ニュースからいろいろ日常のことを考えた話

トリエンナーレ補助金の審査委員が辞意「審査意味ない」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00000059-asahi-soci

この記事を読んで、「いや、そらそうやろ」の言葉しか出てこなかった。
『あいトリ』のいろんなことについて、自分には批評できるだけの知識はないのであるが、3年間いろいろ準備してきただろう、審査委員会の人たちもきっと何度も集まったり調査したりしながら決定にこぎつけたんだろうに、事情はあるにせよ急に白紙撤回じゃなあ…と思ってしまった。

日常生活でも、会議などで決まったこととかが知らない間に覆ってたり、なかったことになっていたりすることがあるよなあ、とつくづく考えた。

今は、職場で、自分が会議を"仕切って"いろいろ実行していかないといけないので、みんなで決めたことを勝手に変えないように、変える必要があるときは「申し訳ないのですが〜…よろしいでしょうか」と説明し、打診するようにしている。

決めたことについて、「やっぱり無理じゃないかな」と弱気になるときも何度もある。この一年弱何度もあった。でもその度に周りに助けられながらやってきた。出来るかなあと考えすぎるより先に、発注先やなんかに電話をかけて、相談すると、やるべきことが見えてトントンとことが進むということもわかった。

それとは別に柔軟性は勿論必要で、例えばこの前も、小さなことで、自分の中では「Aのやり方でいこう」と思っていたことについて、『 Bのやり方はどうですか』と提案されたことがあった。そのとき他のことで手一杯だったので、新しい別のやり方を検討する余裕がなく、いやAのやり方でやるからいいですよ、せっかくですけどすみません、また今度使わせてください、と一度断った。
でもそのあと、「 Bの方がいいだろうし、せっかく提案してくれたのに申し訳なかったな。こうやって断っていると、次から案をくれなくなるだろうな」と思い直した。いったん他の人にも「 Bという提案があったから、そうしてもいいですかね」と確認してから、15分後くらいに「さっきはああ言ってしまったんだけど…」と提案してくれた人のところへ行った。(ただし、自分はやはり手一杯だったので、実行は他の方にお願い=丸投げした^^; あちらを立てればこちらが立たずとはよく言ったもので…)

何の話だっけ。

そう、柔軟性は必要なんだけれど、みんなで決めたことを勝手に覆す人がいると「は?」ってなるよねという話です。
覆した人に、根回しが足りなかったのかなと思って説明に行くと『騒ぎ回るようなことじゃない』とか言われてまた「は??」となる。今の職場の話ではないよ。

まあ『あいトリ』に関しては政治やら戦争やらアートとは何かやら、いろんな要素が絡みまくっているので、自分のような無知な一般市民がやたらに批判出来ることではないのだが、今回辞意を表明した教授には非常に同情というか共感した。こういうちゃんとした有識者の意見をないがしろにしていると、いざというとき誰も助けてくれなくなると思うんだけれどね。