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【完結】【金カム】樺太「山猫」談義⑦その4:恋情に似た憧憬と、憎しみにも似た羨望と

【樺太山猫談義】完結編。「犬猿の仲」として原作でも煽り合いのシーンが描かれる二人で、尾形への反感を露わにする鯉登ばかりが目立ちますが、好き&嫌いの反対は"無関心”というように、何かのきっかけで互いに一度は近づかなければ生まれなかったはずの悪意――そして、放っておけない尾形の側にも、鯉登に対する【何か】がある。過去のタイミングのどこかで発芽したその「芽」は、原作のストーリーとも平行して関わっている気がします。…この出来事の後、尾形は聯隊から脱走する。数ある可能性の一つでしかありませんが、この物語を私なりの解釈として、旭川・(網走)・そして樺太で再び相見える二人の心象風景に繋げてみたいと感じました。全10話となり、長い間のお付き合いそして愛読、本当にありがとうございました。

「悪いのか、尾形……」

鯉登はさすがにばつが悪そうに、
未だ無言の相手に対してそう繰り返すと
語尾を消え入らせ、
思い出話からの本心を
この場で吐露したことに
今更のように赤面して――

「――今度は、お前が話す番だッ」

ドン、と強く音を響かせ机を叩くと
尾形を睨み付けた。

……威勢の良い“ボンボン”が戻ってきた。

鯉登の「素の」感情を知った尾形の頭の中は、
自分でも図りかねるほど――
混乱していた。

だから、平素のような稚拙な傲慢さを
隠すことなく表す少尉の姿に、
ホッとする妙な心地になりつつも
この機会にと、
体勢を――建て直す。

「私の話…、ですか」

自虐を込めた目顔で、ちらりと月島を見遣る。

(オトウトノアタマヲブチヌイタ、オレノハナシヲ)

そんな話、聞かせるわけにはいきませんよね、
軍曹殿――

「尾形――お前が辛いのは、分かる。
だがなぜいつも、そこまで頑なに
勇作殿の話を避けるのだ?」

鯉登は二人の水面下のやりとりには
目もくれず、不満げに、そして真っ直ぐに
言葉を継いだ。

「――かつて兵舎の中でも外でも、
二人は度々同行していたと
聞いておるのだぞ。

……それは、お前の立場を思えば
確かに、難儀なことでもあっただろう。

私と兄のように、幼少期を共に
過ごすことはなかったお前たちが、
突然に“兄弟”となることは…その戸惑いは、
決して私には分からぬが。

だが勇作殿は、それでもお前を慕って…
あまりにも、…初心(うぶ)な心掛けではないか。

――例え
短い間であったとしてもだ、
いかばかりかの交流が……
お前と勇作どんとの間に有ったのか、
私は、知りたいのだ」

熱がこもる鯉登の演説に
反比例する如く、
揺れ動きかけた尾形の心は
“温もり”などとは無縁の
慣れ親しんだ――【絶対零度】へと戻り、
感情を悟らせないその瞳を僅かに歪ませて、
「月島」の反応、あるいは指示を待っていた。

(……俺と勇作殿との、“美談”が聞きたいそうですよ。
鶴見中尉殿がもし知れば、なんと仰られるやら)

(そこまで頭がお花畑なら、
そこいらの少女小説でも読ませてやるのが
妥当でしょうなァ…)

じらすように、
鯉登の言葉に戸惑う素振りを見せ
時間を稼ぎながら、
尾形は言外に
そうした嘲りを滲ませて、月島の動きを待った。

だが、尾形の心中など簡単に
察していた筈の月島の言葉は、
想像もしないものだった。


「話してやれ、尾形」

「は?……軍曹殿――」

「規律や――周囲の眼が気になり、
難儀だったことは私自身、よく知っている。

だが、花沢少尉殿との想い出話、
いくらお前でも
ひとつやふたつは、あるだろう。

聞かせてやれ。――少尉殿に」


「そうだッ、私は、入隊して後の
勇作殿の事は、よくは知らん。

優しくて控えめだが、こうと決めたら揺るがない
真面目で頑固な御仁でもあったな。

聞かせてくれ、そんな勇作殿が、“弟”として
お前に接する時――
一体、どんな様子であったかを」

はしゃいだ雰囲気を語気に滲ませ、
鯉登は期待に満ちた目で
再度、尾形に詰め寄った。

月島の【援護】に
勢いを得て、“上官”としての矜持など
捨て置くことに決めたのか、
あるいは先刻の述懐のごとく――

尾形に対し遠慮のない、
”甘え”さえ感じさせるその態度は
亡くした「兄」の遠い面影を既に
似ても似つかない俺の中に、見てるのか。

(――お前らアホか)

