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はじめに

こうやって、仕事以外で文章を書くのはいつぶりかと振り返ってみると、20代の頃に短い旅行記のようなものをfacebookに気ままに投稿していた頃にさかのぼる。

その最たるアウトプットが、当時関わっていたカウンターカルチャーをコンセプトとする古本カフェ"気流舎"のミニマガジンの創刊号への寄稿だった。
皆既日食を見にオーストラリアはケアンズへと旅をした、その経験をちょっと恥ずかしいくらいの初々しさで綴ったその文章は、予想外にいろんな方面からフィードバックをもらった。それを受けて、言葉で描く世界の可能性に驚きながらも、その感動もいつの間にか日々に埋もれてしまっていた。

更に昔のことを思い出してみると、高校時代にも書くことに心を燃やしていた。夏休みの宿題で小説を書いてみたり、当時所属していた放送部で気になることを取材しては、それをまとめて大会で発表してみたり。今の今で書くことをメインの仕事にしているわけではないけれど、人生のふとした時に書くことに没頭していたのは確かだ。そしてその経験は、有形無形で私にかけがえのない何かを残してくれた。

さて、今回またこうやって書くことを再開したきっかけは2つある。
1つめは瀧瀬さんとの出会い。出会うまでのストーリーも、ちょっと長いのだけれど、必要なので書いておこうと思う。

私は年に1回引越すくらいの旅烏で、今の住まいがある大田区にも2年前に引越してきた。洗足池近辺に住んでいた高校の友人が「このあたりはなんだか島根みたいだよ」と、懐かしい故郷の名前を上げたものだから、その時住んでいたアパートの更新が迫っており、コロナでこれからが全く読めなかった心細いカオスな状況で、環境を変えたがりの私が引っ越さないわけはなかった。

思った以上にトントン拍子に引越しが決まり、新しい土地での生活も慣れてきた頃に、とあるカフェに辿りついた。そこで広がった様々な物事は私の日々を変えてくれ、その中でもひときわ自分にとって大きな出会いだったのが、城山さんだった。城山さんは同い年のアーティストで、NYから帰ったばかりの彼女が描く線の独特な美しさに、心が震えるとはこのことかと感動したのを覚えている。

 Chai Apothecary Illustration by. Yurika Shiroyama

それから自然と、色々なプロジェクトのクリエイティブを彼女にお願いするようになり、私の世界は更に広がった。いつかまたこのことは、プロジェクトの話も含めて書こうと思う。そして前述した瀧瀬さんは城山さんの友人だった。

初めて会った瀧瀬さんは、麗しいオーラを放っており、話す度に言葉以上の何かをお互いに伝え合っているような感覚があった。編集・執筆・翻訳を生業とする彼女は、身体表現にも関わっており、海外での生活や彼女自身の経験から、その研ぎ澄まされた感覚と言語を扱う能力を養っていたのだと腑に落ちたのは、彼女の著作「言葉は身体は心は世界」を読んでからだった。

何のきっかけだったか、瀧瀬さんと私のやりとりを発信する試みをしてみない?と、出版記念イベントキャラバンのトークセッションにお招きいただくことになり、前座的に往復書簡を交わすことになったのが、noteを立ち上げた理由の1つである。

そして、書くことを再開したきっかけの2つ目は、自分自身の今という感触を、文章を書くことで確かめてみたいという動機が芽生えたから。

人は皆多面的で、一介のコミュニケーションでは分からないことばかり。とはいえ、その中でも自分は大学を中退した後に短大に通い、この10数年で14回も引越し、9カ国へ旅をし(たまに長期滞在し)、仕事も移り変わってきた。今でこそ、レストランカンパニーのブランディング部署という、なんとなくイメージがつくような仕事をしてはいるものの、現時点の自分の在処は、社会的な"いわゆる固有名詞"や今いるところだけではなく、自らの経験や物事に対する眼差しにヒントがあるのではないかと考えるようになった。

というわけで、長くなってしまったけれど、マイペースでも筆が止まらぬことのないように、自分に期待をしてみようと思う。そしてまずは、瀧瀬さんとの往復書簡が楽しみだ。




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