生きている心地がする
※noteの書き方が一定じゃないのは気分屋だからなのでご容赦願いたい。
以下は1月22日当時に書こうと筆を取ったものの途中で書くのを諦めてしまった、出演したライブについてである。先日改めてライブを行なってきたため、これを踏まえてまた書き始めようと思う。
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タイトルの文字通り、体調と引き換えにライブをしてきた。大学時代に数ヶ月入っていたサークルのOBライブに縁あって呼んでいただいたのだが、本番1週間前からなぜか体調が悪かった。流行病や季節風邪のそれではなく、腹の具合がギュルギュルしているのと異様に両肩がミシミシと痛んでいた。この擬音こそが適切であるとしか思えないほどの体調である。ライブから帰ってきた今もこの体調は継続中なので、もうこれは諦めることにした。
ライブの最中は、
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と、ここで終わっている。
1月のライブは、ライブの最中は完全にゾーンに入っていた。直前まで慌ただしく、ギリギリまでpcとにらめっこしていたが、本番となってしまえば無我夢中だった。緊張感は常にあったが、気づくとその時だけは両肩の痛みも取れていた。
打ち上げにも行った。知り合いはあまりいなかったが、色んな人に声をかけてもらえて嬉しかった。誘ってもらえて、それに応えることが出来て、本当に良かったと思えた。
そこから年度をまたぎ、5月。
またもやライブに呼んでいただけたため、また筆を取ってみた。
前回は同級生に誘われたため出たが、今回は自ら主催してバンドを組んだ。尊敬する先輩に「出るよね?」と言われちゃ、出ないわけにはいかない。持てる人脈を駆使し、メンバーを集めることが出来た。
今回コピーしたバンドは「赤い公園」。1年と少し前、大学生活最後にあるはずだった卒業ライブで企画したバンドの一つである。
あのライブが出来ないまま卒業してから、ずっと心のどこかに引っかかっていた。終わったようで終われていない、まさに「呪い」のようだと勝手に思っていた。
今回のライブは、自分がやり残した気持ちを拾っていくような、足に刺さった棘を抜いていくような、そんな気持ちで臨んだ。
だから、いつもよりも丁寧に準備をした。
音を作る時はライブ映像を何度も見返し、画面の中で生きているあのギタリストから何か学ぼうと耳と目に全神経を尖らせた。
機材も自分の持てる全てを尽くして、最高の音が出せるように組み上げた。意志を受け継いで今を生き抜くあのギタリストのように、こだわりを貫いた。
前日からバンドメンバーと集合し、練習をして本番を迎えた。
ライブの初めから最後まで、無駄な雑念は一切なかった。足元の機材を踏み間違えても、フレーズを間違えても、いつもほど焦ることもなかった。逆に頭の中には、ずっと「津野米咲」と「小出祐介」のことだけがあった。
あの二人ならどう弾くだろう?
あの二人ならどう立ち回るだろう?
あの二人ならどう魅せるだろう?
そればかりを考えていたら、自然とライブ自体を楽しむことが出来た。周りにどう見られていたとしても、今の自分自身としてやり抜くことが出来た。それだけで満足だった。最後の曲が終わる最後の一音が鳴り終わった時、晴れ晴れとした気持ちだった。
見事、「呪い」は「解呪」された。
mcで大っぴらに言うことは無かったが、こんな気持ちを持ちながらライブに臨んでいた。このバンドの為に誘いに乗ってくれた先輩方には、本当に頭が上がらない。感謝の気持ちでいっぱいである。バンドって、「何をやるか」も大事だけど「誰とやるか」ってことがやっぱり大切なんだよな、といつものごとく改めて感じた。
打ち上げではやり切った気持ちが強すぎてあまり話は沢山しなかったが、それでも色んな先輩に次組みたいバンドの話をしてもらった。よそ者だけど、少し認めてもらえたような気がした。
そんな暖かい先輩たちが声をかけてくれるなら、何度でも努力してその声に応えようと思えた。
ステージに立つという行為は、あまり心臓には良くない。プロでは無い、アマチュアだったとしてもだ。
それでも、照明を浴びて観客や演者の前で自分の好きな音を鳴らす。
それは、自らそこに立つ証明をしているような感動がある。
認めてほしい!と願って、叶えることが出来る行為だと思う。
言葉で表すのはなかなか難しいし、表すべきでもないのかもしれないけど。
ただ、生きている心地がする。
これだからやめられないんだよな。
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