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建築について考えていること

History

デザインの根源にあるもの


私の父親は、東京出身でいわゆる団塊の世代。地元の池袋で大手ゼネコンからの仕事を請負う建設会社を営んでいました。
その父が最期に建てた家が埼玉にあります。
設計を手がけたのは、独楽蔵設計事務所の建築家 星野厚雄さんです。
私が中学生のころ、星野さんの息子さんと同じ学校に通っていたこともあり、当時から、星野さんから建築やデザインに対する考えをたくさん聞く機会がありました。
星野さんのアメリカ滞在期の話や、アトリエやご自宅に遊びに行ったときの風景や、福生の米軍ハウスに初めて行ったときに、人生ではじめて触れた異文化の断片は、記憶の中に今も鮮明に残っています。

また、カルフォルニアの建築家 Ray Kappeの建築を知り、影響を受けたのもこの時期で、こうした多感な時期に有機的建築を感じることができた貴重な体験がその後の建築設計に大きく影響を及ぼしています。

そしてその後、新座総合技術高等学校工業デザイン科でものづくりの基礎を学びます。
在学中に西岡常一の著作「木のいのち、木のこころ」を読み、実際に自分の手でものづくりがしたくて宮大工の道へ進みます。
伝統工法、木軸在来工法、2x4工法などを学び、住宅設計を中心に、商店建築なども経験し、大工で26歳で独立するも、1年目で腰を痛めて毎日の現場作業が困難な状況になってしまいます。
その大工仕事ができない間にウェブ事業を展開する会社を設立。(のちにウェブ事業は15年余りの運営とブランディングを経てバイアウト)並走しながら建築業を行い建築士試験に独学でチャレンジしつづけ、5年の歳月を費やしながらなんとか合格し、we inc. Architect Studio (株式会社we 建築設計事務所)を開設しました。


Atelire

憧れの米軍ハウス


独立してまもなく憧れの米軍ハウスにアトリエを構えました。
米軍ハウスとは、戦時中アメリカの駐屯地にあった現入間基地近辺に建設された、米軍のための家族向け平屋建築です。
1950年頃に建てられたDependant House(扶養家族住宅)と呼ばれていたハウスは、その頃の日本の文化住宅とはまったく異色のもので、土足のまま出入りする内開きの広い玄関やアプローチ、トラス構造を用いた開放的な間取り、無垢の床板や、庭付きのテラスは、古き良きアメリカの佇まい。
はじめは、中学生のときにはじめて見た福生の米軍ハウスの貸家を訪ねましたが、老朽化が進んでしまい今後の活用が難しい状態でした。
そして入間・狭山の米軍ハウスにたどりつきます。戦後、入間基地が日本に返還されできたアメリカ村は、細野晴臣や松任谷正隆などのミュージシャンが若き日を過ごした濃密なコミューンで、数多くのアーティストやクリエイターたちなどに愛され、修繕やリペアを繰り返しながら半世紀以上もの間、現存してきました。
私のハウスも、これまでの間に幾度となく修繕を繰り返し、2020年に自身の設計によりこれまでにない大規模修繕工事を行い今の設計になっていきました。


Home

自邸を建てたことをきっかけに



設計事務所を開設してまもなくは、建築家としてではなく、いわゆる建築士としての仕事がほとんどでした。

つまり、依頼を受けた建物に対してクライアントが望むデザインの建物やお店を設計していました。
だから時折、ちょっと自分とは方向性が違うなぁ、でもクライアントが喜んでくれたからいいか、と思いながら完成させる仕事も多かったように思います。

そんな日々を過ごすなかで「パン屋の手紙」という本に出会います。
建築家  中村好文さんが、北海道のパン屋さんから、こじんまりした自分たちの家と店舗を設計してほしいという依頼の手紙から始まります。
中村さんらしい葉書での図面のやりとりから、実際に北海道の地にパン屋さんが出来上がってゆくまでをつづったものがたりです。
その後も、中村さんの建築や、クライアントに対する想い、そして、シェーカーデザインや、フィンユールのような有機的な家具や、照明器具、薪ストーブなど作品の数々に触れ、自分の求めている建築象にどんどん重なっていきます。
こんなふうに自分の世界観を持っていて、その建築を求めてくれているクライアントの仕事ができたらいいな、という想いが強くなり、この頃から、自分のものづくりのスタイルとはなんなのか? そんな終わりのない自問自答を繰り返していきます。

