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きみを奇跡にしてごめんね

好きな人を見切ってしまった。
とても些細な理由からだった。

好きな人がTwitterの趣味アカウントで彼女の本名を呟いていた。彼女のリアルの人間と繋がって彼女の名前という内輪ネタで盛り上がっていた。
それを見てどうしようもなく気持ち悪い、と思ってしまった。
リアル寄りのアカウントもあるのにわざわざそれを趣味アカウントでやる精神とか、そもそも彼女の名前をTwitterで呟くこととか、内輪のノリがイキリ陰キャそのものなこととか、全部総括して無理だった。
もちろんそれだけではなくて、度重なる遊びの予定のドタキャンだとか、心配して送ったLINEを未読無視したうえでそういうことをしていることとか、色々ちょっとした貯金はあって、ただ、その出来事が千ポイント分くらいを埋めつくしてスッとなんだか全てが冷めてしまった。
あれ、なんで私この人の事好きなんだろう?こんな人だったっけ?と思ってしまった。

軽率に見切りをつけた私のこの恋愛がこれまた軽率なものだったのかというと、そうではない。
説明が難しいので長くなるが、以前同じ題名で書き溜めていたnote(未完)を引用しようと思う。

愛とか恋とか全部空想上の産物だと思っていた。 小学校の高学年にもなるとみんな当たり前のように好きな人がいて「誰々は誰々のことが好きなんだって」なんていう噂話が飛び交って「好きな人、いないの?」なんて言葉が挨拶がわりに交わされるようになった。  
私にはどうにも好きがわからなくてドキドキとかソワソワとか言われても全然想像つかなくて、それでも「好きな人いないよ」なんて言おうものなら嘘つきだの隠してるだの囃し立てられることを学んだ私は徐々に、少しずつ、嘘が上手くなって言った。
最初に好きと言ったのは小学六年生の時、一番仲の良かった男友達だった。
好きなら好きと言ってみなよと煽られてわかった、好きだよと声にしたらドン引きされた記憶がある。なんで平気で言えるの?おかしいよ。と、その時私は「好き」は言えないものなのだと心の中にメモをした。
次に好きと言ったのは中学一年生の時、同級生の男の子だった。
好きな人を言い合おうという地獄のようなガールズトークで、言わなければハブられそうな雰囲気の中私は苦し紛れに唯一名前を覚えていた男の子の名前をあげた。顔を赤くする方法も"好き"らしい言動もこの時に学んだ。
数年後、ガールズトークに参加していた1人に恋愛話を振られ、彼女とそして彼には謝罪と撤回を申し出ることとなる。ちなみに彼とは今もいい男友達なので安心して欲しい。
次に好きと言ったのは中学二年生の時、中学の先輩だった。
先輩の弾くヴァイオリンの音は酷く透き通っていて、他にももっと上手い先輩はいたけれど私は先輩の音色が心地よかった。信頼している友達に「先輩のこと好きでしょ」と言われ理由を伺い筋が通ってると思った私はその先輩のへの感情に好きという名前をつけることにした。他人から見たら酷く狂っているだろう。当時仲良かった後輩(後に私の大切な親友となる)と"好きな人"が被り、知ってることを教えたくないと言うと「嫉妬するんでしょ」と言われ人は好きな人のことを知ってでも他人には知らせたくないと思うことを嫉妬と呼ぶのだと知った。その先輩は数年後、その親友と付き合い「見た目が一定以上良くて彼女と言うポジションについてくれる人がいれば誰でもいい」という言葉に同意して私の尊敬を酷く打ち壊すことになった。
次に好きと言ったのは高校二年生の時、告白してきた同級生だった。
彼には虚言癖があり私もその頃の記憶は辛くて朧気なため何が正しいのかわからなくなってしまっているが、少なくとも私にとっての真実は、仲の良い大切な男友達にプラスの感情を向けたら恋愛感情と誤解され告白された、恋愛感情はないために拒否しようとしたところ親友と彼が仲が良かったために親友に強く彼を勧められ、「付き合うか縁を切るかどっちかだ」との発言に縁を切るのは嫌だと思い付き合うことにした、「悩むということはもう彼のことが好きなんだ」との発言になるほどこれも好きなのか、好きとは色々な感情のことを指すものなんだなと思い好きということにした、というかなり受動的で今思うと最低なものだ。まあ彼も今となっては「向こうが言いよってきたから仕方なく付き合った、俺は最初から最後まで全く好きじゃなかった」なんてほざいているからお互い様なのだろう。
