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『My Green Gables』 物語

■ アンに導かれる人生 ■

小学6年生のある日、古本屋さんの前を通り過ぎようとしたとき、店頭ワゴンに並んだ本たちの中から私を呼ぶ声が聞こえてきました。

オレンジ色に輝く、透明とスリガラスのような縦ストライプのビニールカバーがステキなその本は『赤毛のアン』

その頃の5?6年生?国語教科書に{アンがギルバートの頭に石版を叩きつける} あの場面が使われていて、今もハッキリと記憶に残っています。

そして、不思議なことに、普段ほとんど読書をしない私が呼び止められ、まるで「私は"あなたの本"よ!」と言われているようでした。

私は当然のように"私の本"を手に取りパラパラとめくると、本の中に広がるカナダ、プリンス・エドワード島の赤土と緑の大地に立っていました。

【 アンの島、プリンス・エドワード島へ 】


私が初めてその大地に降り立ったのは20歳のとき。

ー30℃、極寒のハリファックス港からフェリーに乗り込み、厚い氷に覆われたセントローレンス湾を渡ります。

バリバリバリ。。。アイスブレーカーで氷を砕きながら、船は少しずつ進んで行きます。砕かれた氷は鈍い音を立てて私たちを閉じ込めようとしますが、船は3時間遅れで、なんとか、島に着くことができました。

現在では、本土と島をむすぶ橋のおかげでフェリーはなくなった


真夜中、シャーロットタウンのバス停に到着。
ホームステイをお願いしていたマックレー夫妻には到着が遅れることを連絡できないままで、今夜はどうしよう。。と不安になりながらバスを降りた私。

次の瞬間、かんだかい声の早口英語と、熱い抱擁に面食らった私は、この時から『アンをめぐる人々』の一員となり、半生を送ることになります。

【 アンが教えてくれたこと 】

孤児だったアンは、老兄妹マシューとマリラに引き取られ、いろんな問題を引き起こす日々の中、二人の愛情に守られ、育てられて成長していきます。

村で、グリーンゲーブルズ(緑の切妻屋根)と呼ばれる"HOUSE 家"はお互いを思いやる三人の愛情と共に、温かくて大きな"HOME わが家"へと少しずつ進化していきます。

"HOUSE"はそこに暮らす人たちによって、いろんな色に変化しながら、一つの家族という形となり、"HOME わが家"を作りあげることを知りました。

私はアンの物語を通して、理想の"HOMEわが家"にたどり着いた思いがしました。

【 My Green Gables 誕生 】

そして、私自身の中にも理想の"HOME わが家"のイメージが生まれて育ち、『My Green Gables』 という組み立て絵本製作に、その想いを込めました。

「あなた自身の手で、あなた自身の"My Green Gables"を育ててください!」というメッセージとともに。。

プリンス・エドワード島での最初の6ヶ月体験写真集『アンの世界』と『My Green Gables』
組立てたらこうなります↑ 島のグリーンゲーブルズのオリジナル内装、家具類を細かく再現!

同時に、それまで住んでいた家を増築、若者たちに『夢あふれる』プリンス・エドワード島への入口を作るために、アン・アカデミーという英会話スクールを立ち上げ、私自身の『My Green Gables』を育て始めました。

My Green Gablesのスクール側内部

プリンス・エドワード島から英会話講師を招き、更に、毎年島でのホームステイ体験で、実際にアンの『夢』を感じられる環境を作りました。

"My Green Gables"の半分は私の家族の"HOME"、半分はアン・アカデミー生徒たちの"HOME"となり、それぞれの色彩が生まれました。

私の双子の娘たちは、小学、中学、高校と"My Green Gables"で育ち、それぞれの道と出合い、それぞれの未来へと向かって行きました。

【 人生の曲がり角 】

しかし、英会話スクール15周年を迎えた頃、義父母の健康状態が悪くなり、毎日の病院通いが必要となりました。

急きょ、スクールをクローズ、リフォーム、二人を"My Green Gables"へと迎えることになりました。

二世帯住宅へと変わり、外観もホワイトからグリーンへ

"My Green Gables"は二世帯住宅となり、娘たちも自分たちの大空へと飛び立ち、私たち夫婦と義父母4人での、まったく新しい生活が始まりました。

静かな生活は10年ほど続き、二人とも90歳を迎えると天国へ旅立ちました。

【 移りかわる人生 】

私たち夫婦は"私たちのこれから"を考える時期を迎えました。

双子の娘たちは。。

長女はアメリカの大学で先輩だった運命の人と出会い、結婚、子供たち3人の母となり、忙しい日々を送っています。

次女は、17年間の高校体育教師生活を後にし、東ティモールの高校教師として、2019年のパンデミックで強制帰国となるまで、面白い日々を送りました。

帰国後、日本語教師養成学校へ。
この3月までインドネシア、マカッサルの高校で日本語を教えています。

【 60代最後の一年 】

私たち夫婦も、東ティモール、マカッサルと、娘の近くで"暮らす旅"を経験しながら、シニアのライフスタイルに合った『物』や『事』を探すようになりました。

2023年、私たち夫婦は69歳となり、60代最後の一年を『どこで、どう過ごす?』

6ヶ月間のマカッサルでの日々が、その"答え"を出してくれました。

【 見えてきた私たち夫婦のライフスタイル 】

マカッサルでの日々を送る中で、私たち夫婦にとって"居心地がよい" "シンプル"なホテルの一室は、私たちの望みをすべて叶えてくれる最高の"わが家"へと育っていきました。

・近くに歯医者さんと病院
・常夏の半袖、短パン生活
・車がなくても困らない
・生活必需品の調達が簡単
・安全な生活環境
・刺激のある環境
・経済不安がない(物価)ets.

3月中旬には日本の"My Green Gables わが家"へと戻ります。

6ヶ月間、実験のようなマカッサルでの日々を終えましたが、マカッサルで "第二のわが家"と出合った私たちは、60代最後の年も、半年間 "寒い日本"を離れ、マカッサルの"わが家"で過ごすことになります。 

だって、マカッサルの"My Green Gables"がそこにあるから。。

名刺がわりに使っていたホテルカード!

マカッサルでの6ヶ月はこちらです↓


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