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電波がないことの豊かさ

ここ、カパオンには携帯の電波が飛んでいない。田舎すぎて圏外なのだ。家にはwifiがあってそこでsnsやメッセージ、電話のやりとりをしているけれど、外に出てしまえば連絡が取れなくなる。

なので、町中ではケータイの画面を見入ってるひとを見かけることはほぼなく、写真を撮る姿すらそんなに見ない。

約束をしていなくても近所のひとがふらーっと遊びに来てしばし滞在ということはよくある。むかし、「ゆーみーちゃん、あーそーぼっ」と友達が家に呼びにきて遊んだことを思い出す。

逆に、夜になると(いや、昼でも)子どもたちはケータイを借りて遊びたくなったり、ビデオを見たくなったりするし、おとなも然り。まったくデジタルがないということはないけれど、基本的に太陽が出ているうちはみんなのんびりと、いま、ここ にいる感覚がある。

一昨年、久しぶりにモロッコを訪れたときのこと。わたしが今まで旅した中で、一番客引きのしつこさを感じ、具合が悪くなるほどだったあの国は、10年前とはまったく変わっていた。一人ひとりがケータイを持ち、ケータイの画面に釘付けになっていて、旅人にしつこく話しかけるようなことはなくなっていたのだ。

それに旅人にとっても、どこでも電波があって地図や情報を見ることができるようになって、便利になった反面、知らないひとに話しかけて行き先を目指すようなことは減ってしまった。切符さえもネットで買えて、窓口でのやり取りすら必要ないことも増えた。

何するわけでもなくボーっとする時間。
友達と会って何気ない会話を楽しむ時間。
太陽の光や風の心地よさをただただ感じる時間。

電波なし、家のwifiもしょっちゅう切れる。このくらいのデジタル具合が、豊かなバランスに感じてならない。

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