ドラえもんの映画が面白くなかった

春休みなので子供たちを連れて毎年恒例のドラえもん映画を見に行ってきた。
それが驚くほど面白くなかったので、感想というか思ったことを書いておこうと思う。

初めに断っておくと、ドラえもんの映画というのは子供向けの作品であり、子供たちが面白いと思うならそれでいい。来年も見たいと言われれば連れていくだろう。
ただし、大人が見ても面白い作品ではなかったということだ。最近のアニメ映画では、例えばベイマックスなどは大人の鑑賞に堪える作品だと思っているが、今回のドラえもんは面白くなかった。
私自身、子供の頃は楽しんで見ていたわけだが、今回面白いと思えなかったのは自分が大人になったせいなのか、それとも作品のせいなのかわからないが、いろいろと考察してみた。

さて、ドラえもんの大長編ではない通常の作品はだいたい次のようなストーリーになっている。
(起)のび太に問題が起きる
(承)ドラえもんがひみつ道具を出して解決する
(転)ひみつ道具を調子に乗って使いすぎる
(結)使いすぎた結果、別の問題が起きる

転の部分で調子に乗るのは、のび太の行動である場合が多いが、ひみつ道具を奪ったジャイアンだったり、特別な道具であると認識していないママだったりといったパターンや、道具の故障に起因する問題が起きるパターンなど、バリエーションはいくつかあるが、基本的には上記のとおりである。

つまり、ドラえもんのストーリーの面白いところは、無限に役立つひみつ道具ではなく、制限事項があることで別の思ってもみないような問題が起きるという点に集約される。
更に言えば道具が完璧でないからこそ、愛着がわくという点は、その道具を出すドラえもん自身についても同じことが言える。

大長編ドラえもんについても、例えば初期の「のび太の恐竜」では、大昔に行ったドラえもんたちが目的地に行くのにどこでもドアを使わずタケコプターで移動する理由として、何億年も前の地図情報がインプットされていないから、と説明されていた。そしてタケコプターも電池が切れるから何時間以上連続で使うことができないという話もあったと思う。
これらは、今のスマートフォンを見ても、未来の道具にいかにもありそうな話であり、SFのストーリーとして納得感が高い。

今年の作品でキーとなるひみつ道具の一つが「グレードアップライト」だ。これにより、単なる衣装に過ぎなかったヒーローのスーツが本当に力を持つことになるわけだが、ライトを当てる前後でどのような変化があり、どのような制限があるのかがあまり説明されない。
一番最初で、しずかちゃんのパワーが50倍になっているという説明はあったが、50倍という数字が何らかの制限になっているわけでもない。
着用した当人の得意なことがグレードアップされるので、得意技が「あやとり」であるのび太は大して役に立たないということはあるが、他のメンバーは特に制限はない。
また、ジャイアンが一度負けた相手に後で勝つのに当たっても、なぜ勝ったのかという説明が、よく休んでご飯をたっぷり食べたからとか、およそ道具の性質とは関係ない説明しかされていない。

ということで、思ったのは、ドラえもんのストーリーの本質を完全に外しているのだ。ドラえもんという舞台装置を使った出来の悪い二次創作にしか見えなかった。
この本質を外しているという点は、よく取れば子供向けにわかりやすくするために敢えてやっているとも考えられる。その意味では、やはりあくまで子供向け映画であり、大人の鑑賞には耐えない。

もう一つ、大長編ドラえもんでは、いつもドジばかりしているのび太が、ドジをしながらも割と活躍するという特徴がある。
ところが今回はそれらしい活躍はせず、笑われてばかり。最後になってあやとりの伏線を回収して活躍することはするが、これも説明が足りなくて、そのことについて他のメンバーから感心されるといった描写もなかったと思う。

要するに馬鹿にされっぱなしで、他のメンバーの仲間入りはできるものの、見返したという感じでもなかった。
これは、脚本家がのび太に感情移入してないのではないかと感じた。
大長編ドラえもんは、必ずタイトルに「のび太の」がつくことからもわかるように、のび太が主人公であるべきだと思う。ところが、のび太に感情移入できず、その成長も感じられないとしたら、物語としての見るところが何もないということになる。

と、まあ、ここまでいろいろと思うところを書いてきたが、こんなものは後付けで、見ている最中はとにかく退屈で仕方なかった。
次回も子供たちが見たいと言って私が連れて行くことになる可能性が高いので、次回作はもっと大人も楽しめる作品になることを期待したい。

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