできた事でした。ウィーンの伝統とはいまお話した、良いフレーズ感を持っているという事です。もう一度言いますが、これを訓練するのは難しくありません。これは別にウィーンの伝統的な訓練方法ではありません。ですが、私の方法で根気良くすれば誰にでも簡単に良いフレーズ感が身につくことが出来ると思います。大事なことは諦めない我慢と努力の意志です。

それでは訓練に入ります。
用意する物:今ご自分が勉強している楽譜 鉛筆(出来れば3B) 。
またはIMSLP等でプリントした楽譜 鉛筆。
楽譜と同じ曲の音源、再生装置、出来るだけ良質のもが良い。

1、ひとつの音源を楽譜を見ながら1回聴く。その際にフレーズ分けをし、鉛筆で印、そして縦線を引く。2回目に違う演奏で聴き、1回目の縦線を確認しながらフレーズの最初の小節に、その区切られた小節数を書いていく。3回目、また違う演奏で聴き正しいか確認をする。3回聴くまでにフレーズ分けが完了できる様にする。要するに、早い判断が必要でです。
2、これを毎日1曲ずつ、先ずは1ヶ月続ける。曲目の選定は、簡単なものから段々複雑な物へと変えていくのですが、あまり急いで曲目を難しくしてはいけません。徐々に難易度を上げましょう。例えば、ピアノを習っている方なら、ソナチネ集から古典派の曲目へ、これは子供にも有効で、勉強した曲で順番にやって良い。他の楽器をやっている方は先ずは自分の専門楽器の曲で、次にオーケストラ曲に進まれると良いでしょう。この時点では、正しくフレーズ分けが出来たか出来ないかは、さほど重要でなく、3回のうちに完了する事が大事です。即ち聴くと同時に俊敏に頭の中でのひと固まりにするフレーズ構築力をつける訓練です。
オーケストラの曲目へ進む事は非常に良い事です。というのは、オーケストラの曲でこの課題をこなすと先ず色々な音色に対して敏感になります。またオーケストラスコアという楽譜を知る事となり段々と知識が必要となって来ます。また毎日曲目が増えていくので色々な作曲家を知る事が早く出来ます。こなす課題の順番は、交響曲でしたら先ず、ハイドンを5曲、モーツァルトを5曲、ベートーヴェンを5曲という風にこのフレーズ分けの効果が早く出る様に古典派からロマン派へ、それからバッハ、近代の曲という風に進めていきましょう。今日では、IMSLPやYouTube等を使えばお金を掛けずに簡単に実行出来てしまうので皆様方は大変幸せだと思います。曲目はこれにオペラを段々加えて行ってください。それはフレーズと言葉の関係を訓練する為です。
3、2ヶ月目から1、2、の練習に加えて次の練習を行います。先ずは日本語の物で良いですから、300字ぐらいのテキストを探して下さい。ニュース、新聞の原稿から1つ、小説から1つ、漫画から1つ、官能小説から1つ、これを先ずは自分が、NHKのアナウンサーになったつもりで全部読む、次に役者になったつもりで、次に政治家になったつもりで、2回ずつ読んで下さい。そうして最後に自分自身で文章に応じて一番良いと思う話し方で話して下さい。これを1日おきに実行して必ず録音して聞いてみてください。着実に表現が良くなりますよ。これを月日が経つうちに、ドイツ語で、英語で、イタリア語で、フランス語でと輪を拡げていくのです。

4、この時点から、毎日1分120歩のテンポで毎日歩いて下さい。カチカチとiPhoneなどのメトロノームを使わずに2歩づつ数を60数え1分したらストップウォッチ見てチェックこれを何回も行なう。少なくとも半年ぐらいは続けて欲しいものです。必ず良いテンポ感と極めて微妙なテンポの動きが判るようになり身に付きます。お試し下さい。
5、この頃にはフレーズ、話し方の抑揚の事が、明らかに今までとは違って感じてきます。
6、約3ヶ月目くらいから、音楽と言葉との関係の訓練に入ります。音楽によって人の感情の動かす一番重要で簡単な事、それは変化度合いなんです。ダイナミクスと音色は大体の人がわかるのですが、ことアゴーギグ、テンポに関してはなかなか理解が得られない。それはこれが単独では効果があまり大きくなく、他の2つの要素と微妙にいつも関連して出来るものであるからです。とにかく微妙な変化に敏感でなくてはならないのです。音楽も言葉も微妙な変化にによってその効果が出るのです。言い換えれば、絶えず変化をしているのです。本当に少ない変化から、自然界の動き、平静な感情状態、興奮状態、病的状態、死の状態、物質の状態等。
という事は、音楽、言語の部分では、隣り合う音,隣り合うシラブルは絶対に同じものはなく絶えず変化している事になります。 
この違いを理解する訓練がここから始まります。微妙な違いは伝統、伝承の中から学ぶことが出来るのです。

先ず音楽の世界では、最小限の単位をEinheit、つまり動機、次の大きさの単位をフレーズと言い、動機にもフレーズにも必ず頂点があり、その頂点に向かって音楽は高揚し、終点に向かって減衰するのです。この繰り返しを様々な形で何度もすると楽曲が成立するわけです。この状態と興奮度を曲線で表すとその曲のクライマックスが解ります。最小限の動機頂点は言葉のアクセントに近く、この小さな単位でも必ず頂点が存在します。それは言葉の訓練の際に体得出来たと思われます。次の大きさの塊がフレーズです。単位は4小節ないし8小節が基本です。この中にも必ず頂点が存在し、音楽は頂点に向かって高揚しそこからまた終点に向かって減衰する訳です。この段階では和声の動きと対位法の仕組みがこの頂点を作り出しています。
さあこの動機上の頂点と、フレーズ上の頂点を確実に捉えられれば皆様方の音楽は見違える程、自然で音楽の向上にかなった演奏が出来る様になります。大事な事はもう一度、動機、フレーズには必ず頂点が存在し、頂点に向かっては音楽が高揚し、終点に向かって減衰する、という事を必ず実行する事です。このフレーズの時間ぐらい人間は記憶する事が出来ますが、それ以上の時間は瞬間的に頭脳処理が出来ないのです。8小節のフレーズの頂点は大抵の場合、カデンツ上の終わりのドミナントに頂点がきます。そこに向かって音楽が高揚しドミナントからトニカに向かって減衰し安定する。そしてまた直ぐに高揚が始まって次のフレーズを創るのです。この動機とフレーズの関係を飽きる事なく作っていくと名曲の完成です。
 
改訂:
これに連続性を含んだ非連続性が大事な要素です。人は同じ事が続くと最初はそれを良しとしますが3回以上ただ続くとくどいと言って聞かなくなります。コレも人間の脳の性質です。ですから人間の脳が興味を持つ様にするには、全く同じものは2回まで、3回目からは何れかの事を変化していけば興味を続けて持ってくれるという訳です。コレも名演名曲の極意です。

次に高揚曲線と名演、名曲の存在について。

さて名曲の条件ですが、この音楽上の頂点が無数に存在し、その強さがちょっとずつ違っていて、その曲全体の頂点の位置の連携がフレーズを形成する高揚線と同じ形に存在する時、これを名曲と判断できる訳です。要するに最初から始まって頂点が全体の4分の3以降に存在するものです。
8小節のフレーズで解りやすく解説すると、フレーズは1小節目から始まり、動機上のアクセントによる微妙な変化をともなって3小節目でちょいと高揚し、そのまま半終止の4小説目で微かな休止をしそのまま高揚を続け7小説目のドミナントに達してそこからトニカへ終息する。これを曲線で表すと何かに似ていませんか。そうです、男性のSEXカーブ曲線です。男の本来持っている自然な興奮度曲線の事です。この曲線と同じように興奮度で作曲したものが名曲として残っている訳です。元来男性の作った曲に名曲が多くて女性の作った曲があまり世に出ない事、男性の世界でこの文化が発展した事等、一概に間違いだとは言い難いです。
また演奏の面でも、この効果を守っている人は殆ど例外なく巨匠として名を遺して居ります。ちなみに、クライバー、フルトウェングラーは間違い無くその一例で、この部分が彼等の演奏には大変反映されている訳です。興味深い話でしょう。皆さんで実験してみて下さい。頭の中での創造が大事です。もしこれを実験なさって体感体得なさった方は、私の提案が、現代の日本クラシック音楽界を中傷非難をするものでは無く、真実だという事がわかって頂けると思います。私はニセモノでは有りません。但し、あんまり大きい声では言えませんが、この方法でフレーズ感ができてしまうと、日本の音楽家の音楽がつまらなく感じるようになります。だけど、良いフレーズ感はつきますよ。まぁ要するに、美味しいものの見分け方がつくということです。

改訂:
戯れ言
昔指揮科のレッスン中に生徒達に男性のSEXカーブ曲線とフレーズの関係の話をした時に週末の課題としてブラームスの第一交響曲を頭に浮かべながらパートナーと夜の営みを試せという話をした事があります。週明けの彼等の報告は100%の好報告でいつもと違って素晴らしいとか長続きしたとかでした。やっぱり人間の営みに名曲の条件(音楽の条件)はピッタリマッチしているとの実証だと思います。男性の方名曲何でも良いですから是非お試しあれ。成功の暁には是非良い事を学んだとして、コアラの会への入会をお願いします。はははは

この文章を書いている時に、エリザベートピアノコンクールのファイナルの結果が出ました。期待されていた日本人は、3位と4位でした。音楽事務所、音楽団体、聴衆共々期待をかけていたのですが、優勝が獲れずに残念な結果となりました。あと何日かしたら、マスメディアを含めて何も起こらず忘れ去られてしまうでしょうね。また若い音楽家は優勝をするまで興味を持ってもらえない日々が続くのでしょうか。それで優勝したとします。でも興味を持たれるのは次の優勝者が出るまでですよ。私は優勝者の大量生産をしていましたので、このことはよくわかっているつもりです。冷たいクラシック音楽界だと思いませんか。仕事にならないと、彼等なりの判断で何も起こらないのです。若い演奏家はこの結果だけで、人生の進む速度が変わってしまうのです。そんなにコンクールを優勝する事が大事ですか。皆さんも良くお考え下さい。これが現在の日本の音楽界のやっているやり方ですよ。いくらこの方法をとっても進歩発展はないですね。

今回の一番の主旨

私が今回この提言をしている主旨は、10年後の世界的レヴェルでクラシック音楽界の発展させる為であり、その為には全てのジャンルに於いて梃入れが必要だということです。
将来のある音楽学生、今まで音楽を勉強をしていた方、プロの個人的音楽家、オーケストラ等の音楽団体へ所属している方、アマチュア音楽家、音楽大学の教師、小中高の音楽教師、音楽教室、個人音楽教師、アマチュア団体の指導者、音楽事務所マネージャー、私設音楽マネージャー、音楽評論家、音楽出版社、音楽的マスメディアの方々、文化に関する公共機関、役所、公文協を中心としたホール、現在までのいろいろな音楽活動の為のスポンサー、鑑賞団体、クラシックが大好きなファン、一般聴衆、学校で音楽クラブ活動をしている小中高の一般生徒、等々これら全ての方面に、です。そうしてこの構想を先ずは日本で、続いてヨーロッパ、アメリカ、中国、韓国、南米とどんどん世界中に拡めていくつもりです。

改訂:
募集:
上記の方々の為にこのコアラの会に入会して頂き、コロナ禍で行ったノウハウを使ってネット上で脳内革命文化人向上の為の講義或いは論評提示等をしませんか。過去を含めて音楽大学で副科を担当なさった方またそれに相当する方で1300万人のクラッシク音楽界関係者対象でお願いしたいのです。また各種経営に携わる方特にベンチャー企業の経営者の方で音楽関係者の脳内革命にご協力とご興味のお有りの方ご一報ください。

とにかくクラシック音楽界のありとあらゆるジャンルの方々には将来を熟考して頂きたいのです。そしてこのテーマについて意見の交換をして頂きたいのです。その場が「wiener コアラの会」(コアラは私のニックネーム)。 
またこの会は多面に活躍されている同志たちの交流会として利用して頂き、この会と交流が始まった方は、他の会員の方からの要望は、原則、同志という事で常識的に可能な限り受け入れて実行して頂く事としたい。つまり、ご自分の意見に必ず責任を持つべきあるということです。その為にも、この「wiener コアラの会」では、会員制をとり、意見交換の場合出来うる限り記名制、現在の職種も公開した上(立場上無理な方はアカウント名で良い)で行ない、この会の中では誰もが平等の扱いを受けます。また会の運営にあたり、小生(湯浅 片眼失明の糖尿病、腎臓病)一人で尚且つ、年金生活者の財源だけでは殆ど何も出来ず、この業務を手助けしてくれる者達(音楽留学生)が必要で、その者への僅かばかりのお礼、諸経費等の経済的援助が必要です。明日へのクラシック音楽界と音楽家一人一人の為なので、会員お一人ずつからご負担を頂き、年間助成金というお気持ちで1口 60ユーロ、約7500円(月5ユーロ)のご負担をお願いしようと思っています(何口でも可)、又これ以外に大口助成は大歓迎です。あまりお金の事は書きたくないのですが、最低限10年以上継続しなければならないですし、本来私は貧乏人なのでなかなか良いアイデアが浮びません。良いアイデアがあればお教え下さい。是非是非御賛同、ご参加ください。
改訂;
(会計報告は原則として年末に一度させて頂きます)

このコアラの会を世界的に広めるべく 名前をwiener コアラの会として ウィーンでは、先ず手始めに、過去、現在にウィーンで勉強した事のある方、ウィーンで活動している音楽家を世界的に集め輪を広げて行こうと思っています。


さあまた話を本文にもどしましょう。

音楽マネジャーと音楽家との関係

現代の若い音楽家がプロの音楽家になる為には?と考えると、多かれ少なかれ現在の音楽マネジャーがその鍵を握っています。その音楽マネージャー界の経営方針にはちと問題があるように思えます。
まず世界的に観ると、世界中のクラシック音楽界を牛耳っているのは、約20人程の音楽マネージャーだけなのです。この連中が仕組んだ計画に世界中の音楽関係者が実は振り回されているのです。これを真似しているのは日本の大手マネジャーであり、それに日本中の音楽団体、末は音楽学生までが言う事を聞いてしまっている訳です。
世界の音楽マネジャーの中でドイツに4人、オーストリアに2人、イギリスに4人、フランスに3人、イタリアに2人、ロシアに1人、アメリカに4人、これらの人達が作ったそれぞれの音楽事務所が鍵を握っている訳です。さあじゃあ彼等には何が出来るでしょうか? 自分で演奏する以外、現在では全ての事が出来る(マネージャー達が自分の思い通りになる)のです。
そもそも音楽マネージャーが実際に職業化したのは第一次世界大戦後と言われています。戦争で荒廃した世界各地に音楽を届けようと、まだ事務所化せず1人で実際に現地に行ったり、手紙を使って自力で色々な演奏団体やほぼ行方不明となっていた音楽家達を探し出し、公演を行う補助をしていたのでした。沢山のギャラを要求するまでも無く、みんながまた演奏できる事に喜びを持った時代でした。まだ国家が音楽界に資金援助をする前の時代です。音楽なんぞは、最初は王様や貴族の戯れ言として始まり、ベートーヴェンの時代ぐらいから一般民衆にも拡がりつつ 、この頃には大富豪がパトロンとして存在するようになり、音楽家はまだそれほど稼いではいませんでした。古き良き時代ですね。そんなに沢山の人が音楽家であったわけでも無く、パトロンとしては良いものにしかお金をださず、ですから限られた人々の世界であったのです。そしてその後民主化が進みプライベートな音楽団体が出来始め、今度は民主国家がこれに支援をし始めます。そして二度目の世界大戦を経て戦後の音楽界の基礎が出来上がりました。そして時代が進むにつれ、様々な部分がそれぞれ独自に発展をしていきました。この多様化した中で一番失われてしまったものが、いつも最高のものを追い続ける精神です。この音楽が学問として大衆化した事。義務教育の中に取り入れられた事。また一般市民への情操教育としての普及。最初は大金持ちの子女教育としての意義しかなかったものが、これだけ一般民衆に普及していくと経済的に余裕がなくても出来る方法が必要となってくる。民主化された戦後の中で誰隔たりなく教育が受けられたり、体験出来る場所の提供という事で、音楽大学、多目的ホール、ヤマハなどの楽器販売、音楽教室、レコード、CD、ヴィデオ、DVDの販売、関連書籍、楽譜、文献の研究と販売と、枚挙にいとまが無いほどに拡大されたのがクラシック音楽界なのです。何度も言うようですがこの普及に関しての全体の統一感がない事、それを管理する機関、人物がいない事、これはある意味でこれから先の問題となってしまう点だと思います。一つ一つより良い方向へ進む事が望まれます。

改訂:
多様化、大衆化で起きる問題点とは普及を第一として音楽人口は増えるものの伝統、伝承、クオリティはどうしても軽薄です。

さて、現在の音楽事務所はいったい何をしているでしょうか。

1、音楽家のスケジュールとマネー管理
2、音楽家の報酬決定と請求
3、音楽家の興行中の交通、宿泊、食事の斡旋
4、音楽家の付き人
5、音楽家の宣伝、広告
6、所属音楽家の決定
7、音楽関係団体との交渉
8、音楽家のスポンサー探し
9、官公庁関係との処理
10、一般聴衆との交流、チケット販売
11、マスメディアへの対応と売り込み
12、音楽祭、フェスティバルの企画
13、依頼公演のマネージメント
14、事務所独自企画

というように、実は仕事量が半端ではありません。ですから彼等が一人一人の音楽芸術家にかける時間と労力が、理想の方向に簡単にアレンジメントができなくなり、ついつい音楽マネージャー側の合理的で都合の良い方向になってしまっているという訳です。現在はその究極の一歩手前のところに来ているのです。これらの事に対して現在の音楽事務所はある意味で音楽家、音楽団体に対して独断の決定権があります。
更に彼等(音楽マネージャー)の収入は音楽家からの収入の10から15%報酬であり、他の経営、経済コンサルタントのマネージメント料から比べるとその収入額はあまりにも少な過ぎます。
ですからおのずと音楽家を育成したり、人生設計の示唆するいうより、もっと採算や合理化に走っても仕方ないかもしれません。

さあそれでは、どうあるべきか。これは音楽家が勉強する事よりももっと難しい問題です。幾つかの改善策を考えますが、ここを直すという事は現在の音楽界の根本的な考え方を変えるという事です。ですから現在存在する音楽事務所が改革をするというよりも新しい考えのクラシック音楽界のコーディネーターを作ってしまった方が簡単かもしれませんが、先ずは改革という点でお話ししましょう。

1、音楽事務所の第一経営方針は音楽の伝統文化の継承と芸術音楽家のより良い仕事環境の構築。やたらとお金稼ぎに走る音楽屋を絶対に作らない。
2、音楽家を商品のように売り出さない。
3、マネージャー自身文化人牽引の仕事であるべきなので、音楽家、文化人と同様かそれ以上の教養、知識を持ち、いつもその先端にいて欲しい。
4、正規契約音楽家の数を減らす。
改訂:
勉強しない音楽家はクビ

