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川の流れに逆らわない生き方

ほんの1年ほど前までは、何かを掴みたくて、何かを実現させたくて必死でもがいてたのに、本当に野心的なものはなんにも望まなくなったなぁ。

今は本当に、川に浮き輪で浮かんでぷかぷか流されているみたいな感覚。特に自分で能動的に「何か」を実行している感覚は全くない。

起こることが、ただ目の前を流れていく感じ。

もちろん、川の流れの激しいところがあったり、渦巻いているところがあったりして、たまにそこに巻き込まれるんだけど( 笑 )

一定時間そこでぐるぐる〜って巻き込まれたら、また穏やかな水の流れが自然とやってくる。

渦巻かれてるときに抵抗しようとしても、渦の威力がすごいから抵抗しようとすればするほど苦しいし、しんどい。溺れちゃう。
もうそんなときは、流れるままにされるままにしておく。

そうすると、やがていつか流れは緩まって、また気持ちい速さの流れに戻っていく。

抜け出せない渦はない。

それが、諸行無常。

辿り着きたい場所が決まっている人は、船を買って、舵をつけて、目的地を見失わないように朝も昼も夜も船を見張っておく必要がある。

でも、どこに辿り着いてもいいよ〜って人は、船もいらないし、どこに行くか見張る必要もない。

ただ、のんびりと「どこに着くのかな〜」なんて思いながら浮き輪でも買って浮かんでおけばいい。

別に正解なんてない。

別にどちらを選ぶことにも意味はない。

ゴールを目指した人も、ゴールを決めてない人も、辿り着く果ては同じなのだ。

その道のり、過程が違うというだけ。

くだっていく途中に、美しい景色に目を向けるのか、周りの景色なんて楽しまずにただ前だけを見つめるのか。
それとも、行き先に迷って前も外も見ていないのか。
どんな状態で川をくだろうと、くだりきってしまったらその旅は一旦終わる。

辿り着く果てに到着したら、また上流にぴょんと立って、川をくだる。

今度はどんな感じで流れていきましょうか。という具合に。

私は完全流れにおまかせルートが楽なので、任せてしまっている。

いまは目標も、野心も、夢も、何ひとつ持っていないけど、だからこそ流れる景色をひとつひとつ見つめることができる。キャッチすることができる。

あ〜、この景色好きだなぁ。とか、この通過点ちょっと感じ悪いなぁ〜。なんて感想を述べながら、流れ続ける波にさからうことはせず、わたしも流れ続ける。

そんな風にこれからも生きていこうと思っておる(   ´ ω `   )





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