初期研修病院の選び方 パート4 (病院の自己アピールからの判断する&最近の日本語の乱れについて)

 私が書きたかった内容は過去の記事で概ねすべて書いた。前半はその焼き直しに過ぎないかもしれないが、ご容赦いただきたい。後半は一見医療と関係なさそうにみえるかもしれないが、若い人の記事・発表で「変な日本語」が散見され気になるので記載する。

病院の自己アピールで、「初期研修に向いてない病院」だと感じさせる文言例

 病院に限らず一般企業もそうかもしれないが、自己PR内容と実情は必ずしも一致しない。「ホワイト企業と思っていたのに実際はブラック企業だった」というような。よって以下は絶対的な基準ではないことと注意されたい。


「土日は基本的に休み」「17時過ぎには勤務終了(帰宅)」「時間外は呼ばれない」

 某病院のウェブサイトでは、夕方に研修医がPHSの電源を切り、それを病院に置いて帰宅するといった内容が紹介されていた。しつこいようだが、もし本当にそうしているなら臨床医としてまともに学べるはずがない。休みではあるが、時間外や土日だろうと自主的に患者を診るというのならよいのだが。
 ちなみに小生は2年間の初期研修でPHSの電源を切ったのも病院に置いて帰ったのも4回しかない。夏季・冬期の長期休暇の時だけである。それ以外は一切なく、いつ鳴っても出られるように肌身離さず携帯していた。PHSをビニール袋に入れてシャワーを浴びたことも数え切れない(実際数回シャワー室で鳴った)。これは私だけでなく同期も先輩も後輩も、誰にも言われずとも研修医は皆そうしていた。
 もっともウェブサイトで堂々と「当院は時間外労働が当たり前」とアピールする病院は無かろう。確実に行政指導を受けるからである。だから「ブラックじゃないですよアピール」をしているからといって必ずしもそうとは限らないのだが、大っぴらにしたくないのなら強調しなければよいだけのこと。すなわち、やたら「ブラックじゃないですよアピール」を強調しているところはpoor研修病院ではないかと疑われる

「一年目では一人で手技をすることはなく先輩のを見て学び、二年目で上級医の指導のもと手技を身につける。」

 一見良さそうだが、これでは手技が身につくのが遅すぎる(手技によるが)。見たこともない手技をやれというのは至難の業だが(小生は経験あり)、一回見たなら二回目は指導医のもと自分でやるのである。もちろんこの時に万事上手くできるとは限らず、失敗することもある。だが三回目、四回目と経験を積むにつれて上手くなっていき、手技が身につくのである。
 小生は一年目の夏には一人でCVを入れていたし、二年目春には新一年生にCV挿入を教えていた。一方、某病院では二年目なのに一人でCV挿入をしたことがないなんてザラで、他院での研修で「使い物にならない」なんてこともあったそうな。
 職人や落語などの世界では「背中を見て学ぶ」方法が採られている場合がある。これを時代遅れとか昭和のスポコンとか、ちゃんと教えろやとか言う人がいるが、以前(確か)記事にしたように、それは間違いであり、超大雑把に言えば「そもそも職人芸を簡単に言語化して伝えること自体が無理」なのであり、かつ「自ら技術を身につけよう」という姿勢が求められているからのである。
 よって例えば専門医に求められるような技術では、先輩の手技をじっくり時間をかけて盗み覚えることが必要なこともあろう。ただし研修医で身につけるべき手技、たとえばCVや簡単なエコーなんていうのは、初期研修の2年間だけで身につけられる手技なのであり、何回も見るより一回見たら二回目以降は自分でやって経験を積む方が早く手技を習得できるにきまっている。
 ではなぜ「過保護」な病院があるのか。それはおそらく、研修医に医療事故をおこされたくないからという病院の都合であろう。医療安全の観点から短期的に見れば、研修医に手技をさせない方が患者にとって安全かもしれない。しかし長期的に見れば医者の質を低くしているわけで、果たして「安全」なのだろうかと、私は疑問である。
 

