『北史』突厥伝どこまでできるかな

さて、憎き悪疫で気が滅入ってきたので、何か気晴らしにならないかなといろいろ探したが、これなら良いかと気まぐれに『北史』巻99列伝87突厥、つまり『北史』突厥伝の書き下しでも載せようかしらんと、ちなみ小生は突厥とかは専門ではありません。あくまでもこれは遠出叶わず手持無沙汰の時の細やかな気晴らしですので、念のため。誤りあらば、適宜修正いたしまする。ではまず、突厥伝1丁右~2丁右まで。

『北史』巻99突厥伝

突厥者、其先居西海之右、獨為部落。蓋匈奴之別種也。姓、阿史那氏。後為隣国所破、盡滅其族。有一児、年且十歳。兵人、見其小、不忍殺之。乃刖足、断其臂、棄草澤中。有牝狼、以餌之、及長興狼交合、遂有孕焉。彼王聞此児尚在、重遣殺之、使者見在側狼。并欲殺狼、於時若有神物、投狼於西海之東、落高昌国西北山。山有洞穴。穴内有平壌、茂草周廻数百里、四面倶山。狼匿其中遂生十男。十男長外託妻孕。其後各為一姓。阿史那、即其一也。最賢、遂為君長。故牙門建狼頭纛、示不忘本也。漸至数百家、経数世、有阿賢設者、率部落於穴中、臣於蠕蠕。至大葉護、種類漸強、當魏之末、有伊利可汗、以兵撃鉄勒、大敗之、降五萬家。遂求婚於蠕蠕主。阿那壊、大怒、遣使罵之。伊利、斬其使。率衆、襲蠕蠕、破之。卒、弟・阿逸可汗立。又破蠕蠕、病且卒。捨其子・摂圖、立其弟・俟叔、称為木扞可汗。

突厥は其の先、西海の右に居し、獨り部落たり。蓋し匈奴の別種ならん。姓は阿史那氏。後に隣国の破りて盡く其の賊の滅ぼす所と為る。一児有り、年且さに十歳にならんとす。兵人、其の小さきを見て之れを殺すを忍びず。乃ち足を刖り、其の臂を断ち、草澤の中に棄つ。牝狼有り、以て之を餌とせんとするも、長ずるに及びて狼と興に交合し、遂に孕むること有り。彼の王、此の児、尚在るを聞き、重ねて之を殺さしめんとするも、使者は側に狼在るを見る。并びに狼を殺さんと欲するも、時に神物有るが若く、狼を西海の東に投げ、高昌国の西北の山に落つ。山に洞穴有り。穴の内に平壌有りて茂れる草、数百里を周廻す。四面、俱な山なり。狼、其の中に匿れ遂に十男を生む。十男、長じて外に妻を託して孕まさしむ。其の後、各ゝ一姓と為る。阿史那、其の一なり。最も賢きは遂に君長と為る。故に牙門に狼頭の纛を建て、本を忘れざるを示す。漸く数百家に至り、数世を経て阿賢設なる者有り、穴中の部落を率いて蠕蠕に臣す。大葉護に至りて種類、漸強す。魏の末に當り、伊利可汗有り、兵を以て鉄勒を撃ち大いに之れを敗り、五萬家を降す。遂に蠕蠕の主に婚を求むるも、阿那壊、大いに怒り、使を遣して之を罵らしむ。伊利、其の使を斬り、衆を率いて蠕蠕を襲い、之れを破る。卒して、弟の阿逸可汗立ち、又た、蠕蠕を破る。病みて且さに卒せんとするも、其の子・摂圖を捨て、其の弟・俟叔を立て、称して木扞可汗と為る。



本日はこれまで。さてどうなりますることやら・・・・。

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