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世界の一部

ごきげんよう。
ちょっと社会に入り込めていない気がする、しろひつじです。

『会社の歯車になって働く』
なんて、昔はよく聞いたものでした。
これは、会社が上手く運営できるように、社員個人の都合や意思は関係なく、何も疑問を持たずにただただ会社のために与えられた仕事をまっとうして働くことを指していると思います。

ただのブラックにしか聞こえませんが、高度経済成長期には、愛社精神を持ち、会社の為に犠牲となる事を厭わないような人も多くいた印象があります。その頃は経済も右肩上がりで、いつも未来が明るく思えていた時代でもあったから、今とはちょっと背景が違っているのかもしれませんね。
とはいえ、今どきの若人にはなかなか理解されにくい発想ではないでしょうか。

わたしも歯車はイヤですね。
冷たく硬い歯車では到底いられない。
ま、その比喩はちょっと変ですが、
根性もないので、すぐにひしゃげて交換されるのがオチでしょう。

誰でもいい、簡単に交換がきく歯車としてだと、働く意欲はかなり低くなりますね。使い捨て感ハンパないですね。
わたしに価値があると認められて、そこに必要とされているのなら、何か大きな組織の一員であっても、働く意欲はわきそうですけれど。

そうだ、「会社の歯車」よりも「海の中のプランクトン」がいいな。
大きな何かのほんの小さな一部のことを考えていて、なんとなく思いつきました。

自分の意志で動いているかどうなのかはよくわからないけれど、この世界が上手く回っていくための一端を担って存在している、生態系のすみっこで漂うプランクトン。
それを食べるもう少し大きなプランクトンもいるでしょう。
それを食べるジンベイザメもいるでしょう。
各々が各々の役割があって、海の中に存在している。
みんな、命で命を繋ぐ役割を果たしている、と思います。

あ、地球上の生物として、もうわたしは人間の役割をもらっているのでした。
そうだった、そうだった。すっかり忘れていました。
じゃあ何か、わたしも役割を果たしているのかな?
自覚がなさすぎるけれども?
うーん、たぶん明確な役割はわからないけれど、この世界で動ける体を持って生きているわけだから、こうしてnoteを書いていることも、役割の一部なのでしょうかね。

生きる事こそが役割なのかもしれませんね。
『意味の無い命なんて、無い』

きっとそうなんでしょうね。


きょうはここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆さまが、命を大切に過ごされますように!

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