そして、その時間のなかで、結婚して子供が産まれたり、犬や猫などの家族も増えたりしたことで、アトリエとは別に自邸を建てる土地を探しはじめます。
そして、2016年に自邸を建築します。
こうして、作っていった自邸、そして別邸のアトリエは、表現の場として、自身の想いを投影したはじめての建築と言えるかも知れません。


Design

家の輪郭から見えてくるもの


建築自体は、私たちにとってもクライアントにとっても、大きな作品です。
ですが、建築作品としてのデザインだけが先行するのではなく、建ててからはじまる未来をデザインすることが住宅設計の本意でもあります。

また、住宅設計において間取りも重要ですが、身近にあるテーブルや、椅子などの家具、ドアノブや、スイッチなどの住宅パーツ、毎日手に触れて使う物のディテールこそが、暮らす人にとっては以外に大きな役割を占めているものだったりもします。

建物も、住まう人も、共に歳を重ねるものだから、建築して完成ではなく、変化があって良いし、なによりあたりまえの毎日を楽しめる家であってほしい。
朝起きたら、日差しを浴びて、鳥の声や外からの風を感じ、今日のことを考える。夕暮れ時には、薪ストーブに火を入れて、ドリップ珈琲を注いでお気に入りの椅子に腰掛ける。


特別ではない、ごくあたり前の、誰にでも訪れる毎日の時間。
そこでの暮らしがそこにある空間でどれだけ心地よいものになるかが建築が担っていく役目。

家という輪郭が、どんなに素晴らしいデザインでもだめで、そこにはやっぱり人の生活がある。
だから、その輪郭だけで完結させない余白を大事にしたい。
ともすれば、その輪郭の中から見える景色に意味を持たせることのほうが、建築を考えていくうえで重要なことなのです。




Arts & Crafts

ものづくりのスタイル

自身のルーツになってきた大工としての経験。そして、影響を受けたデザイン、敬愛する人達から学んだ設計士としての知見が合わさることで、ミックスアップされていきました。
そして、次第に、従来の設計事務所の形にとらわれず、自らの手で設計した建物を、職人と一緒になって現場に取り組む、 設計事務所 + 工務店 の役割を担う、独自のものづくりのスタイルになっていきます。

もちろん、設計と管理を行い、施工は工務店とタッグを組むこともしばしばありますが、現場に寄り添うことで意思疎通をスムーズにし、クライアント、設計者、職人、皆が仕事に感謝しリスペクトできるようなものづくりの環境を目指しています。

そして、依頼するクライアントにとって大事な要素とは、建築性能や、技術、価格も大事ですが、それよりも設計者とクライアントのフィーリングこそがすべてになってきます。
高い材料や、良いものだけを集めても、最良の建築ができるわけではありません。
設計を依頼する人も、される側の人も、合う人もいれば、合わない人もいる。趣味趣向が合うこと、言っているニュアンスが互いに理解できる人を探すこと。これが、建築においては、一番、大事なことかも知れません。



もしも、あなたがいつか家を建てようと考えていたら、まずは、私のアトリエを見に来てください。
ここから見えるものが好きになってもらえたなら、想い描いている未来は、もしかしたら同じ景色かも知れません。


森 浩治  建築家 / デザイナー

1978年 東京都生まれ
2004年 株式会社 we 設立
2014年 建築設計事務所 we inc. Architect Studio 開設

住まいの設計と施工に軸足をおきながら、家具デザイン・照明デザイン・プロダクトデザイン・写真・映像・企業のデザインアートディレクターとしても活躍、ものづくりのあれこれに関わっている。

「逗子の家」「河口湖の家」2023年竣工予定の別荘建築を設計中。

H P
You Tube
letter@we-architect.jp




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