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やっぱり日本人は色々気にしすぎていると思う

そろそろスウェーデンに来て一年が経とうとしている。

ワーホリビザで来ている上、仕事もリモートワーク、現地の学校に通っているわけでもないので旅行と大して変わらないかなーと思っていたが、やっぱり一定期間滞在していると見えてくるものがある。

あんまり、日本人は〜とかカテゴライズするのは好きじゃないんだけど、今回は比較することで気づくことが色々あったなーと思った。

特に私が強く感じたのは、【人の目が気にならない生きやすさ】である。


私はパートナーにスウェーデンに来てから何十回も、

「ここは日本じゃないからそんなこと気にしないで大丈夫。誰も気にしない」

と言われてきた。

例1:外見

たとえば、外見。
こちらではスタイル関係なく、着たい服を着る。太っていてもお腹出てる服普通に着るし、体のラインくっきり出るドレスも普通に着るし、夏は海でも湖でもないけど、日焼けするために水着で歩いている人もいる。
ベビーカー押しながらランニングも日常茶飯事だし、ノーブラも普通。

公園で一人でヨガしてても、寝てても、瞑想してても全く珍しくない。

例2:年齢

あとは、年齢もこちらの人は全く気にしない。
日本にいたときは、初めての人と会ったとき、「はじめましてー」の次ぐらいに「おいくつですかー?」って聞かれるほど年齢は重要情報のように取り扱われる。年齢制限を設けている会社も多いし、新しいことを始めるときも、年齢ベースで考えることが多いように思う。

スウェーデンに住んで一年経つけど、いまだに初めて会った人に年齢を聞かれたことはない。話の流れで、時代が関係する話題が出たとき「そういえばいくつだっけ?」って聞かれることはあるけど、それでも自分の年齢を言ったのは2、3回ぐらいな気がする。

大学も好きなときに行くし、(実際30代、40代の学生もめちゃ多い)みんないくつになっても新しいこと、新しい教育に気軽にチャレンジするイメージだ。

無意識の圧力がゆるんでいく感覚

いま例に挙げたのはほんの一部でしかないけれど、日本にいたとき私は知らない間に一般常識というなんだかよく分からない、得体の知れない何かにおされていたんだなぁ。どこの誰かもわからない人の目を無意識に気にしながら生きてきたんだなぁと実感する機会がとても増えた。

こんな格好で外歩けない〜→ま、いっか!行っちゃえ〜
この年でこんなことしてるのやばい→年齢のことすら脳裏から消える
パークで一人でヨガなんて恥ずかしい→隣で日焼けしてる人いるし、みんな気にしてないしやっちゃお〜

って感じで、日本にいたときは「〜すべきでない・〜すべき・やばい」と思っていたことが、こっちに来てから「〜してもOK・〜しなくてもOK」っていう感覚に。選択できる自由が自分に戻ってきたような。ていうか、選択できる自由はいつでもあった。それを奪っていたのは日本の社会意識の中で芽生えた自分自身の思い込みだった。ってことに気がついた。

これは、スウェーデンで生活してみないとわからなかったこと。
日本に住んでいたときは、それが当たり前すぎてなんとも思わなかったし、疑問すら抱かなかった。ていうか、私は自由に生きてる方だと思っていた。

「海外に来て視野が広がった。」みたいな決まり文句にうんざりしていたタイプだったけど、実際来てみて本当に視野が広がってしまった。帰ったらきっと、逆カルチャーショックを受けるんだろうな。と。

もちろん日本の方が優れているなーと思う部分もたくさんある。だから、お互いの良いところを採用しながら、より自由に、より生きやすく、生きていけたらなぁと思った本日。

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