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☆2020.11.11白い魔法使いからのお手紙

おはようございます。

今朝も風が強いです。玄関のドアを開けると毎朝ブーゲンビリアの花弁が飛ばされて散らばっています。

風に巻かれて花がひらひらと散るさま、というのはいつの時代も「儚さ」の象徴です。

夜中、人が寝静まって誰も見ていない真っ暗な夜の中で、鮮やかな色彩の花弁が風に乗って吹き飛ばされて踊っている様子を想像したりしてみた朝です。

                ☆


今日の占いです。

「架空の誰か」に語りかけているような文体で「お手紙という名の占い」を紡ぎます。なので、「お手紙全部が今日の占い(今日の雰囲気)を伝えている」と捉えて読んで頂けたら幸いです。

占術は、西洋占星術・ルーン占い。

(毎日の占いの書き方を変えたばかりなので、しばらくの間、冒頭にこの文章を置いておきますね。)

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~親愛なる名を持たない友へ~


今朝は風が強く、空は灰色。流れてゆく雲がさまざまな形を作っては、また消えてゆく。こういう日はいいね。許されたような気分になる。冬ってそういう季節なのかも。隠れていられる、そういう安心。どこか人目につかないところに行きたい気分になるよ。誰も来ないような森でキャンプとか?湯治とか?(笑)

森の中の獣たちもひっそりと息を潜めてゆく支度をしている頃ね。静かな静かな森の中を食料を探す獣の足音だけがカサカサと鳴っているんだろうな・・と想像してた。冬に向かう前の支度っていいよね。春になるまで久しく外へ出ず、穴蔵で睡眠を貪ることが許されている季節が目の前に来てる。冬がロマンチックなものに思えてきた。

そう言えば、クリスマスホリデーも魔女の世界では休息の為のものと教わっている。今じゃドンちゃん騒ぎの為の日になっちゃってるけど。本来のクリスマスカラーは赤ではなく濃紺なのよ。精神を研ぎ澄ましつつ安楽する色。最も穢れのない思慮深い色、思考する人の色・・・

・・・えっと、昨日はどこまで話をしたかな?話がしょっちゅう脱線するのが私の良くないところ。線路を時々見失うのかも(笑)

えっと、ああ、そうだ

「あなたにとっての勇敢さとは?」って話だった。

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あなたにとっての勇敢さとは?

じゃあ、私にとっての勇敢さとは何だろう・・って考えてみた。

関係ない話だけど「魔女の宅急便」という映画の中で、黒猫のジジがキキと話をできなくなるでしょう?何故だと思う?たぶん子供がこの映画を観たらジジとキキが話をできなくなる理由って思いつかないかも。ワンシーンとして見逃してしまうところだもの。

ジジは猫の世界に戻り、キキは魔女に成りゆくことを肯定しなくちゃいけない瞬間の描写なのよね。と、大人になった私はその理由を考える。

それぞれの世界。いるべき世界に立つほんの少し前。成長してゆかなきゃいけないんだ・・と知る瞬間。知らしめる瞬間、として描かれていると思うの。だから「声を失う」の。

キキはあの時ものすごく落ち込む。唯一の心の支えだった仲間であるジジと会話できなくなることは、きっと、声を失うような絶望だったんじゃないかな?軽快に描かれているけれど、大人目線で考えると「失うことを認めなかや成長できない」「絶えず今を捨ててゆかなきゃいけない」そういう種類の絶望を知るのは、やはり重ねた時間がないと理解できないことだよね。

「声を失う瞬間どうするか?」

たぶんこれが私にとっての「勇敢さ」に近い気がする。

どんな風に私の物語をすすめてゆくのか私が考える。

キキは宅急便を始めることに決めた。人生について初めて自分で責任を持とうと決意したのね。それは大人になること。

幻想から離れて、それでも自分の世界を夢のように生きていけ・・っていうメッセージが込められてる映画だね。オープニングのほんの短い間に、畳み掛けるようにストーリの全貌を明かすという映画の作り方というか、その素早く見せる手法もすごくいいね。だってあんなふうに実際に私たちは風を切るように、ものすごく速くて掴めないほどの時間の中を生きているのだもの。

掴めないほどの速さの中で自分の世界を夢のように生きてゆけ・・っていう言葉が膨らむ今日。

たとえ声を失うような喪失を体験したとしても・・その先を見たいかどうかは自分で決めることができる。

心は何というでしょう。

喪失した体験は冬の間に癒されるでしょうか・・・春になれば、また、その声はきっと復活するのでしょう。そこには、信じるような気持ち、それだけが汚されることなくあります。

失った声を探すには丁度よい季節が、もう目の前だよ。

そんな暗く沈んだ声に耳を傾けてみたい今日です。

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儚さ、について、もう少し話をしよう。

再生する美しさを愛でるということについて哲学本を読んでた。

自然の感覚に伴うものだから、生きているいじょうこれは誰しもが身体に宿してるものだと思うの。

有限の美しさと無限の美しさ。両方併せ持つもの。有限だけど無限。死ぬけど来年の春にはまた舞い戻る。円環的なもの。巡りくる時間。

夏はそう考えると「余白」「余韻」の季節に該当するのかも知れない。

時間は直線だけではない。有限か無限かというのは直線的にものごとを捉えているように思うけれど、その円環的な中にどうしようもなく天国と地獄両方も孕むんでいる。

言ってみればこれは「カオス」かも。でもそこからひとたび潜り抜けたら違う世界が見えてくる。組み込まれている自分という存在を認めた時「カオス」ではなくなる。

たとえば地獄だと思ってたものの対極にある天国も見えてくる・・

時間は螺旋のようなもの。もしくは・・・どこまでも縦横無尽に横たわる線路のようなもの・・なのかも。


儚いものは美しい。何故美しいのだろうね。

きっと永遠を垣間見させてくれるからなのね。でも一つだけ大事なことがある。永遠を垣間見るためには時間の構造を理解しなくてはいけない。螺旋の時間の、どこか片隅で留まったままの私を連れ戻さなくてはいけない。その両方が揃えば・・

声を失った時は動き出す。それが春ならば最高。


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親愛なる全ての友へ 心に灯火を

愛するあなたへ 幸いあれ

星言葉紡ぎ屋 白い魔法使い

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