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山の記憶(8)富士山

初めて登ったのは20世紀も終盤のころ。

高い山に全く慣れていなかった私の富士山デビューは散々だった。9合目で高山病になり、一歩歩くごとに吐き気を覚えながら登頂。一応お鉢巡りをして、下山はザラザラの砂地に何度も足をとられて転び、尻に大きな痣を作った。ひどいものだったけど、天気はよかったし、仲間も気遣ってくれたし、終わってみれば楽しかった。でもしばらくは行かなくていいと思っていた。

それから何度か仕事で訪れている。最も思い出深いのは、「東京近郊ゆる登山」の取材で訪れた2009年の夏。

河口湖口から登り始めて、本八合目の山小屋に泊まった。当初は小屋前でご来光を見て登頂する、ゆったりペースで考えていたのだが、この小屋に泊まる大半の登山者は山頂でご来光を迎えたい人ばかり。話を聞いていたら、自分たちもそうしたくなって、結局朝2時に起きて、2時半に出発した。まだ夜中なのに、登山道は登山者でいっぱいだった。上にも、下にも、ヘッドライトの光の道ができている。すごいなぁ。

すいていれば1時間ちょっとで到着する山頂に、2時間以上かけて登頂。あまりにゆっくりで、ご来光に間に合うかとちょっと心配したけど、日の出の30分ぐらい前に山頂の鳥居をくぐった。

山頂の茶店でちょっとだけ温かいものを取っているうちに、外がざわざわとしてきた。そろそろご来光だろうか。登ってきたたくさんの人たちでごったえがえしている。私たちも、眺めのよさそうな場所を探して移動。そのうちに空が赤みを帯びてきた。来るぞ、いよいよ来るか。

見守っているうちに、真っ赤な太陽が雲の切れ間から現れた。現れたと同時に強烈な光を放ち、周りの空を、雲を赤く染めていく。

「おおおー!」感動の声が沸き上がる。拍手がおこる。どこからともなく、「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」と声がする。うっとりと空を見つめている人、仲間どうしではしゃいでいる人、写真を撮りまくっている人。そこにいる誰もが太陽の登場を喜んでいる。不思議な世界。

初詣みたいだよね。同行者がぽつりと言った。

そうなんだ。富士山は昔から信仰の山、霊山であり、富士登山というのは信仰の対象に近づく「特別なイベント」だった。今の私たちの大半にそういう意識はないだろう。それでも…やっていることは同じだし、山頂に立って感じることも同じなのだろう。

日本一標高の高い山。そんな肩書き以上の何かが、富士山にはある。

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