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【尾形百之助生誕祭企画2021】金カム尾形&杉元「互いが互いの影であり、光なのだから」【①優しさは強さか】

公式ファンブックによる尾形誕生日(1月22日)お祝い記念の作品としました。【#百之助生誕祭企画2021】twitterその他タグにも参加しています。杉元の故郷を舞台に始まる物語。『ゴールデンカムイ』という物語で、これほど「因縁」を感じさせる二人も他にない尾形と杉元のストーリー。互いを知ることで広がりを見せる二人の人生の希望も辛さも、原作の世界観に寄り添いながら、感じるままに言葉で描くことが出来たなら、と願っています。

朝の冷気にかじかむ両手で
勢いよく障子を開くと、
眩しいほどの朝日が、杉元家の家内を照らした。

「晴れたッ」

年明け早々、真冬の入り口に、うんざりするほど続いた長雨。

野を駆け回ることも出来ず、
家では日々乾かぬ洗濯物に 
機嫌を悪くしていた母から
小言を言われてばかりだった佐一は、
嬉しさに思わず声を上ずらせ、晴天を見上げた。

「――おい佐一、朝飯くらい――」

「行ってくるッ!」

これといった重い持病があるわけではないが
生来丈夫とも言えぬ体の父は、
長雨の寒さに大事を取って
昨夜から早めに布団に入っていた。

その父が身を起こして声をかける頃には、
草履を足に引っかけた息子は既に家を飛び出し、
声も届かない。

何せもう幾日も会っていないのだ、
梅子にも、寅次にも。

はやる気持ちで露道を急ぐと
思いは皆同じようで、家々から子供が次々飛び出してくる。
互いに声を掛け合いながら、佐一はまず、手近な寅次の家に駆け込んだ。

「さいっちゃん、お早うだねぇ」

ころころと丸い面立ちでおっとり笑う寅次の母が、

「うちのは向こうにいるよ、
裏口で支度してるところだ。行っておいで」

「わかった!叔母さん、ありがとうッ」

元気よく返事をし、言われた通りに裏手へ回ると
寅次は――お古の小型大八車に
木刀や投げ輪等、
いつもの佐一との“遊び道具”を入れて、
よいしょっ、と担ぎ上げているところだった。

「おう、佐一」

親友の挨拶に答える間も惜しんで、

「貸せよッ」

佐一は車を寅次から引き離し担ぐと、
我先にと進み始めた。

「どうせお堂にいくんだろ、梅子はどうする?」

近所の子供達のたまり場である寺の、
すぐ裏手に梅子の家はある。

わざわざ呼びに行かずとも、いつも自然と境内で落ち合うのが
三人の決まり事だった。

「このまま直接寺まで行こう、きっと、梅子もそのつもりだよ」

「――何だよ? 寅次、これ」

並んで小走りに急ぎながら、
台車の上に見慣れぬものを見つけた佐一が訊く。

藁半紙よりも余程、
高級そうに見える白い紙を
紐閉じにした画帳の上に、
舶来もののクレヨンが乗っていた。

「ああ、親父がこないだ……東京での仕事の土産に、
持ち返ったんだ。

妹の分もあるけど、これは、梅ちゃんに」

「オマエ、妹のぶん、横取ったりしてねェだろうな?」

何につけ梅子、梅子と
気持ちを隠そうともしない親友に、
からかう口調で佐一は言う。

「そんなわけねぇだろ、これはちゃんと、
親父が梅ちゃんにって。

――別に買ってきてくれたんだ」

からかわれた怒りのせいか照れからか、
頬を紅潮させ、元来内気な親友は俯いた。

それでも、一足飛びに軽々と台車を引き駆ける
体力自慢の佐一に遅れることなく、必死についてくる。

会いたくて、仕方ない――
それは、佐一だって一緒だ。

凍てつく朝の空気のせいで
肺が痛いくらいなのに、
自然、頬が緩んでしまう。

愛しいのは共に過ごす時間なのか、
彼女自身の笑顔なのか…。

“少年”である自分らに、
まだそんなことまで、
突き詰めて考える必要なんてない――

「梅子!」

寺の階段の下で、所在なさげに佇む幼馴染みに
最初に気付き走り寄ったのは、やはり、寅次だ。

「おーい、置いてくんじゃねえよ」

半分はからかい、半分は嫉妬で
佐一が怒鳴る。

「置いてっちまうぞォ、車」

「悪い悪い、裏の坂道から一緒に押して上がるか。
――梅子は先に階段で上がるだろう?」

こんなに早くから梅子自身もいてもたっても
いられなかったのだろう、
随分先から二人を待っていた様子で、
既にかじかんで
赤く染まった指先がいじらしく
心配した寅次が、そう声をかける。

