【コロナ不況から学ぶこと】
何もかもが当たり前になっていた現代
モノがありふれ何不自由なくそれなりに人々は生活していた。
あの江戸時代もそうだったのかもしれない。
ふと幕末を思い出した。
身分制度や矛盾したことはもちろんあったであろうが、何百年も戦争もないなんて世界の歴史から見ても稀で人々は平和に暮らしていたらしい。
そこに突如現れたペリーちゃんの黒船
開国を迫られ予想もしていなかった事態に日本中が揺れた。皆取り乱し幕府の対応に不満をいだき、揺れに揺れた。
時代が変わる時、変わらないといけない時、それまでの常識や、守りたいモノ変えたくないモノもあるでしょう。
しかし、変わらないといけなかった。
変えるしかなかった。
それによって良くなったこと、失ったモノ、どちらもたくさんあったでしょう。
現代のコロナ船という黒船も同じ気がしてきた。
ペリーちゃんではなく進化して戦闘力を格段に上げた感染力が強すぎるコロナちゃんが今度は鎖国を迫ってきた。
君たちの生き方を変えない限り、感染しまくって生きていけないようにしちゃうよ。
困るなら、変えなさい。変わりなさい。
生き方を、やり方を。
これまでの常識や決まりごとなんてもう通用しない。
平和ボケはもう終わりだ。また、新しく時代を作り直す時が来たと。
そう告げに来たのだと感じます。
鎖国というとちょっと違いますが、必要となことと不必要なこと、時間をかける所とそうでない事がはっきりと切り離される世の中になるよと。
一旦、原点に戻りなさいというお告げなのかもしれない。
そして滅びるもの、後世に残っていくもの、どちらになるか。
今一番感じるのは、ここで滅びるものはこれからの世の中でそう多くに必要とされないのかもしれない。
これまで人々は自分たちのやりたいことをやりたいように表現してきた。
それが世の中の役に立っているかもわからず、ただひたすらにやってきた。
これから残っていくこと、新たに生まれてくるものは、より多くの人たちに必要とされ世の中に必要とされる事だけに絞られていく気がする。
自分たちがやりたいだけでは続かない。
本当の意味でのこれからの時代に合わせて必要とされなければ通用しない時代になる。
半端ではなく本物だけが残っていく。
どれだけ良いものを作っても、良いことをしても、自己満足や多くに必要とされなければ滅びてしまう。
この現実をはっきりと突きつけられたのだと感じます。
認めるしかない。受け入れるしかない。
その上でどう生きていくか、を試されますよね。
生きる目的もなく目標も見出せない現代にとって、ただ平凡な日々を送っていくよりは、毎日を必死で生き、小さなことにも感謝と喜びを見出せるようになるのかも…。と思えば、未来は明るい。
困難に立ち向かっていく方が、現代に生まれてきた意味を感じれるというものだ。と僕はそう思うんよね。
未来は、勝手にやってくるものではない。
先のことが見えないからこそ、世の中が必要としていること、人々の喜びになれることを、死に物狂いで考えながら、未来を切り拓き、作っていきたい。
今こそ、この世に生まれてきた命を燃やし尽くそう。
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