インフォームドコンセントに対する、初期研修医にありがちな(?)誤解


 インフォームドコンセントという単語は医学生のうちに必ず覚えるし、なんなら受験生でさえ面接対策で勉強し知っていることもある。文字通りに説明すれば、医療をおこなうにあたり患者やその家族に説明(インフォームド)し、納得・同意(コンセント)してもらいましょうということである。要は医療行為、特に重要な事柄についてはちゃんと話をしましょう、ということである。

 昔は極端に言えば、「医者のやることには黙って従いなさい」というような、医者が患者よりも立場が上だったのだが、医療過誤やら訴訟やらが「流行」し、今では医者と患者の立場は(ほぼ)同等という考え方が主流である。以上のような時代・概念の変化にともない、インフォームドコンセントというものが誕生し広まった。ところでこのせいで何でもかんでも「同意書」といった書類が必要になり、現場の仕事量・負担が増えたというマイナス面もある。

 これは常識であり初期研修医は全員知っているのだが、いざ医療現場でこれを応用するにあたり誤った運用をしているケースがみられる。まぁ正確には「私がそういうケースを目にする」であり、実際には「ありがちな誤解」でないかもしれない。むしろそう願うばかりだが、恥ずかしながら私自身も入職したてのころに誤解しており、病棟に配属されてから1,2週間後くらいに上司に指摘された。また私の初期研修医時代、後輩も同じ誤解をしていたので、記事としてアップする価値はあろう。

 ところでこれは蛇足というか愚痴だが、私が見ているハイポ病院研修医は二年目なのに大抵出来ていない。私はすぐに教えられて覚えたし、一年目の後輩には私が教えた。ハイポ病院では実力も無ければ教えてもらってもいないという「よい」例である。


インフォームドコンセントという名のもとで、責任転嫁をしていないか!?


 とどのつまり、インフォームドコンセントのつもりで実際には責任転嫁をしている人がいる。私もそうだったが、その自覚が無く自分では気づきにくいという点で厄介である。

そしてこれが問題となるのが、「心肺停止時の医療行為」について話をする時である。

 特に高齢の重症患者が入院した場合、あるいは入院中に重症となった場合、心肺停止時の対応について大抵家族に話をする。どういう話をするかというと、仮に入院中に心肺停止になっても、蘇生行為・延命行為をしません、という話である。高齢者の場合は特に、心肺停止時に心臓マッサージや人工呼吸器管理をおこなっても救命できる可能性は低く、肋骨はバキバキに折れるし、また救命できたとしても、植物人間のような状態(もちろん厳密には植物人間とは異なる)になるかもしれず、医学的(・倫理的)に延命行為は勧められないからである。

 この時研修医がやってしまう誤った対応をいくつか以下に挙げる。

「~というわけなのですが、延命行為の有無はどうしますか?」

「私共では延命行為の方針を決められません。ご家族の皆様が決めてください。今決められないなら、~までに決めておいてください」


 何が誤りなのか。それは、医学的な知見を備え、医学的に勧められるよい判断ができ、そしてすべきなのは医学の専門家である医者であるにもかかわらず、その判断を非専門家である患者家族にさせている、という点である。

説明している本人は、決定するのに必要な材料・情報は与えたのだから責任は果たしていると思っているかもしれないが、それでは不十分である。それが証拠に上記のような誤った発言に対する家族の返答は、

「(私には何が最適か分からないので)お任せします」

「今すぐには決められません(帰って相談してみます)」

「(治療しないと見殺しにしたみたいで嫌だから)蘇生行為・延命行為をしてください」

といったパターンになることが多い。当然であろう。

ちなみにこの結果、心肺停止時の対応が決まる前に心肺停止したため、救命できる見込みがまず無いのに夜間心臓マッサージを施したことがある。この時インフォームドコンセントをした研修医は、そんなことはつゆ知らず自宅で熟睡である。キレそうになる。


専門家は何がベスト(ベター)かを責任をもって説明しなければならない。最終的な判断はお任せします、というのは専門家としての責任を果たしていない。「何かあっても最終的に判断したのはそちらなんで、責任は私ではなくそちらにあります」というのは責任転嫁以外の何物でもない。

正しくインフォームドコンセントするなら、

「~という理由で、仮に心肺停止になった場合に延命行為はおこないません。(よろしいでしょうか/そのようにさせてください)」

という具合に言い切らなければならない。

その上で、質問が出たら答えたり、議論して結論付けるのである。


 また心肺停止時の判断は、生死を左右する判断といえる。医療者から見れば「蘇生行為をしたところで救命できる見込みは無い」と判断できても、非医療者にはそういった知識・経験がないので、「治療はしないでください」と言うのは気が引けるであろうし、また後日に「あの時治療をお願いしていたら死なずにすんだのではないか」というように、後悔・自責の念を抱いてしまうかもしれない。
こういう意味でも、専門家たる医者がよい判断を十分に提示・説明し、納得してもらわなくてはならない。患者の生死を決めさせるなどという重い十字架をその家族に背負わせてはならない。


 家族がどう言おうとも、自分の意見を押し通せと言っているわけではない。それもまたインフォームドコンセントとは異なる。どこかで読んだか聞いた話だが、「自分は確かに末期癌だが、それでも病気と戦う自分の姿を見せたい。だから期待できなくとも、心肺停止時には自分に延命行為をしてほしい。」と言った患者さんがいたそうだ。もし私がそう言われたらそれを受け入れるだろう。


インフォームドコンセントとは、専門家が非専門家に対し、何が最善かを十分に提示・説明し(インフォームド)、話し合った上で互いに納得できる結論を出す(コンセント)ということである。


以上


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