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【番外編】樺太「山猫」談義:「沈む船こそ、お前の死地だと」

完結作品【樺太「山猫」談義】スピンオフ番外編です。網走潜入の夜、雷駆逐艦で彼の地へ向かう鯉登、月島、及び第七師団。その艦上で、鯉登は公式の「敵」として殲滅すべき尾形百之助に対し、自らこれが最後とする述懐をする。そしてそんな彼を理解し支えつつも、月島自身の心境は――。本編の時間軸から間が開いた網走編となりますが、実際は本当のラストとしたかったエピソードです。アニメ2期後期と併せてお読み頂くとよりメッセージが伝わるかもしれません。楽しんでいただけたら幸いです。

宵闇に紛れ、より冷たさを増した潮風の飛沫が甲板に散る。

”内通者”からの通報を受け、万全の準備とともに
帝国海軍・鯉登少将率いる「雷型駆逐艦」4隻は
速度を緩めることなく網走川を遡上し、
【目的物】まで最早いくばくの距離もない所まで、
順調すぎる航行を続けていた。

「――ここにいたのですか、少尉殿」

鶴見中尉とともに鯉登少将との先頭集団に
混じっていたはずの鯉登の姿が
いつしか見えず、艦の後部へと移動してきた月島は、
決して充分とはいえない高さの
柵にもたれるように、視線を空へと遣る鯉登に気づき声を掛ける。

「大丈夫ですか? 酔いの方は――」

「たかだか川を遡るだけのこげな距離で、さすがのおいも船酔いはせん。
とはいえ密集していては、返って揺れを感じる気がして……

少し、新鮮な風に当たりに来ただけだ」

薩摩訛りの入り交じった
奇妙な言葉回しに本人は気づいているのかいないのか、
それもやはり、"船”に乗っている事実が
少なからず彼を緊張させているのだろう。

月島は敢えてそれ以上は触れず、ごく自然に少尉の傍に寄り添った。

「なんだ、中尉殿の傍で控えておらずに良いのか。
――それとも父上か鶴見殿が、私をお呼びか?」

「いえ、そうではございませんが――
監獄へ到着するまでは何の仕事もありませんし、
話相手でもして気が紛れればと」

「ふん、勝手にしろ」

鯉登は鼻を鳴らして挑発的な態度を見せたが、
どこかほっとした心地の照れ隠しだということは、
月島にはよく分かっていた。

艦隊に乗船の際、鯉登少将閣下と間近に対面し、
「息子をお頼み申します」と頭を下げられ、
面食らったのを思い出す。

「……聞きしに勝る名士でありますな、お父上殿は」

「そうか…?――月島は、父上と出会うのは初めてであったか」

瞬間、脳裏を過ぎる”過去の風景”に
一瞬の"間"を置き、はい、と答えた後、

「陸軍と海軍とではほぼ別世界も同じ、父君と同道できる機会も本当に稀でしょう。
せっかくのご対面の機会です、共に戻ってもっと積もる話でも――」

「稀といえば稀、”野良猫"と見(まみ)える機会がまたこうしてやってくるとは、な」

鯉登はもう一度、今度はさも嬉しげに鼻を鳴らし、力を込めて胸を張ると
柵から離れ、屹立して月島を振り向いた。

「ああ…尾形のことですか」

「内通の女からの情報には一味として尾形の名も上がっていた。
土方歳三や杉元一味に未だ与しているとは……

"自分さえよければ"という言葉があんなに似合う男も他にあるまいが、
愚かにも鶴見中尉殿を裏切り、さすがの野良も勘が鈍ったか」

鯉登は左腰の軍刀を手にし事もなげに引き抜くと、感情の籠もらない表情のまま、
二、三度と素振りをした。

「少尉殿」

その行動に不穏さを感じ、やんわりと月島は釘を刺す。

「お気持ちは分かりますが……
まさかこの機にと、尾形への私怨をお心に持つのは…いささか感心しません。

我々の任務はあくまでのっぺら坊とその娘、「アシリパ」の確保です」

「言われんでもそんなことは分かっておる、私怨だと?

