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☆2020.11.2白い魔法使いからのお手紙

ー 詩(ポエジー)は・・・-

詩はもはやみずからを押しつけようとするものではなく、みずからを曝そうとするものである

パウル・ツェラン詩文集 より

ツェランの本名は、パウル・アンチェル(Paul Antschel/ Paul Ancel)。パウル・ツェランという名前はユダヤ系の本名を隠すためアナグラム化したものだそうです。1941年、ナチス・ドイツの侵攻により両親とともにゲットーへ移住させられる。翌年、ツェランの両親がトランスニストリアの強制収容所へ移送され、ツェラン自身も強制労働に狩り出された。同年秋、両親ともに収容所内で死去。父親は移送中にチフスに感染したためで、母親は射殺だった。

強制収容所での極限状態の中、そしてそれ以降の人生の中で紡がれた詩たち。ツェランにとって「曝す」とは・・。恐怖や戦慄を遠ざけるばかりか、その最中へもう一度立ち返り時間を遡り過去を忘れようとするよりもその渦中へ何度も何度も突っ込んでゆく、ボロボロになった鳥のような印象を受ける。そのようにボロボロになってようやく死者を遠ざけることをせずにすむ、失われた時間の中で彼らとともに佇んでいることができる・・そういう彼にとっての愛・精神の主軸から引き剥がされずにいられたのだろうと読み返すたびに思う。

収容所の地獄のような時間の中で、彼が星を見上げる詩があるのだけれど、その中で「乳」という言葉を用いて「天の川」を表現しています。「乳」は「母親」を連想させる言葉であるとともに「血」をも表現しています。母乳は「血」ですからね。白いけれど血液なのです。(だから授乳後はよく貧血になりました・子育て終了した今だから言える辛かった話・笑)

戦慄と恐怖の中にある「聖性」と「リアル」。

それに向き合い続けたツェランの詩は、絶望の淵にある時にポッカリと空いた空洞の中で眠るような感覚を齎してくれます。「秋になったね。冬に備えてたくさん食べ物も準備したし・・さあそろそろ安心して眠ろう。誰にも邪魔されない眠りが私たちを待っている。」そんな囁き声が聞こえてくるような空洞。

喩え共にあろうとする者たちが既にこの世にいない人たちであったとしても心から「悼む」「レクイエム」という「何となく美しい」という曖昧さを切り裂いてゆく、ボロボロの鳥のようなツェランの詩。

危急の際、救援に駆けつけなかった、何の救いも与えられはしなかった神への恨みすら吐露するほど「自らを曝そうとするもの」それが詩である。とツェランは言います。

私も少し前まで鑑定という場で、多くの人たちとすれ違ってきました。どの方も悩みの渦中にありました。

私は「自らを曝して共にあることができたのか?」と最近毎日考えています。そういうことがしたかったのではないか?と日に日に想う分量が増えてゆく今日この頃。


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今日の占いです。

< 誰でもないものになって もう一度愛し合おう 

時や場を越えてゆけるものはきっと名を持たない誰でもないものになったその瞬間だけ

名を持たないものたちは永遠に何処までもゆける切符を与えられたものたち

はじまりの駅から終わりの駅まで 遥かな時を超えて旅をする >


誰でもないものになること それは「死」を意味すること・・そう書くと日本ではだいたい引かれます(笑) 子供の頃、時々ドイツに通っていたので、生の概念も死の概念も歓びの概念も私はいつもどこか誰とも「合わない」と思っていました。1人の心地よさ、とか、誰もいないと救われる気分になる、とか・・そういう心地よさを子供の頃からどこかで知っていたような気がします。いつもどこにも合う場所がない・・・そういう寂しさの中にも安心を感じてきたような気がしています。

「死」は、カーブの向こう側へ姿が見えなくなるだけのこと・・そのカーブの向こう側では「まだ物語が続いている」・・。

そういう妄想をよくする子供だった私。絵本は読み終えたけれど、どこかであの主人公たちの物語は、ずっと続いているんだ・・。そう考えている時だけが孤独や悲しさから抜け出せる唯一の時間だったかも知れません。今でも私はその延長線上を歩いています、きっと。あの曲がり角の向こう側へ進むこと・・それは「今ここ」で「あの曲がり角の先はどうなっているのだろう?」と予測し夢描いている「私」を捨てなければいけない。その曲がり角の向こう側へ歩いてゆかなきゃいけないんだな・・(独り言です・笑)

それはつまり、現地点の「私」の「喪失」です。これを「死」と書くことはもしかするとあまりにも酔った書き方だということも理解しています。それでも恐れおののくような怖さが曲がり角の先へ行くか?行かないか?決める時には、色めき立つ。その「色」は「生きてる血の色」。その瞬間だけは「生きている」・・そんな気がします。死とは、私にとっては過去の全てであり、未来の全てなのかも知れません。遠くまで飛んでゆけるかな・・そうで在りたいと思います。

これから季節が深まれば深まるほど精神も体も静かな熱気を帯びてきます。生きてゆく方向性が決まることで炎が灯る。

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ツェランの詩をお届けします。

ー・・・ぼくは知っている、

ぼくは知っている、あなたも知っている、ぼくらは知っていた、ぼくらは知っていなかった、ぼくらは

たしかに其処にいた、彼処にはいなかった、

そしてときおり空無が

ぼくらのあいだに立ったときのみ、ぼくらは見いだした、

よりそうかたみを。-

パウル・ツェラン詩文集「ぼくにさしだされた」 より


この詩は「何者でもないものになったときだけに立ち現れる場」が、あまりにも強烈に示唆されていると思います。自分の視点が消失するポイント、を感じて頂けたら・・と思います。


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親愛なる全ての友へ 心に灯火を

愛するあなたへ 幸いあれ

星言葉紡ぎ屋 白い魔法使い

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