2回目の春

が、来るよ〜〜😩

3年生になるの、嘘すぎる
嘘であって欲しすぎる
まだ1年生の夏くらいの気分だよ
だって、だって“先輩”として“後輩”になにか働きかけができるような余裕、人徳、情報、経験、力、知識、その他のすべてを持ち合わせていないし
あと社会が近すぎるのが、とても怖い

社会が近い

就職とかインターンとか院進とか家庭とか、まだ大人たちがつく嘘だと思っている
未だに大人・社会と自分を切り離して考えているし、全然折り合いがつけられない

社会というよりも、はたらきかけることによって生じる責任が怖いんだろうな、最悪
他者の人生に関わるということが恐ろしすぎるんだと思う
他者の人生をハチャメチャにしうる立場に明確に立ててしまうこと!これが怖い
どうやって責任を取ったら良いのかわからないから

そのうちいつの間にか、己の命なんかじゃ償いきれないような過ちを積み重ねていて、それによって死後でも他者に己の責任を負わせてしまうのではないかと思う、
その他者に対して生きている間に責任が取れないことが怖い

だからできるだけ他者と関わらないほうが良いんじゃないかって結論によく至りがちで、でもこれが自分にとって“健全”ではないことだけはよくわかる
だって未練たらしくもTwitterをやめられないから😩
ずっと「人とコミュニケーションを取らずに、人とコミュニケーションを取った気になりたい」等と思っている!怠惰怠惰怠惰(おくすり飲んで寝よう)


Twitter、
・免罪符となるようなアイデンティティ(例:脳がシリンダーに浮かんでおり、そこから直接電波を流してTwitterをしている)
・コミュニケーションへの積極性(例:わたさんのリプライって本当に下手すぎる)、
・最低限の適切な愛想(例:挨拶、自己紹介)
・自己肯定感のあるユーモア(例:愛アン津田「チューを差し上げます」)
・““““先輩””””の自覚(例:新入生や後輩を見る度に目が眩みすぎる)

↑のすべてが足りないから、わた垢TLからは逃げてきてしまった
でも垢を消そうとかはらわた垢を捨てようとかいう気はちっとも起きなくて、なんにせよ中途半端で情けない気持ちだ

「足りない」という表現は適切ではなくて、そもそもこれらが必要だと規定しているのは単なる自分自身に過ぎないから
強迫観念でここまで生きてきているの!ごめんじゃん、

でもさ〜皆はできているように伺える
できているというか、実際場に馴染んで、リプリャ〜などを送りあえるともだちができて、自己肯定感を高め合って、それぞれのなりチャの任務を遂行することができている

皆はこうであるべき!みたいなことを言いたいわけじゃなくて、現状が“そう”であるのなら“そう”が正解だから、その“そう”の中で輝いている皆はそのままでしっかりすごい

この世ってなりチャなのかも、私が今書いてるこのnoteもなりきりの手段の一つでしか無い
その手段一つ一つが良いことか悪いことかという判断はなりきっている主体の自分自身にしかできない

私はなりきる対象として「こういうnoteを書く奴」を妙な自尊心と妙な羞恥心から選び取らされていて、でもその割にその手段の善悪の判別を他者に任せたがる性質にある

他人事みてぇに言ってるがよ〜、俺バカだからわかんねえけど、そいつァ言葉をこねくりまわすことで己の怠慢を正当化しようとしているだけなンじゃあねェのか?

アガガガ、ギ、ピ

そのとおりですゅ〜〜〜😩😩😩



こういうことばっかり考えて最終的に身動きが取れなくなるだけだから、今の時期って苦手だ

全然ゼミで書かなきゃいけない論文進んでないし
ゼミ合宿が強すぎるし

ゼミが苦手なのではなく、己一人がその空間に占める体積が大きいのが苦手

あと他者とたった2日間でも生活をともにするのが怖すぎる
なんらかのボロが出そうで
なんのボロか己すらもわかってないのに

ゼミの皆様は本当に良い人だから、勝手に吸う酸素を少なくしていて情けないね
タイムラインも同じ 皆良い人なんだよ
なにかきっかけがあって発信しているわけじゃないから安心して欲しい
強いて言うなら春 春の訪れがきっかけ


ァ〜
なにやってんだか

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