それに偶々、今日は先代住職の命日で、
午後からの大人達による法事の前に
甘酒が振る舞われる日なのだ。

お堂では、太っ腹で世話焼きな住職が
早朝から続々集まり始めている子供達に、
既にふるまいを初めているだろう。

その方が、梅子も早く暖まれる。

「ううん、一緒に裏から登るわ。
……さいっちゃん、寅ちゃん、久しぶりだねぇ」

はにかみながらもぱぁっと弾けた笑顔が、
一瞬で、数日のぎこちなさもかき消し
三人を、繋いだ。

「長かったよなぁ、雨。
――お袋が洗濯物が乾かねえって、
毎日ぼやいて大変だった」

「うちも、うちも。薪も燃えにくくなってるのに、
乾かすために何度も火、起こしたり」

「家ん中ばっかいたら、1日でも10日に感じるな」

「大袈裟だな、佐一は。せいぜい、5日しか
経ってねぇよ」

「――そうだ、皆に会わない間に、お寺に
新しいお客が来たみたい」

どこの村でも一緒だが、寺は一種の
宿泊所を兼ねて、たまに余所者が逗留することがある。

裏手に住む梅子は、母親が生計のために
寺の仕事の
手伝いをしてることもあり、
誰もが家ばかりに閉じ込められていたここ数日の
動向も、自然、耳にしていたのだろう。

「ふぅん、泊まり客の話は久しぶりだな。
また前みたいに、宮大工のおっちゃん達か?」

「じゃなくて、家族…お母さんとお婆ちゃん?

――あと、男の子が一人、いたって」

「何だよ、引っ越して来るのか?」

「わからない、何か用事で、近くの知り合いを廻るだけの宿代わりみたい…

知り合い先の人と住職さんは事情を知ってて、
数日だけみたいだって
お母ちゃんが…言ってた…けど…」

寺までの表玄関である階段を
ぐるっと迂回する裏道は、
それほど長くもないかわり、傾斜もそこそこある。

佐一達の速度について登りつつ、
話を続けていた梅子はさすがに、
ハァハァと息を上げていた。

「…ふぅん、もう分かったから、
そんな話で無理すんな。――ホラ、着いた。

……寅次がよォ、お前に土産があるみたいだぜ?」

「なんだよ佐一、勝手に先に言うなッ」

「えっ、なぁに、なぁに!?」

か細い指を口許で温めながら、梅子はやっと足を止め、笑顔で台車を覗き込む。

寅次が照れなのかやけに慌てながら、
舶来土産の説明をする。

そうやってようやく三人共が境内の入り口に立ち、
息を整えていると、予想通り
三々五々の子供達で既に賑わっているお堂から、
甘酒の香りが漂ってきた。

佐一は土産に目を輝かせる梅子と
彼女を照れくさく見つめる寅次を
つと振り返り、

「ゆっくり話してろよ、――俺が先に三人分、
取ってきてやるから」

早く腹の底から暖まりたかったのもあるが、
多少は気を利かせたつもりで、大股で歩き出す。

お堂前に持ち出した鍋でふるまいを続ける
住職へと、家族同然に駆け寄った。

「おっちゃん!! 甘酒、三人前――ッ」

「おぉ、佐一、数日見ん間にまた背が伸びたか。
……父っつぁんの具合はどうだ?」

「何だ、もう誰かから聞いたのかよ?