*「わからないことは"すべて"上級医・指導医に必ず報告・相談させます(研修医には判断させません)」

 いわゆる上司への報連相は企業だろうが病院だろうが重要なことは確かなので、タイトルの前に星印をつけた。では何が問題かというと、研修医がただのメッセンジャーとしての役割しか果たさず、判断を上司に「丸投げ」しているだけという事態があり得るのである。
 同じ報連相でも、自分の頭で十分に患者・病状・病態を整理・評価・考察し、必要に応じ本で調べて仮の結論まで出し、「~なので~と思うのですがよろしいでしょうか」などと言える状態で報連相するのと、判断は自分でなくて結局上司がするのだからくらいの気持ちで報連相するのとでは天地の差がある。小生も初めての救急外来で相談しに行き「~なのですがどうすべきでしょうか」と言ったところ随分と怒られ、それからは自分でしっかり判断した上でのコンサルトを心掛けるようになったものだ。このように判断丸投げ型の報連相に対してちゃんと叱ってくれる病院ならよいが、研修医がただの伝書鳩になっている病院が存在する。
 伝書鳩の何が悪いか。それは、自分の頭で適切に判断する能力が身につかないから、そして自分で適切に判断しない癖がつくからである。これは机上の空論ではなく、小生は大勢の伝書鳩を見てきた。伝書鳩がその「真価を発揮」するのは、自身が判断しなければならない状況になった時である。これまで自分で判断してこなかった鳩はこの場合、自分でもできるようなことだけして対症療法的な「その場しのぎ」をするか、自分の微かな経験を無理矢理あてはめ憶測のもと「独自の医療」を展開するかのだいたい二通りである。例えば前者は、「低KだったからKを静注しました(低Kの原因を考えない・調べない)」、後者は「貧血が進行しているので(90歳寝たきりだけど)輸血します(貧血の原因を考えない・調べない・輸血の適応を調べない)」など。普段医学的・論理的な判断をしていないと、判断そのものを誤るのはもちろん、どうやって判断するのかさえわからず、果ては「自分がどうやって判断するのかさえわからない」ということ自体わからない状態になってしまうのである。嘘のようで本当の話である。「上級医に言われた通りにしてますけど」などと、言われたことしかせず逆ギレする研修医は哀れというほかない。なお態度が悪いのは、責任感が欠如している表れではないかと思われ、つくづくハイポ病院での初期研修はダメだと痛感するのである。
 手技も判断力も、自分で主体的・能動的に、責任を負っておこなわなければ身につくものも身につかない。責任が人を成長させるのである。研修医に責任を負わせないというのは、研修医を成長させないのと同じである。病院選びの際には、「報連相できる」なんて当たり前のことで安心せず、研修医にどれくらい任せてもらえる病院なのかに注目すべきである

余談

 某病院の紹介で研修医が「空き時間にはカルテや書類を書いたり、処方するなど病棟業務をします」などと言っていたのには笑った。それは普通の業務ではないのか。業務は空き時間にするものなのか。空き時間って何だよ。


最近見かける乱れた日本語


一般論について


 いつだかの「日本語ブーム」が懐かしい。「問題な日本語」という本を読んだような(題名はうろ覚え)。この時点で

・ら抜き言葉
・二重敬語

がすでに取り上げられていた(はず)。しかし残念ながら上記文法の誤りはブームに非ず今でも生き残り、さらには進化をとげ「三重敬語」まで登場した(~させていただいております、など)。日本語を母語とする者が日本語の文法を平気で誤っているのには辟易する。馬鹿丸出しなので本当にやめてほしい。
*このブログでは()や「」を多用している。これを含め文章としていかがなものかとは自覚しているが、あくまでブログだからだと甘えている。申し訳ございません。

