祖父母




ー父方の祖父母といとこー


お爺ちゃんはいつもは優しくてニコニコしてるけど怒るとめちゃくちゃ怖い、お婆ちゃんは日頃から厳しい感じで泊まりに行くとしょっちゅう怒られたな。


お爺ちゃんは私と妹達を連れて公園に連れてってくれたり買い物に連れて行ってくれた。


年末年始にはお父さんの妹や兄の家族が祖父母の家へ帰ってきていたので賑やかだった。


いとこは私の一番下の妹と同い年の男の子、ゲームが好きでDSのマリオ64をプレイして見せてくれたりした。


大きくなるに連れて年末年始に会っても話さなくなっちゃたなー、その頃ぐらいにもうひとり女の子のいとこができて妹と一緒にその子の相手をしてあげてたりした。



ー母方の祖母ー


母方のお婆ちゃんはお母さんが10代の頃にお爺ちゃんと離婚し、県外の長野県の地元に戻りそこで再婚して暮らしていたので会いにいくのには片道2時間かかって私はいつも車酔いに悩まされた。



お婆ちゃん家に行く途中、トイレ休憩やお昼も兼ねてどんぐりの里や森の駅ネバーランド、ひまわり温泉に寄るのが定番だった。


ネバーランドで売っていたソフトクリームや果汁100%のりんごジュースの味が今でも忘れられないくらい美味しかった。



ひまわり温泉の近くにはお婆ちゃんの親戚がやっているお蕎麦屋さんがあり、昔そこで食べた炭焼きのあゆの塩焼きがとても美味しかった。



結婚前にそこで数日間お手伝いをしに行ったら、人手が足りないのもありてんぷらや炭焼き系の料理は随分前からやらなくなってしまった事が分かりちょっと残念だったな。



お婆ちゃんは料理が得意で私はよく夜ご飯のお手伝いをさせてもらった。


家ではお母さんに邪魔がられてキッチンに立つ事さえ許されてなかったから料理のお手伝いをするのが新鮮でいつもとても楽しかった。



特にエビフライの衣をつけるの作業が楽しかったな。

おやつの時間には蒸しパンを作ったりホイップクリームを泡立てたり色んな料理を教えてもらった。


小6ぐらいの時、一緒にコロッケを作っていたら、私は誤って油に指を入れてしまいやけどをしてお婆ちゃんが大慌てでパン粉が付いた服のままタクシーに乗り病院へ連れていかれた。


やけどは凄く痛くて水ぶくれになったりしたけど今では笑い話になるくらいいい思い出だな。



お婆ちゃん家には大きな蚊帳というものがありその中でお昼寝するのがなんだ秘密基地で寝ているみたいで楽しかった。


夜は寝る前に背中を撫でてマッサージしてくれたり夜中トイレが遠くて怖いからお婆ちゃんを起こして一緒に付いてきてもらっていた。


昼間はバトミントンをしたり、近所の人が飼っている牛を見に行ったり、きゅうりやトウモロコシを収穫しに畑へ行って採れたてのトウモロコシを茹でて食べさせてくれたり家ではできない新鮮な事ばかりだった。



ー母方の祖父と大好きなお婆ちゃんー


母方のお爺ちゃんは家から30分くらいの所に住んでいてしょっちゅう遊びに行っていた。


私はお爺ちゃんの再婚相手、本当は血が繋がっていないお婆ちゃんの事が3組の祖父母の中で一番大好きでした。


長野お婆ちゃんと長久手のお爺ちゃん達が昔結婚していて、その後離婚しそれぞれ再婚した事など小学生の頃の自分は当然知らなくて、その事をようやく理解できたのは中学生の頃だった。


でも一番大好きなお婆ちゃんとは血が繋がっていないと分かっても不思議と私は全然ショックではなかった。



血が繋がっていようがそうじゃなかろうが、孫とお婆ちゃんとしての沢山の思い出と絆があったから私にとって大事なお婆ちゃんだという事に変わりがなかった。


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お婆ちゃんは家は犬と沢山の猫を飼っていて私が動物好きになったきっかけはここにあると思う、泊まりに行くと毎朝猫小屋や犬の様子を見に行ってはふれあっていた。


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お爺ちゃんは陶芸教室の先生。


私は基本お婆ちゃんにばっかひっついていたのであまりお爺ちゃんと二人だけの思い出は考えてみればあんまりない。でも夏休みの宿題だった自由工作を一緒に作ってくれたり陶芸を教えてくれたりしてくれた。


猫小屋をひとりで作ったり、手先が器用でなんでも一人でこなす凄く行動力があるお爺ちゃんだった。


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お婆ちゃんは踊りが好きで日本舞踊やフラダンスの教室へ通っていた。


私はその教室へついていきお婆ちゃん達が踊る様子を眺めていた、小さい子が教室へ来るのが珍しかったのか、おばちゃん達に可愛がってもらっていた。


でも私は人見知りで話しかけられるとお婆ちゃんの後ろに隠れたりしていた。


お婆ちゃん達は町内のお祭りの盆踊りをする人だったのでお祭りがあると必ず連れて行ってくれてそこでよく一緒に踊った炭坑節を聞くと当時のお祭りの雰囲気を鮮明に思い出す事ができるし、今でも炭坑節の踊りを覚えている。


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私が小学生の頃、お婆ちゃんは駅近くのスーパーの社員食堂に務めていたので仕事のある日は私もついていきお手伝いをしていた。