――去年の雪みたく
夜中に熱でも出したら大変だからって、
お袋が大事にしてるだけだ。

飯もいつもより良く食ってるし、なんも問題ねェよ」

「そうか、よかったな――とにかく、
冬場の長雨はかなわん」

「おっちゃんとこだったらキモノだって、いくらでも
干せるじゃねぇか、困ることなんてないだろ」

壮年の住職はこんな田舎の小さな村でも――
常に綺麗に反り上げた頭へ手をやりつつ
微笑んで、

「全く、お前のそのやんちゃで
生意気な喋りっぷりは、何処から来たのかな」

佐一の親とは自分と寅次のように幼馴染みながら、
父とは全く違う厚い胸板を叩き、続いて佐一の
手入れの悪い髪を、くしゃくしゃにしながら笑った。

豪放な性格ながら面倒見も良く、
何かあれば頼りになる男丈夫で、佐一も寅次も、
今の道場で柔術を本格的に始めるまでは、
この住職に手ほどきをしてもらっていたのだ。

「早く、母ちゃんに前髪切ってもらえ。
伸び放題で、男前が台無しだ」

「――関係ねぇよ、ホラ、早く甘酒!
梅子たちが、冷えちまう」

あぁ、すまんすまん、と
住職が木製の湯呑みに
温かな甘酒を注いでくれる。
と、

「一人で三つは持てんだろう? 待て、俺が――」

腰を上げかけてくれるが、

「あまさけ、あまさけ!」

ほっぺたを真っ赤にした幼い兄妹が、
手を繋ぎ合いながら、じっと佐一の後ろで
順番がくるのを待っていたのに気づいた。

(――これじゃ、しょうがねぇなぁ)

同じく幼子に気づいて困った顔をする住職に
大丈夫、と目顔で頷くと、
ふと佐一は――

住職の後ろ、お堂の扉に背を持たせかけ、
この辺りでは見かけない
温かそうな真新しい半纏に
身を包んだ少年に気がづいた。

一瞬、病的に見える真っ白い顔色に
驚いたが、足元に置かれた空の湯呑み――
とっくにふるまいを頂いてたのだろう――と、
綿入りの半纏。

黒目がち瞳には光がなく表情が見えないが、
少なくとも満ち足りて、
微塵の凍えも感じさせずに
こちらを見ている。

佐一の視線に気づいた住職が、

「おぉ、そこにいたか、ちょうど良かった。
佐一、実は客人の子でな――」

説明しようとしつつも、
目の前で幼い兄妹が危なっかしく
熱い湯呑みに手を延ばすので、それどころではない。

佐一は頷くと、

「知ってる、梅子から聞いてるよ。

――オイお前、
ちょっとこっち来て、手伝えよ」

大声で呼び掛けて、手招きまでしたのに
少年は自分に呼び掛けられてるとは
夢にも思わないのか、
扉にもたれ見下ろしたままの
少し高飛車な姿勢を、変えないままだった。


(――何だ? 聞こえてんだろうに……
ムカつく野郎だな)

佐一は両手を顔の両脇に添え
今度は思いっきり、叫んだ。

「おーい、お前! お前だ、そ・こ・の・お前!

甘酒三つ運ぶのに、手が足りねぇんだ。

ちょっと、手伝ってくれよ。――頼む」

ようやく兄妹へのふるまいを終えた住職が
振り向き、慌てて取りなすように

「……百之助君、すまん。びっくりさせたろう?

ほら、これでもう一杯だ。

一緒に飲んで来たらいい、佐一の奴に
手を貸してやってくれんか」

素早く注いだもう一杯分、
ほかほかと湯気を立てる甘酒を
佐一達の分と合わせ少年の前へ置くと、
住職は、次々増えてくる子ども達の列の対応に
慌てて戻っていった。

佐一はというと、平素あまり目にすることのない
住職の“気の遣いぶり”に、面食らっていた。
しかも、子ども相手に……あの口の聞き方、何なんだ?

(面倒そうな奴に声かけちまったなぁ……

俺のせいで
おっちゃんに迷惑かからなきゃいいんだけど……)

未だ出会ったばかりの見知らぬ相手に対し
いつもの勢いはどこへやら、
戸惑いを隠せない佐一だったが、
こうして見合っているだけでは
せっかくの甘酒が、無駄になってしまう。

草履のまま少年の傍へと駆け登ると、
先に両手に二つ、湯呑みを持ち、

「――ホラッ」

ぐっ、と目に力を込めて、未だ気取りやがる
半纏野郎に、合図をした。

「……」

無言のまま、漸く――
少年はその白い両手を袖口から(嫌々)出し、
ため息と共に、ふたつの湯呑みを手に取った。

(女みてェな顔と手、してやがる)

一瞬どうでもいい感慨を抱きつつ、
とにかく手伝ってくれる事にはホッとし、

「――悪ィな、こっちだ。
仲間が待ってる。付いてこいよ」

先に立ち、境内の入り口付近で
佐一を待っているはずの
二人のもとへと、急ぐ。

気づくと、“少年”は音もさせず、隣に並んでいた。

「……零れてるぞ。――もっとゆっくり歩け」

声変わりしたばかりのような不安定な声が
ゆらりと、その口から漏れる。

(だから返事もしねェのかな)

