アナログで理解する

最近はアナログで理解することに重きを置いている。どういうことかと言うと連続的に理解するということだ。一方でデジタルで理解すると言うこともある。これは分断した理解と言うことだ。

詳しく見てみよう。僕がある本で得た知識と言うものは分断して理解していると言うことだ。つまりは理解した情報と情報の間には連続性がない。連続性がないのですぐに忘れてしま可能性がある。一方で僕が体験したものは連続的に理解しているのでなかなか忘れることがない。

現世の体験についてはアナログで理解することができるけれども過去の歴史についてはデジタルで理解する必要がある。つまりは断片的な知識を自分の中で編集してつなげることによって連続性を持たせる必要があると言うことだ。

知識人と呼ばれる方々が見ている世界はデジタルをアナログで捉えている世界と考えた方が良い。自分で知識を取得して編集をするから情報が断片的なものが連続的なものになる。

僕がこれに気づいたのは、寝ようとしているときに何かを思い出そうとしたときに気づいた。自分の記憶と言うものが完全にアナログであると。何故かと言うと記憶を思い出すと続きのステップが完全に連続的であったからだ。まるで動画を見てるような感覚に浸った。

あれこれ語れる人はまさにこれなんだと思う。言い換えると物事を画像的に見ているか動画的に見ているかの違いだと思う。

最後に言っておきたいのは、これは体験が全てと言うわけではない。本での知識も自分で編集する能力、つまりは動画にする能力が高ければ本でも全然構わないと思う。これは想像力ともいうかもしれない。想像と言うのは動画で考えると言うことである。脳の中で完全に動いているのである。おそらくここまでくればその分野に関して一生物の知識がつくんだと思う。

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