視覚優位人間あるあるの話
YouTubeでADHDの子の成長を記録した動画を見ていたら、かけっこのスタートの合図がわからなくて立ち尽くす様子が映っていて、「あーわかるわかるわかるわかる」と頷きすぎて頚椎捻挫した。
子どもの頃は、口頭で指示されたことを、8割くらい理解してなかった気がする。
そういう子って周囲から見ると『ぼんやりしている』ように見えるんだけれど、ぼんやりどころか感覚過敏で常に頭の中フル回転だし、「いま、自分だけ指示がわからなくて違うことをしているな」ということもちゃんとわかっているのだ。
そして"自分だけおかしい"という恥ずかしさや、指示通り出来なかったことで受けた叱責から、二次的な精神障害が始まるんだと思う。
耳からの指示が入らない代わりに私は視覚(文章)優位なので、自分が人に何か依頼したり、指示したりする立場になったら、メモ・貼り紙・LINEの長文等、とにかく文章でやっていたんだけれど、これはあんまり良くなかったということに最近気づいた。
多くの人は私ほど長文を読むのが好きではなくて(これも長文だけど)、情報を取りこぼしたり、時には文章で指示されたことに威圧感すら感じるらしい。入院して、人に何をLINEで頼むしかなくなって、このことに気づけた。
私と同じような"テキストで指示された方がいい派"の人とはなかなか巡り会わなかったのだが、少し前にネットで知り合った女性が同じタイプだとわかった。
『料理の作り方なんか動画で流されても、見ようと思わないよね。テキストの方がいい』という意見で一致。わかる。安らぐ。
『親方の仕事を見て聞いて覚えるような仕事に就かなくてよかった』とその人。そうなのよ。三年ほどそういう授業をする学校に通ったけれども^^;
こうやって、大人になっても日々『世間と自分のズレ』を考えて修正していかなくてはならないのが、"発達障害/グレーゾーン界隈"の辛いところだ。自分で気づけたら、まだいいんだけれどね。
入院して集団生活をするようになってから、自分の行動がどれほど人と異なるか、改めて認識した。
また機会があったら書く。