一人一人の音楽家を生涯面倒をみる。老後の事まで。どこの事務所を見ても所属音楽家の内実際に仕事が成り立っている人数が15%以下である。
5、事務所全体の職員の数を減らす。音楽家の数にあっただけの数に減らす。これによって一人一人への対処が格段と向上する。事務所の経費を削減して必要以上に演奏家報酬を上げない。
6、無闇に市場へ音楽家を数多く送らずコンサートの数を減らして一回一回の質の向上を目指す。このコロナ禍で、たくさんのコンサートが代役によって行われています。これによって日本人演奏家で潤った人もいる事でしょう。代役という事は、セカンドベストという事ですよね。日本全体にこの風潮が当たり前とされている。日本のクラッシック界はどこを見ても普段からこの感じじゃあないですか。それまでして無理に沢山の演奏会を続けるべきでしょうか。品質劣化原因の一つです。
7、例えばオーケストラの場合一か月に何回ぐらいコンサートを開いているでしょう。平均で10回ぐらいですか。その為のプロダクションの数も多過ぎるし、指揮者も代わり過ぎるし、先ずは演奏上の品質アップを第一とし、同じプロダクションでのコンサート回数を増やす(最低でも3回)。またどんな演奏会プロダクションでも練習は最低3日間、各コマ数を現在よりも15分づつ延ばし、その分練習の質の向上を図り、曲目もそれなりにオーケストラのアンサンブル向上の為のものをもっと増やす。客ウケばかりを考えない。残念ながら日本のオーケストラのレベルは技術はやや向上しても日本の方々が思っていらっしゃるよりはるかに音楽的にレヴェルの低いもので、ここ15年間基本的にははっきり言って向上していません。コロナ禍の時代が来なくてもやっぱり同じだったんですよね。根本的にどんな問題があるかはオーケストラの項でゆっくりお話しをしましょう。特にオーケストラの側でも練習の出来ない指揮者でも良しとする風潮を根絶する。オーケストラ団員への気遣いで練習時間を短くする様な指揮者は言語道断、それを促すマネージャーは最低。きちんとオーケストラを向上させる事の出来ない指揮者は日本のプロのオーケストラ音楽界から追放すべきである。
8、必要以上にギャラを多く要求しない。とにかく経費を抑えて仕事にあった報酬額を要求して、楽団員の給料とあまりに大きい格差を作らない。舞台上でのギャラの格差は良い演奏コミニケーションと結びつかない事がある。
9、指揮者、演奏家の決定はいつも楽団品質向上を第一目的とする。
10、出来れば楽団とは年間契約を結び個別のマネージメント料を音楽家からは貰わず、決められた予算のもとにそれに合った指揮者を選定する。下手な指揮者を送れば次年度からの年間契約に影響が出る。要するに下手な指揮者、演奏家を持たなくなる思考に変えていく。
11、いつもピリピリとした状態で世界からの情報にもっと明るくなければならない。世界の音楽事務所でネット上の繋がりだけで情報を得てそれを楽団に売るなどはもってのほかである。ちょっと語学が堪能だからといってそんな若い社員ばかりにせず、往年の時代のように、世界の情報は実際に現地に赴いてそこから良い真の音楽家を探してくるような仕事をして欲しい。今世界を牛耳っている音楽マネージャーは少なくともそういう風にしてきた人達なんです。とにかく現在の音楽事務所は2世代以降の社員教育が全くなっていない。自分の担当する演奏会に行かない等もっての他です。私はそういう若い自称音楽マネージャー達はこの業界からは追放すべきだと思っています。
12、日ごろ音楽マネージャーは縁の下の力持ちである事を忘れ、軍隊の参謀だと勘違いをしている輩が多い。若手社員、若い指揮者を作るのも教育です。今両方とも教育をきちんと受けていない同士が、悪い仕事ぶりをしている訳です。どんな指揮者がいるか名前を書きましょうか。まあやめておきましょう。ちなみにそんな指揮者は日本には約20人くらいいて35才から50才までの人で、全員が音楽事務所に所属していて、オーケストラを世界的レヴェルにする事も出来ませんが、マスコミやネット上でチヤホヤされています。音楽事務所のさしがねでしようね。皆さん外車を持っていらっしゃいますが、誰一人私の指揮者の条件である 、リヒャルトシュトラウスの薔薇の騎士を一週間以内で公演スタンバイ出来る人はおりません。これが現在の日本の指揮者、音楽マネージャーの実態です。10年後が考えられますか。無理ですよね。こんな事が至るところで起こっているんですよ。本気でやらなければ変わりません。どうぞ皆様方もご熟考下さい。お願いします。

13、最後に二人の音楽マネジャーの見本のような人がまだ日本にいることのお話です。お二人ともK音楽事務所の出身者で、一人目のS氏は、今やウィーンでも、兵庫でも活躍している指揮者、S君の育ての親です。バーンスタイン氏とコンタクトを取りS君とのコンタクトの橋渡しをし、とにかく彼を指揮者にする為の裏の努力は全てしたと言っても過言では無いと思います。彼が留学の時資金が無いとスポンサーを捜して必要な資金を工面し、彼に負担が掛からないようにして、つい最近までそのスポンサーの名前を明かさなかった程です。S氏と指揮者S君には本当の意味の絆を感じます。二人目はH氏といって、ある若手指揮者K君に最初から彼のキャリアに合わせた仕事を探して彼を育て、今でもこれから先のことを考えて仕事を作ってあげています。こんな昔気質の良いマネージャーもいるのですよ。尊敬します。二人の指揮者には、世界を目指して欲しいですね。
13、とにかく音楽家と音楽事務所の関係をもう一度根本から変えましょう。現在は音楽事務所が仕事を提供してその商品としての音楽家が存在している。要は音楽事務所が音楽家を雇っている関係にあるのです。これを逆の発想として音楽家が音楽事務所を雇う形にするのです。基本的に音楽家は直接に演奏団体と交渉をし、自分で処理できない部分を音楽事務所に委ねる方法です。そうする事によって、主従が逆になり、偉そうな音楽事務所も無くなり、それにへいこらする音楽家もいなくなり、コンクールや経歴ばかりで判断するシステムも無くなるのではないでしょうか。これも今回の大きな提案事項の一つなのです。この方がオーケストラ、演奏団体側も音楽家側も健全に良い音楽家を探したり目指したりする事に意欲を持って進められると思います。一番手短に出来る改革ではないでしょうか。
14、この他にもたくさんの提案はありますが、もう一つ大きな新しい役割は、音楽家の為の年金制度(後で丁寧に後述)の運営の中心的機構として活動をして欲しいのです。この事務的な仕事は音楽事務所の新たな仕事分野となり手数料の収入が必ず入ると思われます。

改訂:
A音楽事務所社長Iさんにエールを送る

ふとある記事を読んでlさんの現在の立場上出来る事を探っていらっしゃる事を目にしました。このなかなか動きの悪いクラッシク音楽界にあって貴方の運動は将来の一番鍵を握っている地位だと思います。やっぱり音楽事務所が牛耳るのですかね。目の付け所が非常に良く的確です。クラ協、オーケストラ協議会、日本演奏連盟、文化芸術振興議員連盟、公文協などクラッシク音楽界の発展のカギとなるところは大体抑えていて貴方の手腕次第でどっちにも転がりそうですね。期待をしています。但し世界を牛耳った音楽事務所マネージャーの二の前にはならぬようご注意下さい。また私の弟子4人もアマティでお世話頂き有難うございます。ぶっちゃけたお願いですが、今や一番の問題は音楽家、音楽教師、音楽学生の事なかれ主義、勉強、研鑽の興味なしの堕落さ、世界一を目指さず生活重視の思考、周りの環境の為に自分の意見が言えない音楽家、その音楽家を使って商売をしている音楽事務所、オーケストラ。特に今回文化芸術振興連盟の国会議員の方には綺麗事では無くまた経営、予算の事よりも腐っている職業音楽家の実態は確実に知ってもらった方が良いと思われます。要は最良の状態が無いのであれば補償はあり得ないし、一般聴衆に不良品を提供する事になります。私は真実を話して悪者になりますからなんとか今のクラシック音楽界を変える努力をお願いします。また日本の音楽家を世界の檜舞台に送り出す努力をお願いします。

改訂:
ここで余り触れたくない悪き慣習から起こる問題
プロのオーケストラ団員、経営側、長年の経験のある指揮者、音楽事務所によって次の様な事が当たり前の様に起こる事です。ウィーンのオーケストラでは大抵3日練習、ゲネ、本番が定説です。日本では定期公演でも時によってはこの原則すら守られず、練習を出来るだけ割愛してまう用でぬね。怠惰な芸術家のあるまじ悪き習慣ですね。文化事業のかけらもない。多分コレに関わっている方は誰も真剣には考えないでしょう。コレがあなた方の文化事業ですよ。この事実は一般聴衆を始め関係者以外は解らない部分ですよね。この感覚が音楽学生にも蔓延しているんです。毎年年末に200回以上あるドル箱のベートーヴェンの第九演奏会どうせ1日か2日練習でしょう。地方公演の巡業コンサートやはり1日か2日ですかね、それも気迫のない練習ですかね。ある企画もので4代オーケストラが一堂に聴けるというコンサート、チケットが1万円を超えるもの、この練習もこの為の練習はどこも1日だった様ですね。お客様は満員でも信頼のおける知人数人に聞いたところレベルはオーケストラがヘタか、演奏の良し悪しではなく指揮者の言いなりか、ただ詰まらないか、寝たそうです。聴衆を馬鹿にしないで下さい。もし皆様方がヨーロッパに演奏旅行をするとしたらそんな準備はしないと思います。またある地方オーケストラの地方自治体主催のコンサート、売り上げ向上の為に、地元出身の中堅指揮者、著名な歌手、ソリストの共演、7000円のS席で満足度ほぼ無し。ソリストが聞こえず余りにも管楽器のクオリティが悪く弦楽器はうるさいだけ、聞くところによるとコレも1日練習という。本当にお客さん逃しちゃいますよ。もうクラシック音楽会はゴメンだとの聴衆の声。地方を馬鹿にするな。コレが実態ですよ。

音楽事務所のIさん、Sさん、Hさんを育てた、元梶本音楽事務所の会長の故梶本尚春氏に感謝と敬意を表してご冥福をお祈りします。

また音楽事務所、オーケストラ、オペラ団体、音楽大学、その他音楽団体の経営者の方々へお願いですが採算経営を考えて文化事業をすれば自ずと文化度が下がる事をお忘れなく。とにかく文化人を育てる事が250年以上続いたクラシック音楽界を破壊しない方法です。ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ブラームスを超えた人材が出来ますか。でも彼等より稼いでる音楽に従事している人が殆どでは無いですか。それでは聴衆も支援者もすぐ離れていってしまいますよ。

この文章を読み返してる上で、またふと皆様方、特に音楽マネージャーの方々へお話ししたい話があります。それはある二人の方の紹介です。一人はヴォルフガング・アルミンクさん。彼は皆様もご存知の新日フィルの前音楽監督のクリスチャン・アルミンクの父上で、私のご意見番で非常に尊敬できる方です。息子さんは私が最初から教えた生徒でしたが、とにかくよくホテルサッハーのカフェで色々なお話を聞いて下さり、その事を直ぐに実行に移してしまうのです。この頃彼はポリグラム社(ドイツグラモフォン、デッカ、フイリップスの親会社)のオーストリア社長で、ウィーン音楽界で彼の名を知らない人はいませんでした。ちなみに彼の引退記念パーティはウィーンのコンツェルトハウスの全てのホールを使い、ヨーロッパ中の著名な音楽家が集まりそれは壮大なものでした。私との話で、指揮者を育てるのにCDを使いたいけれど学校では予算が下りないと言うと、次の週にはCD約5000枚をただで送って下さいました。学校側がこれに対して図書館に寄贈の手続きをしなければならないとか、簡単に生徒には貸し出し出来ないとか面倒くさい事を言い出すと、これはYujiさんに寄付をするという事にして下さり、生徒達へ簡単に貸し出しが可能になりました。また私がオペラのレーザーデイスクを何とか何処かで放映出来ないかと提案すると翌年には、市庁舎の広場で夏の間オペラフィルムフェスティバルとして実行され、そこには露店もでき、夏の間のウィーンの一大行事となりました。またあるときには私がカラヤンさんの博物館を作ろうと話すと、次の週には、カラヤン未亡人とザルツブルク市長と話し、ザルツブルクでは良い場所が取れないということでその2年後にカラヤンセンターをウィーンの中心部に作ってしまいました。こんな行動力のある理解者は他に会ったことがありません。私はまたこのような方にお会いしたいし、自分もそうありたいと思っています。これも伝統の街ウィーンの産物だと思います。
もう一人の方は、田中路子さんという方ですす。彼女の経歴は波乱万丈で、最初ウィーンに声楽科の学生として留学し、その間ウィーンの最大閥であったコーヒー王、ユリウス・マインルに見染められ結婚をします。ウィーンでは大騒動となり在日本大使館は彼女を強制送還しようとしますが、オーストリア外務省がそれを助けます。その後彼女の方から別れ話が出て次のお相手は、その当時ドイツで一番有名であった俳優、デ・コーヴァ氏と再婚をします。私は若杉弘先生の紹介で何度かミュンヘンでお会いしていろいろなお話を聞きました。彼女に世話になった指揮者といえば、先ずは朝比奈隆さん、次に小澤征爾さん、パリ時代の最初重要な人達とのコンタクト音楽界に限らず政界、財界人との橋渡し、ブザンソンコンクール優勝の後のカラヤンとの関係も彼女からです。同じように、岩城宏之さん、ドイツデビューのお膳立て、若杉弘さん、日本の仕事がうまくいかなかった時のヨーロッパにおいてのサポート、数多くの音楽家、それに日本の政治家までその力は凄い、素晴らしいの一言です。私はとにかくお会いした時に沢山の時間をとって頂いたことが非常に記憶に残っています。おそらく死ぬ直前まで、日本とヨーロッパの繋がりの為に努力をなさっていたと思います。あの頃日本の音楽家がヨーロッパに羽ばたくきっかけをいつも考えていらしたのでしょう。
特に音楽マネージャーの方は見習ってください。
また思い出した方が二人おります。
コンツェルトハウス元プレジデントのハエルテル博士、 
ムジークフェライン元館長グルーダ・グントラン女史。
お二人とも二十数年間の在務期間中ほぼ毎日演奏会を聴いていらした方です。これがウィーンの歴史です。日本の館長さんの中にこんな方は、どのホールにもいらっしゃらないでしょう。
ハエルテル博士は我が指揮科部会のVerein(非営利団体)の責任者としてよく御一緒させて頂き、色々とウィーンの音楽歴史のお話をして頂きました。
グルーダ・グントラン女史は、ムジークフェラインの名物館長としてウィーン音楽界で知らない方はいないほど、言わばムジークフェラインという名の老舗名女将と言ったところでしょう。彼女は舞台の袖の録音コード用の穴から指揮者の見えるところに椅子を置かれて毎日そこで演奏を聴いていらっしゃいました。指揮者、ソリストが演奏を終了すると一番先に会う、言わばステージマネージャーの様でその優しい演奏後の応対を私は今も明確に覚えております。舞台の袖のこの場所には、グルーダ・グントランのボックスと書いてムジークフェラインに残っています。ちなみにカラヤン、バーンスタイン両氏ともウィーン公演の時最初の練習の前に必ずグントラン館長さんに花束を持って行ったそうです。またこんな事もありました。まだコンピューターの導入前の話です。ウィーン芸術週間の前に、私の知人のある日本企業の支店長のS氏がチケット前売り日に出張で購入したい物が手に入らないのではないかと心配して、私に館長に訊いてくれないかと尋ねられました。館長は、企業の名前からS氏の名前をすぐに当てこの事をこころよく了解し、処置をすぐして下さいました。この頃ムジークフェラインの定期会員は少なくとも約4000人、カードによるデータ管理の時代、彼女は殆どの定期会員の名前を覚えていたのです。毎年変わっていく定期会員名をですよ、覚えていらしたのですね。信じられない事です。でもこれが世界の中心ウィーンのムジークフェラインのクオリティです。敬服します。こんな事は日本だって現在何処だってありえない事です。見習いましょう。
思い出は切りなく浮かんでくるのですがこの位にしましょう。なんにせよ、この二人と知り合いであったために私は運良く長い間ムジークフェライン、コンツェルトハウスの演奏会を無料で聴かせて頂きました。

改訂:
この諸先輩の様なヨーロッパで有名な青少年の為の有名な観賞団体、ジュネスオーストリアの事務局長に私の弟子であったシュルツ氏が就任をして、wienerコアラの会への全面的協力、後援の話が持ち上がっています。色々な案件の実行がこれで随分実現可能になりました、ドイツ語版の完成直後からお手伝いをお願いするつもりです。日本の才能のある若者達よ、あなた方のウィーンヨーロッパデビューもコンクールなどをしなくてもコアラの会の会員で活動報告上に自分の音源を提出しておけばウィーンデビューも近い将来実現可能ですよ。コレがコアラの会のやり方です。お忘れなく。

この文章を読み直しているうちに、次のような情報を得ました。

(月刊音楽祭、https://m-festival.biz/21807より一部抜粋)
“著名アナリストのドリュー・マクマヌスが毎年行っている2021年版音楽業界レポートが発表された。レポートは米国内の音楽界の経済情報を伝えており、全米の音楽監督の報酬ベスト10が明らかになった。

発表によると、第1位はシカゴ交響楽団の音楽監督を務めるリッカルド・ムーティ。
音楽監督の報酬の順位は以下の通りで、1位のムーティは3,420,804ドル(約3億7,611万9,186円)、10位のマリン・オールソップは756,911ドル(約8,322万2,760円)。

 リッカルド・ムーティ(シカゴ交響楽団音楽監督)3,420,804ドル
 グスターボ・ドゥダメル(ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団)2,857,103
 マイケル・ティルソン・トーマス(サンフランシスコ交響楽団)2,139,720
 アンドリス・ネルソンズ(ボストン交響楽団)1,787,000
 ヤニック・ネゼ=セガン(フィラデルフィア交響楽団)1,672,167
 フランツ・ウェルザー=メスト(クリーブランド交響楽団)1,485,371
 オスモ・ヴァンスカ(ミネソタ管弦楽団)1,036,622
 ヤープ・ファン・ズヴェーデン(ダラス交響楽団)911,024
 ヤープ・ファン・ズヴェーデン(ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)816,375
 マリン・オールソップ(ボルチモア交響楽団)756,911 ”

勿論この額は各指揮者の全収入ではありません。一楽団からの音楽監督への報酬額です。
ここに上がっている9人のうち、オーケストラを上手にする達人は、1人か2人です。あとは音楽事務所と楽団側が売りやすい、つまり仕事を作りやすい指揮者として選んだものです。しかしながら、それに対してこの莫大な報酬金を与えている。これが現在アメリカにおけるクラシック音楽界の衰退の原因の一つでもあります。このような売り方をしていたために、コロンビアアーティストは潰れたではありませんか。日本も真似をして、(ここまで酷いことはないでしょうが)、指揮者や音楽家に必要以上のギャラを払う必要はありません。それを決定するのは、音楽事務所であり、オーケストラの責任者たちです。自分で自分の世界の首を絞めない。
クラシックの音楽家は、プロサッカー、プロ野球選手ではありません。彼らは活動生命が非常に短い。指揮者は一生です。だから、一回のギャラをそんなに高くせず、大体満遍なく届くようにすべきだと思います。
ちなみに後年のカラヤン、バーンスタインはウィーン公演において、貰った報酬の全額を、Musikverein、Konzerthausに寄付していました。


