人間余裕がなくなると


はじめに

木原でした。正確には今日も明日も木原です。
金曜夜から体調がいつもと違うな、まあこんな日もあるか、と思っておりましたが土曜の夜から症状が出始めとうとう新型コロナに感染してしまいましたとさ。しかも家庭内感染。週末に色々予定を組んでおりましたが全てパーになってしまいまして。
現在火曜の早朝(2023/08/22 08:00:00)ですがようやく熱も下がり落ち着いてきました。振り返ると年イチペースでデカめの発熱をしがちなのですがここ最近は本当に洒落にならないタイミングで40度近い熱が出ます。あゝ無情。
ちなみに今年(2023)の札幌記念は綺麗に全外ししました。40度近くの熱があり前走パドック体重調教などなど見れる状況では到底なかったので実質応援馬券買いをしましたがそれを抜きにしても笑えるくらいスカりました。あれは当たらん。

こういうときに限って

と言いたいときはぶっちゃけ一種のバイアスがかかっているのですが、
そんなこと分かっていながらこう言いたくなるのが人の性です。
盆は帰省をしていたので個人的に盆明けから色々と勝負どころかなーと思っていた矢先出鼻を思いっきりくじかれる形となりました。目立ったしんどさは基本的に発熱くらいだったのですが思考リソースが全て奪われ4日間ほぼ何もできなかったのは痛手でした。
あれこれしたい。けど体が動かないし頭も動かない、ゲームをやる気力も漫画を読む気力すら……いつもの私では?
となると横になる以外の選択肢が事実上無くなるのですが、己が怠惰のために(よく言えばリフレッシュに)横になるのとはワケが違うので、珍しく嫌な感情がグワッと襲いかかってくるわけです。特に体調不良の時は寝まくるので横になったが睡眠をとっていない、という時間が多いため。
能動的に動きたいときに限って足踏みをさせられているわけですから焦燥感がいつもと比べて尋常じゃないくらい重くのしかかってきました。そりゃ嫌なことだって多少は考えちゃう。
今回私はこう思った、ではなく過去数年間振り返ってみて私がネガティブになるとざっくりこう感じるなーというふわっとした内容をこちらで展開します。



人間ほんの少しのことで余裕がなくなって、その「余裕がない」という事実が更に余裕をなくさせるんですよね。大まかに分類してしまえば健康・人付き合い(自分自身との付き合いも含む)・金銭の3つに大別できるとは思いますが。

例えば入院を要する大病を患ってしまったり、肉親を亡くしてしまったり、必修を落として留年ほぼ確だったり、操業資金が底を尽きそうになったり、
友人と喧嘩をし疎遠になったり、休職中に減っていく貯金額に震えたり、
転居・婚姻・進学・就職など逃げられぬライフステージに直面したり……。

第三者から見たら、あるいは数年後思い返してみると些細なことかもしれませんがその日を生きるそいつにとっては死活問題なわけです。
そうなると本当に心に余裕がなくなって平たく言うとストレス耐性が著しく低くなるんですね。


私の場合は何かに怒るんじゃなくて呆れる、といったものが多かったです。

具体的には成功者、あるいは成功しているように見える人がうっすらと嫌いになります。その人が努力してその地位を獲得しようがしまいが関係ありません。基本的に嫌いです。うっすらと。
バズってる言葉遊びもどきを見てはしょーもねえなあと思い、あからさまにR18の雰囲気しかないのに4コマ目に健全オチが入る毒にも薬にもならない漫画に「誰に需要があるんだこれ」と思ったり、
なんか人気っぽい人がなんか人気っぽい振る舞いをしてファンが心酔してるのを見てカルトと変わんねえなと一蹴したり。


