愛犬


小学6年の頃、我が家に新しい家族がやってきた 。


女の子のジャックラッセルテリアの子犬、当時はまだ一般的にはあまり知られていない少し珍しい犬種だった。 


私はDSのニンテンドックスをやっていた事があったため、そのゲームの中でもレアな犬種だったジャックラッセルテリアを知っていた、だからかすぐに子犬がジャックだと分かった。



我が家に来て早々にこたつ布団におしっこをした事を覚えている。


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私が中学生になった頃、一階にあるひとり部屋に移った私と毎晩一緒に寝るようになり、昼間でも私の部屋に入ってきてベッドで寛ぐようになった。



私がリビングから自分の部屋へ移動して部屋に居ると扉をカリカリして中に入れてとアピールしてくるのもとても可愛かったな〜。



夜、寝ている時に私は愛犬と背中を合わせて寝るのがとても心地よくて好きで、とにかく愛犬が可愛くて仕方がなかった。



でもたまにベッドで粗相をされた時はさすがに怒ったな〜、申し訳無さそうな顔をしていてそれも可愛かったけど(笑)



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家に誰かが来ると窓に向かって猛突進してドーン!と突撃するもんだから網戸がボロボロになって破れたりしてお父さんがよく怒っていた。


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私達家族が外出中、ケージをジャンプして抜け出したせいで後ろ足を打撲してしまった事もあり、その事があってから留守番中はケージではなくリビングで自由にさせてあげるようになった。

 

高校時代、私が学校から帰ってきたらダイニングテーブルの上に登ってしまい降りれなくなっている愛犬の姿を窓越しから見つけた時はびっくりしたな〜ちょっと間抜けなその姿が面白くて降ろす前に思わず写真を撮っちゃいました。


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お母さんが散歩をさせるのを嫌がり、でもおやつを与えまくるもんだから愛犬はぽっちゃりな肥満体型だった。



そんな愛犬も可愛いかったけどあれはさすがに太り過ぎだったよなーと思います。


おデブなのに寒がりだったからいつもストーブの真ん前を陣取っていたな〜。



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私が高2の頃、愛犬の首の左右にしこりのようなものができている事に気づき、お母さんが病院へ連れて行ったら白血病になってしまっていた事が分かった。


学校から帰ってきた私はお母さんからそう告げられ自分の部屋に入り勉強机に座り呆然としていた。


私は白血病というもの知っていた。
癌だという事、父さんが私が小学生の頃見せてくれた『ポニーテールは振り向かない』というドラマに出てきた主人公のバンド仲間の妹が罹った病気で最終的に亡くなってしまうのを覚えていた。



お母さんが私の部屋に入ってきて病気が治らない事を声を詰まらせて言うもんだから私も我慢していた涙を堪えることができず2人で泣いた。



愛犬はきょとんとしていた。


その日から私は愛犬に薬を毎晩あげるようなった。


あげると言っても薬だから中々食べてくれずヨーグルトに混ぜたりおやつと一緒に食べさせたりとかなり苦労して飲ませていた。



私は携帯で犬の白血病の事を調べまくった。


生存率や治療法、あと何年生きられるか、とにかく色んなサイトを見漁ったけど明るい情報は得る事は出来なかった。



病院の診察がある日はお母さんに付いていき先生の話を一緒に聞いた、改めてそこで私は先生に治すことはできないのかを聞いたが先生は『犬の白血病は延命の治療しか今は手段がない』と真剣な表情で言い、私はまた絶望した。





それから数ヶ月間、本当に白血病なの?と私もお母さんも思わず疑ってしまうくらい愛犬の体調は良くなり首のしこりもなくなり元気になった。



でもそれもずっとは続かなかった。


亡くなる2ヶ月くらい前から白血病による合併症が次々と現れて初めて白内障になり腹水でお腹が膨れ上がったり息を荒らげたりするようになり、そんな愛犬の姿を見るのがとても辛かった。


