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古い喫茶店のはなし


こんにちは。あきのすけです。
日々の忙しさに囚われて記事を書くこともままならなかったですが、このままではいかんと少しずつ文章を書くようにしました。早くスラスラと書けるようになりたいものです。

はい。今回のテーマはみんな大好き(?)古い喫茶店です。
それではどうぞ。



I LOVE 喫茶店


古ぼけた喫茶店が大好きです。俗に言う昭和レトロな喫茶店。

あの独特の雰囲気。どこも必ずと言っていいほど薄暗い店内。入り口のガラス扉や窓からこぼれる淡い光が何か特別な意味を持っているかのように見える。
壁つたいに規則正しい間隔で灯っている小洒落た照明。何十年もの間、訪れた人が椅子を、テーブルを、もはや店の全てを使い古したことによって生まれた空気感。

昨今のレトロブームにより都市部の古い喫茶店はそれなりに客が入っているようだが、地方にある喫茶店は本当に人がいない。たまたまかも知れないが、自分が今まで訪れた喫茶店は常連さんが1人か2人いるくらいで、基本的にひっそりと営業しているところばかりだった。
お店が出来た当初は時代背景もあってそれなりに賑わっていたのだろう。煙草の煙とコーヒーの香りがたゆたい、BGMとして流れるジャズと客の雑談が入り交じった店内。老若男女関係なく席を埋めていたあの頃の面影はもう無い。
時代という強い風に吹かれて、砂になり無くなってしまうのをただじっとと待っているようだと思えてならない。

訪問記


とある日の昼下がり、出先で遅めの昼御飯を食べようと飲食店を探していたところ、いい感じの喫茶店があった。お店の前には、埃を被った上に色褪せた食品サンプル。店主が工夫を凝らしたであろういかにも昭和の匂いのするフォントで書かれたかすれた文字の看板。(この独創的なフォントがたまらなく私の心を震わせる!)イーゼルに立てかけてある黒板には一軍であろうランチメニューが書かれている。入ってみると客は誰もいない。

大きな窓ガラス沿いにある席に座る。店主がメニューを持ってくる。その日は朝から歩きっぱなしだったので、とてもお腹が空いていた。奮発してオムライスとサンドイッチとアイスカフェオレを注文する。

店主と自分だけの不思議な静寂に包まれた店の中。それにしても客が来ない。人はそれなりに通りかかる。しかしどういう訳か誰一人として店に入ろうとはしない。外はまだ4月下旬なのにじんわりと汗ばむほどの気温だった。私のようにふらっと入ってきてもおかしくはないのだが、その気配がない。
まるでここだけ異次元にあって、他の人には見えていないのではないかと思うほどに。

「興味を示した者にしか見えない、蜃気楼喫茶店。」

そうか。私はまんまと引き込まれた訳か。果たしてこのお店の外側は今までいた世界なのだろうか。はたまた全く別の世界線か…。

注文を待っている間、そんな空想にふけっていたらオムライスが来た。上下にジグザクとかかったケチャップ。ラグビーボールをほうふつとさせる卵の形。全く期待を裏切らない、ザ・オムライスな見た目。私は思わず微笑んだ。手を合わせていただきますと小声で言った。
スプーンとお皿がカチカチと当たる音がいやに響く。今まで気にしたことがなかったのはオムライスをこんなにも静かな空間で食べたことがなかったからだろう。今はこの音が何だか煩わしく思えてならないのでなるべく音を立てないように食べた。
ペロリと平らげてから間もなくサンドイッチも来た。中の具は卵、トマト、レタス、ハムの4種類で、パンは焼いたタイプのサンドイッチだ。私は焼いたパンのカリッとした食感が好きなので「やった」と心の中で喜んだ。一手間だけの違いだけと、この違いの差の分だけ私の幸福度は上がる。私にとっては幸福を感じられる最高の一手間なのだ。

サンドイッチもあっという間に完食して、カフェオレを味わう。甘党なのでシロップは必ず入れる。とは言っても入れすぎるとカフェオレの醍醐味であるミルクのまろやかさとコーヒーの苦味の絶妙なバランスが甘さで台無しになってしまうので、慎重に、たった一度だけ入れる。少し甘味が足りなくてもつぎ足すようなことはしない。一発勝負。今回の出来は…少し入れなさすぎたようだ。

お会計を済ませて外に出る。…特に変わった様子はない。どうやら今までいた世界線と同じようだ。ひと安心。
客足の鈍さからして、この喫茶店が無くなってしまうのは時間の問題だろう。またこの地に足を運ぶことがあればもう一度ここに来たいが、その時お店があるかどうか。

無情な現実


そう、こういう喫茶店はどんどん減っていってる。要因は客足の他にもマスターの高齢化、物価の高騰、お店の老朽化などさまざまにあるだろう。何とか頑張って残っていて欲しいとは思うが、お店の経営、特に飲食店を継続していくのはかなり大変であることは知っている。自分にお店を残せる経済力や影響力があればそうしたいが、そんな大それたものは微塵もない。こういう時に自分は無力だと思ってしまう。どうしいうもない事は無限にあるのに無駄に落ち込む。
私は新しく出来たお洒落なカフェよりも、古くさい喫茶店のほうが圧倒的に落ち着ける。好き嫌いどうこうの話ではなく、遺伝子レベルでそう感じる。私にとって古い喫茶店はこういう記事を集中して書きたい時に訪れる作業場でもあり、憩いの場所でもあるので、折角歴史を積み上げて仕上がったお店が無くなっていくのは本当に寂しい。

今、色んな街で全てを変えようとしている。時代に合わないものを壊して魅力を放つ新しいもので人を呼び込むつもりなのだろう。だけど、ヨーロッパの町並みのように当時の人の営みが染み込んだ何でもない古い建物を残しておくことはとても重要なことだということを分かって欲しい。


最後まで目を通していただきありがとうございました。


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