……虫酸が走る。

月島への不信感。全く――こんな簡単に
ボンボン少尉に懐柔され、肩を持つとは。

上官命令だからか?
そんなんじゃねぇ。

教育係の軍曹にとって、
相手の将校は常に 
手のひらで転がせる関係でなければならない。

形式上はあくまで「上官」である将校自身にとっても
それは公然の不文律であり、互いを利するはずだ。

(ボロ袋被せて拉致したガキに、
月島ともあろう者が、転がされてんのか?

そんなに――)

眩しいか。
 
眩しいだろう。

揺るがない出自、家柄。
なにひとつ瑕疵の見当たらない
約束された将来。

絶対的な己への自信
それは、常に、“光”の当たる場所を
祝福されながら
歩いてきた者だけの――

瞬間、
尾形の中で何かが
弾けるように、腑に落ちた。

「……じれったいぞ尾形、
先刻から、何を笑っておる?」

……笑ってる?

(笑っているのか、俺は)

「……少尉殿のおかげで、
やっと、分かりましたよ」

「そうか? 想い出の一つでも、
披露してくれる気になったか?」

「そうではなく、俺自身、
心から、合点が行きました。

勇作殿は――少尉殿、あなたにそっくりです」

私に? 鯉登は少し不満げに鼻にシワを寄せると、
「さっきも言うたが、勇作どんほど控えめで真面目な男をおいは知らん。
はにかみで、口数も多くはなかった……一体何が」

「ご自分達のお育ちの良さを盾にして、
俺みたいな野良を、手なずけようとする
傲岸さが、ですよ」

尾形!と
月島が鋭く呻くが、もう止められはしない。

(軍曹だって、自分で蒔いた種だろう?

あんな…地獄を運良くくぐり抜けた“戦友”同士、
だったってのに。

お笑いだな。――アンタも、そっちが好みか)

「……尾形」

さすがに声音に怒りは滲ませながらも、
鯉登は宥めるように、口を開いた。

「手なずける等と……犬猫ではあるまいし、
そんな言葉は、
貴様と勇作殿を貶めるだけだぞ。

まぁお前が素直にすぐ
打ち明けてくれるとは……
私も、期待が過ぎた。

もう、今日は良い、一旦忘れよう。またの機会に――」

「また次、その次と、
必ず【次】があると――信じて疑わない姿勢こそ、
クソッタレの証左ですよ。

手なずけて、思う通りに操って、その次は?
その先は?

