人に言われたことを被害的に受け止めてしまう人について考えた話

体験的にだが、あくまで個人の体験的にだが。

精神疾患のある人の中には、『人の言ったことを過度に被害的に受け止めてしまう』人がわりといるように思う。
自分自身もわりとそうなんだけれど。
因みにうちの主人は、人に何を言われても全く気にしないタイプだ。会社の先輩にこう言われた〜みたいな話も、聞いてる私の方は「なにそれ、めっちゃ失礼やん」と腹を立てるのだが、本人は至って笑顔でポジティブ。この違いはどこから来るのか。

おそらく認知機能とか認知の歪みとか呼ばれるものが関係しているのだろう。専門家ではないので、それが脳の機能からくるのか、環境からくるのか、全く別のところからくるのかはわからないけれど…。

私自身は、主人とカウンセラーの先生のおかげでかなり認知の歪み(この言葉が専門用語かどうかは知らない)が改善できたと思う。
でも、みんながみんな、認知の歪みを治してくれる伴侶を得られるわけじゃない。みんなが、お金を払ってカウンセリングに通えるわけじゃない。私たちが接する、手帳がある人の多くは、生活がぎりぎりで、そんな余裕はない。

やっぱり、日々接する人が丁寧に話を聞いて、ひとつひとつ「それはこうなんじゃないかな」と言っていくのが大事なのかなと思う。実際、精神疾患のある方と話をしていると、『ああ、そうだったんですね。話して良かったです。ありがとうございました』と明るい顔で帰って行かれることもある。そういうとき、彼/彼女の中では、認知の歪みが少しだけ改善されたのかもしれない。
でも、同じ人に同じように話しても、言葉が届かないこともある。それはそのときの病状にもよると思う。もっと効率的に、対話で認知を改善する方法はないものか?
もしかしてそれが、最近流行りのオープンダイアローグってやつなのかなあ。不勉強でよく知らないのだが…。

最近読んだ『ケーキの切れない非行少年たち』にも、認知機能のことが書いてあって、コグトレというのが紹介されていた。著者がいろんな場所でセミナーもやっているようなので、学んでみたいと思う。

私はもうすぐ子どもが生まれる。学校に行ったら、社会に出たら、叱りとばされることもあるだろう。あんまりヘラヘラするのも問題だけど、なんというかポジティブに捉えられる子になってほしいな。それには素質に加えて育て方も関係してくるだろう。責任重大だ、と思う。