一重ポジティブな世の中はいつ訪れるのか

私は超・ジャパニーズフェイス。ヨーロッパで歩いていたら現地人に日本人かと聞かれるぐらい日本人顔。歩くアイデンティティ。腫れぼった一重、団子鼻、二次元かと思うくらい平たい顔。日本生まれ日本育ち、一般的な美人の条件とは違うこの顔に、ずっとコンプレックスを持っていた。学生の頃はアイプチもしていた。

でもそれは少しずつ薄れていく。


はじめて自分の典型的東アジア顔を受け入れられたのは欧州圏の女たちと話していた時。あれが誰だったのかも覚えてない。ロンドンのパブやったからその時限り話した人たちやと思う。いつもの日本人の友達と話すときと同じ自虐ノリで「鼻死ぬほど低いから(笑)」と言うと、西洋の女たちは真剣な顔で「え〜っ!めっちゃいいやん」と首を振った。彼女たちは鼻が”大きい”(高いとは言わない)のは美の条件じゃない文化圏で育ってきたから。

また別の時に今度は英国女性に「アジアの目は美しくていいやん!」と言われた。自分に持ってないものを羨ましがるのは万国共通、お世辞でも嬉しい。イエローフィーバー(アジア人女性フェチ)な男性に言われるより、同性に美しいと言われるのはより自信がつくものである。腫れぼったアジアン・アイは日本ではコンプレックスでも、アジアを出れば長所になるのだ。


でもそれらもヨーロッパにいた頃の8年前(!)の話。アラサーな私の人生の中のたった1年。

私の中の一重でも二重でもええやんという認識と、日本の世の中の「二重じゃないと美しくない」という強迫観念にはまだまだ溝がある。「美の基準」はある程度条件があって、その人らしさとか個性とかは評価されにくい。世の中は変わってきてるとはいえ、ガラパゴス島国の価値観はアップデートに時間がかかる。

二重プチ整形をしたという同世代の人に「あなたもしたらいいよ、すごくオススメ!絶対良いから」と言われたことがある。彼女が結果にハッピーならそれで良かったなと思うし、良いことをお勧めしてくれてる気持ちもありがたいけれど、暗に「あなたの顔は整形が必要」と言われた気もしてなんだか心に引っかかった。

また、現在妊娠中の私は色々とマタニティ情報を検索してるからか、広告も赤ちゃん関連のものが増えてきた。(これって検索履歴が漏れてマーケティング対象にされてるってことよな?情報化社会怖い)  某芸能プロダクションの広告で「目がくりくりした赤ちゃんモデル大募集!」と書いたものが出てきた。生まれてすぐからルッキズム社会…!自分の子供は世界一可愛いというのは子育てをする上での生存プログラムとして備わってると聞くけれど、なんだか、いたたまれない気持ちになってしまった。私たちはまだそういう程度の世界にいるのか。


ほぼ同一民族で構成された、似たり寄ったりな顔ばかりの集団の中で生きているとどうしても、少しの違いを見つけて良いとか悪いとか判断しがちになるし、逆に自分とかけ離れた違うものだと素敵ねってなる。(ストレート髪の私はアフロ髪に魅力を感じる)だからと言って同調圧力の国・ニッポンが移民を受け入れまくってうまいこといくとも思わんので難しいとは思う。とりあえず他人の外見をとやかく言わず、個性として受け入れ、本人が自分のことを好きである社会になると良いなとは思う。

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