地元での講演



感動冷めやらぬままずっと余韻に浸ってしまうので、ここに書き記したいと思います。

先日とある大学生の方たちの集まりに呼んでいただき、バックパッカー起業家の話を聞きたい!(めっちゃ聞こえがいい)というお題の中で、僕が皆さんと同じくらいの時にカバンひとつもって地元を飛び出して、どんなことを乗り越えて起業して泣いたり笑ったり生きてきたのか。

それを聞きたいと言われたので、お断りするわけにもいかず(ぶっちゃけドンピシャやんけ!と思ってしまい)お話をさせていただきました。 


その中で、何に感動冷めやらぬまま余韻に浸っているかというと、僕たちのサクセスストーリーはもはやどうだっていいんです。


それよりなにより、大学生の皆さんたちが、将来どうなりたいとか考えてる?

イメージを書き出してみよう!

ってことで20歳から他界するまでの道のりを、全員に書いていただいたんです。 


僕たちが同じ歳の頃、そんなのわかるわけないよ〜と書けるはずもなかったことは当然ですが、僕も同じように、これからの人生をその場で書き出そうとしたんです。


ところが、筆が止まってしまい、一文字も書くことができなかった。
自分でも驚いたのだかもっと驚いたのは、学生さん全員が、しっかりと20代では◯◯30代では◯◯老後は◯◯
具体的に書かれてたんです。


明確すぎて驚きを隠せず、そしてその内容がとっても純粋で。


大人になるといろんなものが見えてしまって、見えるからこそ知りすぎて、途方もないことを考えなくなっている。

一方で、まだ知らないからこそ、大きなことを思い描ける。



できるかできないかではなく、想像することに意味があるわけで、いろんなことを学ぼう学ぼうとしているうちに知りすぎてしまうと無意識レベルで自分に歯止めをかけてしまっていることに氣がつきました。 


皆さんの書かれた夢を見てると、自分までその頃の気持ちに戻れて、そうだ!こんなにも未来は明るいと信じて、一所懸命走ってきたじゃないか。 と、なんだか忘れてしまっていたことを思い出させていただき、その純粋な思いに、
(子どもを見るような眼差しで)感動して恥ずかしながら涙がこぼれました。 

僕は、何を見失いなにを忘れてしまってたのだろうと、衝撃を受けたのです。


得たものを見るのは簡単ですが失ったものに氣づけないのが、人間です。

大自然だってそう。
人類は便利さと引き換えに、失ったものの重大さに氣づくことなく、このままでは取り返しのつかないとこまできてるというのに、まだ見てみぬふりをし続けてる…


講師として招かれたはずなのに、氣がつけば僕は、忘れかけてたことを思い出させていただく逆セミナー状態に突入しておりまして^^;

なんと言いますか、、大人になればなるほど闇が見えてきたり黒さが見えてきて、それを知りすぎると挑戦をやめてしまったり、やっぱり20代の頃の自分と今の自分の変わり具合にちょっと待てよと考えさせられました。

その場ではやはり、夢ボードに何も書き出せなかったので、恥ずかしながら僕はそれを宿題として持ち帰らせていただきましたが、若い子達をゆとり世代とか言ってる我々世代の方が恥ずかしくなりました。


みんな物凄い未来を思い描いてます。
平和ボケしてるのはむしろ、大人の方なのかもしれない。

身の引き締まる思いで、衝撃と稲妻が頭から離れずポチポチと書き記してしまいました。


またこの件は、まとめて自分のこれからの人生設計に活かしたいと思います。 


そしてなによりも 
『君はどう生きるか』

これに尽きると思います。
僕はどう生きるか。
これまでのことは過ぎ去ったこと。
振り返らず前に進めと言い聞かせてきたはずなのに(-。-;

どう生きるか
どんな足跡を残すのか。
今一度…

#安田女子大学

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