彼からはしばらくしてモラハラを受けるようになり、最終的に捨てられるようにして別れた。
人間として好きな人を「好き」と言っては確かに好きは好きだから嘘はついてないと自分を宥めつつあとからこっそりその"好きな人"に謝りに行ったりもした。好きな人を"好き"と言ったら不思議と周りの子や恋愛小説の見様見真似で"好き"が上手くなった。そしてそのうち誰も私の"好き"を疑わなくなり私は大衆に擬態化することが出来た。
そんなことを9年続けた。
私は大学生になった。歳を重ねラストティーンと呼ばれる最後の青春になっても、私はよく恋だとかなんとかというものがよくわからなかった。
インターネットが普及した現代では同じような人を見つけるのも容易くて人を恋愛感情で好きになれない人間はアセクシャルとカテゴライズされることを知った。それだ!と思った。私がおかしかったんじゃない、私は知らなかったのだと思った。この世界でなら私は生きられると思った。ジェンダーやカテゴライズの話は難しいからこれくらいにしておこうと思う。
兎にも角にもそれから私は「好きな人いないの?」の問いに「人を好きになれないんだよね」と素直に答えるようになった。周りも小学六年生のあの時からははるかに成長しているからか、私が美大というかなり特殊な環境へ進んだからか「そうなんだ」とすんなりと受け入れられた。これで良かったんだと晴晴とした気分だった。
さて私がなぜ人を恋愛対象として見られないのか、そのからくりについてはながいこと考え込んでいたので、自分の出した結論を一度ここにまとめておこうと思う。
昔一度付き合った人のモラハラのこともあり、私は男子が基本的に苦手になっていた。全ての人がそうでない事も分かっているし、なかにはとても親切にしてくれる人もいたけれど、それでも少しでもプラスの感情を感知するとそれが恋愛感情と言えない程のものでも瞬時に拒否反応を起こし、距離を置いてしまう。
でもそれにも例外がある。"人として好きな人"だ。人として好きになった人なら男子でも仲良くなることができ、友達になれた。なんなら数では男友達の方が多かったくらいだ。では、なぜ男友達のことも恋愛対象で見られないのか。
これに関しては少し特殊で複雑な私の自意識が関係している。私は友達を"ひとつの自己"として認識している。何を言ってるのかよくわからないかもしれない。自分の中の一部に友達の一部を取り込んでいる。だから私は友達が傷つくと深く傷つくし幸せだと幸せだし不幸だと私の幸せを切り分けてでも幸せになって欲しいと心から思った。兎にも角にも友達は"友達"になった瞬間に自己として認識され性別という概念を剥奪され恋愛対象というレッテルは剥がされることになる。
これが私が理解している、私が人を好きになれないからくりの全てだ。
話は変わるが私は大学に進学してしばらく全く友達がいなかった。友達の敷居が高すぎるのと人とあまり関わらない性格のために仲の良い子は何人か居たものの友達とまでいうほど仲のいい子ができなかった。
人を選別するようなワガママで自己中心的なことを言ってしまうと、「私が満足するくらい面白い子がそこにはいなかった」のだ。私の通っていた中高は少し特殊な環境だった。その環境故に規定概念にとらわれずまた当てはまらない世間的に言う変わった子がそこには多く、新鮮さには事欠かなかった。しかし私の進学した大学の生徒は良くも悪くも真面目な子が多かった。そのために中高六年間で無駄に鍛え上げられた変な子耐性が物足りなさを訴え友達ができなかったのだ。
最初に友達ができたのは、五月も後半のことだった。今でも覚えている。第一声が衝撃的だった。面白くて色んなところで話しているため詳しく言ってしまうと個人が特定されるため控えるが、その言葉を聞いた瞬間私は「絶対この子と仲良くなりたい。友達になりたい」と思った。ツイッターアカウントを交換したことで話が盛り上がり、その日のうちに私はその人をもう友達だと思った。フィーリングがこの人は最高だと言ったからだ。そして毎週授業を一緒に受け、少しずつ距離を縮めていった。
そんなふうにして半年をすごしていくうちに少しずつ、私たちの関係性にバグが生じていた。
結論から言おう。私は彼のことを恋愛感情を含めて好きになった。