オーケストラについて

オーケストラはクラシック音楽界にとっては一番中心的存在であり、オーケストラ界の発展はそのままクラシック音楽界全体の発展でもあるので、改革は慎重に行われなければなりません。
現代のオーケストラに対しての改革案をここに示します。ちょっと意外な事が多いかもしれませんが。
殆どが音楽事務所の項で書いた事と重複してしまいますが、

1、オーケストラの第一経営方針はクラシック音楽は伝統継承文化である事。その事を無視したような演奏形態や興行をしないこと。
2、各演奏会は必ず演奏会目的がしっかりしている事。
3、各団員は伝統継承者である事、音楽芸術家である自覚を持つ事とし、勤勉に常により良い仕事環境を保つ事。やたらとお金稼ぎに走る音楽屋を絶対に作らない。
4、音楽家を商品のように売り出さない。
5、一人一人団員を生涯面倒をみる。老後の事まで。
6、事務所全体の職員の数を減らす。音楽家の数にあっただけの数に減らす。
7、無闇にコンサートを開かず回数を減らして一回一回の質の向上を目指す。このコロナ禍の時代でたくさんのコンサートが代役によって行われています。これによって日本人演奏家は仕事が増えたかもしれないが、その分演奏会の本来の目的、演奏の質の点では目標に達したでしょうか。妥協をしたのでは無いでしょうか。潤った人もいる事でしょう。それまでして無理に沢山の演奏会を続けるべきでしょうか。この間の仕事は要はセカンドベストであるという事です。
8、例えばオーケストラの場合一か月に何回ぐらいコンサートを開いているでしょう。平均で10回ぐらいですか。その為のプロダクションの数も多過ぎるし、先ずは演奏上の品質アップの為に同じプロダクションでのコンサート回数を増やす(最低でも3-4回)。またどんな演奏会プロダクションでも練習は最低3日間、各コマ数を現在よりも15分づつ延ばし、その分練習の質の向上を図り曲目もそれなりの大曲にもっと挑む。楽員側から、練習時間の短縮要求なんてありえないことである。オーケストラの側からは、練習の出来ない指揮者でも良しとする風潮を根絶する。きちんとオーケストラ向上させる事の出来ない指揮者は日本のプロのオーケストラ音楽界から追放すべきである。
9、ソリスト、指揮者に必要以上に高いギャラを払わない。とにかく経費を抑えて仕事にあった報酬額を要求して楽団員の給料とあまりに大きい格差を作らない。舞台上でのギャラの格差は良い演奏コミニケーションと結びつかない事がある。
10、指揮者、演奏家の決定はいつも楽団品質向上を第一目的とする。すなわちできる限り音楽監督、常任指揮者を使って楽団の基本部分の向上を図り、個々のオーケストラが適当に万能なオーケストラにならずに個性的な特徴あるオーケストラを目指す。
11、音楽事務所とは年間契約(フランチャイズ契約)を結び個別のマネージメント料を音楽事務所は演奏家からは貰わず、決められた予算のもとにそれに合った指揮者を音楽事務所から送られる。下手な指揮者を音楽事務所が送れば次年度からの年間契約に影響が出る。いつもピリピリとした状態で世界からの情報に明るくなければならない。

12、外人演奏家については、先ずオーケストラ側から最初に直接コンタクト取りその後の交渉を音楽事務所に委ねる。決して事務所からの売り込み演奏家とは簡単に契約をしない。
13、国や県市町村と公的機関からの補助金を第一に当てにしない。様々な意味で段々圧力をかけられるからである。
14、民間の大口援助者をオーケストラ業界全体の問題として探し、オーケストラ協議会全体で交渉しそれを区分する。
15、現在のオーケストラ公演の形態は、自主公演(定期)、スポンサー付き公演(名曲等)、売り公演、公共団体補助公演(音教等)に大きくわけられるが、このニーズに応じて、指揮者、演奏家、公演の質までがカテゴリー化されている。
これはオーケストラ側の経営上の方針であり、オーケストラ品質向上には何の役にも立っていない。現在の大半のオーケストラの経営の最大の興味は現状維持であり、これをただ続けていては世間の誰もがクラシック音楽界に興味を持たなくなる。技術、品質全ての面でトップを目指す事である。これは芸術家として最大の重要点である。
こんな事、新たに言われなくても十分にやってますと言われるにちがいありません。よく解っています。私はもう一度根本から色々と考え直して頂きたいのです。特に現在の国、地方公共団体との関係がもう少し違った方法での援助がなされないかという事です。国、都道府県は御役所仕事、現状維持を好み、なんでも変更する事に異論を唱え自分達の仕事の合理化を勤めようとする団体です。

改訂:
ここにも国会議員の方のご意見、後押しが必要だと思います。

特に子供の為の演奏会について
原則として常任指揮者が指揮をし、プログラム企画を自分で考えそれを実行する。現場の学校の先生や子供達の喜ぶそうな曲を選ぶ必要は無い。演奏する会場が許すならば、PTA、年金生活者も安価で聴けるようにする。さもないとどうしてもクオリティーが下がり子供に良い影響を与えられない。コレを守れないのオーケストラには文科省からの補助金は一切でない。このぐらいにしないと低いレヴェルで子供達に飽きられる。

16、最後に厳しい事を言います。
どうして日本のオーケストラが上手くならないか。先ずは前に掲げた問題で最も大事な音楽上の喋り方、つまり音楽語法の考え方の根本が楽団内でずれている事です。一つの楽団で考えてみましょう。同じ楽団でどれだけ違った音楽教育を受けた人達が集まっているでしょうか。音楽家というものは、受けた教育によって直ぐに意気投合することが出来ますが、あまりにも沢山の流派が存在すると、人は一瞬でどれに合わせて良いか判断できないものです。これがずうっと続くとそれがマンネリ化しその事に注意を払わなくなります。ましてや指揮者に統率力のない場合、この楽団内で出来る仕事は、音程やリズムを合わせる事、奏法の一致、それと見やすい棒で簡単に縦の線だけ合わせる演奏をする事、これをするだけの練習を、日本中のオーケストラでは40年近くも続けているのです。もういい加減に考え方を変えませんか。いいですか。日本だって良い時期は有ったんですよ。NHK交響楽団は1970年頃から1990年頃の間、名誉指揮者にサヴァリッシュ、スイトナー、マタチッチ、シュタイン等、独墺音楽に長けた同じ音楽語法を喋る指揮者を呼び徹底的に教育を行いました。この時期にN響は格段の進歩を遂げ現代に至っています。読響でさえ、チェリビダッケが来た二週間、スクロヴァチェフスキが常任であった良い時期、音楽語法のわかる厳しい指揮者の洗礼を受けて格段の進歩を遂げています。
最近は、安定しているベテラン、中堅日本人指揮者、あまりギャラの高くない外人指揮者、人気が高く比較的若い日本の指揮者を交互に使って、団員も聴衆も飽きないようにさせるのがオーケストラ事務局の手腕となっていませんか。日本のオーケストラは本当に今上手ではありませんよ。オーケストラを育てることができる指揮者は世界にも沢山はいません。世界中のオーケストラが日本と同じような事をやっているので、良い指導者を見つければ変わる可能性が沢山あり、世界でも有数なオーケストラになるチャンスもあります。忘れないでください。
ここであるオーケストラの演奏部長さんがこのコロナ禍に於ける彼の楽団の政策のようなものを発表していました。指揮者のやり繰りに困って定期公演を中止にして、その分レパートリー曲を日本の指揮者を使って公演を作り、また、日頃なかなか登場出来ない若手指揮者を起用したという話でした。非常に苦労が見え気持ちもわかることですが、このオーケストラ団員の持っている実力と自尊心からすると、彼らの実力と同等かそれ以下の指揮者ばかりとの仕事で出来上がった演奏会を聴かされるのでしょう。オリンピックが終わるまでの間、このパターンが続くことでしょう。8月頃(2021年)までの予定を見るとその光景が伺えます。オーケストラ側の言い訳に思えてなりません。この期間は、低いレベルの公演が続くのかと心配です。ちなみにこの公演指揮者は全て日本大手の音楽事務所さん所属の方達です。癒着感満載ですね。強い指揮者のいないオーケストラは、司令官のいない軍隊と同じです。少佐や中尉クラスに支配されている軍隊でなく、司令官のいる軍隊にしましょう。また聴衆は、いつも回転寿司やスーパーのお寿司でなく、舌の肥えた人は老舗のお寿司をいつも食べたいと思っている事をお忘れなく。ちょっと言い過ぎましたかね。

改革:
今はコロナも終わりつつありますが、コロナが始まった頃の何人かのオーケストラの事務局長とオーケストラ協議会の幹部との討論会のYoutubeを見ました。皆さん方あの頃の経営上の工夫のお話をしていましたが、聴衆に対しては殆ど眼中になく目新しい改革もなく自分達がどの様に食べていけるかの事ばかり、芸術文化の伝統継承の話は皆無、オーケストラ団員の話もまるで関心がないかの様に要は文化団体の経営陣とは思えない討論を聞いて現在のオーケストラ経営と団員の向上に対する関心の無さにショックを覚えてしまい先行きに希望が持てなくなりました。とにかく団員の意見なんて全く反映されていないでしょうね。悲しい限りです。
 最初は客足も戻りますがやり方を変えないと日本中が不況です。それに思いの外の物価上昇、最初の節約は文化と決まっています。コレを機に大きくクラシック離れが進むでしょう。持続化給付金、補助金、聴衆の増加は当分あり得ないと思います。
 あまり意味の無いウェブサイトの改良。特にウェブサイト上での聴衆向けの演奏会プログラムの下勉強の為の細かい説明、文化向上的意義のある聴衆向けの音楽概論、音楽史。楽団独自のアーカイブの無料試聴可能。過去の出演指揮者の現代の状況報告。演奏家による楽器説明。ウェブサイト自体に文化的意義のあるものとしてそれによって顧客集めをする。
 少なくとも定期会員には経済的問題点と収支報告をし現在の経営状態を正確に知ってもらう。音楽監督、常任指揮者による任期間の楽団の展望と計画を提示。
聴衆にもっと寄り添う楽団のイメージを与える。

話を戻しますと、
いいですか、現在の国、都道府県の担当職員達は国民の為にといって上からの強い圧力に動かされている古いくさいコンピューターに過ぎないのです。プログラムを変えない限りは現状維持になってしまうのです。ですからコンピューターのプログラムを変えるか、そのプログラムを簡単に変更できる権限を持つ人間を納得させる事です。こう考えれば、自ずとアプローチする部分が狭まって来ると思います。いちオーケストラが独壇でやる事でなく、全てのオーケストラの為にオーケストラ協議会がこの仕事を必死に行う事が大事だと思います。

改訂:
ここにも国会議員の方に関係各庁ののコントロールと現状を知って頂きたいのです。

少しここでウィーンフィルとベルリンフィルの例を出してみましょう。彼らの来日は世界的クオリティのある楽団が日本に来るということで、そのチケットはいとも簡単に売れて興行が成り立っています。これはなぜかというと、知名度だけでは無く、実力とその公演が人に影響与えると言うこと、必ず良いものにありつけると思うから、そこに多額のお金を払っても人が集まるのです。でもこのコンサートも必要以上の多額のお金が動いています。このチケットが安くなれば、むやみやたらに日本の オーケストラコンサートも高いチケットを売らなくなるでしょう。
ちなみに私のウィーン学生時代、国立歌劇場のカール・ベームのフィガロの結婚の公演をある手続きをして、たったの17円で観た覚えがあります。

何度も言うようですが、どこの国のオーケストラも世界一を目指しているところは少ないでしよう。現状維持と自分たちの生活の為が全面に出ています。これが現状ではないでしょうか。この点をオーケストラの側が本当に変えない限りはそれに対する本当の意味の大口のスポンサーも存在しないし誰もがその存続を必要なものとは考えず結局文化庁程度の出す微々たる補助金、それも何かを理由をつけた補助金にしがみついたりしていくしかないわけです。
札幌にバーンスタインを呼んで「PMF」というミュージックキャンプを作った人はS氏と言う音楽マネージャーでした。彼は本当に若者が世界中から集まってそこで世界一の指導が受けられると言うパターンをつくりあげました。(タングルウッドの日本版)。バーンスタインは亡くなりましたが、この後段々と大型スポンサー以外に札幌市がお金を出して口を挟むようになり、一番大事な部分が地元の役人の力の下に変えられてしまったのです。この時点でS氏が札幌から離れて、世界一の音楽教育キャンプを目指すという当初の目標が見えなくなってしまいました。様は行政官の都合の良い方法で言うことをよく聞く音楽屋と音楽マネジャーが中心となった音楽キャンプへと変わってしまったのです。バーンスタインがほぼノーギャラで始めたこのキャンプに、今や音楽監督には数千万円のギャラを払うようになり、その監督がたいした教育もしていない有様です。こんな市場にしてしまったのは日本の業界と音楽事務所ではないでしょうか。でもこの音楽キャンプを始めたおかげで、キタラホールと言う日本で一番音響の良いホールができたり、札幌の音楽文化の貢献にはなったと思います。しかしながら、現在の市民の関心度はかなり低いものとなっています。日本クラッシック音楽界の縮図と言えるでしょう。

アメリカ ボストンにおける良い例
小澤征爾さんの招待でタングルウッド音楽祭とボストン響を訪れた時の話です。ボストン響はアメリカの中で一番経済的に恵まれたオーケストラです。たいへん賢い経営をしていると感じました。先ずシーズンが9月に始まり3月までは基本的にボストン響としての仕事をします。4月から6月までは同じオーケストラがボストン・ポップスオーケストラの名前で仕事をします。この間3ヶ月間の収益で殆どボストン響全体分の収益をあげているとの事でした、そして7、8月はタングルウッドの音楽祭の収益で基本的にまかなっているそうです。ボストン・ポップスオーケストラの時はコンサートホールに椅子とテーブルを入れて、お酒を飲みながら演奏が聴けるそうです。現在もそうしているかは定かではないのですが、考え方は素敵ですよね。より一般に認められる様な気がします。

改訂:
例えば、在京のオーケストラもオーケストラ毎に時期を決めて1年のうち2ヶ月程度集中して歌謡曲、ポップスのみの仕事して収入源を増やす。この仕事分配と収入分配は公平にオーケストラ協議会が行なう。

またタングルウッドでは素晴らしいスポンサーシップのシステムを見ました。それは日本の様に大型スポンサーのみで無く、参加者一人一人に対して2ヶ月間個人用のスポンサーが付くのです。フェスティバルの講習生からオーケストラの団員まで、例えば音楽監督の為のスポンサーとか、コンサートマスターの為とか第2フルートの為とか、という具合です。またこのスポンサーは世襲制で欠員が出ると公募する形だそうですが、なかなか欠員が出ないそうです。フェスティバル中スポンサーとそれを受ける側の食事会、交流会等も開かれています。これはスポンサー側にはたいへんステータスのある事でライオンズクラブみたいな物です。これがボストン響の中でも存在しているそうです。興味深いですね。お考え下さい。

改訂:
またこれから先の将来の展望として、若い音楽家の為に実業団的オーケストラは考えられないでしょうか、アイディアは安定収入の為に自衛隊の音楽隊に最近就職をして音楽を続けると言う話を耳にしましたので、要はスポーツの実業団と同じく午後2時まで企業で就業し、それ以降を音楽に時間を充てる。やり方さえ考えれば出来ない相談ではないと思う。

日本の音楽界から追われた二人の指揮者

ここでタングルウッドの話をしたついでなんですが、先ずタングルウッドのセミナーは英語圏で一番権威あるセミナーです。このセミナーに参加出来るだけで相当な名誉であると同時に、アメリカ音楽界で音楽家として最も良いスタート地点に立てると言われていましたが、現在はどうでしょう。ここ数年の情報は定かでは無いので。
ここで私がお話ししたいのは二人の指揮者の事です。二人とも現在は日本の音楽界から見捨てられ、非常に厳しい音楽人生を歩んでいる様です。原因は己自身の問題から起こった事なのでその事についてあれこれ言うつもりはございません。ただもう反省はして、時間もある程度経っているので、オーケストラとマネージャーの皆さんを中心に、もう一度最後のチャンスをこの二人にあげて欲しいのです。また音楽ファンの方々も是非コンサートを聴いてあげて欲しいのです。実は二人とも私の関係者で、タングルウッドセミナーの参加者でもありました。そして二人とも指揮者コンクールの優勝者で、日本のオーケストラの音楽監督経験者です。一人は私の弟弟子にあたるものです。現在60歳近くになってしまいました。20代でコンクール優勝、タングルウッドでクーセヴィツキー大賞を受賞、殆どの日本のオーケストラを指揮、30代から40代の初めまでに3つのオーケストラの音楽監督を歴任して、殆どのオーケストラの定期公演を指揮し、その頃には一番忙しかった指揮者のひとりでした。それがいつの間にか、音楽事務所との問題、オーケストラとの問題により、あっという間にコンサートのチャンスが全く無くなってしまったのです。怖いですね、日本の音楽界は。彼はある意味で使い捨てられたと思います。若い時殆ど外国にも行かずに音楽事務所の提供する仕事を一生懸命にこなし、ゆっくり研鑽する時間も無く音楽家文化人としての気質を促進する事もなかったのですが、使い勝手が悪くなったらお払い箱っていう感じですかね。彼は今オーストリアの国籍を取得してウィーン人としての人生をはじめ、音楽の研修は毎日欠かさずしている様ですよ。なんとかチャンスをあげて下さい。お願いします。
もう一人は私の弟子です。タングルウッドのセミナー参加者で、指揮者コンクール優勝者、音楽監督経験者で、良いクオリテイのCDを作ったり精力的な活動をしていたのですが、彼の起こした金銭的トラブルによりこの業界から追放されてしまいました。彼も日本の業界でばかりで仕事をしていたのでヨーロッパではあまり通用しなく、現在では殆ど活動がありません。その事件から10年です。そろそろ最後のチャンスを与えてやって下さいませんか。彼ももう50歳代です。音楽事務所の方々、とにかく音楽家の使い捨てはやめましょう。
改訂:
彼の場合は金銭問題で未だ解決がついていない様です。解決したら復活を考えてあげて下さい。

話をもとに戻しましょう。
いいですか、世界にはお金はあります。ただしお金とはたくさん有るところに集まってくるものです。みてください。オリンピックもアメリカの放送局の放映権と政治的な勢いによって、健康を害しその不安と闘っても断固実現すると言う姿勢です。でもそれは何かといえばお金が動いちゃうからです。経済が成り立つからです。これはクラシック音楽の世界と同じで、こんな時期にオリンピックを実現するのに、たった10人くらいの人達によって決定させることができてしまうのです。本来なら人間的、人道的な考えがこのスポーツ精神の中に溶け込んで開催の良し悪しを決定しなければならないのに、政治的や経済的な理由で開催の決定をしようとしています。スポーツマン精神に反しますね。悲しいです。

クラシック音楽界のお金の話

クラシック界のお金のお話をしましょう。
お金はある所にはあるんです。日本のオーケストラが必要とする位の額は、集め方の考えを変えればいくらでも集まると言うことです。現代ではそれをするコーディネーターはいくらでもいます。後はそのコーディネーターとお金を出す側を納得させればいいだけです。この時に本当に文化の事を理解できる人を探すという事が大切です。そしてそういう人に、生涯にわたってのご理解とご支援をお願いするのです。私は、クラッシック音楽に携わる人達が私の提案している様な方向性で活動をするようになれば、必ず理解者が増え良い方向へ導かれると信じています。20人の人間によって現在の歪んだ音楽市場が出来たのだから、20人くらいの人の動きでこのクラシックの世界を変える事だって出来るという事です。
頑張りましょう。