声変わり時期に戸惑い、
からかわれるのが恥ずかしくて
口をつぐみがちになる――

そういう級友を何人か知っているので、
佐一は先般の奴の失礼な態度を、無理矢理
そう納得させた。

寅次と梅子は不思議そうにこちらを見ながら、
何か囁きあっている。

早く辿り着きたいが、こいつの言う通り、
急ぎすぎてはせっかくの中身が零れてしまう。
”辛抱“そして、沈黙が――苦手な佐一だ。

「……杉元佐一だ」

自分から名乗ってみた。

だが、変わらず無表情のまま、
相手からの返事は、ない。

「ちょっ……。オマエ、聞いてんのか!?」

「あぁ?」

面倒そうにこちらを振り向く表情に
心底腹が立ち、自分の分を犠牲にしてでも
坊主頭の上から、甘酒をぶっかけたいくらいだ。

「――佐一、悪かったな」

これ以上ない頃合いで、寅次がとっさに駆け寄ると
湯呑みを受け取ってくれた。

隣の“新入り”にも微笑んで、

「ごめんな、手伝ってくれたのか。
――ありがとう」

――全く、寅次がこうだから、
俺はいつも牙を抜かれちまうんだ。

怒りのぶつけ所を失い、所在なさげな佐一の元へ
梅子も、駆け寄ってきた。

「さいっちゃん、ありがとう……」

「あぁ、冷めちまうから、早く飲めよ」

自分の両手の湯呑みを二人に手渡し、ようやく
佐一の顔にも安堵の笑顔が浮かんだ。

「……さいっちゃんの分は?」

三人の視線が一斉に、“新入り”に注がれる。

「……」

仏頂面のままため息をつき、奴は仕方なさそうに
片方の湯呑みを、佐一へと手渡した。

(……コイツ、寅次が来なけりゃ
絶対、俺にぶちまけるつもりだったよな……?)