そんなフィルターを抱えた状態で日常を過ごすと芸能人は適当なことしゃべりながらあぶく銭を貰う賤業に見えますし、モデルは写真撮られてヘラヘラしてていいね、くらいの感覚に陥っちゃうんですよねこれが。怖いですね。
前者は話術や芸を磨き、後者は健康やスタイル維持に労苦しているのを知っているのにこういう思考に陥ってしまうわけです。これが長いこと続くか度合いが悪化すると恐らく病名が付く類のものになりそうですね。

流石にほとんど上記のようなことは思いませんが、
「[職業]って[偏見]なんでしょ?」
とズケズケ言ってくる人の心理に近しい部分はあると思います。

貧すれば鈍する、という諺もあるくらいですから昔の方々もきっとこのような現象には心当たりがあったのかもしれませんね。




上記の文章は新型コロナ感染時解熱剤を飲んで一時的に元気だったときに書かれた文章です。ちなみに書いてから数時間後熱がぶりかえしました。アホ。現在は元気にヘラヘラしてます。

昔はネガティブになると上記のような感情を持っていたのですが、歳を重ねるにつれマイナスな感情も薄れていき、今となっては
「犯罪しないできちんと納税して(ついでに私に過度な迷惑かけないで)くれたらそれでいいよ」
と無関心のスタンスにいます。

年齢を重ねると丸くなる(若いころはトガっている)という言説は
「自分に関係ないコンテンツにことごとく無関心になる」
という言葉を端的に表現しているだけなのでは……?
と思ったりする今日この頃です。
昔はアンテナ張らなくても好奇心であれこれ調べて勝手に情報を得ていましたが
今は相当気を使って情報を見聞きしないといけなくなったので知的作業の取り組み方が随分変わりました。

情報収集の変遷

~18歳まで 気になる情報を枠外の更に枠外まで調べ血肉にする
例:wikipediaですすきのの歴史を調べるうちになぜか特定刑法の解説に飛ぶ
→すすきの、歓楽街、風営法ってどこに何が規定されているんだろう……

~20歳まで 情報を得る 持っている知識の点と点が線になるか探す
例:明確に○○フォロワーの雰囲気がする作品および作者について
→元アシ、その作品を見て業界を志した、など裏付けを得られ納得する

~22歳まで 他者の反応も参考にしつつ情報を拾う
例:自分は好きだが他者は平々凡々の評を付けるコンテンツについて
→ゆっくり物語が動くのが心地いいが忙しなく生きる人には山が無く退屈

22歳から~ 欲しい情報以外にそれに関連するで「あろう」情報を類推し一度脳内で整理してから検索し知見を得る
例:AIにあれこれ言わせたいけどフィルターがかかっている 基準は何?
→世間一般に相応しくないものには一括で答えを濁す 脱獄して本来の力を


最近は新しいことをあまり吸収せず自身の持っている知識を活用する形を取っていますが基本的に何も知らないので悪手も悪手ですね。
今までの自分にあぐらをかいて知的好奇心が死んでいる。本当に良くない。
最近ひらめきだとか柔軟な発想が一切できない理由もここに詰まっている気がします。
改めて文字にして書き起こすと自分の苦手分野だとか改善点も把握できるのでいいですね、
気を付けなければと言いながら行動に移さなければここで書き散らしている時間も甚だ無駄にはなりますが。


昔は色々なことを調べて総合的に判断したり会話の材料にしていたのですが最近めっきり拾っておらず5年前の知識を平気で語ってたりしてるので心苦しさがあります。
これが一般教養だと問題がないケースは多いんですがサブカル分野だとそういうわけにはいきませんからね。5年前ってVtuber黎明期ですよ?


今までの自分に満足せずあれこれと知識を吸収して蟹になりたいね新しい自分になりたいですね。最強♂とんがりコーン
ろくな知識がないのにアップデートしないのはステゴロで戦地に赴くようなものです。おお怖い怖い(CV:ゆっくり霊夢)。

自身の思考を少し理解できたためひとまずこれを書いているだけでよしとします。
次なる目標は積読してる2桁冊の本を消化するところですかね。


それでは、また。

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