人生は一回しかないですからこういう改革に勇気を持って接して下さい。この様なクラッシック音楽発展の考えを私は日本から始めてウィーン、ヨーロッパ、アメリカと広めていきたい。これを行なう事が千葉生まれのウィーン人である私が、クラシック音楽という大きな文化の恩恵を頂いた音楽芸術家として、この文化に対してお返し出来る事と思っております。
様々な改革において思考的先進国は、中国とインドです。現在では日本、アメリカ、ヨーロッパは後進国です。
改革をするには、ワクチン、10万円給付、マスクの配布等でお解りの様に、国公共団体が絡むと全てが遅い。要するに団体として機能させなければならないからです。でも逆にオリンピック開催の為のように国家的圧力を掛けると急に動きが速くなりますね。

改訂:
こんな国家ばかりを当てにすると国会議員の方のご負担ばかりが多くなってしまうので、民間の力で即決の出来るトップの人間と交渉すべきです。トップの人間で行動力のある人を探しましょう。皆さんもフットワークの良い人間でいましょう。
 私の弟子の中に反田恭平という若者がいます。彼は率先してこの事に取り組んでいて、国からの補助もなく素晴らしいアイディアで自分の考えの賛同者を作り理想に向かって邁進しています。まだ20代であるにも関わらず頼もしい限りです。私も見習わなければと思います。是非応援してやって下さい。世界的な音楽家になると思いますよ。

 もっと日本人指揮者、ソリスト、オーケストラのヨーロッパ有名な音楽祭への常時出演です。小澤征爾さん以来もう10年あまり誰も出演しておりません。要はヨーロッパの伝統音楽なんですから、ヨーロッパで認められなければ、本来ダメという事です。この点をお忘れなき様に。

何度も繰り返す様ですが、そもそも日本に於ける音楽教育についてもう一度考えてみましょう。
大抵の場合はじめは音楽は習いごと程度と考えているのですが、段々とんでもないことになってしまうんですね。ですが、例えばヨーロッパの場合ではそんなに大きな問題はならないのです。日本やアメリカ、韓国の場合、音楽教育に多額のお金をかけたりしますが、ヨーロッパの中ではこんなにお金をかけることなく学ぶシステムがありますし、誰もが簡単に音楽教育をさせようとも思っていません。ここで大事な事は指揮の生徒達の勉強段階のところで言ったこととほぼ同じですが、とにかく勉強することです。この勉強とは伝統芸術ですから、ただピアノあるいは楽器を弾いていればいいということではありません。ヨーロッパにいればそれだけ文化と直接結びつくことができますし、環境さえ整えられれば伝統芸術を学ぶのに最適です。ところが、その伝統芸術を習おうとする人のほとんどが海外旅行と同じ位の心持ちでこちらで勉強して日本に帰っていきます。そんな風に日本に帰国した人に限って、自分はウィーンのことがよくわかるみたいな感じを出すから余計にタチが悪い。確かでない技術、確かでない知識をかざして、経済的に安定していてちょっとした演奏技術とコネのある人がプロの楽団に入るか、それに入れなかった人はいろいろな鑑賞団体とコンタクトを取り、他の同じような環境の人と小さな音楽会をあちらこちらでやらしてもらっているというのが現状でしょう。これを皆さん一生続けるんですか。どこかでこの方法を変えないと。ここ40年間、私が見た日本、韓国、台湾、アメリカ、実はヨーロッパでもこういうことが充満してきています。特に若い方々にこの事は解って頂き、あまり大きい声では言えませんが、歳をとってもこのままの方法でずっと続けていきたい方はそのままおやりになれば良いと思います(チャンスは、20代で3回、30代で2回、40代で1回)。若い人達がいまの方法を続けると言うことになるとただただマンネリ化するだけで、進歩が起こらない。もう一度考え直して欲しい部分は、クラシック音楽は今産まれたものではなく伝承芸術である事。日本で言えば歌舞伎、能と同じでですから伝承、継承していく事が重要なのです。

先生という言葉について

先生、人は尊敬の念を持ってこの敬称を使っていますが、どうもこの言葉には魔物が潜んでいます。そもそも先生と呼ばれる人達は、実際の公的機関の教授、教師、医者、弁護士、政治家とそれなりに地位のある方々で、こう呼ばれて気分の悪い人はいないと思います。あるひと時の優越感に浸れるのではないでしょうか。この敬称によって偉くもないのに偉そうな態度の人を作ってしまうことが恐ろしいことだと思います。私自身こうなる事を防ごうと教師なりたての頃はプロフェッサー、先生と呼ばせずに、ファーストネームか勇治さん、湯浅さんと呼んでもらっていたのですが、弟子の下野だけが固辞して先生と呼んだ為に、他のものが真似をして、だんだん私も気にしなくなってしまいました。慣れというものは恐ろしいものです。私もこの魔物に取り憑かれたと職を引退した後に感じます。66歳になりましたが、皆様方には是非先生とは呼ばないでいただきたいのです。お願いします。どうしてこういう事を書いたかというと、クラシック音楽の世界では無数の先生が存在し、別に地位があるわけでも資格があるわけでもないのに(他の職業の方は大抵国家的資格を持っている)平然とこれを使い、いい気でいる者も多い。クラシック音楽の世界では先生という敬称をやめて何か他のものを考えた方が良いと思います。センパイ(先輩)とか師匠とかお館はどうでしょうか、まだこの方がしっくりとくる。この方が親しみやすい感じがしますので。
ちなみに昔、CBS-SONYの本部長さんが私に言ったことがあります。“歌謡曲の世界では、CDを100万枚売ってようやく一人前と云われ、その10年後辺りで初めて先生と呼ばれる。でもクラシック音楽界の人は、CDを1000枚も売れば先生と呼ばれ肩で風を切っていると。うわぁー、自尊心の塊みたいなお話でしょう。これが現実です。


録音について

現在はより自由な社会になりましたので、誰が録音しても誰がそれを商売としてもそんなに問題がないですよね。ただ、そのことによって、あまりにも簡単に録音出来て、その出来もデジタルのために、良し悪しを簡単に見分けられない状態になったんです。現在ではものが発達し過ぎて、面倒くさいので、そんな細かい作業をして質の向上を目指すようなことはしません。
ですからここ15年以上録音の技術は進歩していません。そんなに細かい表現の出来ない録音媒介を使ったもので、音楽家達は自分の一生を決めるヴィデオやCD、履歴やデモテープを送り、大したことのない装置で聞き、審査をしている、という事をよく聞きます。挙げ句の果てにはこの程度のクオリティのネット配信をしてコンサート配信と称して沢山の人がお金を取っている。言語道断です。
もう少し個々のジャンルで品質向上の為のコントロールが必要です。
録音技術に長けた方、この『Wiener コアラの会』を通じて意見交換をし、新しい技術の発展につなげて下さい。

改訂:
新しい録音再生技術の発展がないとクラシック音楽の発展は本当に止まってしまいます。CD市場をご覧ください。もう頭打ちじゃないですか。もっとハイレゾとかそれ以上のものの出現がクラシック音楽界の発展を助けると思います。また音楽家がこの録音媒介を使用するならばそれなりの知識が必要ですね。カラヤンはその当時の最先端技術を熟知いていてそれをうまく拡めていった最大の功労者なのです。

 コンクールについて

コンクールにおける良い点
1、音楽学習者に対して、勉強目標を与えられる。
2、コンクールの結果によってステータスが与えられたり、その結果肩書に近いネームバリューが出来る。経歴に匹敵する程影響力が強い。
3、現在、コンクールの数も無限に存在し自分のステータスを昔より簡単に上げられる。
4、コンクールをきっかけに国際交流が始められる。
5、音楽マネージャー、音楽団体とのコンタクトができる。
6、マスメディアに載せてもらえる。

コンクールに於ける悪い点
1、コンクールに勝つ為の勉強をしてしまう。
2、自分の学習方針がコンクール入賞だけになる。この際芸術家を目指す勉強とはだんだんかけ離れてくる。特にウィーンでは、ヴァイオリン、ピアノ、声楽科にこんな日本人留学生が非常に多い。この人達に文化を吸収する気はまるで無い。
3、名声を上げる事だけを考えるので、コンクールに優勝するとすぐ完全帰国をし、日本の音楽マネージャーの下で文化に無縁な日本仕様の音楽屋になっていく。
4、生徒達の会話は殆どが、コンクールとデビューの事ばかり、日本人の優秀な生徒同士でネット上の繋がりのみ。ヨーロッパ人との交流が極単に少ない。
5、日本の音楽マネージャー、マスメディアの連中との交流ばかりを考えている。
6、音楽マネージャー達は自分自身で音楽家を見極めきれないので、コンクールの結果をたいへん重要視する。これではどうしても正しい芸術家を探し出せない。こんな事だから日本の音楽界の道は厳しい。誰もが適当な音楽マネージャーになれる事にも問題がある。音楽マネージャーにも厳選な国家試験を作るべきである。要は良い音楽家を育てる為には指揮者程度の知識は最低限必要である。
7、現在世界には1000以上のコンクールが存在する。今から40年前では150程度であった。これだけ沢山コンクールがあるので、どれに権威があるのか無いのか誰も判断出来ない。コンクール入賞は肩書の一つに過ぎない。
8、現在コンクールを主催して金儲けをする団体まで出る始末。コンクールを誰でも催せる時代なのである。これを一生を決める一つの選定基準にされたらたまらない。
9、今や学内コンクールもザラにある。
10、コンクールの選抜方法にも問題があります。どうしても多数決の意見なので、よっぽどとてつもない才能がない限りは、殆どの場合中庸の才能しか見つからない。
11、自分もコンクール入賞者を50人以上世に出してきたが、その中で本物の指揮者になったのは半分くらい。私は色々と言いたい様に意見を言っていますが、全てが実際の経験からの意見です。
12、賞金や演奏会の副賞があったりしますが、全て援助が薄過ぎます。もしするのであるならば手厚くアフターケアをするべきです。

今ここで私が計画をしている指揮者コンクールのお話をしましょう。アジア全体からこの50年間、世界的な指揮者と言えば、小澤征爾とチョンミュンフンのみ、ヨーロッパに於いてザルツブルク、バイロイト音楽祭に出演出来る指揮者は、今のままでは一人も出てこないでしょう。こんな事にならない様にと考えました。

開催は3年に一度
場所は関西の何処かのオーケストラ(何でも東京第一にならない様に)
練習使用語は英語
参加者はアジア人35才まで
書類審査、予備審査で50人に絞り込む

1日目
直接1次試験は、英文による音楽、文化に対する筆記試験、ソルフェージュ試験、課題オペラのピアノ弾き歌い
ここで10人に絞り込む
2日目
30分の持ち時間で課題曲2曲を自分で時間配分をして指揮、練習しても通すだけでも構わない。
3日目
4日目と同じ要領で 別の課題曲2曲
5日目
10曲の中から抽選で選ばれた序曲を30分づつ練習、夜にコンサート

審査員は全員アジアでオーケストラを持っている音楽監督
審査方法としては、各審査員が自分の入賞者を選ぶが、他の審査員の過半数の同意が必要。
賞金は無し。
入賞者は2年間、審査員の音楽監督、オーケストラの下で研鑽を積み、最低10回のコンサートを指揮する。その生活費等はスポンサー又は楽団が保証する。
2年後に、日本とヨーロッパ(ウィーン)でデビューコンサート。この際、各有名楽団事務局長、音楽事務所長を招聘し直接契約交渉をする。

改訂:
嬉しい事に、ペトレンコがベリリンフィルのカラヤンアカデミーで下野が広響で独自のコンクールを始めた事はうれしい限りである。とにかく若手を育てるという事でアフターケアーを考えている様であるので期待をしています。日本の国際指揮者コンクールは日本人の指揮者の有名大学指揮科出身者だけの登竜門の様で日本の楽団の為にはなっているが、外人がこのコンクールで優勝しても何の意味もないコンクールの様である。意義を持った国際コンクールになって貰いたいものである。因みに次のブザンソン国際指揮者コンクールの審査委員長に佐渡君がノミネートされている様なのでちょっと楽しみである。

歌手について

次に歌手の方々の事はどうでしょうか。歌手の方々はどうしても自分の体を楽器にして演奏するのですから、他の音楽家より難しい部分があると思いますが、やはり他の音楽学生と同じ考え方で勉強、就職活動をしている感があります。先ずはコンクール入賞。
また、日本には残念ながらちゃんとした歌劇場と言うものがありませんので、歌手を本当の意味で育てていくための機関が非常に少ないと思われます。今存在するのが、新国、二期会、オペラ振興会、琵琶湖オペラ程度です。これらの団体は残念ながら歌手の方々に完全に安定した収入を与える職場では有りません。その会に入っていても日雇い状態でましてや出演が決まると今度はチケットのノルマが待っています。
歌手の人達にとって、日本には安心してゆとりを持って自分の芸術だけを突き詰めて仕事出来る環境が全くないと言っても過言ではないと思います。劇場が無いからソロ活動をしますよね、今日本で何人くらい人がソロ歌手として食べていけているでしょうか。20人もいないと思いますよ。音楽事務所も厄介なもので仕事作りが大変です。それに歌手生命は他の演奏家より短いし、本当にお先真っ暗ですよね。順を追って考える必要があると思います。
歌手が一生やっていくためにどういう風な道を進んでいかなければならないかと言う事に対して、学生時代からきちんと進路について考えさせること、国やその他の団体等が歌手の就業方法を改めて考える事が本当に重要なことです。
現代の歌手達の道は、大学受験の頃に専攻を決め大学進学、3年次の頃に自分の声域、声質によって進路を決め、その頃から小さいコンサートに参加をし、オーディションにかたっぱしから申し込み、芽が出るまでそれを続ける。その間有りとあらゆる歌うことの出来るバイトを続け、生活の為に異種のバイトを始める。女子声楽学生の半分は普通の音楽学生と同じで裕福な家庭が多いが、残りの半分と殆どの男子学生は学生時より生活費に事欠く者も多く、7割程度の人がバイトを掛け持っています。この段階で就職出来る事などほぼない。それでもこの業界にはしぶとい奴が多いので(笑)、なんとか生き長られる者もいます。本当のところ、一番何とかしてやりたい人達です。大学卒業後裕福な学生達は、留学を考え、大抵はイタリア、ドイツ、ウィーンへ留学をしますが、基本的な声質、声量、語学能力がヨーロッパの劇場で働ける基準には到底及ばなく、殆どが退散して日本へ帰国します。また劇場では活動出来ないと思うと、特にお金のある方々はリート科、オラトリオ科に進み、簡単にディプロムだけを習得して帰国して大学の先生の仕事を探し、その間に結婚するというのが定番でしょう。
あまり将来が見えませんね。ちなみに日本留学生のヨーロッパでの就職状況は悲惨なものです。実はヨーロッパの主要歌劇場と音楽事務所は随時自分達の希望に合った歌手を探していますが、私の知っているリストには殆ど日本人の存在がありません。その理由はある意味で明らかだと思います。世界のクラシック音楽界で日本が一番遅れているのは指揮者と歌手の活躍です。悲しい事です。教育機関、演奏団体、国が本当に梃入れしない限り、明日は無いと思います。本当にお考え下さい。私には計画があります。でも今私が提案しても、現在お仕事をなさっている方はただ反対するだけで、現状の事しか考えないと思うので、なかなか改革には至らないと思います。
まあでもだし惜しみせずに少しだけはお話ししましよう。
最初の仕事は、次の人達から成り立つ委員会を作る事です。大事なのはこの時点で各ジャンルより、何でも直ぐに実行できる即戦力のある方を2人ずつ選出し、各ジャンルの代表が一人も欠けない事です。
オペラ団体の現音楽監督の指揮者、劇場事務方のトップ、オペラ団体のトップ、演出家、舞台監督、歌手、オーケストラ代表、オーケストラ団員、音楽事務所、文化庁文科省の役人、スポンサー団体、音楽ジャーナリストより選出された24名で構成。日本におけるオペラ活動の最終決定権を持つ。ゆくゆくは全ての綿密な計画を練る為のオペラ活動の本部となる。公演内容から演奏家のギャラまで全ての決定権を持つ。今まではごく一部の人達に委ねられ、結局大した発展をみていない。

改訂:
こんな団体を作るきっかけを国会議員の方にお願いしたいのです。

目標:
1、現在プロの歌手で食べるに困らない日本人は20人もいない。あとの人は生きるのに精一杯である。とにかく職場作りから本格的にしなければならない。
2、歌う機会を作るということと日本中の人にオペラを知ってもらうこと、歌手のレパートリー作りのために、どのオペラ団体も年間に最低1プロダクションは日本中で同じオペラを公演する。例えば今年は魔笛、来年はヘンゼルとグレーテルという様に、日本中ありとあらゆる場所でこのオペラを上演するわけである。少なくとも日本中で市民オペラ、アマチュア団体を含めて約100団体が最低3公演ずつやったとしたら、日本中で曲が有名になり、ソリストも1パートずつ、最低100人がレパートリーを持つ事が出来る。この数を確実に増やしていけば日本のオペラ界の歌手の底辺が広がり、欧米の歌劇場デビューのきっかけともなろう。決して出来ない相談ではない。なおこの公演には、文化庁文科省が率先的に資金援助をすれば意義のある文化貢献となるに違いない。何となくダラダラと続いている音楽鑑賞教室に出資するより有意義ではないだろうか。
ベートーヴェンの第9は1年間で200公演以上行っていて、オーケストラ、歌手にとっては稼ぎ頭である。似た様な事が起こると良いと思います。

いま頭に浮かんだ事ですが、あまりコンクールと考えずに、オペラのど自慢をNHKのEテレか何かで、開催出来ないでしょうかね。オペラを大衆化するのには良いことだと思います。大正時代日本もあの頃モダンな浅草オペラの繁栄がありました。音大の先生も生徒さんもバカにして相手にもしないと思いますが、実はあの頃の録音を聴いてみると、同じ時期の欧米の歌手の実力に損傷ないクオリティーですよ。現在演奏の格差の方がどんなに大きいことか、皆さん歴史を学びましょう。
さあ歌手の皆さん、正しい見識を持ち、世界を目指しましょう。そうする事によって、あなた方の将来も変わると思います。とにかく勉強と活動の場を拡げましょう。

改訂:
もう既に改革の一環でもっとカラオケ界に有名オペラアリアの導入運動をこのコアラの会でし始める準備をしています。ヒントになった事は、日本の住宅事情でカラオケの店で練習をしている歌手を耳にしました。
また オペラの大阪遷都の運動も始めようと思っています。コレはびわ湖オペラの音楽監督に私の弟子阪哲朗が就任するきっかけに出来るだけ関西出身の歌手を中心に先ずは歌手教育から。日本語でも
同じ演目を大阪カレッジオペラで。演奏会形式で他のオーケストラで。またそれに現存する兵庫芸文の佐渡裕オペラ。東京よりも可能性が大きいと思われます。コレにオペレッタを加え、吉本興業あたりとの共同制作、大阪音大でオペラ総合教育。これだけ一緒に動けば新しいオペラの中心 浪速オペラ の完成です。面白いでしょう。こういうアイディアを提供するのがコアラの会なのです。
コレも国会議員の方お願いしますね。

少し良い事も聞きましたよ。有名な演出家を中心に魔笛のキャラバン公演を行なったそうです。演出と歌手陣はほぼ同じで、地方によって、オーケストラ、指揮者が代わるという事です。地方にオペラが普及するという点ではOKですが、一部の歌手のみしか恩恵を受けられないみたいです。文化庁からお金が出たのですから(結局有名な演出家の為に)、熟考してうまく先に続けて貰いたいものです。