 さて(多分)最近になって増えているのが、「~になります(となります)」とかいう謎の「敬語」である。新社会人向けのビジネスマナー本などには、「~に(と)なります」というのはいわゆるコンビニ敬語(バイト敬語)であり正式な敬語ではないと書いてあるし、明鏡国語辞典(第三版)にも不自然な日本語と書かれている。
 「なる」というのは本来は変化を表す動詞である。例えば「医者になる」など。よって「こちらが検査結果になります」や「~の診断となる」というのはおかしい。それぞれ「こちらが検査結果です」や「~と診断された(診断した)」が正しい。別に難しくないと思うのだが。
 他、特にカルテ記載で気になるものをいくつか例示する。一部日本語の文法と関係ないものあり、それは*印で示した。

・~の診断にて入院→~の診断入院
(意味はわかるが、何でもかんでも「にて」を使う人がいる)

・~なので~か。(~か?)→~なので~と考えられるetc
(カルテで個人の感想を述べない!客観的な分析を)

・~先生より連絡あり→~先生から連絡あり
(明鏡国語辞典を見る限り「より」と「から」の区別が無くなりつつあるようだが、本来「より」は比較を表す言葉)

・~を投与し経過をみる。→~を投与する。
(経過をみるのは当たり前)

*~と比べ現在は改善→~と比べ現在は~の値が~と改善
(相対評価だけでは現在の程度がわからないので検査値など具体的に書く)



医療の現場で
~せめて紹介状はちゃんとした日本語で書いてよ!~


 医療関係に話をしぼる。変な日本語は会話・発表・カルテで散見される。会話はよほど無礼でなければ目をつむるし、発表での発言の場合は「緊張しているからかな」と好意的に解釈することもある。カルテは公文書なのでちゃんとした日本語を使用してほしいところだが、多忙の合間を縫って記載することも多く、小生も漢字変換ミスやらしてしまうので、一応指導はするが心の中ではある程度許容している。
 しかし紹介状など他人に依頼する文書や、他機関へ送付する文書で誤った日本語を使用するのは失礼にあたる。研修医の場合は必然的に目上の人に対する文書であるから、特に気を付けなければならない。適切な日本語・医学用語を使用するなど当たり前なのだが、実際にハイポ研修医に書かせてみるとてんでダメということがある。敬語の誤りや口語表現の使用、段落という概念の欠如(これは賛否両論あるかもしれない)などである。
 さすがにテンプレート的に使う文章、例えば「平素より大変お世話になっております。」や「ご多忙の折大変恐縮ではございますが、~」というのは書けているのでまったく学習していないわけではない。それでもちゃんと書けないのには、二つ理由が考えられる。一つは、文章を書く能力が低いから。別の記事で(確か)記した通り、日本ではまともな作文教育がされていない。大学院で論文を書くようになれば勉強するかもしれないが、研修医にいきなり良い文章を書けというのは無茶なのかもしれない。重要なのは二つ目の理由で、紹介状などの文書を失礼の無いようにちゃんと書かなければならないという意識が希薄、ひいては責任感が欠如しているからである。当ブログで「責任感」という単語をよく使用しているのは、これがキーワードだからである。普段責任を負って仕事をしていない(させてもらっていない)と当然責任感を自覚しにくくなり、それが不適切な文書として表出しているように思われる。
 紹介状の文章構成がそもそもわかりにくいパターンもある。日本語云々ではなくそちらについては、後日記事にすることとしよう。


結語

・ハイポ病院な病院で研修をすると責任感が希薄になり、二年にわたり悪い癖がつき実力・経験・手技・判断力・礼儀などが欠けた医者になってしまう。

・その上、自分自身がレベルの低い医者という自覚の無い医者になってしまうおそれがある。

・正しい日本語を使うべきである。適切な文章をかけない原因として、ハイポ病院での研修が挙げられる。

・研修医に責任を持たせてくれる病院での初期研修が望ましい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?