劇団四季ノートルダムの鐘 感想【ネタバレあり】

劇団四季の「ノートルダムの鐘」全人類みてくれ!!!!ってレベルで大好きなので、どこに心を揺さぶられたか吐き出します。

ミュージカル『ノートルダムの鐘』作品紹介 | 劇団四季【公式サイト】 (shiki.jp)

生で、あの声量、エネルギーを浴びてこその作品だと思います。ぜひ劇場で観てほしい、あらゆる人に見てほしい、そしてどう思ったか、何を感じたか、聞かせてほしい、私にとってノートルダムの鐘はそんなミュージカルです。

~~~~~~(ここからネタバレあります)~~~~~~~

ノートルダムの鐘は、1つの問いが物語を貫く作品です。その問いというのは冒頭とフィナーレで歌われるフレーズ「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう/ What makes a monster and what makes a man?」。

この問いに答える材料として、お話の中では、2人「怪物」とよばれる人物がでてきます。1人は本作の主人公、カジモド。もう1人は本作のヴィラン、フロローです。
この2人は伯父・甥ということもありとても近い2人だと思います。自分の苦悩や思いを隠して生きてきて、押し込めた来た感情の爆発に動揺し、翻弄されて、なかったことにしたいけどできなくて、激情に駆られて行動する。フロローがカジモドに言い聞かせる言葉は、ときに自分に言い聞かせているかのようですし、カジモドがいう言葉は、フロローの内なる思いのように聞こえる瞬間があるように感じます。

私は、ミュージカルのノートルダムの鐘を見るたびに、特にこのフロローの生きざまに心が動かされます。フロロー、エスメラルダに言いよっているシーンは正直めちゃくちゃ気持ち悪いし、嫌なやつだし、エスメラルダからみるとわけのわからず自分を襲うまさに「怪物」だな~…という感じなのですが、それだけじゃない側面も描かれているからこそ、彼が道を踏み外して、報われないままに恨まれて怪物として死んでいったことが、寂しいような気がするのです。

ミュージカルで語られるフロローの生涯は、孤児として弟とともにノートルダムに引き取られるところからはじまります。しかし、弟は教えに背き、ジプシーの女を連れ込み、破門されてしまいます。
想像でしかないですが、弟思いの兄にとって、弟が破門されていなくなったことって、すごいショックだったと思うのですよね。やっとノートルダムで、安心して2人で暮らせると思ったのに、弟は教えを破ってジプシーの女と出ていってしまった。自分は黙ってることや嘘をつくこともできたが、神父様に真実を告げた結果、弟を失ってしまった。安心して暮らせる家と、その家で暮らし続けるために大切にしていた教えとを、弟は破った。「兄弟の絆がぽっと出の女に負けた」みたいな気持ちも、もしかしたらあったのかもと思うと、この出来事もあって彼がジプシーや性愛みたいなところをますます拒否する、恨むようになったのかな、と思います。
そして、弟より教え、宗教をとった形になってしまったからこそ、フロローはますます精進するしかない。また、権力を得れば、今後いつか破門された弟を救えるかも、そんな思いもどこかにあったのでは?とも思います。しかし、そうやって権力を得て、ようやく再開した弟は救えず、託された子どもは障害を持っていた。
愛していた弟の不幸な死、大助祭としての自分が弟の力になれなかったこと、取返しのつかないことが起きて、でも、自分はこの先、託された子どもとともに生きないといけない。そうなったフロローが、自分を正当化するというか、「自分は間違っていない」「弟は間違っていたから死んでしまった」「弟の子は間違わないように育てる」と考えるのは、一種、自分の心を守るための動きだったのではと思います。

フロロー、弟がいなくなってから、身内というか、気安い関係の味方がいないんですよね。だから愛の出力がへたくそというか、愛していた弟が破門されたことで、愛する相手はコントロール下に置かなくては!!に振り切れたというか、愛=支配になっているのではないかなと。彼の周りには、自分でコントロールできる者か、そうではない敵しかいない。だからカジモドもエスメラルダも、コントロール下におこうとして、できないとすぐ敵として拒絶する、激情をぶつける相手になる。
真面目にそうやってこれまで生きてきて、それなりに成功してしまったからこそ、それ以外の生き方は選べないし、変えられない。それはこれまでの人生を否定することになるから。でも、愛してほしい気持ちもどこかにあって、弟がいなくなって満たされず蓋をしていたそれが、エスメラルダとの出会いで蓋をしきれなくなった、暴走したのではないかと思います。そして、味方はいないので暴走を諫めてくれる相手もいない。
「自分がしてほしいことを相手にしてあげたら?」というエスメラルダのセリフがありますが、フロローがしてほしいことが「愛してほしい」で、だから彼なりになりふり構わずエスメラルダを愛したのだとしたらなんだかなあ~…という気持ちになります。

フロローは表に出さないけれど、苦悩する人だと思います。弟への思い、カジモドへの思い、エスメラルダへの思い、自分の欲望。人間らしさを押し込めて生きてきた結果、爆発した自分の感情に翻弄されて破滅していったという印象です。
愛も正義ももたない人ではない、善良だった瞬間も確かにある、でも怪物でもあった。人間らしくもあり、怪物でもある、そんな表裏一体さ、自分もああなりうると思えるからこそ、フロローの生きざまには心が動かされるのかなと思います。

ノートルダムの鐘、人の一側面として、「怪物」としての面があること、どう振る舞い、どう扱われ、どう見るかで、人は怪物になりうること、世の中のままならなさと、それでもどうにか、善く生きていくしかないという人のエネルギーを感じる作品です。

鐘の音でおごそかにはじまる、あの空気感、聖歌隊の迫力、すっと舞台裏からカジモドが出て問いかける演出、何度見ても、すごい好き~!!と更新し続ける、大好きなミュージカルです。これからも長く上演されて、色んな人へ問いかけ続けてほしいと思います。


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