 次にまた音楽教育についてお話をしましょう。
まず、音楽教育には必ず全体を貫くひとつˋのポリシーが必要です。現在の日本の音楽教育には一番欠けているのはこのポリシーだと思います。音楽をひとつの技術習得の為のものと思っていることが、非常に多くの部分を占めているからです。      
また、普通の義務教育の事ですが、明治の時代からほぼ変わらない音楽の指導要領と言うものに準拠し、明治の時代の教育者が考えた枠組みをいまだに無理矢理使い続けていること。これを大きく打破しているものは戦後の音楽教育の中でほとんど見られません。義務教育で求められている音楽教育における目標があまりにも低いため(尋常小学校、尋常小学校高等科等昔の義務教育)に、これを行なっても誰も音楽が必要とも楽しいとも思わず、結局意味のない時間が過ぎてしまっているわけです。週1時間か多くても週2時間の間に何が教えられるのでしょうか。
私は芸術の分野を担当する教師が一番しなければならないのは、芸術の本質である、人間が頭脳を使ってそれぞれの分野から取り入れたものを頭の中で具現化する力(これは小説を読んで頭の中で具現化する事に似ている)を養い、それによって人間形成の上で必要な感性を豊かにする。これが芸術を使った授業の到達点ではないかと思われます。より想像力に富んだ人間形成を目的として、若ければ若いほど良いでしょう。
もう一つ、芸術を教える先生が今、日本の教育で一番欠けている躾、常識、礼儀、あるいは人間としての最低の生きるためのルールをうまく混ぜ合わして教えていくことが義務教育がすべきことのひとつではないかと思います。その事を考えると、文科省や文化庁等のやっている教育指導の補助等はお笑いぐさです。特に小学校中学校における移動音楽教室。これには多くの予算が組まれていますが、現在行われている方法は私が子供の時に学校で受けた昭和30年代、今から約50年前のものと全ての面であまり変わっていません。またそれに使われている予算もほとんど変わっていないのが実情です。こんな状態でしたら、やってもしょうがないです。やめてしまったほうがいいと思います。とにかく小中学校の段階の義務教育の音楽には、思いっきりテコ入れをしなければいけないでしょう。

改訂:
私の小学校のときの教師の話しをします。彼は中山千秋先生と言い当時新設モデル校であった母校に就任なさいました。全校生徒に対して音楽のソルフェージュ能力を身につけさせる為に朝毎日20分間校内放送を使って聴音のテストを毎日3か月ほど実習させたり、器楽クラブを低学年、高学年と2つ作り両方とも関東大会へ出場した事を覚えています。また音楽活動を校内で発達させる為にいいですか今から55年前ですよ。1965年に千葉の一小学校に子供テレビ局をまだヴィデオの無い時代に白黒の小さなカメラ一つで開局をして給食時に約40分間毎日音楽放送をしていました。毎日クラスの担当が変わって内容もピアノのソロだったり、器楽部演奏だったり、クラス毎の合唱やアンサンブルだったりてんやわんやの放送でしたが私としては良い印象だけが残っています。私が小学校の4年の時に授業で笛の授業が始まりました。ソプラノが一般的だったのですが、私がアルトを買ってきて見せるとすぐに高学年中に広めすぐに皆がアルトを吹ける様になった記憶があります。その後私がテノール笛を見つけてくると学校で良い笛を買って頂き笛のアンサンブルを組んでバッハのフーガト短調やバルトークのピアノ曲の演奏をして全国の小中学校の先生方を集めた研修会で披露した事も思い出されます。
似た様な熱血漢あふれる先生に佐藤博先生がおります。
私は初めてお会いした時の事を鮮明に覚えています。千葉県の幕張総合高校でオーケストラの指導をなさっていて確かR Straussのアルペン交響曲だったのですがこの指導されていた団体がアマチュアの高校生それもビギナーを含めたオーケストラの響き作りの丹念さとその執着心に度肝を抜かれた事は鮮明な記憶です。その後CDを聴かされまた仰天こんなスーパー先生から簡単に最高の職場を奪った県の教育委員会の気がしれません。単なる教員の一箇所での活動防止の為の措置で県内の音楽にうとい他校へ無理やり転勤させて本人のやる気を失わせて結局は退職に導くとコレが県行政団体の上からの命令によって素晴らしい文化の芽を平気につまんでしまうのが行政担当官の実状です。
コレも国会議員の先生方何とかならんですかね。コレは文科省の方針で通常一般公立高校では平均で5年から7年で転勤の様です。コレも現状を特にクラシック音楽のマイサスになる様な事を文科省が平気でやっているのです。コレも市民権がない為なのです。


 習い事と伝統音楽、特にクラシック音楽の個人レッスンについて
これも問題はほとんど変わらないと思いますが、現在一番欠けている事は、どういう風なものを最終的に求めているかと言うことです。
ちなみに非常に良い例で、かつて現在の桐朋学園を作った方たちが一番最初にした事は、戦後間もない荒廃した土地の中で、将来日本にクラシック音楽の世界を普及する事、あるいはその為の人材を作る事が、日本の文化向上、ひいては国力向上のために必要なものと考え、そのためにより良い音楽家を作るための基礎教育を幼児期から行う仕組みを作った事でした。音楽に関する理論と実践を並行して行うことを目指して、桐朋学園の子供のための音楽教室ができました。そしてその子たちが大きくなったときの為に中学校、高校を作り、最終的には短大、そして桐朋学園という学校を作っていったのです。そんな風に、先の将来のことを考えながら音楽教育の場を作ってきました。凄く意欲的ですよね。こんな時代が日本にもあったのに、現在はその形だけで、その当時の先生方の意識とはかなりかけ離れていると思います。また、普通の私学、あるいは個人で教えていらっしゃる方々は、先生ご自身の経済的な糧を得るために教室を開いていると言うのが現実ではないでしょうか。まず何よりポリシーを持ちましょう。本来の意味での教育の精神が私の知る限りでは思いきり欠けています。
と言いますのも、私が30年間ウィーン国立音大で教えているときに日本からも世界中からもいろいろな生徒が来ましたが、その生徒たちの持っているポリシーに一番欠けている点は、実は、どうして音楽をするのか、その音楽が世間一般のどういうことに影響及ぼすか、また自分の人生の中で音楽がどういう位置づけにあるかと言うことです。ほとんどの生徒にとってそれらのことがあやふやです。彼らはまず名声を得ること、そしてそれによって音楽家として稼げるようになること、そのようなことをまず最初にしようとすることを小さい時から教育され、それを続けていました。
全てが全てこうだとはいいませんが、25才くらいの学生たちがこんな事ぐらいしか考えていないと思うととても悲しくなります。
この程度の音楽家達が演奏したり、色々と話をしたりしても、一般の方にはただ感覚的に受け入れられるかもしれません。でも、現在の一般人の方々は大抵、音楽をただ勉強してきた音楽バカと違って頭脳明晰は勿論の事、場合によっては音楽家以上に専門分野についても博学です。こういう聴衆を相手にコロナ禍の代役ばかりの演奏会や自分達の糧の為の何度も延期された演奏会を続けている音楽関係者は、ある意味でお笑い者です。今やられている低度のものでは、音楽芸術を浸透させる事も感銘を与えることもできません。この点もちゃんと理解させて教育をしないと、クラシック音楽界からそれなりの文化人は生まれません。文化人は文化のある環境(この環境作るのは難しいですね。)の中から生まれて、文化を通じて人々にいろいろな影響を与えることができるのです。それができた時に初めてひとりの音楽芸術家として勉強した人が文化人となるわけです。ですから、音楽家が最初に音楽を習い始めた時から、たとえ最終的に音楽家にならないとしても、躾けながら教育していく事は非常に大切な事だと私は思っています。

改訂:
ここで大変興味深いヴィデオをお見せします。斎藤秀雄先生のインタビューのものです。是非ご覧下さい。

videoのアドレス
をここに貼る
YouTube上の 斎藤秀雄インタビュー NHK 女性手帳


音楽教育団体について

私の知る限りでは、有名なところですと、ヤマハ音楽教室、カワイ音楽教室、桐朋子どものための音楽教室、ピティナ、鈴木鎮一ヴァイオリン教室、篠崎ヴァイオリン教室、その他大都市に必ず1つか2つ、地方でも有名な音楽教室が存在しています。それだけ日本の情操音楽教育は進んでいると思われますが、非常に注意が必要です。これらの団体は、元来創設者が非常に苦労をして、戦後すぐの日本に音楽文化を根ざそうというポリシーの下に築き上げたのです。しかし、何十年も経つ間にポリシーが大きく変わっていませんか。全てが大企業化してしまい、教育という名のビジネスに変わってしまったのです。講師を雇う上でもマニュアル通りの試験があり、教育方針もマニュアル通りを求めています。文科省と同じ方向ですね。文化教育とはかけ離れてしまいますね。ちょっと外食産業と似ていませんか。最初に作った1号店は味のことだけ考えますが、それが企業化すると、経営の事が中心となり、出来るだけ店舗毎に格差が無いように…などと考えます。日本人企業の大好きなパターンです。教育、文化はビジネスとしてやるものではないですよね。皆さんもお考えください。
私は特にこのジャンルで働いている方と、代表の方も含めてじっくりと話し合いがしたいですね。

ここでピティナの福田成康さんにエールを送りたいと思います。ご母堂の福田靖子さんの意思を継がれてこのピティナを牽引されています。殆どの表には出ずに縁の下の力持ちの様にでも彼の代で確実に大きくなったのは事実です。このピアノ指導者協会の動向が日本の将来のクラシック音楽界の鍵を握っていると思います。今までの福田さんの偉業に対し心から敬意を表しますす。ご苦労様でした。一緒に頑張っていきましょう。
あ、そうそう将来指揮者になりそうな生徒を育てて下さいね、お願いします。まあコンクールの位置づけにはもう少し思案が必要だと思いますが。

音楽を伝統と伝承芸術としての考え沢山色々な話をしてしているうちに一番大事な事を忘れないように。
伝統芸術の筆頭にあるのは歌舞伎の世界ではないだろうか。歌舞伎の歴史は大体クラシック音楽と同じくらいで、ピークを江戸時代後期に迎え、その後それほど衰える事もなく、現在まで続いています。その要因の一つは、世襲制度です。子供の時から親族によって伝承された芸術は、書いたものでの暗記は許されず、もっぱら、頭と身体のみによって覚えこまされていくわけです。ですから基礎の部分に誤差がないのです。この鍛錬を300年もの間、変わること無く続けていくのです。ですから、有名な市川団十郎を襲名する頃には、全ての物が備わっているという事になります。素晴らしいですね。普通の人が到達し得ないもの、これも芸術なのです。ちなみにもっと一般に普及する為に歌舞伎を習うシステムを作ったとします。世界中でも広まり、変に亜流に進むと、ヨーロッパの歌劇場で、金髪の歌舞伎が上演されたりするんじゃないですか。この事は歌舞伎界の方々にとって自明のことであるかと思いますので、そういうことは起こらないでしょう。

では現在の特に日本のクラシック音楽界はどうでしょう。金髪歌舞伎状態ではないですか。私はこの状態に突入していると思います。もう少し例を挙げましょう。世襲制を守りながら一般庶民に拡げたものに華道と茶道があります。これらの方が音楽には近いですね。それは一般庶民に拡めるときに特に女性への子女教育、情操教育として用いた事にあります。明治になって、武家のたしなみとして継承されていたものが裕福な一般市民に普及し戦後はもっと庶民化をし沢山の流派ができて、ある意味で乱立状態です。
この状態に近いのが、今の日本のオーケストラです。色々な流派(ウィーン、パリ、ベルリン、ジュリアード、芸大、桐朋等)で修行した人間の集合体として週替わりの指揮者の中で2日ぐらいの練習で創りあげたコンサートを聴かされているのが、現状ではないですか。あるところまでの流派の統一がきちんと無ければ単なる乱立状態の上で基盤の統一性に欠けてしまうわけです。簡単な例を挙げると、音楽上の倚音があった場合色々な宗派によってその弾き方が違います。ドミナント、トニカの関係もまた違いますし、シンコペーションの弾き方も違います。音程の合わせ方も、音楽語法上のアクセントの位置、例をあげたらきりがないこの統一はアンサンブル上の最低基準です。日本のオーケストラは昔に比べると良く弾けるようになりましたが、語法の一致、アンサンブルの最低条件の徹底ということでは、非常に遅れています。
要するに音楽上の語法が一定でない状況で毎週のように違った指揮者で違った音楽をやっても乱立状態のオーケストラを見易い指揮で合わすことだけを取り繕うコンサートの仕上げ方になってしまうのではないでしょうか。皆さん方が思うほどこのオーケストラ内の統一の部分音楽上の基礎語法の一致は簡単ではありませんので、先ずはオーケストラの改革として絶対にやらなければならない事です。それが出来る指揮者を探してじっくりと実行する事が重要ですよ。本当に見違える様になりますよ。さてこのような理想のアンサンブルを作った人は、カラヤン・ベルリンフィル、ベーム・ウィーンフィル、チェリビダッケ・ミュンヘン・フィル、ムラヴィンスキー・レニングラードフィル、オーマンデイ・フィラデルフィア管、理想の音楽語法を持っていた人がフルトヴェングラー、クライバーというわけです。現存の指揮者では殆んどいません。これはオーケストラ事務局と音楽事務所が原因でもあります。昔、ペトレンコが、学生の時私の教官室に来てよく理想のオーケストラについて、カラヤン、チェリビダッケの理論と練習の仕方についてよく話し合ったりしたものです。彼は必ずベルリンフィルをカラヤンの黄金時代と匹敵するかそれ以上のものを創り出すと思います。彼のここが他の指揮者よりも卓越したところだと想います。ベルリンフィルが彼を選んだ一番の理由でしょう。久しぶりに電話をしてみようと想います。
さっきの歌舞伎役者の話ですが、世襲制から生まれた揺るぎない基礎能力、ここが一般映画に出演しても他の俳優とは一段も二段も違うところです。同じ世襲制度に近い事を頑なに守っていたのがウィーンクラシック音楽界でしたが、今は非常に現代化され一部崩れかかっています。その修復もかねて『Wiener コアラの会』の発足です。
基本的な音楽語法の一致を形に示したのはチェリビダッケです。彼は当時経営難に陥っていたドイツ総合ランクで68位だったミュンヘン・フィルを僅か3年で、総合ランク3位まで持ち上げた人でした。行った事は、オーケストラ楽員の、基礎音楽語法の統一、音程訓練、文化知識感の改革、とにかくあらゆる芸術上の改革を徹底的に行いました。一回のコンサートに対しての練習時間は最低でも18時間、今の日本のオーケストラで考えられますか。出来ないと言って何もしないんじゃないですか。改造はここからですよ。
日本人の指揮者の皆さん、閉じられた国でお金稼ぎばかりしていないで、佐渡君のように、世界の檜舞台でお仕事しましょうよ。期待していますよ。


マスメディア、CD会社、放送局、音楽出版社の方々へ
   
先ずマスコミの方々へ

一番の問題点はあなた方の活動の消極化と実際の記事の真表性、それに事実報道なのか意見なのか、要は全て曖昧なところで物事が動いていて、実際に皆様方の仕事ぶり、意義を一般の人に理解を受けていない事です。クラシック音楽界の発展の為に世論を動かせるのはあなた達の行動如何だと思います。先ず一般大手マスメディアの中で、文化が人間社会をより良くする為にどれだけの要因であるか。とか文化啓蒙活動の奨励とか、やる気になれば幾らでもできる分野となり得ると思います。本来私がやろうとする事はあなた達の力で行うべきものなのです。儲けの仕事探しばかりに走らないで下さい。

改訂:
意見と現実を区別して確実に正しく正確に伝えて下さい。戦時下の大本営発表とか間違った方向へ読者、リスナーを導くなどは言語道断です。ウクライナ戦争の報道も同じですね。どこまでが事実でどこからがコメントなのか今の報道は良く解らないですね。


ついでに、批評家の方々へ

現代の批評の大半は先ずは何でも良いこと探してそれから欠点を少しだけ探すなど、あたりきたりの評論が多い世の中、そんなにあなた方が評価している程、日本の演奏家は素晴らしいですか。PTAに責められている新米教師では無いのですから、もっと威厳を持って厳しく判断をして下さい。あなた方の軟弱な態度がクラシック音楽界を堕落させてしまった要因の一つでもある訳ですよ。今のままでは、今後日本からサルツブルグ、バイロイトの音楽祭へ招聘される指揮者、演奏家なんてあり得ませんよ。でもあなた方の書かれた批評文を読むと素晴らしい演奏ばかりという事になってしまうのです。今や二流、三流の演奏会が日本で見られます。もう一度皆さん毎日音楽文化の勉強なさって日本のクラシック音楽界を牽引する文化人となって下さい。今や一般聴衆の中に批評家の方よりも文化見識に関して優れている方がいらっしゃいますよ。日本のクラシック音楽界は至るところ問題だらけですよね。

この批評家の方々へ提案です。

国選批評家という名で2年毎に厳選な試験の基で3人を選び出してあらゆるコンサートの批評を依頼する。彼等の報酬は1回の批評料が10万円、年間200回のコンサートをこなす事(年収2000万円)を義務とし、それをマスコミは、批評家からの依頼には100パーセントの全文掲載をする。こうすれば、国選批評家の記事はことごとく掲載されるしその批評も手厳しい本音の物となるであろう。とにかく国選でない場合は今までのように柔らかい批評を書いていれば良いのであります。報酬の額はあまりにも違うので皆さんこぞってこの職に就こうとすると思います。それにはクオリティが必要となりそれによる競争も起こるので、批評家の質全体の向上も図れると思います。私は13歳から66歳の現在まで、音楽の友、レコード藝術、音楽現代、音楽芸術(現在は廃刊)を欠かさずに日本から取り寄せて購読をしています。ですから批評の変化、日本の情報は場合によっては日本の人より正確に把握しているつもりです。
改訂:
コレにも国会議員の方のお力が必要です。

CD会社、放送局の方々へ

ネットによる安易な無料配信、放映の為に、メディアの世界ではある意味での無法地帯となっています。この事はCD会社、放送局の利益侵害にもなり、それ以上の問題点としてあまりにも自由に質の悪いソースが世界中に溢れており、聴衆の耳をも悪くしてしまっているのです。今や人はネットデジタル程度の音で慣れてしまいそれ以上のクオリティを求めなくなってしまっています。先ず何かの方法でこれに打ち勝つ方法を考えなければなりません。著作権法とか何かでこの状態を変えなければなりません。要は何でも簡単に無料で手に入る事を変えないとこれらの業界にとっては死活問題になってしまいます。また新しい再生技術、システムの発明も視野に入れて下さい。私も良案を考えて見ます。CD、オーディオファンの方もお考えください。
この著作権法ももう一度偏りのないクラシック音楽界発展の為に良い方向へと改革すべきだと思います。
改訂:
国会議員の方この問題はクラシック音楽普及の為には本当に熟考しなくてはならない問題です。CD業界の死活問題なのです。

趣味音楽鑑賞家、一般聴衆、音楽愛好家、アマチュア音楽家、CD愛好家、オーディオマニア、小さなアマチュア音楽会を企画なさる方

これまで長い間音楽の専門家とその候補生を中心に話を進めていましたが、ここから少しここに掲げた方達へのお願いについてお話しします。
実は皆様方が一番このクラシック界の発展の為の鍵を握っている方々だと思っています。