――馬鹿げたことを言うな。裏切り者は発見次第、即刻処刑だ。

―誰一人、残さず―焼け野原にするのだと……お前こそ、中尉殿の【作戦】を忘れたのか?」

「――失礼しました、出過ぎたことを」

鯉登はそれには答えず、流れるような動作で刀を仕舞うと、
柵に手をかけ――今一度、体をぐっと乗り出した。

「なァ月島、お前の家族の話は聞いたことがないな」

「家族はございません。
…こんな時代に庶民として生まれ落ちて、
別段珍しいことでもないでしょう。――鶴見中尉殿からは私の出自のことは、
何もお聞きになっていないのですね?」

「ああ、そんな話はしたことはない。
……私こそ、失礼した、個人的な話など、お前に聞く権利も話す義務もないな」

「そんなことはありません。
ご希望ならば、ですが、あいにく何も話すべきこともないもので」

「……自分が恵まれた境遇だということは良く分かっておる。
だが“分かっておる"だけでは、足りないのであろうな。家族のいない者達の気持ち…
喪ったものの大きさや痛み――

私などがいくら『分かった』と言ったところで、お前も含め、
そうした者達には良いところ嫌み程度にしか聞こえんだろう。

だがそれもそれで、やりにくいことではあるのだ……
“出自”が、自分自身ではどうにもならんことは、
恵まれた恵まれないにかかわらず、同じ事だからな」

独り言のように言葉を連ねる鯉登に、月島はやや混乱する。

「…尾形は、私を責めていたのだな。

私自身の考えがどうあろうと、軍人として、また人として
どう行動し、どんな覚悟があろうと関係なかった。

ただ、私が私であるだけで――鯉登家の人間であるだけで、"責めて"いたのだ。

私に、あいつの何が分かる、と」

黙したままの月島にも、鯉登のいわんとすることは分かった。
そして気の向くまま、感情も言葉も口に出す文字通りの"ボンボン”が、
尾形とのあの一件以来――彼なりに悩み苛立ちながら、
もがくように成長しかけていることも
また、分かった。

「――少尉殿はお優しいのですな」

口にした言葉は月島自身、想像しないものであった。

「部下を気に掛ける、という言葉はまぁその通りかもしれませんが…
もし"あのとき"からずっとそのように尾形との一件を
気に掛けていらっしゃるのだったら、正直、これから先、身が持ちませんよ。

特にアイツは特殊過ぎます。
心を掛けたとしても、少尉殿のこの先の利益にはなりません」

「分かっている。だから終わらせたいのだ」

鯉登は腰にかけた左手で、再び軍刀を握った。
ぞっとするほど冷たく光ったように見えた瞳は、次の瞬間には
元の、暮れゆく日を映す瞳に戻っていた。

「……終わりますよ。奪還目標の二人以外は、皆殺しです」

月島の脳裏にも、鯉登には想像もつかないほどの――在りし日の尾形の姿、
共に過ごした時間、時折交わした言葉が溢れる程に渦巻いていた。

旅順での死の攻防戦。

鶴見中尉を中心に、
仲間を守ることだけに、
ただただ、必死だった日々。
いつ明けるとも分からぬ地獄の日々が、
過ぎ去ってみればこれほどあっけなく、
また、特に近しい秘密部隊の一員でもあった
ひとりの人心をも、変えてしまうものか。

(……網走で尾形脱走兵を発見した場合、処分はどうなさるおつもりですか?)

網走作戦の検討中、月島は他の者に漏れぬよう、直接鶴見に尋ねてもいた。

(どうもこうもない。――殺せ、躊躇はいらぬ)

むしろ杉元や土方に注力しろ、必要なら生け捕れ――
中尉は机上の書類から目を離さぬまま、ただ、そう答えた。

(…承知いたしました)

夕張で久々に「あの顔」を見た途端――
前山のことで激昂したせいもあったが――自分ももちろん、そのつもりだった。

なのに――

(『お前は一体どうして……そんなに、自分自身を貶めるのだ?』)

あのときの少尉の心から漏れた尾形に対する一声が、時折頭の中に響き、離れない。

(『山猫の子は山猫だからですよ』)

自分を貶めるのは、"そうじゃない"と、いつか誰かに
否定して欲しいからか。

まっとうな人間なのは自分の方だと、肯定してほしいからか。

それが土方歳三なのか。「中央」なのか。杉元……なのか?

