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☆2020.10.30 牡牛座満月のあなたへ☆

おはようございます。

満月ですね。一日早いけれど満月詠みをお届けします。

この満月、何て言うか<浮上>という印象を受けます。

今までの時間が、最深部を漂っていた時間だとするならば、薄明かりを頼りに海面に浮上してゆく時、みたいな。海面に顔を出した時、そこにはどんな景色が広がっているでしょうか?

満月だから、砂浜も明るく照らされて、夜の闇にも植物や動物たちの鼓動や息づかいが賑やかに混ざっているかも知れません。闇の中に溶けている「賑わい」なので、「感じ取る」しかないわけです。

「闇と賑わい」というキーワードですが、10/28に水星と金星が天秤座へ入ってから顕著な動きだな・・と思いながら見ていました。

天秤座は「公正」を基準に「裁く」という側面を持ったサインです。「公正であること」それは社会規範であったり、砕けた言い方をすれば「常識」ということ。「公正であること」=「正義」。ですから「闇」は排除したいという気持ちや「綺麗でいたい」という気持ちも強く出てきます。「社会的にこれは許されることなのか、どうか?」そう突き詰めて考えてゆくと、「何が正しいのか、間違っているのか」という問題も超えてゆかねばならなくなります。

皆の幸せを考えるが故の正義・公正・・その裏側には「闇への敵対心」が必ずそびえ立っているような気がします。

それでも、この満月では「自分の中に潜む闇」に対して、受け入れる姿勢を見せる、という良い転換点になると思います。

満月ってこういうところが懐が深いんだな・・と思います。

満月は「満ちた時間」「完了の時」です。

闇は怖くない・・それは光の一側面。どんな光にも闇は存在していて、どんな闇にも光は存在している。自分自身の闇の部分でも、光の部分でもどちらでも構わないけれど、どちらかを圧倒的に体験してみると「光も闇も溶け込んでいるものだ」ということに気付きます。

だから天秤座的な「公正であろうとする必要性」が生きてきます。

「どちらもあって当然なんだ」という理解を促すのが、実は「公正であること」の極地。

過去も現在も、そこに至ったまでの道のりも。説明しようのない時の流れを言葉にしようとする時、たぶんそこには必ず「しっかりとした線引き」なんてつけられないあなたに気付くと思います。「公正であることの必要性」を生かすならば、対極にあるものすら自分の中には捨てがたく存在しているということを呑み込む、全部食べて自分の血肉にしてゆく・・そういう「折れない強さ」も、この満月では感じるかも知れません。


牡牛座での満月ですから、まずは自分を満たすこと。個人の幸せや資源を大切にすること・・。過去を省みて、これからどうしてゆこうか・・と考えるのもありです。牡牛座は「美」を司るサインという他に「資源としての肉体」「声」「食」というキーワードも持っています。

ー呑み込むー行為を通じて「初めて感じることができる自分自身という肉体」。

ー溶け込むーという行為を通じて「初めて触れることができる形なき魂」。

さすが「五感」の牡牛座です。

冒頭に書いた「闇と賑わい」。

これはマニアックな星読みだと思います。メインじゃない(笑)

でも「闇」に中にあるものに触れたい、と願う時。「賑わい」というキーワードが共にある今はとても楽しい時間だと思います。怖くて手が伸ばせなかった領域に入ってみたい・・という欲望が感化されているからです。

こういうイメージがあります。

手元を照らすだけの小さなランタンを持って森の入り口に立っている。森の中から、どこからともなく「楽しげな声」が聞こえてくる。お祭りでもやってるのかな・・行ってみたいな・・でもこの真っ暗な道を通り抜けてゆくことが怖いな・・

怖いけれど足はもう動き始めてる・・・そういうイメージがあります。

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「あの時、あれが正しいんだと信じて疑わず、闇雲に掴もうとしたものだけど、今それを全部整理して表現してみてと言われたら・・・。すっきりと道理の通るものなんて一つもなくて、その時のベストを尽くしたと思いたかっただけなんだ・・」と、最近よく私は考えます。振り返ってみればいつだって闇の中を疾走していたようなものじゃないか・・と。気付かないうちに闇の中って掻い潜っているものなのですね(笑)そういう軽さもこの満月で呑み込めるといいな・・と思います。

言葉にしようとすると、どうしても言葉の世界に押し込め切れなかった「はみだしたもの」の存在を感じることがあります。言葉の枠になんて収まりきるはずのないこと。その「はみだしたもの」は私にとっては、「はみだし者」みたいなものです。その「はみだし者」は、いつも闇に溶け込んでゆきます。「はみだし者が溶け込んだ闇の部分」今までは「溶け出していってしまった手に触れられないもの」「もう追いつけないもの」「私のものではないもの」と理解して、ただ目で追っていただけの闇にこそ、宝物がキラリと光っていること・・私は見つけたんだな・・と思います。