何故か自分と同じ、
殺気にも似た好戦的な態度を
出会ったばかりで何一つ知らない筈の、
奴の中に見た気がする。

生っ白くて細くて、俺と組み合えば
1分とは、持たないだろうに。

様子から見て幾分か年上のようだが、それだけで
初対面の人間に、”余所者“がこんなにも
不躾に振る舞えるものか。

旅の途中で無聊(ぶりょう)を囲っているのなら、尚更だ。

「あの……私のね、お母さんがお寺の台所の手伝いをしているの」

場の雰囲気を察してか、
気の優しい梅子が
おずおずと、口を開く。

「お母さんと、お婆ちゃんと…お寺に泊まっている子でしょう?」

ふん、と声にならない声で
相手はどうでもいいというように、僅かに顎を引いて頷いた。

「なぁ、君、名前は?」

寅次が訊く。――そうだよっ、まず名乗れよ。
再び、怒りが佐一を巻き込みそうになったところで、

「……サク」

「え?」

「……花沢……勇作」

――あれ、さっき――

住職のおっちゃんが呼んだのは、
そんな名じゃなかった
気がしたけれど……

頭を捻る間もなく、

「勇作君か。よろしく、俺は――」

私は、と、次々に自己紹介しようとする二人を、

「いや、いい」

“ユウサク”は、片手を挙げて押し止めた。

「お前らの名前なんて知らなくていい。
どうせ――
明日か明後日には、ここも出る。

……今回も、見込みは無かったようだからな」

自嘲気味にそう呟き、きょろりと動く黒目には
相変わらず、何の表情も見えない。

状況にうまくついていけず、キョトンとする
二人を前に、ほんの少しだけ、コイツの
“普通じゃなさ”を先に目の当たりにしてる佐一は、

「見込みって、何のことだよ」

「――俺は、出戻り娘の、やっかいな“お荷物”さ。

婆ちゃんは伝手という伝手に声をかけて、
見合い相手探しに必死なんだよ。

――ここの先代と、俺らの親戚が知り合いだったみたいでな、
お袋は東京に出たくて出たくて仕方がない。

婆ちゃんは行かせたくない――地元に引っ込んでるよりも
この辺りだったらまぁ、間をとって丁度いいとでも思ったんだろ?」

急に舌も滑らかにすらすらと、
自分の家族を貶めるような悪意ある言い方に、
違和感を覚えながらも佐一は訊いた。

「――お前、何処から来たんだよ?」

「……茨城だ」

「訛り、ねェな」

口に出してしまってから、馬鹿なことを訊いたとすぐに後悔する。
だが、“勇作”は気にした風もない様子で、

「お袋が断固、東京弁にこだわったからな。

……田舎娘のボロが出ちゃあ、ああいう方々の【相手】にはならねぇんだ。

死にもの狂いで“上”を目指した、誇りというか矜持なのか……
絶対、何があろうと母親は、俺に故郷の言葉は喋らせねぇ。

もう、分かるだろ? 俺の母は――」

「すまんが、やめてくれないか?
……梅子には、聞かせたくない」

寅次が彼女を庇うように一歩前に出て、
静かに、少し苦しそうにそう、言った。

「私、平気よ、寅ちゃん」

「でも……」

勇作君には、悪いが……と、寅次は
奴の身の上話に動揺してしまったことすら
まるで、自分の非であるかのように、目を伏せた。

……全く、俺なんか比べ物にならないくらい、
お人好しに「大」が付く二人なんだ。

佐一はそんな彼らを苛立たしく、それ以上に愛おしく感じながら、

「……ふん」

真っ直ぐに“勇作”の眼を、見据えた。

「言いたいことは、全部言えたのかよ」

「あ?――何だ、お前」

「俺はさ…この小さな村から出たこともねぇ
ガキだけどもさ。
オマエの身の上話の意味は、何となく、
分かったよ。

……でも、気に入らねぇな。

なんでそんな――お袋さんもテメェもくだらねぇ
別の生き物みたいな、嫌な言い方すんだ?

お前の話、こうやってちゃんと聞こうとしてる
寅次達が、困ってるじゃねぇか。

――気に入らねぇんだよ、

そんなに、同情されたいのか?」

“勇作”の拳が、佐一の袂を掴んだ。
無駄のない動きだったが、青筋の浮きかけた額とともに
その体は怒りのためか、細かく震えている。

「――何が分かるんだ、お前に」

「分からねぇよ。
じゃあ、お前に俺らの何が分かる?

……ここにいる梅子にだって、親父はいねぇ。
母ちゃんはこんな寒さの中だって、オマエらのために朝早くから働いてんだ。

おっちゃんの――住職のおかみさんは子ども生む時に、
死んだ。
赤ン坊も、助からなかった。

お前に、俺たちの何が分かる?」

「やめてッ」

梅子が真っ青な顔を、両手で覆う。

勇作は佐一の言葉に暫く何かを考え込んでいたが、
それをきっかけに不敵な表情を取り戻し、

「本当に止めるか?
――俺はこのままやりあっても、全く構わんぞ」

「そうじゃなく、勇作君、君が止めるんだ。

……佐一には、誰も敵わない。生憎だけど、怪我ばかりじゃ済まないぜ」

抑えろよ――寅次は佐一の耳元で囁きながら、
そっと、勇作の手を佐一の胸元から外した。

「君のことは知らんから……
やってみなきゃ、そりゃ――結果は、分からんがな。

無傷というわけにはいかんから、青タンでも作ってみろ。
母さんや婆さんを、余計に心配させることもないだろう?」

「……」

不穏な瞳を未だにぎらつかせながら、
“年上の余裕”のつもりか、
佐一の体に直接、触れたことで
分の悪さを理解したか――

“勇作”は体を離すと、ふん、と短く鼻を鳴らして、

「――優しいな、涙が出るぜ。
そっちのお前も、体力馬鹿のお前もな……」

くるりと踵を返し、横顔だけをこちらに向ける姿からは、
本当の“表情”は、見えない。

「他人の事情に首を突っ込むなんざ、何の意味も旨味もねぇんだ。
同情されたいか、だと?――馬鹿にすんな。

“お前だけは” 

“特別だ”、

……そんな言葉だけで期待させて、突き落とすのが同情か?

