デジタルとアナログの境界線


最近はデジタルとアナログの境界線について考えている。デジタルとは0と1で表現される世界である。つまりは分断された世界である。一方でアナログとは例えると波であるように連続的な世界である。

この世の中は連続的な世界であるため分断された世界で考えると必ずそこには分断するときに生じたわずかな隙間がある。

分断された世界とは例えば法則である。法則というのは一見すべての心理のように思いがちだが、実際の連続した世界で法則を使ってみると必ず隙間があるのだ。要は大体合っているがズレがある。

わかりにくいと思うのでここで例を挙げる。定規と言うものがある。定規はプラスチックの長方形の板に一定の間隔で数字が線で書かれている。長さは連続的なのに定規で測った時にデジタルで変換される。一定の間隔で数字が書かれていることによって私たちは1センチと理解ができる。でも実際は1.22221センチかもしれない。1センチと書かれている先もよくよく見ると長さがある。

私たちの世界もまさにこんな感じなのだ。言語によって連続的なものが分断されていたり、身体によって連続的なものが分断されたりしている。

デジタルによって人類は発展してきているけれども一度アナログ的なものを見直すことによって新たな発見ができるかもしれないし、さらなるデジタルの発展をするかもしれないし、いちど振り返ってみる必要があるのかもしれない。

例えばデジタルの場合は時間を戻すことができる。アーカイブされた動画を何回も見直すことができる。しかし3次元の空間は計算処理が多いのでなかなか実現するのは難しい。アナログの場合は時間を戻すことは難しいが、3次元空間は簡単に表現できる。

デジタルとアナログの間には膨大な計算処理の有無があり、質量の有無があるのかもしれない。つまり空間に質量が存在していれば計算は必要としない世界がアナログなのかと考えている。1830年代にバベットが質量のあるデジタル機械を作っているが何か参考になるのかもしれない。

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