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医師国家試験の結果と卒業式 子育て完了。

3月15日 国家試験の発表でした。
合格。


合格率は、新卒で95.4%

それに先立ち卒業式で成田へ


長い長い学生時代(浪人2年含む)を経て、ようやく無事卒業式を迎えたのが、3月9日土曜日でした。

国際医療福祉大学医学部がある成田には、福岡からLCCが直行便で出ているので、LCC前提の宿泊パックを利用して、時間に余裕を持たせて3月7日から成田に行ってきたのでした。
宿泊費込みで、夫婦二人で6万8千円とリーズナブルなお値段で、駅も近いコンフォートホテルです。

お部屋は清潔で朝食無料のビュフェスタイル

少し早めに行ったのは、よほどのことがない限り成田を観光することは無くなるだろうからというのが理由です。また、卒業式前の時間があるタイミングで、息子とゆっくり話をする時間を持ちたいということもありました。

専門医に対するコメント経緯

これまで息子が帰省する度に、専門は何を選択するのか?という会話を経てきた内容は、
入学時は、医者を目指すきっかけになった整形外科医
1年から3年生の時には、整形外科医は、頭が悪くなりそうだからならない。ただ、外科にはなりたいので、一人前になる時間が一番短くて、手術時間も平均的に短い泌尿器外科
4年生で実習を通して、ICUに興味が出てきた。
5年生で、突然、麻酔科医もいいな・・・・・・・。

出会った先生と自分の実力を踏まえての発言の経緯ですが、医者家系でないし、世界がよくわからないので、親としては初心はどこいったんだ?
と思っていたのでした。

それに加えて、5年生の時に1年間の対策を経て、USMLEのステップ1に合格。これには、家族一同大喜び。
そもそも、防衛医大・産業医科大学とリーズナブルな学費になるところを蹴っての国際医療福祉大学医学部の選択だった理由は、

”国際的に活躍する”可能性が高くなる

というところで認識が一致したからでした。

学費と親子の条件

学費だけで1850万円。
私立で一番安いとはいえ、なかなかの負担額です。

この学費を親に返済する必要がない条件として、初期研修医期間2年を経た後に、一年時間をあけて、海外のボランティアに一緒に行ってほしいという親の条件をそれなりに真面目に考えてくれて、OKをもらっていたのが4年生の時でした。

また、4年から5年生にかけて、彼がとても気にしていたのが、医者の労働時間が長いことに対する不安で、長期的に医者としてやっていくことへの不安があり、経営に関する本なども読み漁っていたので、50歳で医者は、引退して教育の世界に入りたいというようなことも言っていたのでした。

結婚を前提とした彼女の出現

1年前に結婚を前提としてお付き合いしている彼女がいるので、ゴールデンウィークに福岡に連れて行って会わせたい。
3時間ぐらいだったけど、それはそれは可愛らしい女性で、管理栄養士だという話を聞けば、、芯がしっかりした方でした。

通りで、初期研修医は京都にしようかなあなんて、ぼやっとしていることを言っていたかと思っていたけど、5年生になって、将来的に九州を選ばず千葉でいいか?と相談があったことを思い出したのでした。
その時は、将来のために海外ということも視野に入れることを考えると一都三県の関東地区が一番いいだろうね。ということで了解を出していたのですが、中心には、彼女の存在が大きいんだろうなと理解したのでした。

大学卒業の今年ですでに26歳の息子は、すでに私が結婚した年を超えているわけで、いつ結婚してもいいし、こう言っちゃあなんですが、彼女の方としても逃したくない相手だと思うわけです。

結婚はいいけど、海外の話の足枷になっては困るなあということを思っていましたが、それは言いそびれていました。

国試後の卒業旅行

2月の国試を終えた後、彼女とベトナムのホーチミンへ卒業旅行の第一弾、同級生とのヨーロッパ旅行と6年間のプレッシャーに解放された一番楽な期間に旅行を楽しんでいました。

突然の告白

旅行が一段落した3月上旬のこと、Line電話していい?という連絡が。
年末に発覚したことだけど・・・・と

彼女が軽微な潰瘍性大腸炎という難病であることがわかったのだそう。
難病なので、完治することはない病気で、安倍元首相がかかっていたことで有名です。 ただ、軽微なので薬を飲み続ければ、特に日常には問題ないということのようでした。
この事実を抱えたまま、国試に向き合っていたということを話してくれたのでした。
結婚も視野に進んでいたいつかは・・・。ということが彼の中でよりリアルにクリアーになったようでした。

卒業式前の家族会議

成田駅前の焼肉屋で食事をしながら、これまでの経緯を踏まえて率直に
親としての心配」も含めて話をしたのです。

彼女の病気の状況は、軽微ということで理解をしたけど、将来の選択で東京以外にいくことになった場合は、ついて来てくれるのか?

海外へ1年間いくという話は、どう考えているのか? 約束はどうするのか?

子どもへの影響はないのか?

彼女のことを持ち出され、それが制限になることに対する質問だったので、非常に心を乱されたようですが、その場では
・自分の将来的な選択肢で東京地区以外になったとしても喜んでついて来てくれる。
・海外の初期研修医後の1年間のブランクは、後期研修が非常に大変だということもわかったので、行けない。
・子どもへの影響は、今は医学が発達しているので、問題ないと考えている。

とまあ、冷静に返答がありました。

焼肉屋を後にして、2時間ぐらい経った時に息子から電話が。

「さっきの話の続きなんだけれど、ちょっとちょっと言っておきたい事がある。」

彼女と彼女の家族に対して、病気のことを理由に僕の人生に制限があるような発言は、絶対してほしくない。そのような話をするような事があったら、それ以後、彼女を会わせることはしないことにする。

また、海外海外というけれど、その話題も、もうこれ以上言わないでほしい。

海外のことは十分に理解しているつもりで、その努力もして来ている。USMLEのステップ1もその結果だし、海外へボランティアへいくことが国際的な活躍なのかという話だと思っているから、どう定義するかで今すぐなのか、将来そういう立場で活躍するのかということだと考えている。
まずは、一流になることを目指して行きたいので、就職先の千葉を選んだ。

何度も同じことを言いたくないので、少しはわからないとはいえ、勉強してほしい。

彼女の話はわかったし、もう言わないけど
いやいや、何度も同じことと言うけど、これまで帰って来るたびに、向かう先が変わっていたでしょ?同じことを聞くよ。そりゃ。
おまけに、初期研修医の間にも変わるかの知れないんでしょ?

海外に関しては、、言っている事は理解するけど、それも一貫した話として話をしたのは、今回が初めてでしょ?
これからは、さらに話をする機会も減るだろうし、そっちから発信をしてもらわないとわからないよ。

ボランティアで海外へいくと言うのが、選択肢として無くなったのは、理解するけどね。
親である私たちが九州に帰って来る必要もないとあなたの鎖を断ち切ってきたわけだから、可能性は追求していると言うことがわかれば、それでいいのよ。
でも、それは言ってもらわないとわからない。

とまあ、ようやく一本通った考え方を聞くことができたのでした。

いろんな意味で卒業です。

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