咎(とが)のない筈の子どもの俺になら、
少しばっかりの“お祝い”が、この先人生、
用意されてたっていいかもしれねェな。
そう思わないか?
――だがそれは、お前らなんかに分からせん。

……誰にも、触れさせてたまるか、俺に」

“勇作”のひとり語りは、誰かの甘言に迷って妾となった
母親への憎悪なのだと、佐一たち三人にも、どことなく理解はできた。

彼自身、意識していたかどうかも分からないが、
“ゆきずり”の出会いである俺らにだからこそ、
つい吐き出されてしまった、少年の普段は胸の底に潜ませたままの想いなのだろう。


だが――自分でも自分の言葉に潜む闇を
制御できない如くの感情の吐露には、
梅子や、さすがの寅次に至っても、
どんな言葉をかけてやれば良いのか――

実際は、怯えを感じることしか
出来なかったかもしれない。

佐一は一度深呼吸し、あたりを見渡した。


境内には、久方ぶりの子どもたちの嬌声が響き渡り、
あちこちで鬼ごっこや、駒回しに興じているというのに。

どうしようもない諦めも、知人や友人達の不幸も不運も、
自らの境遇も、決して満点の幸せではない。

そんなのは当たり前だ。それでも、こうして日々子どもたちは、
笑って過ごすのが当たり前だ。
それが救いだ。

それ以外に――何ができるというのか。

とりたてて自分が不幸ものなどと
思うことも不遜だと、敢えてコイツに突き付けた俺のほうが
違うのか?

(生まれ落ちても
見えている世界が、こんなにも違う――)

梅子と寅次。かけがえのない家族。
親父たちが教えてくれた、優しさと強さ。

それだけでは、足りないのか?

(そうじゃない奴がいたら…例えばコイツの事、
救いたいだなんて、どっかで思っているのか俺……
だとしたら、それこそが)

「なぁ、“おせっかい”さんよぉ」

綿入り半纏にすっぽりと身を包ませ
幾分顔色を取り戻した“勇作”は、言葉尻だけは明るく
佐一の顔を舐めつけて、

「優しさってのは、強いのか? 無敵なのか?

…じゃあ、その馬鹿みてぇな一本気で、なんでも、解決してみろよ。

俺みたいのに、手を差し延べてみろよ。

守ってやれるといいなァ、惚れた女のことも」

ちらりと梅子に目をくれたのを潮に、
踵を返して去っていく。

「――勇作ッ!」

佐一はたまらず叫んでいた。

怒りなのか恥ずかしさなのか、湧いてくる感情は
今まで感じたことがなかったほどで、
それでも――今までそうだったように、組み付いて殴りあって、
解決するのとは違う。

コイツに、伝えたいことがある。言わなきゃならないことがある。

【名】を呼ばれた筈の奴が――足を止めて振り向くまでに、
少し、妙な間があった。

……まるで、本当に自分の名なのかと、戸惑いを感じたように。

「――何を言われても、俺は構わねぇ。
お前みたいな奴、会ったこともねぇし、大嫌いだってことだけは、
よく分かった。

それでも……」

佐一は届かぬ距離の“勇作”に拳を振り上げて、

「それでも、おふくろさんもバアちゃんも、大切にしろよっ。
おせっかいでも何でもいいやぁ。絶対、大切にしろよッ。

何があるかわからねぇんだ、この先、俺にもお前にも。
それは同じだろ?
俺らがもうちょっと大きくなりゃ、
清との戦争だって……。

わざわざ、めんどくさく考えんじゃねぇよ。
後悔するようなこと言ったり、やったりすんな。

――明日も、俺ら、ここに来るからなっ。

お前も、待ってろよ、絶対!!」

「ははぁっ」

初めて“笑顔”らしきものを見せて、
勇作は、笑った。

「馬鹿は馬鹿でも、伊達ではないことは分かったな。お前……

―いつか、決着をつけようぜ。
……トラジ、だったか?」

「俺は佐一だッ。杉元佐一だ!」

「何だって、いいさ」

むき出しの白い足が、いつしか降り始めた
雪の華の色に溶け合うように、
去っていく。

(『――優しさは、強さなのか?』)

周囲の嬌声が、境内にあふれる仲間たちの熱気が、遠のく。すぅっと、
それまでに感じたことのない冷たさが、佐一の背中を伝い落ちていく。

その手をぎゅっ、と握って――
“戻して”くれたのは、梅子だった。

「行こう、佐一ちゃん。
寅次が先に小太郎たちに呼ばれて遊んでるよ、私たちも混じろう」

梅子の瞳に、自分が映る。
ケンカに負けたことはねぇ。
いつだって、守るべきものを守るし、
必要なら、笑わせたい。傍にいる。

大切に想う人の幸福のために、
そのために、強くいなければならない。
強く、ならなくちゃいけない。

そのためには。
俺なら、きっと――

(――俺は不死身だッ)


【続く】

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