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☆2020.9.29白い魔法使いからのお手紙

おはようございます。

今日は私が住んでいる島では、本来ならば「とぅばらーま大会」という行事が行われる予定の日です。コロナで中止になってしまい残念です。「とぅばらーま」とは、テーマになる曲は1つに決められていて演者はその曲に思うままに唄(詩)を乗せて歌います。歌われる内容は、故郷への思いや男女の愛情など様々です。今までで一番心に残っている唄は、沖縄からの移民計画によって半ば強制的に離島や本島から南米へ飛ばされてしまった方が唄われた歌です。(頼れる「姉さん」として度々私のツイッターに登場してた人です・笑) チアパスに住んだこともあったり、ブラジルでカラオケ屋を経営し繁盛しすぎて毎晩強盗に襲われそうになったり(笑)・・富を築いてようやくようやくこの故郷である離島に帰ってきましたよ・・という唄です。ちょっと世界観がぶっ飛びすぎていますが実話です。その人生の旅に常に寄り添ってきた、三線の音色と姉さんの詩の深みと声の切なさはいつ聴いても涙が出ます。(それで時々無理矢理お酒の席に招待します・笑)

そんな、とぅばらーまの過去の作品の中から好きなものを1つご紹介します。個人的に某感染症が流行った途端に焦りを感じたこととして「文化が失われる」という点である、ということはやはり揺ぎ無く私の中では変わりません。小さな島の風が吹けばいつでも廃れてしまうような文化を少しでも伝えてゆけたら、と願っています。

ー黄昏時、波の音を聞こうと浜辺に立つと、どこからともなく歌声が聞こえてきます・・・
 「月(つくぃ)とぅ太陽(てぃだ)とぅや ゆぬ道(みつぃ)通りょうる」
 感情を押さえた、それでいて心に滲み通るような歌声。と、その声に応えるように、別の方角から、
 「ツィンダーサーヨー ツィンダーサー」
 2つの声が、語り合っているかのように・・・
 「かぬしゃま心(くくる)ん 一道(ぴとぅみつぃ)ありたぼり」
 「マクトゥニ ツィンダーサー」
 「んぞーしーぬ かぬーしゃーまーよ」ー

これは男女の掛け合いの歌。

「月と太陽がこの道を通ってゆきます」

「神様が通る道ですね」

「そうだ。神様のようなものが通る・・」

心の風景を唄ったものなので、本当のことは二人にしか分からない、本当の意味は二人にしか分からない・・そういう雰囲気が出ていると思います。月とはただの月ではありません。太陽も神様も・・二人にしか意味が分からない「言葉」という暗号なのです。(たぶん・笑)

今夜も月が綺麗に見えると良いですね。


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今日の占いです。

< 内在化させること。外在化とは逆のこと。つまり表現することが外在化で、アウトプットであるなら、内在化とは、純化・同化・自己認識へと繋がります。外側で繰り広げられていたストーリーを一度回収してゆくこと。わたしがわたしである為に必要なものをしっかりと引き寄せること。>


例えば、私は昔、あんまりにもつまらない日が続いていた昔突然耳が聞こえなくなりました(その治療を今もしているのですが・・今はほぼ聞こえてます)。つまらないから聞こえなくなる・・ってすごいですが精神的なものでした。その頃「もう一人の私」が「私」を見てる・・みたいな感覚がありました。こういうパターンも内在化することが必要だと思います(今思えば)本人が(私が)、そんなことは普通にあることだ・・と思っていたので幸い不幸ではなかったけれど。

ただ、自分が自分であることを意識できるというのは良いものだな、と最近やっと思うようになりました(ぼんやりにも程があるw)

内在させるには自己の外側に手を伸ばし続けるしかないです。外側から取り込んだものを「自己」としてゆくこと、これは成長であり、変化を齎します。変化しながら自己を発見してゆくことを自己認識と言います。

外側はきっと真空の宇宙のように暗い場所だったに違いないでしょう。あなたが暗闇に手を伸ばして引き連れてきたものは何でしょう。それは確かめてみないと分からないことですが、それを私たちは「未来」と呼びます。

内在させることができたら・・灯火は永遠にあなたの心の中に、そして、いつでも訪れることができる聖堂のような場所になるのだと思います。

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もうすぐ10月ですので、10月第一週(第27週)の「魂のこよみ」をご紹介しておきましょう。

ー第27週ー

予感と憧れに誘われながら みずからの深みへ降りていく。 おのれを省みながら自分を夏の日の贈り物と感じる。 今 私は秋の季節に 萌える芽となり魂の熱い力となって生きる。

R・シュタイナー「魂のこよみ」より

夏が一番熱いかと思いきや・・秋~冬にかけての詩をずっと読んでゆくと、どんどん内面が熱きなってくることを感じることができます。日本とは少し季節への感覚が違うので最初は掴み難いと思います。秋に精神が静まってくる感覚、というのはたぶん皆さん分かると思います。その「静寂」を「熱量」と云う魂のこよみが私は好きです。内面が赤く燃える様は、紅葉した山に似ています。情景を思い描いてみるとシュタイナーが目指した「情操」というものが目の前に立ち顕れます。心の中を遊ぶこと。自由への哲学を築いてゆくこと。そんなテーマが10月にはあるようです。美しいものを追い求めて。

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R・シュタイナーも当時は、あるところから見たら「異端者」でした。精神や魂の自由を解く者はいつの時代も異端者です。その異端に触れていたいと願う人たちもまたどの時代にも必ずいます。現代でもそうでしょう。しかし現代の異端者は嫌われ者になるというだけの道を選ばなかった・・・のかも知れません。意識の変革を来年さらに大勢の人が感じるようになるはずです。何が「普通」か分からなくなった時代において、異端者とは?自由を追い求める魂たちのことを言うのだと思います。

異端と言えば・・思い浮かぶ詩があります。

ー・・・ごらん運河の上で さすらい気分を乗せて 船たちが眠っているのを。 彼らはやって来る、世界の果てから、きみのどんな小さな願いも満たすために・・・-

ー・・・おお、おんみたちよ、わたしがひとりの完全な化学者として、また、ひとつ聖なる魂として、わたしのつとめを果たしたことの証人となってくれますように・・-

「悪の華」/シャルル・ボードレール


<調和>には何が必要でしょう・・。その問いに応えるかのように自らを差し出し続けた人が書く詩だな・・と思います。それは、調和世界への哀しくも激しい情熱そのもののように感じます。そして、永遠なるものへの上昇・高まり方・・自らを差し出すとは・・碧い炎を見ているような気分になります。異端の碧い炎から誰も目が離せなくなる・・美とはそういうものかも知れません・・。


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親愛なる全ての友へ 心に灯火を

愛するあなたへ 幸いあれ

星言葉紡ぎ屋 白い魔法使い






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