というのは、実際に音楽家の道に進んでしまっている方にとって、恐らく、彼らの中で新しい試みに関して気持ちを向けて変化させていくことは、容易では無いと思われます。ですから、皆様方が第三者の立場からより良い方向に導いて頂けないかという事です。私も趣味が講じて音楽を専門とする職業音楽家に成ってしまいましたが、職業とした者には何らかの簡単にはいかない問題がある様です。

改訂:
現在の音楽関係の職場上でのしがらみ、音楽演奏に相反する人間関係と結構大変の様で殆どの人がコレを壊してまでの改革に勇気が湧かないのです。放っておけば本当にかわらないですからね。この部分の文章は5月10日に書いています。コアラの会へ入会された方もまた私のこの文章に同意された方も皆さん静観されている方が殆どです。こんな事ばかり書いていると本当に皆さんを敵に回してしまいますが、それでも敢えて私は言い続けます。

そこで、このわだかまりの無い一般聴衆、アマチュア音楽家の方々から、この様な音楽家達に対して率直な意見、御鞭撻を思った通りに伝えて欲しいのです。但し無記名でなく、記名で。そしてまた専門家より詳しく勉強なさって欲しいのです。その交流の場所として、wienerコアラの会を活用して頂きたいのです。まだまだ思考錯誤を繰り返していますが、会員は音楽家から、一般聴衆まで、年齢職業に関係なく募集をし、もっと交流が出来る様にして参ります。ですから単なるファンの集いの様な事にならない様にと思っています。むしろ世間知らずの音楽家が色々交流を通じて社会勉強が出来たり、要するに彼等に沢山の影響を与えて文化人にして欲しいのです。ですから会員同士では原則としてお互い交流拒否をしない様に考えています。
 ここでの交流が本当にこれからのクラシック界改革の原点になる事を望みます。趣味人(びと)こそ、本当にこの文化の鍵を握っているのです。

改訂:
この方々が一番数が多くこのクラシック音楽界を引っ張っていける存在なのです。そして国会議員の方、良い音楽界のの環境作りはこの方々と共に動いて頂きたいのです。この方々の行動如何でクラシック人口が増加するのだと思います。

ここで各々の趣味人の方々へ個別なお願い

改訂:
1、趣味音楽鑑賞家の方々へ
鑑賞団体のブログ等を拝見すると音楽家に対して非常に美辞麗句が多く、あれでは音楽家の成長には何の意味もありません。何も非難だけをしろという訳ではありませんが、もっと音楽家の成長を考えた上での批評を正確に相手の音楽家に伝えて欲しいのです。よくTwitterに載っている様なものではなくて。最近プロの批評家達の手ぬるい事、此れが今の日本の音楽家を堕落、二、三流にしてしまった原因でもあるんですよね。政治形態といい、教育現場といい、現代のクラシック音楽界といいみんな同じ問題から始まっていると思われます。
本当に重要な部分なんです、宜しく。
あとはご自分なりの音楽評論日記をつけて欲しい事。本会では活動欄で皆様方には正しい厳しい批評をプロ評論家以上に投稿して頂きたいのです。そしてあなたの選んだ生涯一番のCD名盤一枚選んで音楽家名刺上にお書き下さい。

2、一般聴衆の方々へ

改訂:
1、で挙げた、先ずは生涯ー枚名盤の選択、そして聴いた演奏会を、“大感動”、“中感動”、“小感動”、“×”、の評価を考えて活動欄にて掲載なさって下さい。ゆくゆくは食べログのクラシック音楽版をwienerコアラの会で作ろうと思っています。とても厳格なもので、世界的普及を目指すつもりでおります。

ですから私は、聴衆の皆様がこの世界をより良くする要素であると信じるのです。この評価に意味がある様にするには、一般聴衆の質も向上させなければなりません。そのために聴衆の皆様も勉強なさって下さい。それを勉強できる機関もこれから作ろうと思っています。ご期待ください。さて、亡くなった指揮者のカール・ベーム氏は、日本の聴衆が世界一であると絶賛してしていましたが、本当にそうある為には、文化とはそこに居合わせるものすべてに影響を及ぼす力のある事であり、それには一人一人の頭脳の中で出来上がる各々の現象、此れが即ち文化の力の産物であるということを再確認しなくてはなりません。これからは、過去のウィーン人が伝統の名の下に受け継いで行ったクラシック文化を、日本においても日本独自のものではなく、正統的な伝統文化が繁栄する場所として形成しようではありませんか。

3、音楽愛好家の方々へ
1、2、の項で言った事は言うに及ばず、皆様方は特に音楽が好きで好きでたまらないとい方々で、私もこの部類に入る思います。CD、DVD、レコード、楽譜、録音等予算の続く限り集め続け、要するに収集癖なのです。沢山所有している事とそれを自慢する事と知ったか振りをする事がしたくてしたくてしようがない人、クラシックファンの男性にに多いですね。(クラヲタ)
ちなみに私事(自慢話)ですが、私の音楽関連の所有物は、

 CD 約15000枚、オペラDVD 約300枚、
 レコード 約12000枚、
 中学1年の時より始めたFM Air Check(現在も続いている)
 カセットテープ 約80000本、
 オープンリールテープ 約1000本、
 2012年より mp3にて録音 約100TB、
 オーストリア放送、ラジオシュテファン、バイエルン4、NHK-FM、New York、BostonのFM局のクラシック番組をまだ毎日録音をしています。
 音楽楽書 約1000冊、オーケストラのスコア 約7000冊。

私の家は倉庫のようなものです。
どうですか。本当に度を越えているでしょう。
この私と同類の方々も非常に大事な人材です。何故ならば私を含めて彼等は大抵しぶとく、根気強い。彼等にこの聴衆、愛好家の人達とうまく交流し合えば、この聴衆団体は、物凄く大きな存在となるでしょう。但しもっと正しい知識を付けて欲しいですね。

4、アマチュア音楽家の方々
この方々は大変多くて、元来音大を卒業したにも関わらず、訳あってアマチュア音楽家になってしまった方、過去現在部活やアマチュア団体に所属している方、個人演奏家、オーケストラ、吹奏楽団、合唱団、オペラグループ、その他アンサンブル。とにかく日本のアマチュア音楽活動は世界一です。
さあ、この方々にも私はもう一度世界に羽ばたく音楽芸術家と同じアプローチをして頂きたいのです。別に演奏家になる事だけではありません。何か、クラシック音楽文化持続の為の努力をして頂きたいのです。アマチュアの方から凄い研究者が出たり、プロの人達がタジタジになってしまうほどの知識や演奏能力があったり、文化人はここからも生まれるチャンスがある訳です。

5、オーディオマニアの方
えてして職業音楽家の人達はオーディオ関連の事に疎く、その程度の知識でネット配信をしたり録音をしたりしています。こういう人達にオーディオに於ける可能性や、素晴らしいオーディオ装置で聴いた時の演奏の印象の違いを教えてあげて欲しいのです。良いオーディオ装置で聴く音の良さを何とか伝えて欲しいのです。

6、小さなアマチュア音楽会を企画なさる方、その演奏会を聴いたり支援をなさる方々へ
皆様方の啓蒙的活動、特に若い音楽家の為なかなか簡単に出来ないコンサートの企画運営をなさっている方に、敬意を評します。但し非常に注意をして欲しいのです。と言うのはこの演奏会に出演させて頂いている者がなかなか味を占め、何回も同じ様なコンサートをして発展性が無い、というような事をよく聞きます。特に女性では他にコンサートの可能性も無くこういうコンサートを何回かやっているうちに自分の限界を感じ、その先の研鑽をやめ、次の生活保護者(結婚)を見つけた後その安定感の中で小さなコンサートを続けている、という事をよく目にします。若手を本当に育てるおつもりならば、あまり安易に演奏会を与えないで下さい。結構これは日本の音楽界発展に反する事になりかねないと思います。特に若い女の子には、年配の方が優しく手を差し伸べてしまう傾向があります。音楽界発展の為に厳しくご指導下さい。お願いします。

何度も言うようですが、このジャンルの方々の御理解がこの改革の是非を左右します。


再度 音楽家の生活について

最後にもう一度音楽家の生活のことを色々と考えてみましょう。私が今一番提案したい事ですが、前にも言いましたように、音楽家が勉強する為に親は1500万から2500万円のお金をあなたにつぎ込んでいます。このお金をどれだけの人が自分の人生のうちに返せるでしょうか。99%の人は無理だと私は思います。私自身もそのお金の全てを親に返すことができませんでした。これを踏み倒さずにお金を出していただいた両親のことも考え、自分の将来のことも、また自分の子孫のためのことも考え、どういう風に生活生計を成り立てていくかと言うことのお話をしましょう。
これはいくつかの問題を分けて考えなければいけないと思います。まず音楽家を目指すほとんどの学生、95%以上の人は、要するに裕福な家ですくすくとに育っていたんです。ですから親はそれをまるで苦労のないように見せかけて心配をさせずにあなた方にお金をつぎ込んで行ったんですね。

 音楽家年金について

さあこれがどこまで続くか続かないか、場合よってはその途中で皆さんが、音楽を研鑽する事を断念するとします。それをいとも簡単に続けるためには女性であれば同じように裕福な人との結婚をして経済的な助けを受ける手があります。これによって続けている方はだいたい半分以上じゃないですか。あとの方は何かの方法で音楽家の仕事をしながら生きています。さぁどうしましょうかね。
私はまず皆さん方の将来、老後の事を考えてみました。年金の事です。私はヨーロッパにいて、良い年金のシステムで贅沢をしなければ何とか生活が出来ます。それに引き換え日本の場合ではどうでしょうか。今皆さん方音楽家の入れる年金と言うと国民年金ですよね。国民年金は毎月に1万6000円程度それを40年払い続けた場合そうすると60歳までにそれを完了し65歳から月々50,000円程度のお金が出るんですが、これもこのまま何年か経つと、満額出るかどうか判りません。それでは今のままでいった場合に月々50000円の年金で生活のできる人はどのくらいいるでしょうか。誰もいないと思います。国民年金はこれに補う形の国民年金基金という余計に積み立てる方法がありますが、自営業の人用で音楽家にはあまり実用的ではないと思います。普通のサラリーマンの方は厚生年金と退職金受け取ると言うのが現状のようですね。音楽家の中でもオーケストラの団員、大学の先生達は、一般のサラリーマンの方と同じ年金のシステムが適用されます。
平均で厚生年金の場合で平均で月15万円程度、納金負担は給料全体の約18%を雇い主と個人が半分づつ負担です。これ以外今のところ音楽家にあった年金はありません。自営業の方々が加入する年金はありますが、月毎の同額の掛け金は音楽家にとっては負担が大きいと思います。

改訂:
ある地方オーケストラの女性奏者の例
外国留学の後30代後半で入団。60歳で定年その後5年間特別常トラ扱いで給料目減りようやく65歳で年金生活。退職金が約300万円ちょっと年金支給額が月約10万円コレだけでは生活出来ないと、楽団の言い分は勤続年数が少ないと。20年以上真面目に働いて何も文句も言はずでもコレが現実であると。

そこで私が今考えた年金は、個人的なiDeCの応用型で、年金の積立方法は、演奏会の出演料の一部を積み立てるという方法です。

例ですが、演奏会の出演料が
 3万円以下なら 2000円
 5万円まで   5000円
 10万円まで  10000円
 20万円まで  20000円
 30万円まで  30000円
 50万円まで  50000円
 50万円以上  70000円
を一回毎に納める。
年金なので原則として65歳まで交付されない。
家庭の不幸等不慮の事故の場合に限り、金利なしで払い戻しが出来る。
大体の目安として25歳から65歳まで40年間で
普通に演奏活動をしていたら約1500万円位になる計算である。これを一括で貰うか、月15万円を100ヶ月、国民年金と共に貰うかである。これは単純計算なのでこれに資産運用やその他諸々の特典がつくと思われるので決して損はしないと思います。また本人死亡の場合は遺族に直ぐに現金が届くようなシステムとしようと思っています。かなり現実感を持って実現できると思います。

改訂:
65歳以降も継続が可能で5年毎で延長が可能となる
wienerコアラの会の会員である事が条件で、この業務の代行は音楽事務所と大手保険会社に委託する考えでいます。

 コレを実現する為にも国会議員の方の手助けが必要です。

ここに掲げた全部、色々なジャンルの方々を含めて皆様方に、10年15年先のクラシック音楽界の将来を考えて頂きたくこの文章を作りました。
さて私はこの事を理解したり或いはこの事を実行したり、この考え方に感銘を受け、これから先、考え方が共有できる方々とともに音楽人生をしていきたいと思っています。
音楽を専門的に勉強をし始めた方、音楽大学に既に在籍している方、現在海外に留学されている方、大学卒業後日本の中で音楽活動始めている方、既にプロの音楽家として日本の音楽団体に所属をしてその中で活動している方(これはフリーで音楽事務所に所属している方も含みます)、そしてその音楽事務所に従事なさっている方、交響楽団を始めとする音楽団体に従事なさっている方、公文協を含めた日本のホール、その他音楽図書館等で働いている方、音楽大学高校で教えていらっしゃる方、一般の小中高校で専科で音楽を教えている方、音楽教室の講師先生、個人で教えていらっしゃる方、これに加え一番話を聞いて頂きたい聴衆の方、ファンの方、音楽趣味の気狂いな人、アマチュア音楽家、音楽ジャーナリストの方、音楽雑誌等の編集者の方、音楽書籍の出版社の方、また放送局を始めとするマスメディアの方、CD、DVDの制作に携わっている方、違うジャンルにいてクラシック音楽を使ってお金儲けをしようとする方、クラシック音楽界に昔の大富豪のように多額の寄付をしようとする方、このようなたくさんの人達によって現在の日本のクラシック音楽界、まぁ世界的にも同じですが、成り立っているのです。この方々一人一人に1日に15分だけ10年後15年後のクラシック音楽界のあるべき姿を考える時間を作っていただきたいのです。また研鑽と言う意味では音楽に携わっている方は最低1日3時間精進して頂きたいのです。私はこの事を行おうとする方々、協力者たちと、私のこれからの人生のパートナーとして交流を持ちたいと思っています。どうぞ御熟考下さい。
さてもう一つお願いは、私の考えを皆様方の手で沢山の方々に伝えていただき、仲間を増やして頂きたいのです。とにかく拡散のお手伝いをお願いしたいのです。
それに加え、私と同じように第一線をリタイアなされた方にも同じように色々考え、沢山意見をして御尽力頂きたいのです。
これらのことを賛同できる方々を新たに集めて、その方達と一緒に私の掲げたいろいろな音楽活動をしていきたいと思います。まずはそのためのホームページのようなものを作って、そこに参加してご理解いただける方々を集め、その方々には私はどんな努力も惜しまずに私のあらゆる知識を提供しようと思っています。とにかく今年(2021年)の6月末頃にはこのシステムを作り上げようと思っています。まずは日本の方から次にウィーンを中心に全ヨーロッパの方々、そしてアメリカの方々最後に韓国中国を含むアジアの方々と南米の方々にこの考えを広めて世界的になものとしていこうと思っています。この会の名称は私のあだ名であるコアラから、Wiener コアラの会としたいのです。1年から2年後には世界中に広まるように何とかその輪を広げるつもりです。広がる上で私1人では何もできないので、そういうことお手伝いしていただく人も必要です。どうぞ宜しく。

皆様方へのお願い
何度も繰り返す様ですが、毎日15分、10年後のクラシック音楽界のビジョンというものを考える時間を皆様ご自身で作って頂きたい。この中から新たな良きアイデアが生まれる様な気がします。その際は御一報下さい。
そうそう大事な事を言い忘れていました。それは、音楽家の第一モットーは、常にたくさんの方々へ夢を提供する事です。仕事に疲れた後、それでもコンサートへ足を運んで下さった方へ心の癒しと、ほんのちょっと現実から離れ、幸福になる時間を提供し、音楽文化の偉大さを共有する時間を持つ事です。この事を毎回絶対に裏切らないクオリティーが必要なのです。とにかく我々は夢を与える事を忘れてはいかんのです。


『Wiener コアラの会』について

改訂: 
私の今までお話いていた事を実行に移す為の機関として『Wiener コアラの会』を立ち上げました。先ずは2月15日に日本で7月中にウィーンで専用Webサイトを作成し、そこでのやり取りを中心に情報交換をしながら、会の運営をしていこうと思っています。会員制を採り、会員内で活動交流は自由とし、ウィーンを中心としたクラシック音楽の発展を目指す団体としての活動がメインとなります。是非ご参加下さい。

申し込み方法:
Webサイト上の申し込み書に記入をして、所定の方法で会費を納めて頂くと直ちにWebサイト使用許可が下り活動が開始されます。

改訂:
 世界共通の音楽家名刺とは
会員の皆様方全員にお願いです。特に音楽活動をなさっている方に簡潔に必要事項だけを記載した世界共通の履歴書(音楽家名刺)を作成して頂きます。現存する履歴書、ビデオ等は、あまりにも規格が違いすぎるため、音楽事務所、オーケストラ等現在の雇い主側が欲しい情報としては不充分です。音楽家にとって必要な部分の情報が少ない割に、自分を聴衆に売り込もうとする広告宣伝部分が多すぎて、あまり専門的には通用しません。この規格がある程度一定であれば、仕事を提供したり人材を探すのに、より有効な判断材料となるでしょう。企画側も正しい判断で適切な人材を探す事ができると思います。これによって埋もれた才能を探そうということです。さあ皆さん、世界にはばたくチャンスですよ。とにかくまずは世界的に普及させる事です。
音楽家以外の方も出来るだけこの世界共通音楽家名刺にご参加下さい。

世界共通音楽家名刺

同じ内容のもので母国語版と英語版を作る。

職業選択欄として、
・一般音楽家でフリー、または所属機関のある方(音楽事務所、オーケストラ等の団体)
・教育関係の方
・音楽関係の仕事に従事されている方
・音楽一般愛好家、音楽を趣味に持っている方
・有能な若手音楽家の個人マネージャー志望の方
・音楽へのスポンサー、またその希望者
・音楽家志望の学生、音大生、卒業生
・アマチュア音楽サークルに参加している方等
・過去にウィーン留学、居住経験者
、ウィーン愛好家


演奏投稿欄
・VideoかAudioを15分間掲載(YouTubeのURLを貼り付け)、最初の3分は必ずモーツァルトを録音する(音楽スタイル確認の為)。その後12分間の構成は各自判断。

写真は5枚まで

履歴書の部分は必要事項を枠内に記入。ダラダラとした文章形式はとらない。記入項目は約50箇所。非常に綿密に記入。記入拒否項目もOK、明らかな虚偽が発覚した場合は、直ちに掲載から外される。全てが信用の下で行なわれる。過去の演奏動画や写真、現存の履歴等の添付は可能。

記入項目例:

全員に
名前、性別、生年月日、専攻楽器名
身長、体重
現在の職業(出来るだけ詳しく)、所属団体
過去5年間の職業
最終学歴
可能言語 ABCでランクを添えて
自己紹介   400字くらいまで
自己アピール 400字くらいまで
性格自己判断
  
音楽家関係の方へ
今現在、自分の得意な曲を5曲(この内の1曲を音源に提出すると良い)
レパートリー表(歌手の場合、オペラ名と役柄名を記入、公演経験の有無を必ず記入) 500曲以内
一日の平均練習時間