……俺の体を開いて、”高貴“なあなた様を
慰めろとでも?」

「――ッ」

鯉登の顔に地黒でもそれと分かる紅が走り、
同時に、月島の拳が尾形の頬を直撃した。


「少尉殿の前で――恥を知れ。

そんな戯れ言で自分の口まで汚すなら、
本物の……”“野良猫”同然だ」

切れた唇から滴る血を拭い、まだせせら笑いながら、

「この血…」

不穏な笑みとともに、尾形は赤黒く染まった手のひらを
鯉登へとぐっと伸ばし、見せつける。

「勇作殿にも同じ血が……流れていた。
ホラ少尉殿、血に、高貴もクソもありませんよ。 

でも貴方がたの考えは――違う」

声が心なしか震えていることに、尾形自身だけが
気付いていなかった。

「高貴で真っ当な命が、真っ当な血が、ご自分には流れているとお想いでしょう。

憐れな野良育ちを、お優しくも拾い上げては、
“改心”させたいのでしょう。

――少なくとも、勇作殿はそうだった」

尾形の眼には最早、目の前の二人がどんな様子か、
ただならぬ気配に若干の怯えさえ滲ませ、
自分を見つめていることも気にならなかった。

独白のように、言葉を継ぐ。

「だから私は、奴が大嫌いでした。

そして、あなたのこともです、鯉登少尉殿」


尾形は席から腰をあげ、唇を血に染めたまま――
敬礼すると、言った。

「これ以上のお構いは無用。処分は何なりと。

宇佐美が潜入先から程なく戻り合流すれば、
小隊の人手も戦力としても、何ら問題ないでしょう」

「待て尾形――何か早まる気ではあるまいな」

月島は自身も立ち上がり、
“手練れ”の動作で悟られぬようそっと尾形との距離を図る。

「貴様……」

言葉の強さとは裏腹に、力の抜けたように
座したままの鯉登はただただ、
言葉にならない
未知の感情に、襲われていた。

面と向かって“大嫌い”などと誰かに言われたことも、
ここまで不可解に、心を揺さぶられることもなかった。

兄の戦死は心の整理のつかない程の
大きすぎる悲しみではあったが、幼さ故に
乗り切った部分もあり、
その後の成長において、鯉登の周囲の人間や物事の在り方は、
おおむね明快であった。

尾形に揶揄された憎しみから
言葉を継ごうにも、
罵倒や、月島への制裁命令、
今この場で“妥当”と思われる全てが、
何かが違う気がした。

『――一体なぜ、貴様は、そんな風に自らを貶めるのだ』

そのような感情を抱くことすら、想定にない。
彼自身気付かないが、
鯉登は知らず、行き場のない野良猫に例えてまで
自らを追い込んでいる
尾形を、胸の内で気遣っているのであった。

「……山猫の子は山猫、だからですよ」

鯉登の心の中での述懐のつもりだった台詞は、
声として漏れていたらしい。

「……山猫? 何の話だ」

「尾形――」

月島の制止を振り払い、

「流れる血は変わらずとも、“出自”だけは
どうにもなりませんからなァ。

鯉登殿もお父上から
“お遊び”の許されるお年になられたら…
まァ、せいぜいお気をつけを。

――むしろ、“山猫”の一人や二人に
引っ掛かってくれた方が、
俺達は何かしら、分かりあえる日が
いつかは、来るのかもしれないですな」

ははっ、と尾形は何かを吐き出したことで
むしろ爽快に聞こえる笑いを響かせ、

「最後の会合は楽しかったですよ。

少尉殿のあどけない薩摩訛りも堪能できて――
……では、これにて」

踵を返し、何事もなかったかのように
尾形は規則正しい軍靴の音を響かせ、
食堂を去っていく。


「……申し訳ありません」

二人きりになるなり、
月島は鯉登へ向き直ると、深く頭を下げた。

「何故、お前が謝る」

「少なくとも今日の出来事においては…

尾形の取り扱いには些か慣れているからと、
慢心していた自分の失策でした。
――お許しください」

お前が謝る必要はないのだ、と
鯉登はもう一度繰り返してから、

「……そろそろ行かねばな、鶴見中尉殿との
約束の時間も迫っておる」

「はい」

どちらともなく窓へと目を遣ると、音もない霧雨がガラスに吹き付け、夕暮れの風景を白く淡くぼかし始めていた。

「雨ですね――では、中尉殿の御宅へは馬車で。先に、門前に回しておきますので」

「月島ァ、今日のことは、中尉殿には
何も言うなよ」

釘をさす鯉登に面食らって、

「ですが――」

「…頼む、月島」

何故ですか、と
次の句を飲み込まざるを得ない程
若い少尉の表情は――
今までは目にすることの無かった、
どこか、憂いを滲ませていた。

(――この人なりに、思うところがあるのだろう)

ならばそれも、成長と呼べよう。

「――ふんっ」

少尉の微かな変化にこの一連の出来事が
役立てたのなら、と、
月島が安堵の表情を見せている横で――

「おいこそ、お前なんぞ大ッ嫌いじゃ!!

覚えておれ、尾形百之助ェェェ……ッ!」

髪を掻きむしり、その後にハッと
いかん鶴見中尉どんに会うというのにッ!!
鏡はどこだっ!?櫛はッ!!?

キエェェッ……と猿叫を
止めない鯉登の姿に、

“成長”とは、いささか盛りすぎだったかもしれんな……と
遠い目にならざるを得ない、月島であった。


(了)

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