(そんな欲など、とっくに棄ててしまったほうが良かったのだぞ、尾形――
お前も、俺のように)

月島は表情を変えぬまま、鯉登と同じように
網走監獄へと向けて遡上を続ける
艦のその先に、目を遣る。

ぼんやりと、その独立し孤立した【要塞】の姿が、目前に迫ってきていた。

あいつは狙撃手として援護に回っている筈だから、可能性は低いが――

(少尉の刀が今度こそお前の首を落としても――
それが俺の目の前に転がっても、
俺は何も感じない。中尉殿に、差し出すだけだ)

「…お前が自分で撒いた種だぞ、尾形」

「――何か言ったか?」

「いえ。……さぁ、いい加減、先頭の本隊へ戻りましょう」

月島に促され、先を歩く鯉登は、

「月島、お前、聞いたことはあるか?猫は、死に場所を選ぶらしいな」

「はぁ、そう言いますね。実際は、よくは知りませんが」

「網走監獄――最早、余命いくばくもない……
”沈む”運命にさらされている「泥船」に自ら進んで乗り込む等、
本当に愚かな男じゃ。

――軍人として高官として、
選ぶ余地など無かった、兄とは違う。

この我が第七師団で…道は、可能性は、いくらでも、あったものを」

前を歩き背を向けたまま、そう続ける鯉登の声音にかすかに混じる震えは、
笑いなのか、まさかの――涙なのか。

後ろに付き従う月島には、知る由もない。
ただ、全くの同感だった。

尾形という男が、ふたりに”遺した”もの。
密度も濃さも時間も違えど、
全くの、同感だった。

「死に場所すら満足に選べない猫は、もはや猫ですらないな、月島ァ?」

「――そうですね」

月島はぐっと軍帽をあげて、隣に並ぶと、少尉の目を見据えた。

「終わらせましょう。――今夜、すべて」

「ああ」

それを潮に、ふたりの姿を認めた先頭集団の兵卒が一人走り寄り、

「監獄到着まであと僅かです。鶴見中尉殿が少尉殿と軍曹をお呼びでありますッ」

「分かった、すぐに向かう」

鯉登は足を速め、こちらを振り仰ぐ鶴見に並ぶと敬礼した。
頷き、素早くいくつかの指示を鯉登を含めた一隊に伝える鶴見中尉の後ろに従い、
月島自身も
三八式を握る手に力を込める。

月島はふとその背中に、場違いな温かさを感じた。

操舵を部下に任せ、鶴見の一隊からやや離れた所に屹立する
鯉登少将だった。その瞳が、息子の少尉に注がれている。
おそらく、ご自分でも気づいてらっしゃらないのだろう。

死に場所を選び損ねた猫。
どん底の闇に沈み死する間際を、体良く鶴見に拾われた自分。

自分に注がれる温かな愛情に頓着すらせず、
輝く瞳で鶴見中尉を信じて疑わない鯉登は、
これから始まる「地獄絵図」の一片を見て、何か変わるだろうか。
…変わってもらわなければならない。

尾形にも、誰にも、そして――俺にも。
期待することなど止めることを。

死屍累々の先、我々が突き進む先に何があるのか。
鶴見にとり鯉登が必要な人材である以上、月島は全力を持って
その二人を守り、時に身を挺すだろう。

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「――軍曹のくれたタバコ、可笑しな味がしますなァ」

旅順。203高地。新月の真っ暗闇にようやく塹壕から這い出て、腰を下ろして一服する
自分と尾形の姿が脳裏をよぎる。

「そこらのロシア兵の死体から奪ったものだ。おおかた彼の地のものだろう」

「…今日は…何人、殺したかな?
ちょっとしたご褒美、になりますかねぇ」

「味が気に入ったのか?――なら全部やる」

「ありがとうございます」

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アリガトウゴザイマス。

(あいつから礼らしき事を言われたのは、それが最初で最後か)

遠い記憶から揺り戻されるように、強く肩を掴まれた。

「砲撃開始だ、月島!」

「はっ!」

鶴見の怒号の号令が響き、目前にそびえ立つ要塞の石壁が、見る間に赤黒く燃えていく。
鼓膜が破れるほどの衝撃。誰もが走り出す。勝利を信じての、”奴等”の死地へと向かって。

「――アシリパを確保せよ!!」

(完)

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