ウィーン留学経験者へ
『Wiener コアラの会』ですので
過去ウィーンでの滞在期間、目的
過去ウィーンでの演奏会記録
過去ウィーン留学の場合、専攻科目、留学期間、師事した教授名、Diplomの有無、当時交流のあった学友の名前、出来るだけ多く

全員に
現在興味のある作曲家 3人
現在興味のある演奏家 3人
あなたをこの会へ推薦した方

音楽家、学生の方へ
1日の平均練習時間
過去3年間の演奏会内容(所属団体も含めて)出来るだけ詳しく、これから3年間の本番予定内容(所属団体も含めて)正確に
今後の自身のコンサートに対する展望、クラシック音楽界に対する要望(詳しく)

コンクール入賞歴 3つまで
出身校 3校まで、専攻科目、師事教師名 3人まで、
本人の尊敬する音楽家(故人を含めて) 3人まで

自分の活動したい地域 日本(地域的),日本全国、ヨーロッパ、全世界等
自分の活動したい分野、現在の所属団体、連絡先
自身で出版した書物、録音したCD、DVD

全員に
深い交流のある音楽家 5人
湯浅氏との関係 師弟関係、友人関係、知人関係、他人を通して関係、名前程度、未だ無関係
自分の判断で、生で聴いた名演奏 3つまで、CD、ヴィデオ、放送等での名演奏 3つまで、感銘を受けた音楽書 3冊、感銘を受けたその他一般書物 3冊まで
音楽以外の他趣味 3つまで、CDの所有数、音楽以外での得意分野

掲載内容は随時変更可能

原則としてこの音楽家名刺はコアラの会メンバー同士は閲覧可能です。お互いの信用関係の下で公開をする。また本人の希望で本人情報を送って貰いたい団体が有れば可能な限りコアラの会より送ります。

また記入箇所については義務では無く自由ですので出来る限り記入して頂ければ結構です。
ただ、虚偽の記入だけはおやめ下さい。お互いの信頼関係を壊すことになりますので。

『Wiener コアラの会』
運営:
私と、私の身体の不自由を手助けしてくれてドイツ語、英語、日本語が堪能でありコンピューターに詳しい音楽家である人、独語圏担当、英語圏担当の協力者の基本4人で運営し、活動内容によって人員を増加する。

オーストリアでVerein、非営利団体で認可(ヨーロッパでの活動権確保)
Vereinの役員
*湯浅勇治 『Wiener コアラの会』会長
*ミヒャエル・シュナイダー 副会長(ウィーン国立音大指揮科助教授)
月尾摩美 事務局長(予定) 日本語、独語、英語、事務局全般担当
*モーリッツ・ラウラー 書記、ドイツ語圏担当
*ゲオルグ・ゾンライトナー 会計、ウィーン音楽家担当(ウィーン交響楽団)
メイスン・ルーベルト 英語圏担当
ペーター・ベヒーニエ 会計監査(税理士)
住沢明加留、平塚太一 WEBSEIT責任者
で構成される。
(*は非営利団体 wienerコアラの会 開設申請時の役員なので無報酬が原則)

運営費用:会員からの年会費、賛同して下さる大口賛助会員からの助成金,会員の方がこの会より何らかの恩恵をを受けた際のお礼金(寄付金として)
によって運営しますが、最初に思ったよりもお金がかかるという事が解り、とにかく、お金を集めなければならないことを理解しました。年会費は上限が無いので、いくらでも寄付の形でご援助を頂ければと思います。
運営費使用途;人件費、事務所、studio、倉庫の維持費、通信費、コンタクトに必要な経費等

改訂:
毎年年末に会計報告があります。

会員募集;

改訂:
1、過去30年の間ににウィーンで勉強した方々、現在の学生さん、ウィーンでお仕事をなされた方、ウィーンにお住まいで会った方、ウィーンを愛してる方々、そうそう大事なのはウィーンのクラシック音楽の大好きな方々を中心にお声をかけ音楽家を中心に一般聴衆、愛好家を含みます。
2、音楽家、音楽学生であり、『Wiener コアラの会』の主旨に賛同できる方。申し込み後世界的音楽家名刺を作って頂きます。
3、Wiener コアラの会 主催の催しに参加したい方。
4、音楽家ではないが、『Wiener コアラの会』の主旨に賛同して主催の催しに参加したい方。
5、現在指揮者か、指揮科学生か、将来指揮者を目指している方(国際指揮者部)。
6、過去にウィーンに住んだり、行ったり、とにかくウィーンの街が大好きな方(ウィーン愛好部)。

 音楽家でない方も出来るだけ音楽家名刺をお作り下さい。交流のきっかけにしたいので。

とこれらの方々を募っています。

正会員;
1年間1口EUR60より(1ヶ月あたりEUR5、美味しいコーヒ一1杯分) 、何口でも結構なので、お支払いいただきます。だいたいEUR60は日本円で7,500円位になります。
こんな少額から会費を集めようとした理由は、長い間会員になって頂きたいため、また、学生の特に若い方、これからクラシック音楽界を背負っていける可能性のある方々に参加して頂きたいからです。また、私の学生時代の経験から、特にロシア、ウクライナ、東欧圏からの方々のために、西側の貨幣、ユーロで会費を払うことがあまり負担にならない様にと考えました。とにかく出来る限り世界中から会員を集めたいのです。

改訂:
団体会員;
1ヶ月毎に500ユーロずつ最低1年間の契約をして頂きます。また団体会員の認めた方は、団体友人会員として契約期間中は当会の準会員(一部参加出来ない制限付き)になれる。後日正会員に変更可能。)

今団体会員に考えているのはオーストリア青少年鑑賞団体(ジュネス)、これによってオーストリア中の26歳以下ジュネスの会員であれば、殆どのの音楽学生、若い聴衆は本会の準会員となれる。同様に日本のある小さい画期的な某音楽事務所、新設する若いオーケストラ、音楽教室を持つ某楽器店、某音楽大学という様にどんどん広めて行こうと計画中です。

  大口会員;
大口に助成をなさって頂ける方。

改訂:
大口の助成、寄付金の場合国によって税制が多少違いますのでお手数ですが外国非営利団体への助成という事でご自分お税理士の方とご相談下さい。

名誉会員;
wienerコアラの会の発展の為に招聘した方

Yujiの友;
私(湯浅勇治)と過去交流のあった方、とにかく何はともあれ、私に助成、賛同して協力をしてくださる方。

会費とは別に、一年に何度でもいくらでも寄付として御助成頂ければ幸いです。

改訂:
経営コンサルタントの方で当面の資金繰り当会の年間約3000万円のアレンジに興味のある方ご一報ください。

世界のクラシック音楽界の発展の為に『Wiener コアラの会』へのご参加、ご意見とご尽力をあらゆる分野の方からお待ちしています。いい加減にネット上で批判したり邪魔をしたりする人を防止する意味でも、少ない金額ですけれども会費を徴集して真面目にこの事に取り組んで頂ける人と交流をしたいと思っています。

『Wiener コアラの会』への申し込み方法

ネット上で申し込み用紙を記入をして会費1口60ユーロ(何口でも可)を所定の方法で送金して頂ければ完了です。入会後世界共通音楽家名刺を作って頂きます。これは何度も変更が可能ですから最初から完璧に作成する必要はありません。

            
最後にもう一度、この文章を読んで怒りを覚えた方もいられると思いますが、誹謗中傷の為に書いた訳では決してなく、日頃からの歯に絹を着せない口調で書いた文章なのでお許しください。私の意見は忠実に書いたつもりです。御熟考下さい。
また再三再四のお願いですが、今まで現役で活躍されてリタイアされた方のお力が必要なのです。この先細りにある前途多難な日本の、いや世界のクラシック音楽界、発展の為には皆様方の頭脳、ノウハウが必要です。また、若い音楽家を目指す方には、必ず生涯音楽家で居る事を決心して頂きたいのです。
あとはこの文章を多くの方に読んで頂きたいので有りとあらゆる方法で出来るだけ拡散をお願いします。

この文章では日本の事ばかりを書いてしまいましたが、私のもう一つの狙いに、音楽文化継承を、音楽の都、ウィーンより広めたいという気持ちがあります。その為にこの会の名前を、『Wiener コアラの会』といたしました。

この会の会員募集に次の方々もお誘いしたいのです。
1、音楽を通じて、ウィーンを愛している人
2、ウィーンへ行った事のある人、これから行きたいと思っている人
3、ウィーンに住んでいる人、過去に住んでいた人
4、ウィーンで音楽の勉強をした人(大学、音楽学校、個人レッスン、短期間セミナーを問わず)
5、ウィーンで演奏をした事のある人
6、なによりもウィーンの職業音楽家の方々

この方々も仲間に入って頂き、ウィーン人との交流、世界的にウィーンを愛する人々へと輪を広げたいと思っています。会員の方々同士の交流が目に浮かぶ様ですね。
  
 指揮者の座談会について
丁度この間に皆様にお伝えしたい事が出来ました。
先ず先日TV番組で指揮者の皆さんの座談会で将来のクラシック音楽界の事についての話がありました。あのような場を作った事にはたいへん意義があると思いましたが、お話の内容等は残念ながら確信には触れていなかったと思います。その中ではO氏の発言には学びうるところがあった様に思います。皆さん現立場上での意見で、将来の職業音楽家の事を考えた発言が多かったように想います。私はもっともっと事は深刻になると思いますけれど、少なくとも、現在の職業音楽家だけの事ではなく、音楽に関わる人全体に提唱する様な事をこの立場の人がすべきではないでしょうか。次回があるならば、もっと突っ込んだ話をすべきだと思います。皆さんこのままクラシック音楽は続いて行けるという前提で話をしていましたが全然危機感がないですね。文化は放っていても自然と続くものではありません。ちゃんと見ていないとあらぬ方向へ行ってしまうと思います。考え方がちょっと甘かったと思います。何かコロナ禍を理由に規模の小さいあまり意味のないイベントが至る所で開催されている様ですが、関係者の方々はもう少し先を見据えて実行なさって下さい。


 マルクス・ガブリエル氏 について
この間一人良い事を提唱している哲学者がいらっしゃました。あるインタビューを見たのですが、マルクス・ガブリエル氏といって、倫理道徳資本主義を唱えていらっしゃいます。将来の政治、経済の在り方を説いた方で、現在では世界有数企業のアドバイザーをなさっていらっしゃいます。要はただ金儲けばかりをせずに倫理感、道徳感を踏まえて資本主義社会を構築すべきだと言っています。この方の経済的理念にのって、クラシック音楽界の将来を考えることは非常に興味深い事です。彼の偉業はここに書きませんので皆様方ご自分でお読み下さい。何度も何度も言う様ですが、ありとあらゆるジャンルの音楽関係の方々の一人一人の努力がない限りこの世界の10年、20年後は考えられません。今がチャンスです。伝統の継続と新しい探究、それに一人一人の向上心、日本から本場ヨーロッパに沢山の世界に通用する音楽家を送り出しましょう。その為の『Wiener コアラの会』なのです。

また、ついこの前こんな事がありました。私の側でウィーン留学をしていた子が日本へ帰国して2年が経ちました。残念ながらもうウィーン時代に習った事の7割ぐらい忘れてしまって日本仕様の音楽になってしまっていたのです。ウィーン留学は殆ど意味をなさないという訳です。残念です。これくらい環境によって左右されてしまうのです。

最近近しい方にこの会を立ち上げるのにどの位に資金があるの、と聞かれ全くのゼロから始めると言ったら信じられないと言われました。私は実力と信念を持ち続ける事が輪を広げたり理解者を増やす事だと信じています。この信念を一生続けるつもりで居ます。この事が私のクラシック音楽界から得た財産への恩返しだと思っています。

先日、ペトレンコが、最後のバイエルン歌劇場の仕事のシリーズとしてサロメを指揮し、私は健康上の都合で行かれなかったのですが、弟子の平塚が観て参りました。その感動を一生懸命私に伝えようとした時、彼は、ペトレンコが日頃私がレッスン中に言っている事と同じ様にそのまま指揮をして(オペラを指揮をする時は、右手でオーケストラ、左手で歌手を指揮をしてコントロールをする。歌手へのアインザッツは出来うる限り全てを行い、100パーセント歌手をコントロールする。これはオペラを指揮する際の基本中の基本であると私は自分の生徒全員に教えているのですが)それを確実にこなしオペラ全体を手中に納めていて、こんな完璧な指揮者と公演は見た事がないと言っておりました。ペトレンコはとにかく基本を外す事のない指揮者で、平塚は自分の今までの日本での勉強の曖昧さを反省をし、新たに世界的な指揮者になろうと私に誓いを立てました。私にとっては弟子が弟子に多大な影響を与えたと言う事で教師冥利に尽きるという事を味わらせて頂きました。
実はこれは環境と伝統と勤勉さが成せる技だと思います。
改訂:
この後平塚は自身の大学院の卒業試験でブリテンのオペラ 真夏の夜の夢 をペトレンコと同じ様に基本に忠実に指揮をして最優秀賞を貰いカーテンコールの際
太一コールで聴衆を湧き上がらせた程でした。卒業演奏会ではペトレンコ以来の感動を得ました。彼に話して彼の元で勉強させようと思っています。

今の日本ではこの様な環境が色々な面で揃わないと思います。こういう環境作りをしましょう。そしてクラシック音楽界の発展に導いて行きましょう。


 私の日本の弟子の方々へ

私は本来なら、弟子の方々に今回私がやろうとしているようなこの仕事を率先してやって欲しかったのですが、皆殆どが音楽を理想と現実との天秤にかけて、日本では現実の中でどう活動するかという選択肢をとった者が多い様です。結果として生きるに精一杯で他人に夢を売るなど殆どが出来ていない状態です。この中で成功をした者は20年前からあるやり方をして既存の音楽事務所に認めてもらってそこから仕事を頂くという形を続けています。これをこのままいくら続けても体制は絶対に変わらないし、この事は音楽界全般に言えます。
 弟子の皆様方も30代、40代、50代と人生で一番活動せねばならない時にたいした大望もせずにこれから後の人生同じ様に過ごすのですか。同じ方法をやっても体制は変わりませんよ。それでも現実の状態を維持する事を選ぶのですか。私の弟子であるのなら死ぬまで理想を忘れず追い続けて下さい。この事は、日本音楽界全体にも言える事です。今が改革をするチャンスなのです。皆様方の即日からの行動力に期待します。音楽家は一般の方に夢を売れなければ市民権は永久に無いのです。

私は日本に於ける問題をあからさまに書きましたが、実はこの問題は、ウィーンでも世界でも同じなのです。音楽界を牛耳っているマネージャーとそれに加担をしている人により犯されていて、伝統も伝授もあったもんじゃない。とにかく今のクラシック音楽経営者陣はあってはならない方向にクラシック音楽業界全体を導いています。ウィーンでさえそうですよ。国立歌劇場、ウィーンフィル、ウィーン芸術週間、ウィーン音大、これにザルツブルグを始め殆どの音楽祭、歌劇場、オーケストラでこの問題が起こっています。これを良い状態にするには、今の経営陣を刷新するか、考え方を昔ながらの方向に戻すしか無いのです。彼等は経営のノウハウはよく知っていても芸術、伝統は二の次、とにかく採算第一、それにあわよくば余裕があれば文化、芸術の事を考えると言った感じなんです。
2022年の元旦にザルツブルグ音楽祭で100周年記念の公演としてモーツァルトのドンジョヴァンニの公演がありました。はっきり言いますともう世も末ですね。クラシック音楽界の牽引者であるべきのザルツブルグ音楽祭でこの様な公演を当たり前の様にやられたら、本当に末期症状としかいえません。演出、演奏共にクラシック音楽界250年の歴史を一瞬でぶち壊してしまう程の酷さです。時代考証全く無し、演出家と指揮者による自己満足の世界、オーケストラの汚い音、モラル、道徳、文化何も感じる事は出来ませんでした。30年前のカラヤン、ベームの時代にザルツブルグの音楽祭を観る事が出来た私は幸せ者でした。この公演を最初に観た方は二度と高いお金を払ってサルツブルグには行かないと思うでしょう。皆様方も是非ご覧下さい。皆様方の現在の文化度を自己判断するのに良い材料だと思います。
この様にヨーロッパ全体の8割以上の職業音楽家は、音楽界を牛耳っているマネージャーとそれに加担をしている人間達の下でだいぶ理想の形とは変わってしまった音楽をやっているという現状の部分があるわけです。  
この様な事情の打開策として『Wiener コアラの会』を立ち上げた訳ですが、私の一番の狙いは、この運動を日本より始める事です。というのは、過去どの時代も、クラシック音楽に限らずどのジャンルにおいても、ヨーロッパ、アメリカが中心で、日本、アジアがそれを追うという考えなのです。どうせ日本人、アジア人には文化など解るわけがない。とぐらいにしか考えていません。ウィーン、ヨーロッパでも自国のクラシック人口が大幅に減少しているのです。ですから国家の援助も大きく減少しているのが実態です。ちょっと頭のいいマネージャー達が彼等の利益ばかりを追う様に全体が動いていってしまうのです。
黄色い豚 という言葉をご存知ですか。これはヨーロッパ人から見たアジア人の事で要は奴隷の様に蔑んで使う言葉です。私はヨーロッパで何度も嫌な思いをしてきましたし、それと闘う意味でアジア人中心に指揮者コンクールに入賞させ、日本の斎藤小澤指揮テクニックをウィーン、ヨーロッパに拡めたりしました。一時期ヨーロッパで指揮のテクニックを習うならウィーンのユウジに習えとまで云われるようになりました。並大抵の努力ではなかなか出来るものでもありません。
要は、今日本に於いて、正しくクラシック音楽の文化、伝統を保存しつつ発展させる事を、今クラシック音楽に携わっている人達が将来の音楽界に対する理想的な運動として始めるならば、日本人の勤勉さ、国力を持ってすれば、次世代にはウィーン伝統の音楽を日本人の力で正しく伝統文化を受け継ぐ事ができ、クラシック音楽の歴史の中でその偉業(日本人の大きな参加と援助)が残り、単なるヨソモノで無くなり、ウィーン、ザルツブルグをはじめとする音楽祭へ音楽家を定期的に送る事というようなことも達成できると思います。これらの事を実現したく皆様方一人一人の援助と努力をお願いするものであります。単なる黄色い豚ではなく、ヨーロッパ人が稼ぐ為だけの日本ではなく、クラシック音楽界の伝統文化をヨーロッパ人よりも正しく伝えていく歴史上重要な役割として、日本の存在を刻みたいのです。それを始めるのに今が一番良いタイミングだと思います。

『Wiener コアラの会』としての活動を幾つか考えてみました。
まず大変大事な事ですが、当会は非常に真面目な会でクラシック音楽界の将来の発展を最大の目的にしていますので、この目標に則った上での意見交換は大いに結構です。ただし、ネット上での誹謗中傷はもってのほかです。意見を載せる際は必ず実名で、反対意見などを言う場合にもその理由をはっきりと書いて頂きたいのです。

改訂:
とにかくどのジャンルの話でも議論は大いにでも結構です。会員がご自分達で企画をし月毎に討論をするテーマを決めてその意見を出し合う事やズームによる討論会などを実現して頂きたいのです。

