山の記憶(2):筑波山の弁慶茶屋

初めて筑波山に登ったのは、10年以上前、旅行ガイドブックの取材で。

つつじヶ丘から女体山に登り、男体山に足を伸ばし、ケーブルカー沿いの登山道で筑波山神社に下るルートだったと思う。カメラマンも兼ねての一人歩きだった。

たしか初夏、5月の半ばごろだったろうか。鮮やかな木々の緑にうっとりしながら歩いていくと、茶店が一軒。店の前でザックを下ろして休んでいたら、通りかかった登山者が、ここの名物はところてんだから食べて行くといい、という。名物と言うなら食べていこうか。店に入って注文。

昔ながらの茶店の風情だが、ほかの店と違うのは、木製の名札がたくさんぶら下がっていることだった。登山をした回数を示しているのだと言う。見れば何百回、何千回と登っている人がいるんだ。すごいな。この茶店は江戸時代から続いているのだとおじさんが言っていた。私が待っている間にもたくさんの登山者が訪れ、おじさんおばさんと立ち話をして、立ち去っていく。

話しているうちにところてんが出てきた。おいしそうですね、と言うと、美味しそうじゃなくて、美味しいのよ、とおばさん。ひんやりさっぱりして、酸っぱいところてんが、体に染み渡った。

去り際、おじさんとおばさんに写真を撮りたいと伝えたら、おじさんだけ、いいよと言ってくれた。どんな顔したらいいんだよ、笑顔なんてできないよ、と言いたげな表情でファインダーに収まってくれた。

それから間も無く、茶店が廃業したと聞いた。江戸時代から8代、270年続いたという弁慶茶屋は、2006年にその幕を下ろした。今はもう建物もなく、ただの広場になっている。どんな建物だったか、おじさんとおばさんがどんな顔をしていたのかも、もう思い出せないけど、筑波山を登って、茶屋の跡地を通ると、いつもちょっとだけ寂しい。

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