社員食堂はお婆ちゃん一人で切り盛りしていたので、私がいない時は毎日何十人もの社員さんのご飯をひとりで作っているなんて凄いなーと思って大量の玉ねぎの皮を剥きながら『お婆ちゃんいつもこんなに沢山の玉ねぎをひとりで剥いたり切ったりしてるなんてすごく大変だね』と言い『そうでしょー大変だよー』とお婆ちゃんが返してくれた会話を何故か鮮明に覚えている。


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長久手のお爺ちゃんお婆ちゃんには本当に色んな所に連れて行ってもらった。



幼稚園児の頃は東山動物園、水族館によく行って幼稚園を卒業したお祝いにディズニーランドに連れて行ってくれてモノレールに乗ったりミッキーのパンケーキを食べたのをよく覚えている。


お婆ちゃんとは初めて映画館に行き千と千尋の神隠しを見た。


オアシス21のクリスマスイルミネーションを見に行ったり、ランの館でハープのコンサートを聞いたり沢山のお花とイルミネーションを見た。



ガーデニングが趣味でお花が好きな二人に花博にも連れて行ってもらい色んなお花を見たりした。



小4夏には長野のアルプス山脈に行き、途中山道を登るバスが物凄く揺れてジュースをこぼしちゃったことを覚えてる。


ロープウェイにも乗り目的地のアルプスの山に到着しハイキングをした、すごく霧がかってて夏なのに涼しくて少し肌寒いくらいだったなー。


あと妹と一緒に泊まりに行った時に名古屋のにっぽんど真ん中祭りを見に行ったりもした。



長久手に万博『愛・地球博』が開催され学校で行ったのも含めて私は5回行った。



お婆ちゃん家が近かったので万博会場には3人で自転車に乗って行ったなー。



色んな国のパビリオンを周り、スタンプを集めて色んな外人さんに会い踊りを見たり珍しい食べ物を食べたり…とにかく色んな経験ができた。



私が印象に残っているのはアフリカ館でドレッドヘア風に髪の編み込みをしてもらった事。


物凄いドレッドヘアのお姉さんにやってもらっている最中、前を行き交う色んな人に物珍しそうに見られてちょっと恥ずかしかったけどね。



あと迷子になってしまった事も今ではいい思い出。自分でスタッフの人に迷子ですと言いなんとかお婆ちゃん達と合流できた。


沢山あるパビリオンの展示の中でも1番怖かったのはアイスマンというミイラを見た事、しばらくトラウマになった…。


万博の市場の目玉だったマンモスの冷凍標本を見るのにもの凄く並んだな〜、あとブルガリア館の外観がとても可愛かった事やスペイン館の蜂の巣をモチーフとしたカラフルな外観も覚えている。


とても景色のいいレストランで夜ご飯を食べたのも凄くいい思い出です。


万博のチケット、パスポート、ガイドブックやおみやげも大事にとってあります。


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名古屋港水族館の近くにイタリア村という新しい観光地ができた時にも3人で行って本当に海外にいるような体験ができた、とても素敵な場所だったのに今は跡形も無くなってしまい残念。


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小学校を卒業したお祝いに今度はお婆ちゃんと2人きりでディズニーランドとシーにも連れて行ってもらった。


夜行バスに乗り朝ディズニーランドの駐車場に着いた。


久々に行ったディズニーランドのすぐ側には、とても大きくてゴージャスなまだ建設中だったディズニーランドホテルを見ることができた。


初日のディズニーシーでは一番最初にインディージョーンズら辺のジェットコースターを乗った。

そしたらジェットコースターが一回転して終わった後にお婆ちゃんが『○○(私)に騙された〜もう絶対にこれには乗らない!』といいながら笑っていたな。


お昼ご飯に初めてタコスを食べたんだけど…子供の自分にはよく良さが分からなくて『なんじゃこれ』と思いながら食べた。


その日風が強くて夜のショーは中止になり残念だったな。


ディズニーランドでは白雪姫のアトラクションの順番待ちをしていたら設備のトラブルで乗れなくなりお詫びに他のアトラクションを並ばずに乗れる特別なチケットをもらい、私は6歳の頃に乗った思い出のジャングルクルーズでそれを使い乗ることができた。


とてもいい2人旅でした。


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私は小5くらいまで長久手のお婆ちゃん家に泊まった後、実家に帰る時にいつも泣いていた。


ただ単純にお婆ちゃん達と離ればなれになる事が寂しいから泣けてくるんだと思っていたけど、大人になってから考えてみるとそう単純な理由だけて泣いていたんじゃないと分かった。


私は3人姉妹の長女だったのでお母さんに甘えられなかった。そりゃ1番最初に生まれたから妹達が生まれるまでの1年半くらいは私が1番可愛がられていたんだと思う。


でも妹達が産まれてからは私は邪魔者のように扱われ1番下の妹が1番可愛がられていたので母親に必要とされていない気がして幼い頃の私は口にはしなかったけど、心のどこかで寂しいと感じていたんだと思う。


そんな私が両親よりも大好きだったのがお婆ちゃんだった。


お婆ちゃん家に泊まりに行けば私の事を1番に可愛がってくれるお婆ちゃんがいるので、夏休みや冬休みなどの長期休みはほぼ毎年一人で泊まりに行っていた。


お婆ちゃんには長女としてのしがらみもなく孫として純粋に甘える事が出来て、そんなお婆ちゃんが私にとってとても大きな存在だった。


だから実家には自分の居場所がないと感じ帰るのがいつも不安で、嫌で嫌で仕方がなかったんだと気付いた。


さすがに中学に入ってからは思春期もあったせいかお婆ちゃんにそこまで依存する事も無くなったけど、泊まりに行く事自体はいつも楽しみだった。


中学卒業のお祝いに二人で北海道にも連れて行ってくれて私は高校生になってもお婆ちゃん家に泊まりに行っていた。





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