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遠かった甲子園 最後にはまさかの結果に!!

私は奈良では甲子園出場常連校であった野球部に所属していました。甲子園に出場する為に、この高校に入ったと言っても過言ではありません。

とても強い高校でしたので、1年、2年とベンチ入りする事も出来ませんでした。一つ上の3年生の夏の甲子園が終了した後、ついに新チーム結成の際に念願のレギュラーを獲得しました。

夏の甲子園が終了すると、すぐに始まるのが秋の大会でした。私はキャッチャーでした。秋の大会前の練習試合で、相手打者がファウルしたボールを急所に受け、緊急入院。その間に秋の大会は始まり、そして奈良県大会の準決勝で敗退し、近畿大会に出場する事も出来ず、つまり春のセンバツ高校野球に出場出来る権利すら無くなってしまったのでした。。

次は甲子園出場に関わらない春の大会があります。ここでは、準々決勝で奈良ではうちの高校と同じくらい強豪高校と対戦し、見事にコールド勝ちをしました。しかし、準決勝で公立高校に負けてしまいました。

そして、最後の夏の県大会。順当に勝ち進み、鬼門となる準決勝で春の大会でコールド勝ちをした強豪校との対戦となりました。何とかここを勝ち、決勝にあがり、そして甲子園出場というPLANでした。しかし、やはり準決勝が鬼門でした。。。春にコールド勝ちした相手に10対3で敗れました。。。

私は悔しすぎて、この時の夏の甲子園をテレビで見る事はありませんでした。。

そして、そのまま大学進学、就職としたのですが、就職した後も野球が好きで草野球チームに所属していました。

そこで「甲子園カップ」と大会があり、そこに当時の所属チームは参加しました。何と準決勝と決勝は甲子園球場で試合が出来るという大会でした。

私達は順当に勝ち進み、ついに準決勝に進出して、夢の「甲子園球場」で試合をする事が出来たのでした。本当に嬉しかったです。「想いはいつか叶う」という経験でした。

ただ、オチとしては、この大会も「準決勝」で敗退でした。。

「鬼門」の「準決勝」。。ここは変わりませんでしたとさ。。

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