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質量保存の法則

国分寺駅の改札を出てすぐのエスカレーターを上がりタリーズでコーヒーを頼み小説を開く。

「子供を育てるのは大変なことです。質量保存の法則みたいなもので、自分が与えられてきたものしか子供に与えられないものです。」

グサリと刺さるというよりべっとり付着するようにして心を蝕むような一節。

地元に留まる両親に対して自分は東京に出て成功する未来を描くも失敗、挫折し泣く泣く田舎に戻ってきた教師を描いた短編集の一節。

半年前の私と重なる。私は浪人の末、一橋大学をあと数点で落ち、早稲田大学商学部に入学した。しかし、専門卒の母、高卒で浮気して飛ぶような父から産まれた私は順風満帆なレールの上を生きた他の早稲田生とは違うと思っていた。仲間と楽しく談笑しながらも腹の内では

「おれはお前らとは違う、才能があって、目標があって、未来に向かっている。」

そう思っていた。
(もしかしたらnoteに記すこの『小説ごっこ』もその一環なのかもしれない。)

夢を描き様々なことに挑戦した。そして悉く失敗した。いやこれは失敗とも言えないのかもしれない。才能を理由に努力することができなかったのである。挑戦し、失敗、這い上がる物語はよく耳にするものであるが、それすら許されなかった。

単純な人間である。空虚な才能を過信したために自らを追い込んだだけの話である。周りからすれば失敗して当たり前に見えただろう。
「才能」なんて私には何一つないのだから。

しかし私はまだ自分のことを信じている。もちろんそれは持って生まれた空虚な才能ではない。
自分が親より与えられた以上に子や周りの人々に与えられる人間にいずれなることである。そこに質量保存の法則などない。

そして皮肉なことに今日この後、現役で一橋に行きインターンに部活に忙しい「才能」溢れる2人の友人と会うことになっている。

本物の「才能」というものをとくと味わってみようじゃないか。

そんなことを思う国分寺の夜である。

『質量保存の法則』

引用:「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」麻布競馬場 集英社



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