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祝わせてくれてありがとう

本当に思ってる????????????????
人の誕生日を祝うって、結構大変なことだよ?????????
確かに一年の中で特別な日だし、何より尊い。
でも、計画から実行に至るまで結構な時間と労力とお金を使う。

まず、当日までの流れ。
「もうすぐ誕生日じゃん!」
『えっそうなんだよねーー』
「どう過ごすのーー」
『うーーーーん決まってないんだよねーー』
「え!じゃあ祝わせてよーーーーーーーーーーーー」
『いーーの!?』
「うんもちろんーーー」

この軽はずみな言葉により、おめでたい誕生日への道のりが憂鬱なカウントダウンになってしまう。なにが食べたいの?なにが欲しいの?どこで過ごしたいの?。。。。
相手がインスタでよくあるバースデーフォトを撮ることを考えているならホテルを取ったり、でけえバルーンを買わなくてはいけない。あと着色料の使われたケーキ。さらに少し良いコスメ。
お店で祝うなら事前にお祝いのプレートを頼んでおく必要がある。名前は間違わないように伝えてね。(私は以前、「ハピおめ」と頼んだのが「パピおめ」になっていたことがある。かわいい。)

インスタでよく見る光景として「年の数と同じだけプレゼントを用意する」という習慣がある。あれ、なに?????????
最初は安価な小物系で始まって、トリにいくにつれてブランドものの香水や洋服になっていく。あれ、なに??????????

めっちゃ困りそう。あと何個??_:(´ཀ`」 ∠):ってならないのかな。
でも傘増しされても嫌だよね。細々買うならボンと一つ大物欲しいなってなるよね。全部にこだわっている人、、愛だなーーーー。。。
でもアンパンマンチョコから始まっている人見たことある。。
2個目は百均の水鉄砲だった。。。
みんなそんなもんなのかも。。。


皆さんは日本製ではないクソデカバルーンを膨らませたことがあるだろうか。
HAPPYBIRTHDAY ○○(年齢)という、15個もの風船を一人で膨らませるというのは、とても根気のいる作業である。みんながみんな、膨らませる機械の準備に頭が回るような周到な人間だとは思わないでほしい。もちろん使うのは口、ストローのみである。(ロストローみたい笑)
気が遠くなる。あと何バルーン?
私は祝われる者本人に膨らませを強制したこともあるし、「B -DAY」と省略して祝ったこともある。(諦めてごめん、でも海外っぽくておしゃれやんか!)

膨らませ、壁に貼り、また回収して空気を抜くのはこれはもう村をあげてやるべき行為なのではないかと、水泳選手に委託するシステムがあってもいいのではないかと、少々嘆きながら行うのである。

しかし、実際これらは見栄えがいい。それを背景に年齢のバルーンを持てばフラッシュに反射した光沢が、誕生日に相応しい輝きを提供する。写真映えもするし、何より可愛く映る。ストーリーにもあげれちゃうしね。

何枚もいろんな角度から写真を撮り、かわいいかわいいと褒め、撮って欲しそうな、少し不自然なポーズも見逃さずシャッターを切る。俺は業者か?


しかし、ここで重大発表をすると、私はここまでの誕生日を主体となってやったことがない。
(やってもらったことはあるけどテヘ)


私の仲良したちの中にはそういう世の中での流行というものに疎い者もいて、近くのケーキ屋さんで好きなケーキを買い、好きな料理を食べ、欲しがっていたプレゼントを渡せば、「ありがとおおおおおおおお」と喜んでくれる、純な、汚れのない、素朴な人間なのだ。
(もちろん年の数だけプレゼントを用意する者たちを汚れた存在であるとは言っていない。)

しかし、私は大きいバルーンで祝われたい!!!!!!!!!!!!!!!
だから自分の誕生日に自分で用意したこともある!!!!!!!!!!!!!
一緒に膨らませたよ。クソデカバルーンやっぱ欲しいじゃん!!!!!
てか、誕生日って一緒に作るもんじゃね??
自分のビジョンが固まっている者は自分が主体となってやっちゃえばいいんだよ。
センスがない人とかアイディアがない人はマジでないんだから、がっかりしてメソメソするよりは、声に出して願望を伝えるのさ!!まじで!!



最近手がけた誕生日は10月20日。
半年くらい気まずくなっていた女の子。
大学の初顔合わせで仲良くなって、「中高ぼっちだったからこんなに仲良くしてくれる子は初めてで一生仲良くしたい。家族もコンチ起床の存在に有り難がっている。卒業式も写真とか撮りたいな。」と真っ直ぐ愛を伝えてくれる子だった。

そのロングヘアーの子は体調がすぐれない事も多く、何度か無言ドタキャンをされた。約束の時間になっても既読はつかないし、連絡もこないし、結局次の日の17時に「ごめん、、」と連絡がきた事もあった。
正直めっちゃ嫌だったし、なんか自分が軽んじられているような気がした。
でもすごい好きでいてくれたし、私も好きだった。
でも、距離を置いた。


当日までお祝いのラインをしようか迷っていた。
学科は同じだから授業も被っていて、いつも一人で受けている背中を見ていた。
今日も一人で過ごすのかな、なんだか寂しくなった。
彼女の心配性の家族がなんとなく頭に浮かんだ。
放課後17時くらいに思い切ってメッセージを送った。
「久しぶり!誕生日おめでとう!今日はなに食べるの〜(^○^)」
『!!!!!』と返事が来た。
そして彼女のサークルが終わるまで、大体20時くらいかな、来ることが決まっていた訳ではないけど部屋を片付けて待っていた。

思い切って会いに行ったら彼女は無言になって、ちょっと泣きだした。
「先輩にもらったお酒入りのチョコ食べたら酔ったんよ〜」と言っていたけど、本当かな。モスバーガーの前で7秒くらいハグをした。

彼女が好きなケーキとお酒を買って、私の家に向かった。
もちろん壁には20のバルーン。

「祝わせてくれてありがとう」なんて、「お金と時間と手間ひまをこんなにかけさせてくれてありがとう」くらい皮肉めいたものだと考えていたけど、その時なんとなくこの言葉の真意がわかった気がした。

その年齢になった日をお祝いできるのは、過去でも未来でもなく今しかできないことで、さらにその時一緒にいた人しかできない。
特権として、祝った人は「20の誕生日はこの人にこんなことして貰ったなー」とその後の人生にも存在していける。豪華であればあるほど愛であるかのように思えるし、提供する側の愛の再確認にもなる。
誕生日って結構大事なのかもしれない。



ストローを奥まで差し込んで、圧力をかけるのでは物足りなくて、プラスチックの嫌な匂いを肺に入れながら直に空気を抜きつつ、やっぱりめんどくせー!と思いながらも、「祝えてよかったな」とまでは思えちゃいました。ありがとう。



私の時はバカデカバルーン用意しろよ!!!!!!!!!!!
今年お前にお祝いされてないんだから貸し1な!!!!!!!!!!!!!!!!


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