初めは絶対に好きにはならないと、どこか苦手だとさえ思っていた。やけに女慣れした態度に怯え、教室の近くになると早歩きになり扉を開けておいてくれる、女扱いされ慣れていない私はそんなことさえも恐ろしくて対抗して早歩きになったりしていた。仲良くなって早々に元カノの話を出してきたのもやばいやつだと思った。同時に面白い、と好奇心も湧き、観察対象程度には良いが深入りすると終わるなと女の勘が警鐘を鳴らしていた。
だから絶対に好きにはならないと思っていた。
でも今考えるとその"絶対に"という強い感情こそが原動力で私のバグの始まりだったのかもしれない。その証拠にというか、私の友達みんなには好きになったあと「最初からこうなると思ってた」と言われた。彼女たち曰く「最初から話す時の熱量が違かった」だそうだ。もしかしたら私はずっと彼の第一声を聞いた時から彼のことが好きだったのかもしれない。今となっては確かめようのない話だが。
人間として最上級に好きと恋愛感情にはしないの狭間で揺れ動いていた時期の私から拗れ、私たちの関係性が決定的に噛み違えたのは9月12日のことだった。その日、私は何も考えず軽率に彼を家に招いた。ただ"人間として好きだからパーソナルスペースに招き入れた"だけのつもりだったが、世の中はそう甘くはない。私はこの日のことを何度後悔してもしきらないだろう。簡単な経緯はこうだ。彼は自宅がカーペットだからフローリングにクイックルワイパーをかけたい、"生活"を感じたい、と前々から言っていた。そこで私は引っ越した家がフローリングだからかけに来るかと安直に誘った。放課後、まさか本当には来ないだろうと一応確認のLINEを送ると教室の近くで待ってるとの返事があり本当に来、彼は我が家にクイックルワイパーをかけた。
だけなら良かった。私たちが決定的に拗れた要因はふたつある。ひとつは彼の問いに私が誤った認識で答えてしまったこと。もうひとつは結果として彼は私の家に泊まって行ったこと。ひとつずつ説明しようと思う。
まず一つ目について説明する前に私と彼の共通の友人Aくんについて話す必要がある。Aくんは元々彼の友達で華奢で線の細い仕草もどこか女性的なそんな男の子だ。目は長い前髪でふんわりと隠れ少し排他的な優しさを持ち合わせ音楽の趣味の良い人だという印象を私は抱いている。そんなAくんと彼の関係性が私には理想的だった。弾む訳では無いが確かにしっとりと会話が続きお互いの存在を感じながらそれぞれのしたいことをしている、そう見える二人の関係は私が彼となりたい関係そのものだった。私と彼の関係性は彼が作業をしている所に一方的に私が話しかけそれを彼はただ聞いている、というようなある種の押し付けがましいものだったからだ。だから「もっとグイグイいってもいいの?(意訳)(私は残念ながら彼の正確な問いの言葉を覚えていない)」との問いが来た時、正直私は嬉しかった。これまで距離があるように感じていたのは私に興味が無いからではなく遠慮していたからなのかとこれを受け入れたら私もAくんとのように関係性を築けるのではないかと、そう思ってYesと答えた。
しかしそれが間違いだったのだ。彼の言葉が意味するところは、私の求めていた"精神的距離"ではなく"物理的距離"の話だった。浅く言うと物理的接触をしてもいいのかという問いだったのだ。
そして二つ目について。私は当初本当にクイックルワイパーだけかけさせて早急に返すつもりだった。テレビを見ながらだらだらと時間が過ぎ気づけば夜も深くなりそろそろ帰らないのかと問うと「この時間に返されるの可哀想じゃない?」の言葉になるほど確かに可哀想だと思い……ってクズかよ。いや帰れよ。さすがに今回ばかりは自分の流されやすさというか弱さというかよく言えば優しさに辟易する。この時に私は何がなんでも帰しておくべきだったのだ。
ちなみに私の名誉のためにここに明記しておくが、一晩過ごしたが心配し得る何かはなかった。正確にはしてもいいと言われたが丁重にお断りした。そして私は比喩でなく眠れない夜を過ごした。
件の件があってしばらく私は荒れていた。その時はまだ自分の感情に恋愛感情が含有されていることにも気づかず、ただ"大切な友達"でいたかった人と拗れたという結果だけが残っていた。そして状況としては無理やりやられなかっただけマシだと言えるものなのだが、無知で馬鹿な私はそれを呈されたこと自体に傷ついていた。なぜならこれまで今思えば少し異常な環境に居た私は、例え相手が男友達であろうと下心のある交友関係を持ち合わせていなかったからだ。友達とは対等でフレッシュ且つ清廉なものと盲信していた。それはとてつもなく運のいいことだった。
2019/10/27 00:13~

