「教えてもらう」の意味は、社会人と学生で全然違う。 ―優しく教えてもらえるなどという幻想―


 社会人・専門家になっても「教えてもらう時は優しくしてもらって当然」と思っている輩がいる。以前の記事でも触れたが、まったくの誤解であり、個人的にあまりに目に付くため改めて記事にすることにした。

 「教える時は優しくすべきだ」という主張には一理あるし、怒られて気分がいい人はそういないだろうし、怒鳴りつければ良いというわけではない。しかしだからといって、教えてもらう側が注意された・怒られた際に「優しく教えて」などと所望するのはおかしい。ましてや注意・説教されたことに対し文句を言うなど論外である。

一見矛盾しているようだが、そうではない。


まず、

部下は教えてもらっているという「目下の立場」であることを、自覚しなければならない。教える・教えられるという関係性は学生時代に教師・生徒という関係で皆経験しているだろう。しかし社会における「教える・教えられる」という関係性は学生のそれとまったくの別物である。社会における指導は強い上下関係の中でおこなわれ、また上司には必ずしも教育・指導する義務がないからである。

 これは上司の立場になって考えればわかりやすい。部下になんらかの指導をした際、部下がムスッとしたり拗ねたり、逆ギレしてきたらどう思うだろうか。私は「コイツにはもう教えてやらねぇ」「関わりたくない」「一緒に仕事をしたくない・仕事をさせたくない・させられない」などと思う。そうでなくとも普通、悪い印象を持つであろう。礼儀、マナー、態度は人間関係において本当に大事である。人生を振り返ると「自分に嫌な思いをさせた上司・先輩には、自分が嫌な思いをさせても文句を言う資格は無い」などと勘違いしている失礼な後輩がいたが、この論理は誤っている。上司と部下は対等な立場でないからである。
 逆に言えば、部下・後輩は礼儀正しく、素直で態度のよいことが望ましい。指導に素直に従いついてくる部下には「よし教えてやろう」とモチベーションが上がるものであり、それが人情というものだ。部下、特に新人は仕事であまり貢献できない。むしろ上司の時間・労力が新人の指導に充てられている分、部下は上司の足を引っ張っている。御恩と奉公のように、目下の人間は指導してもらっている分、目上の人間に対して敬意をもって接するべきである。確かに上司の中には理不尽だったり無駄に高圧的な人もいるが、目下であればある程度は我慢しなければならない。縦社会の宿命である。もちろんパワハラはいけないのだが、多少のことでやれパワハラだとわめくとかえって印象を悪くしてエスカレートしたり、あるいは怒られないかわりに何も教えてくれなくなる(干される)、ということになりかねない。

 そして上司は教師ではなく「教えてくれて当然」ではない。医者の場合、指導医や研修担当などという肩書で病院の偉い人から「仕事」が上級医に付与されるわけだが、それで給料が(普通)増えるわけではなくボランティアである。教えることを生業にしている教師とはここが異なる。雛鳥のように、口をあけていればエサが貰えるなどと思ってはならない。
 教えてもらうというのは社会において受動的なものではなく、能動的なものであり、より正確に言うならば「教えを請いに行く」「弟子入りして修行をつけてもらう」といったところである。少年漫画などで「自分を弟子にしてください!」というシーンがあるが、まさにそういう気持ちが必要である。上級医は多忙である。そんな中、やる気・積極性に欠ける研修医に誰がわざわざ教えようとするものか。
 なおこれについて、特に「自ら学ぼうという姿勢」が如何に重要かについては、以下に良著をいくつか挙げるのでぜひ読んでみてほしい。近代教育の問題点や徒弟制度・師弟関係の利点、現代社会の問題点も学ぶことができ大変面白い。

・野村幸正.「教えない」教育: 徒弟教育から学びのあり方を考える.二瓶社.
・塩野米松.失われた手仕事の思想.中公文庫.
・立川志の春.自分を壊す勇気~現状から一歩踏み出したいあなたの背中を押す本~.クロスメディア・パブリッシング.


それから、

自分が誤ったことをしたという事実を忘れてはならない。怒られると誰しも嫌な気持ちになるものだが、そもそも怒られているのは自分が誤ったことをしたからであり、もとはと言えば自分のせいである。怒られて反発するのは逆ギレ以外の何物でもない。確かに見当違いのことで叱られることはあるが、その場合でも決してキレてはいけない。こういう時の具体的な対応は、ビジネスマナー本に書いてあるのでそちらに譲る。というか、初期研修医は医学・仕事に加えビジネスマナーも学んでほしい。前にも記事にしたけど。

 上司の指摘が間違っているんじゃないかと思うことがあろう。たしかに上司が間違っていることも実際あるのだが、経験・知識は普通上司の方が勝っているのだから、一旦冷静になり自分の判断を疑ってみることは重要である。自分の判断にはそれなりの根拠があるとはいえ、主観という非常に強力なバイアスがかかっており、初期研修医の場合は特に知識が少なく経験も浅いのだから、己を過信してはいけない。ちなみに私の指摘に異を唱えた研修医がこれまで何人かいたが、全員医学的に論破できた。
 だいたい「自分は間違っていない」と信じ込んでいる人は成長できない。自分の間違っているところを修正したり、新しい概念を取り入れることが成長というものだろう。



結語

 「先生」などと呼ばれ、自分は地位が高い人間であると勘違いしている残念な初期研修医がいるのだが、少なくとも医者の間ではヒヨッコである。いやヒヨッコどころか、医者ヒエラルキーの最底辺である。医学の専門家として一流になるため、患者のため、経験を積み知識を身に着けなければならない。その際、上司に怒られたり注意されたりというのは避けられないし、むしろ必要なことである。自分は教えてもらうという目下の立場なのだから。「怒られてでも自分は成長するんだ!」くらいの気概でいてほしい。


 無能な上司も中にはいるのだが、礼儀は守らなければならない。そして、本当に間違っているのが上司なのか、ひょっとして自分が間違っているのではないかと謙虚になって考え直してほしい。自分の誤りを修正できるチャンスかもしれないのだから。これができないと、あなたが将来その「無能な上司」になりかねない。


以上

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