有吉さんと島田さんのやり合いが面白い

やり合いというか、島田秀平が有吉にボコボコにされてるだけなんですけど。

島田さんの占いと怪談への有吉さんの的確なツッコミと、島田さんのやられ方が気持ちよくてここのところずっと繰り返し聴いてます。

ガチガチの占い師 vs アンチスピリチュアルの構図ではなく、本当はお笑いの方が好きだけど生き残るためにビジネス占い師やってる島田秀平 vs あること無いこと言って弱者からむしり取るビジネスを許さない有吉という構図なので笑いの余地が生まれてるんだと思います。

島田さんが占いを正当化することよりもやられ役になって笑いを生む方に傾いてるので争い的な対立にならず、有吉さんがツッコんでは島田さんが綺麗にやられるのを繰り返してます。

過去の2回の島田秀平出演回を何度も聴いていたのですが、先日久しぶりに新作が出ていて嬉しかったです。

面白い落語は何度聞いても面白いと言われたりするものの、飽き性なのでそんなこと全く共感できなかったのですが、この二人のやり取りは何度聞いても面白いので何となくその意味が分かってきました。


自分も有吉さん寄りのアンチスピリチュアルなのですが、最近は少し和らいできました。

阿漕なスピリチュアル商売は相変わらず気に食わ…苦手ですけど、一個人が天国とか魂を信じたい気持ちは分かります。

以前友達と話していたときに「魂もなんもありえへん」みたいなこと言うたら「親しかった故人 も魂が残っててそばにいてくれる」みたいなこと言われて、『怖…』と思ったんですけど、今は少し分かるというか。

魂が残るとは思いませんけど、『魂が残っていて欲しい』と思わずにはいられない、全てが無になることへの恐怖に抗いたい人間の性はあると感じます。
それは弱さでもあるし、優しさでもあると思います。

昔は永遠に年を取らないと思ってましたが、歳をとってきて自らの見た目が変わっていくのを実感していきます。

そして、老いというものがどういうことかが自分の体を通して分かったとき、周りの人間が老いていくということの意味も理解していきます。

自分はいずれ死ぬし、おそらく年上の人たちは自分より先に死んでしまう。

自分が死ぬことも怖いけど、今は当然のように存在する人達がいなくなること、いなくなったら二度と現れないこともまた恐ろしいことです。

でも現実にはリセット機能も巻き戻し機能も無くて、そこから何をしても巻き戻せない。
それにはどんな人間でも抗えない。

四文字熟語的に使われる四苦八苦という言葉がありますが、この四苦とは苦しみの根源である生・老・病・死の4つを示しているようです。八苦はそれら根源的なものに付随したものです。

生きること自体苦しくて、老いも苦しくて、病も苦しくて、死ぬことも苦しい。

生きることが苦しいというのは意味がよく分からないのですが、立ち続けていたら苦しいから座る、空腹が辛いから食べるというように生きることは苦から逃れることの積み重ねということらしいです。ちょっと屁理屈っぽいけど。

そんなふうに人間では逃れられない苦しみがあって、永遠に健康で生き続けることも、誰かを生き返らせることも出来ない。

ただ、想像の中では生き続けることが出来ます。

自分が死んでも誰かの記憶の中に残れば、自分は永遠に生きていると言っていいのではないか。
大切な人が死んでしまっても、自分の心の中にいればその人は生きていると言ってもいいのではないか。

生きる苦しみを受け流していくためには、永遠に残る魂などのスピリチュアル的な概念が助けになりますし、だからこそスピリチュアルや宗教はずっと残ってきているんだと思います。



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