その後、拗れた私は拗れを解消しようとしてさらに拗れたり、依存状態になったり、彼が一度彼女と別れたり、深夜テンションの力を借りて私じゃダメなのと詰め寄ってみたり、色々なことがあった。そして彼離れをしようと泣きながら打ち始めたのがこの文章だった。
そして文章にしてまとまったことで依存状態から脱却し、純粋に恋愛をした。
彼が自主制作をハイレベルで手伝ってくれたことでそれまで自傷対象にしかならなかった好きの言葉を純粋に受け入れられるようになり、恋愛とかそういうのがなくてもちゃんと人間として愛されているんだなと認められるようになった。また、人としての尊敬レベルが上がり、今まで悪くいえば"ある程度どうでもいい人"にしか恋愛感情を抱けなかった私が、恋愛感情を抱いたまま好きな人を特別に昇格させることができるという奇跡も起こった。

そう、本当に、奇跡みたいだったのだ。
私がまた人を好きになれるということも、その相手が私と違う感情だとしても好意を抱いてくれていることも、恋愛感情と特別が共存することも、全部全部奇跡のように思えたのだ。
私にとっては全部"本来有り得ないこと"できっと彼でなければ起こりえないことであった。

私は生来、一度気に入った人間に対して懐が深い。
滅多なことでは引かないし嫌いにならないし許容してしまう。
それはどれくらいの気に入りレベルかにもよるが、一緒にいる期間の割にかなり上位に食い込んでいた彼には昔、「たぶんきみが犯罪を冒したとしても一度くらいじゃ嫌いにならないよ」と言っていた程だ。そしてそれは本心だった。

ではなぜ私が軽率に彼に見切りをつけるに至ったのか。
それはシンプルに生理的に無理な琴線をついたというのと、あとは引用にある昔付き合っていた人とどうしても重なってしまったというところだと思う。
昔付き合っていた人は今の私にとっても全てがトラウマのように染み付いていて、関連した物事を目や耳にすると反射的に呼吸が浅くなる。5年ほど経った今でも、だ。
直前のドタキャンを何度か重ねるのがどうしても、その昔の人と重なってしまった。好きな人はちゃんとフォローをしてくれたし、嘘をつかない信頼はあったから本当に具合が悪いのだろうとは思っていたけれど、どうしても昔の記憶が蘇って嫌な空耳が聞こえてしまった。どうせ私のことなんてどうでもいいんだ、と。
そして今回も、内輪ネタの盛り上がり方が私の嫌いな昔の人と、その周りの人達とに重ね合わさって見えてしまった。
あと、普通にシンプルに彼女の名前を趣味アカウントで出してるのが気持ち悪かった。
様々な感情が駆け巡り、呼吸が浅くなり、脳がつかみ取られたような感覚に陥り、吐き気がした。
あ、もう無理だ、と思った。

恋愛感情は一過性の幻で、いつかなくなることはわかっていた。
でも、こんな失い方したくなかった。
陳腐な言い方になってしまうが、だって本当に好きだった。大切だった。
せめて「好きでいてよかった」と思えるような、経緯を残した失い方をしたかった。

でも仕方ない。きっとこれも私が彼を奇跡なんかにしてしまったからいけなかったのだ。
彼は奇跡である以前にちゃんとひとりの人間だったのだから。
きっと私が都合の良い側面ばかり見て偶像化した彼を愛してそれで奇跡だなんてほざいてしまっていたのだろう。

きみを奇跡にしてごめんね。
どうかきみはきみの世界で幸せに居てね。

これが今の私の与える充分な愛だ。

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