海の一番深いところ。最深部から薄明かりを見つけて浮上してゆく満月。

私はその闇の中に光っている物語の続きを見てみたい・・そう思います。

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ー満月のルーンの詩ー

鋭い星の光がきらきらして 闇の中を月が昇ってくる夜

鳥たちは人にはわからない言葉で静かに鳴き続けています

気配としての闇 理解できないものを闇という枠に収めてしまうこと それは鳥を鳥かごにおさめてしまうようなもの 鳥はあなた自身 飛び立ちたいという願いが溢れたら 溢れた願いは光となって闇に溶け込んでゆく その滲んだ場所へ 満月は光を投げかけ続ける 天の明滅する星の輝きもまた その滲んだ場所を見よと促している

今宵は木の葉もじっとしているでしょう 

滲んだ場所では何もかもが一度スローモーションになる

溶け込む時間は静寂に包まれて 見ていなかった場所にこそ光るものがあるという声を聞いて

一つの音色 

今までの僕たちの世界から遥かに遠い所の音色は そこに存在している

取り残された場所に 触れていなかった場所に

音楽と月光と感情が一つの世界

満月が明ければ強く心地よい風が吹くでしょう

運ばれてゆくものはその風に乗って 海の向こうへ届くでしょう 軽やかな鳥の羽のように

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独り言コーナーです。相変わらずタブッキを読んでいます。コロナで簡単に旅行へ行けなくなってからというもの、タブッキに救われています。

20代の頃私は兎に角海外旅行を放浪できれば満足・・みたいな流れ者の生活を長くしていました。現地についたら安くて丈夫な車を手に入れるところから始まる旅(笑)大きな車に荷物をたくさん積んで高速道路をひたすら走って適当に眠る・・みたいなジプシー生活をしていた時期がありました。

この満月の記事で書いた「はみだし者」って過去の私かよ(笑)と、読み返してみて笑えてきました。

そのジプシー生活を支えてくれた本もやはりタブッキでした。

タブッキの物語の多くは、場所の移動・時間の移動・中心点の消失・誰でもない人間になって「街」を彷徨うことの自由さと可笑しさ・滑稽な人生・楽しみたいという心・・・を表現しています。

そういう一筋縄ではゆかないはみだし者の性質が、どこか私自身と共鳴したのかも知れません。

大好きな一文を、いくつかご紹介します。

取り残された場所はまだある・・そう信じられる言葉のいくつかです。取り残された場所は寂しいものではなく まだ手付かずの宝物のような場所であるということ 自由であるということ 伸びやかで軽やかな豊かな空間であるということ 感じて頂けたら・・と思います。


ー運転手は親切に聞いてくれました。どちらへお連れしましょうか。ある物語から抜け出したいのです。わたしは混乱しつつ、つぶやきました。行き先はどこでもいい、物語から逃げ出す手助けをしていただければ。わたしが作りだした物語ですが、今はそこから抜け出したい。ー

ー自分の言語とは別の言語で書かれた小説が、自分だけのものでほかの誰のものでもない小さな言葉から生まれないとも限らない。ときとして、一音節の中にはひとつの宇宙が広がっていることもある。ー

——アントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝――あとづけの詩学』


現実を模写するのが虚構なのではない。現実が、虚構のあとを追うことだってある。

闇の賑わいは冬のお祭りへと続いてく・・

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ハロウィン・・ということで、好きな詩を一つ。気分が盛り上がれば幸い。詩人シェリーが綴った「アトラスの魔女」というシリーズものの詩の結びの言葉です。ゾワッとする&「素敵すぎか・・」、と憧れるような結びの言葉。


ーこれらは彼女が死すべき運命の人の都市で 行った戯れの数々、彼女が精霊や神々にしたこと、彼らを彼女の甘美な歌にからめとり 操って、彼らの狡猾な早業を露見させたことこれはまた別の機会にお話しましょう。というのもそれは気味の悪い冬の夜にこそよりふさわしい話 こんなぎらぎらの夏の日には我々は目にするもの以外はほとんど信じませんからー


夏の日には我々は目にするもの以外ほとんど信じませんから・・・さてそうなると冬は何を見つめるか・・

素敵な満月を。

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親愛なる全ての友へ 心に灯火を

愛するあなたへ 幸いあれ

星言葉紡ぎ屋 白い魔法使い

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