誰もわからない
「人から見られている自分と素の自分との違いを感じた経験」がテーマの小論文の課題で「自分は努力しているのに怠けていると考えられたこと」(別室登校)について書いたのだが、添削する先生に「怠けている経験を具体例として挙げるのは良くない」と言われた。怠けている訳ではないと説明するも、「初めて読む人にはそう思われる」と。
私は怠けていないのが「素の自分」だと書いたのに、
私が怠けていると思っている周りは早とちりをしていると、書いたのに、
初めて読む人は分からないか?
この先生だってわかっていない。
これが人間失格者として生きるということなのだろう。
そして、他人から見られている自分が本当の自分とは違うと知りながら、そんな心をおくびにも出さずに他者がどこまでも正しいように振る舞い、妥協して生きること、自己欺瞞をしながら生きることが、大人になるということなのだろう。
それならば私は、どんなことがあってもこの心を失わずに生きていこう。
罪のない心を忘れるくらいなら、死んだが増しだ。
'The Catcher in the Rye'で読んだ
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