私はハァハァと苦しそうに息をする愛犬と一緒だと寝れなくなり、愛犬はお母さんと一緒に寝るようになった。


愛犬が亡くなる夜中の事、私はお母さんの部屋へ愛犬を連れて行った事をよく覚えている。


その時が私が生きている愛犬を見た最後だった。


数時間後、お母さんの部屋から悲鳴が聞こえリビングにいたお父さん、妹達が2階へ行く音が聞こえた。


2階から降りてきた妹に愛犬が血を吐いた事を知らされたけど私は怖くてお母さんの部屋へ行けなかった。



私は不安になりながらも眠りについた。




そして夜中にお母さんが私の部屋の扉を開けた。

お母さんが私の名前を呼び 『○○…死んじゃった』と言い、私は一瞬で目が覚め急いで2階へ行きお母さんの部屋へ入った。


そこには床に横たわる愛犬の姿があった。


口を開け目を半分開いたままの愛犬にそっと触れて名前を呼んだ。



反応はなく体がとても冷たくなっていた。



お母さんは自分が寝ている間に愛犬が死んでしまったと言った。


ひとりで苦しみながら逝かせてしまった、それは今でも私の人生で一番悔いた出来事となった。



最後くらい、腕に抱いて逝かせてあげたかった。


床の上で一人苦しみながら命を断った愛犬を想像すると今でも胸がはち切れる思いになる。


『まだ夜だからもう寝なさい』とお母さんに言われ部屋に戻り私はそこで大泣きした。



しばらくして泣き疲れて眠りに落ちた。


朝目覚めるとリビングには愛犬の足音はなく、お気に入りだったクッションの上で横たわる愛犬の姿があった。



夢じゃなかったんだと思った。


また体に触れたけどやっぱり体はとても冷たかった。



あんなに温かかった愛犬の温もりはもうなかった。


死んでしまうとこんなにも生き物は冷たくなってしまうんだと改めて知った。



お母さんがペットの火葬場がある動物霊園に電話をして愛犬を毛布に包み私はお母さんとお父さんの3人で向かった。


妹達も起きて愛犬が亡くなった事をお母さんが教えていたけど素っ気ない態度だった。


私はその2人の態度に物凄く腹が立ったし悲しかった。


けどAだけは言葉や態度に出さなかっただけで本当はあの時一緒に行けばよかったと思っていた事やショックを受けていた事を後に知った。




霊園に着きお葬式が行われた、私は泣きながら愛犬への思いを書いた布を愛犬の顔に被せた。


『5年と短い間だったけどたくさんの思い出をありがとう』


そう書いた事もはっきりと覚えている。



火葬の前、お母さんと愛犬の顔のヒゲを切った。




もう愛犬のこの姿、形を見るのが最後かと思うと本当に辛かった。



火葬炉に入る愛犬を泣きながらお母さんの肩を抱き見送った。



火葬が終わるまで霊園内にある休憩所で私はまた眠った。




火葬が終わり火葬炉からでてきた愛犬の姿を見てお母さんは悲鳴のような声を出しまた大泣きした。


お母さんは泣いて拾えない状態だったので私はお父さんと2人で先に愛犬のお骨を一つ一つ拾った。



途中、お母さんもやっと少し落ち着き霊園の人がここが体のどこの骨だとかを教えてくれるのを一緒に聞き、そして犬歯や大きめの歯をメモリアルネックレスに入れた。




お骨になった愛犬を抱えて家へ帰る途中、お母さんも私も朝何も食べていなかったのを気づきスーパーに寄るかと聞かれたたがとてもそんな気分ではなかった。



家へ帰り私は1日中部屋に籠もり泣いた。



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愛犬が亡くなってから今年で8年、私は実家で自分の部屋に飾っていた愛犬の写真を今でも寝室に飾っています。


虹の橋で他のワンちゃん達と楽しく遊んで暮しているといいな、また会えるその日まで待っていてね。








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