先だってNフィルの演奏会後に指揮者の事でTwitter上で、聴衆者、演奏家、それにその賛成者、反対者、楽団を含めたトラブルがあった様ですが、意見を交わすこと自体は大いに結構ですが、それを必要以上に他人へ広めたり実際の問題とはかけ離れた事で問題を大きくしてしまった様です。ですから私は意見をする方ははっきりと実名で自分の身分を証し責任を持って自分の言葉で意見を言って欲しいのです。これがこの『Wiener コアラの会』での掟です。
次に皆様方の研究発表の場を作ろうと思います。子供騙しの様な物でなく歴史に残る様な出典を希望します。またこの機会に、ウィーンのクラシック音楽を知る上で忘れてはいけない名著、ハンス・スワロフスキー教授の指揮者の為の本(ウィーン音大指揮科でバイブル的存在の本で、これによって、アバド、メータ、ヤンソンス、ペトレンコ、(私)が育てられた。)の日本語版を『Wiener コアラの会』の企画の一つとして、来年中には出版致します。
また、特にご年配のクラシックファンの方でクラシック音楽界へ何らかの寄贈を考えている方へのお手伝いをします。(先ずは『Wiener コアラの会』へ寄付して頂けると嬉しいのですが(笑))
例:個人的なスポンサー、出版事業等、留学生の渡航費用 等
また交換欄を設け、売りたし、買いたし、探し物、質問、困った事等の掲示をします。
海外、国内の市場への新しい方法での音楽家紹介。
とにかくいろいろな事の出来る団体作りをします。

文化遺産である音楽資料の保存について

たまたま昨年日本に帰国した際にネットオークションで中古のCDを多量に買ったのですが、最初は自分の自分の収集癖の為と、それから自分の指揮者の弟子の為にと考えていたのですが、量が多くなって約3900枚程買ってしまい、自宅にも置ききれなくなって、これを地域の文化向上の為に使えないかと考え、千葉市の稲毛という町の中で地域にクラシック音楽を普及しようと頑張って私設の稲毛音楽堂という小さなホールでコンサートを催していらっしゃる吉岡さんという方にこのCDを寄贈し、地域の特にご年配の方、これからクラシック音楽に興味を持って貰えそうな小中高校生達のために、私設CD図書館を開設しようとしています。題して『稲毛・ウィーン コアラの会 CD図書館』です。CDを地域住民の方に貸し出して、その返却時にCDケース中にその曲の演奏コメントを書き残すシステムにしようと思っています。(実は図書館の開設を次回来日時にすぐ実現するつもりでいたのですが、ついこの前集中豪雨(台風10号)で家に保管をしていたCDの一部が水に浸かってしまい急遽移転させたり大変でした。家の方も被害甚大で改築した部分の茶の間、台所、風呂場、階段、物置部分が壊滅的です。その上母家部分の屋根総張り替えという事になってしまいました。こういった惨事にもめげずに私設CD図書館や『Wiener コアラの会』実現に向けて努力を続けるつもりでおりますので応援して下さい。お願いします。)

私はこの事を考えているうちに、次の様な不安な気持ちに襲われてしまいました。私の死後私の膨大な音楽資料はどうなってしまうのだろうかと。何も遺言を残していなければ、適当にブックオフの様な中古量販店に二足三文の値段をつけられ後は処分されてしまうのではないかと。実際私が去年中古で購入したCDは、3900枚全部で150万円程でした。一枚あたり384円となります。
私が言いたいのは、その昔一生懸命にお金を貯めて買ったCDやレコード(当時2300円)が今やその1割5分の値段で買えてしまうのです。中古買い取り業者の価格ですと100円以下の価値にしかならないのです。同様にウィーンでも中古レコードが1枚あたり1ユーロ(130円)で購入出来ます。一瞬嬉しいですがフルトウェングラーの名盤の価値が130円の価値しかないと思うと複雑な気持ちになってしまいます。著作権法の問題も含めてクラシックCDレコードをダメにしたのがこの価格破壊が大きな要因であると思います。何らかの方法でこの業界の復帰、或いはYouTubeを含めた新たな録音媒体に対する料金システムを考えるなどしなければなりません。変に無料化したり、意味もない団体に著作権料を払わされたりするのではなく、根本のシステムを整え、無尽蔵な料金ではなく正しい価値に適した共通の支払いシステムを作ることがこの分野の発展を導くと思います。

改訂:
国会議員の方宜しくお願いします。
あそうそう忘れないうちに、国会議員の方々も是非に wienerコアラの会へご入会を頂き活動欄にて皆様方のご尽力の程をご報告頂きたいと思うし、ご知人方への勧誘、拡散を宜しくお願いします。特に当会の為に団体会員、大口会員を宜しく。

また年配の方で私の様に貴重な音楽的資料財産(CD、レコード、楽譜、楽書、FM録音、テレビ録音等)をお持ちの方、また大量に処分をなさりたい方、音楽家のご遺族の方へのご提案なのですが、私が今回地元のクラシック音楽界の底上げ運動に協力したく考えた事ですが、私にはまだまだウィーンにも日本にも膨大な資料があります。私はこの資料が私の死後無駄なものとして簡単に処分されるのを恐れ、『Wiener コアラの会』の中で後世に残したいと考えています。そのための良いシステムをこれから考えていきますので、皆様方も大切な音楽資料を後世に遺す事をお考えください。中古屋へ安く売り捌くほど愚かな事はないと思います。この音楽資料を大切に後世のクラシック音楽界のために貢献させる事も、音楽界発展の為の要素であると信じています。必ずウィーンコアラの会で良い方法を考えますので安易なご処置はおやめください。お願いします。これを世界的に拡げるつもりでおります。
 
この件の実現に向かってwienerコアラの会ではスペースを設けて先ずは重要な音楽家特にウィーンのクラシッ音楽界に貢献した方のオーケストラスコアを保存して後日はご要望が有れば会員の方にはWEBSEIT上で閲覧が可能な様にに計らいます。
現在の処
ペーター・シュヴァルツ教授(元札響音楽監督)
カール・エステルライヒャー教授


次に重要な音楽資料を集めるのに高校のクラブ活動を利用するのです。野球部や吹奏楽部の様に「クラシック音楽部」というものを作って頂きます。顧問には音楽専科の教師が担当をし、クラシック音楽を聴きディスカッションをするクラブですが、先に述べた歴史的音楽資料を寄贈という条件で一般の方々から集めて整理をして保存をし、学内、ゆくゆくは地域住民の為に貸し出し、音楽資料図書館の機能を持たせ、クラシック音楽の普及と地域社会への文化貢献として貴重な音楽資料の収集と保存に努める。先ずは私立の校長、理事長の理解を得て、彼らの力によって、教育委員会、公立高校へと輪を拡げる。立派な地域文化活動となると思います。

改訂:
またこの資料が膨大になった際、特にCDは刑務所内の受刑者の人間更生の為に刑務所内にクラシック音楽CD図書館を作り、CDウォークマンを大手電気メーカーより特注+寄付をしてもらい受刑者が出訴後人間更生をしてクラシック音楽ファンとなりコンサートへ通う。理想のクラシック音楽の使い方ではないですか。それにこの方法はそんなに経費が掛かりません。国会議員の方だったら法務省に掛け合って直ぐにも実現出来そうなきがするんですが。


やや衰退したウィーン芸術週間、クラシック音楽伝統な音楽祭の通常復帰

実はウィーン芸術週間では毎年5月、6月の2ヶ月間芸術週間主催のクラシック演奏会が毎日のように開催されていたのですが、2017年以降現在まで全く様相を変えこの主催形式がほぼ消滅してしまいました。私はこの実情を調べまた古き良き時代のような芸術週間の復活の運動をしようと思っています。


皆様の私的音楽アドバイザー
これはまだまだ思案中ですので確実に実現するするかどうかわからないのですが、要は音楽家をはじめとする『Wiener コアラの会』の会員の方のみの個人的音楽アドバイザーに私がなるということです。
内容と言いますと 
 -1、将来の相談。大学、留学、職業、研究、コンサート、活動方法、教育方針、勉強方法とありとあらゆる音楽に関する相談を、永年のあらゆる分野との繋がりと経験を持ってじっくりと受けさせていただきます。
 -2、『Wiener コアラの会』の一つの目標である新機軸のミュージック・エージェント構築の為に才能ある世界に通用する若手演奏家の発掘と教育の為に、音楽家名刺を駆使してその存在を世界的に公表します。先ずはその才能を探し出し、ネット上で出来うる限りですが、ヨーロッパで通用する音楽家になるためのアドバイスをします。

その為に必要であるならば、音楽レッスンと音楽家としての今後についてアドバイスをします。私の健康状態の関係で多くは出来ませんが、効果が上がるだけの事はしようと思います。なおどんな方にでも時間が許す限りは実行するつもりでいます。1、2、の事は原則としてMessengerを使い直接電話、或いはFacetimeやZoomにて行う予定です。レッスン代相談料は一切頂きませんので、会費1口分を『Wiener コアラの会』の運用資金としてご寄付頂ければ結構です。

世界共通の演奏家名刺について
個人データベースとして所定の用紙に記入して頂くところは全く同じですが、それとは別に、専門家やマネージャー業界の為に、補足として一般に出回っている様なフライヤーや、履歴書+広告の様なものの添付、他のWebサイトへのアクセスも簡単に出来る様にし、この掲載の為のアドバイザーも常備します。お気軽にご相談下さい。現在では翻訳プログラムも非常に進歩しています。うまく使って世界的なコミニケーションへ参加してください。

改訂:
経済面について
2月15日よりコアラの会の運営を始めてみた結果、思ったより運営活動金がかかる事がわかりました。2月の当会開始までに私の準備予備金(約600万円)の殆どを使ってしまうほどでした。という事は、1年間に換算すると諸経費人件費を考えると年間で最低でも約2500万円位の予算が必要です。当初の予定では、なるべく会費と当会の主旨に賛同してくださる大口会員の方の力だけでの集金を考えていたのですが、それだけでは無理そうです。ちなみに会費のみの運営だと、年間で最低でも3500人の会員が必要です。結構経営が大変だという事を思い知らされてしまいました。皆様方もたくさん同志を集める事にご協力下さい。この『Wiener コアラの会』を通じて良い繋がりや恩恵を得た時に、寄付金という形で皆様方の判断で寄付をお願いしたいのです。宜しくお願い申し上げます。

今年はウィーンに居りますので、テレビからですが、大晦日のこうもりとウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴きました。毎年恒例の行事なのですが、本音でお話しします。
まずはこうもり、毎年のメンバーからすると歌唱、演技、アドリブ、全ての面で水準以下。オーケストラの演奏面でも、演奏に粋さを感じ得ず、指揮者も真面目さは出ているものの、コロナ禍で観客の大半がオーストリア人であるはずなのに、喜歌劇であるにも関わらず会場から笑いがほとんど出ない。演出の基本は昔のシェンクのものなのですが、本人が演出を行っていない為にありきたりとなっていました。とにかく手を抜いているか、劇場側の手配の悪さを非常に強く感じた公演でした。私が聴きに行っていたならば、間違いなく途中で帰っていたでしょう。主催者側としてあってはならないことです。ドイツのBクラス劇場の出来と言うところです。ウィーンであるまじき一夜でした。内部関係者によると、根本の問題は、新任の、演奏家、スタッフの人事権を持つ、日本でいう演奏部長(事務局長)の采配で、もう半年以上問題ばかりということです。いくらオーケストラ、合唱団が練習してもこの方法では良い結果は生まれないというのです。最高峰であるべきウィーンでも、日本と同じ様な有様です。
この文章の中に書いてある様に、世界中の20人くらいの音楽マネージャーが自分達の利権によって演奏家を牛耳っていて、其れを真似した良い例ですね。世界中でこの問題が起きているのです。だから私が改善のための提唱をしているのです。
さて、元日は恒例のニューイヤーコンサートでした。今年はバレンボイムの指揮で開催され、良い感じで始まったのですが、段々と活気の無いコンサートになってしまって残念に思いました。皆さんお聴きになってどう思われましたか。これにも原因があります。まずバレンボイムは、高齢80歳での参加でした。彼の場合、指揮者としての技術の根本が高齢と病気明けによって残念ながら正しく機能していないこと。人は歳をとるものです。彼は最高の音楽家ですよ。でも老齢の為にオーケストラコントロールの基本が既に出来なくなっている感がありますね。。残念で仕方がありません。高齢者運転免許返上の時期なのですかね。他の曲目ではまだまだいける可能性があると思いますが。

改訂:
日本でも似た様な事が起こっている様です。人間歳は取るものです。引き際は肝心だと思います。

しかし、今回はオーケストラの側にも問題があります。ここから先は専門的なものの為に音楽家の皆様方注意をしなくてはならないところです。
ウィーンフィルはこのところ楽団員の構成が大きく変わりました。楽団の演奏伝統維持を第一としていた昔のようにウィーン人男性のみではなくなり、ウィーンで勉強したオーストリア人→旧オーストリア帝国の出身者→ヨーロッパ全土→世界中→女性も含む、というように技術第一主義としてこの30年間でどんどん変化してしまったのです。現在では全楽員の4割以上が外国人であったり女性であったりするのです。要は普通の他のオーケストラと差が無くなってきているということです。音楽上の根本の部分は楽団に入ってから仕込まれるのです。血統が純粋ではなく、混血状態なのです。色々な事を伝承するという意味では随分昔と意味合いが変わって来ました。ウィーンの伝統を知っている人にとってはちょっと悲しいことです。特に謙虚に現れることは、伝統のウィーン風ワルツの3拍子についてです。非常に微妙な部分ですが、既にウィーンフィルも外国のオーケストラ化しています。あの絶妙なタイミングでは無いのです。私はウィーン音大指揮科の生徒にウィーンのワルツの基本を教えていましたから、このことについてはハッキリと断言出来ます。
ボスコフスキーの時代までは、指揮をする人、コンサートマスター、団員達、全ての人間がウィーンで育って勉強していたので、変なワルツのリズムになる筈がありません。現在では新旧の楽員達がが入り混ざっていて(因みにボスコフスキーの時代からの団員はもう居ません)、殆ど一年間で今の時期しかワルツの演奏もせず、ニューイヤーコンサートに出演する指揮者のほとんどが外国人というのが実情です。本当に伝統を持ち続けることは大変難しく、伝統を止める事は簡単なのです。

一つ良い事は来年のニューイヤーコンサートはオーストリア人のウェルザー・メストの指揮であることです。彼はウィーンの伝統を継承できる唯一の指揮者です。これを機に国立歌劇場音楽監督への復帰を期待します。

以前ニューイヤーコンサートの日本実況中継にゲストとして出演した人に羽部真紀子さんが居ります。彼女は現在ウィーンの由緒あるダンス学校でオーストリア人相手にウィーンの伝統的なワルツを中心とした公式舞踏会に生徒達が出場出来る様、ダンスだけでなく身のこなしやマナー、歴史、文化との関係等全般の教鞭をとっています。本年度中には、アジア人では初となるTanzmeister (昔でいう親方)という名誉ある称号をオーストリア国家から授与される予定です。そうなると彼女はヨーロッパで自分の舞踏学校を作ったり自分の舞踏会を催したり出来るのです。凄くありませんか。実は彼女は私の弟子で、女流指揮者です。東京藝大指揮科卒で、ウィーン国立音大留学中に舞踏の道へと進みました。今後は舞踏、指揮の両方を生かしてウィーンのワルツの伝統を護り続けて欲しいですね。日本で鹿鳴館時代を思わせる舞踏演奏会を催して貰いたいです。期待しています。

また良い事として、YouTube上の激選クラシックチャンネルを配信しているナコさんの行跡を知りました。クラシック音楽の普及に対する努力や、企画、台本、撮影、編集を出来るだけ一人でやっていること、配信している内容に対する勉強の度合いを見て、大変良いことだと思いました。彼女もこれからは文化を継承していく人なのです。クラシック音楽の発展の為に責任を持って今後も活動を続けて下さい。アマチュアだと言って責任逃れはだめですよ。

改訂:
ナコさん、前よりやや勉強が薄くなりつつあります。ヒットばかりを気にせずに音楽ファンを正しい方向へお導き下さい。

また著作権の問題で日本コロンビアとの良い関係を作り、クラシック音楽の発展にブレーキをかける現在の悪法、著作権法の改定の為の第一歩として アッパレです。現在の一般公共放送でのクラシック音楽番組の程度の低さ、内容の無さに比べるとアマチュアのあなたが行なっている事の方がずっとクラシック音楽の将来の為になっていると思います。一度コンタクトを取って話をしたいものですね。


さて他にもYouTube上で何人かの方のチャンネルを観ました。色々工夫をなさっていると思いますが。皆様方次のことをお考え下さい。公の場面に物事を表出するということには、責任があります。現在のYouTube上では、表現に対する規制がないほぼ無法地帯となっております。いいですか、文化に関する問題は、責任を持って掛からないと曲がった方向へ人々を導いてしまう恐れがあります。メディアが多少はクラシック音楽に興味を持っているこの時期こそ、皆様方のYouTubeがこれからのクラシック音楽会の発展に与える影響は大きいのです。ご注意ください。お願いします。

最後に嫌な話です。毎年2月に、東京で都民芸術フェスティバルという伝統的なイベントが開催されました。元来は、この期間中は安価に在京のオーケストラのある程度の格式のある演奏会が聴けて、指揮者も定期公演常連組が担当しているという、良いクオリティーのイベントでした。殆ど都の財政で賄わられるため、チケットが大変安価でクラシック初心者でも気軽に購入できました。唯一東響だけが若手の為の登竜門としてチャンスを与え、練習時間も3日間と定期公演並みの待遇で臨んでいました。
ところが、今年はどうでしょう。定期公演クラスの指揮者が1人、名曲クラスが1人、他全員がまだ名も無い若手ばかりです。都からの予算はそれ程多く無い筈ですから、安易にコスト削減の為の策を打ったと言うわけでしょうか。しかも、練習は殆どが1日だそうです。オーケストラ事務局の皆さん。聴衆をあまり馬鹿にしないで下さい。甘く見ると、クラシック音楽ファンがまた減ってしまいますよ。こんな杜撰な企画をするならば、知人を介して都知事に進言をして予算を止めて貰いますよ。これは脅しではありません。二度とこんなことが起こらないように真面目にお考え下さい。
この様に、どうも現実問題として世界中至る所でクラシック文化向上の為の行動に問題がある様です。こんな事が起こらない様に活動するのが、『Wiener コアラの会』なのです。

改訂:
因みにウィーン響の練習と演奏会の関係は、通常3日練習、ゲネプロ、3公演、ウィーンフィルでも3日練習、ゲネプロ(公演)、1〜3公演を全て同じホールでという原則を守っていいます。
コレは日本のオーケストラとはだいぶ違いますね。商業採算主義か、演奏第一主義か、要は文化人か音楽屋か、聴衆を馬鹿にしているか、していないかの違いじゃないですか。興味深い事です。
詳しい日本のオーケストラの実情ははオーケストラの項で書いてありますのでご参照下さい。

追伸
この『Wiener コアラの会』のドイツ語版の開設とウィーンサイドが軌道に乗った時に、湯浅指揮セミナーを千葉市の稲毛で開催しようと思います。現在指揮者の方、指揮者になりたい方、指揮の活動をなさっている方は是非ご参加下さい。今後の活動方法、勉強方法など個別に徹底的に助言させて頂きます。興味のある方の聴講も歓迎いたしますが、会場が小さいので実際に聴講できる方には日程的に制限があるかも知れません。その節はまた発表させて頂きます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。これを機にクラシック音楽界の発展の為に御尽力お願い致します。

敬具

2022年5月30日 ウィーンにて

湯浅勇治


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