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店舗という場の役割

絶対必要とか足りないものがあるわけでもなく、なんとなく新しい服を買いたいなと思う時期がある。季節の変わり目は寒暖など物理的要因が絡むので特にそう思うことが多いものだけど、多くは ふとした瞬間に「日々のマンネリ」を感じて打開したいと思うことから始まる。

目的がないまま、よく行く子ども服の店でブラブラする。しかし、店を廻って何もグッとくる商品に出会えなかった時のこと。他に寄る店もない方角に せっかく車で20分程かけてここまで来たのに、急に虚無感に襲われる。「何しに来たんだろう」
元々目的がないわけだから、欲しいものがなければ買う必要はないのだけど、きっと根底には「何か素敵な商品に出会って買う(取り入れる)ことで日々のマンネリを打開したい」という漠然とした欲求がある。

それが解消されないまま家に戻り、メルカリで好きな子ども服ブランドを検索し、サイズの絞り込みをしたり、価格の並べ順を替えたりしながら、いとも簡単に良い服に出会ってしまいコンバージョンする。
そうすると余計に「何のためにお店に行ったんだっけ?」という感情が呼び起こされる。
ECでの買い物はとても楽だ。検索やカテゴリの絞り込み、そして並べ替え、そんな機能を使いこなせばあっという間に消去法がお膳立てされる。

改めてこんな時代に、わざわざ店舗を作ってモノを売る意味は何なのか。高い家賃や人件費を払って運営していくコストは回収できるのか。費用対効果を考えると潰れていくお店が多いのも納得だけど、果たしてそれで良いのか。

場の体験という軸で考えたら何か見えてくるだろうか。店舗での体験を少し詳細化してみる。

まずは入り口目の前のイチオシコーナーが目に入る。「かわいい新作ないかな」とチェック。そのあと周辺を散策し、とりあえずあてもなく店内を一周。店内のカテゴリ分けを見ながら「あ、下着そろそろ新調するかな?」「ちょっと薄手の上着はサイズアウトしてなかったっけ?」「今履かせてる靴サイズ大丈夫かな?」みたいなことが浮かんでくる。家にいるとルーティーンの中では考えないことが、店では脳の引き出しを開けられるように場から問いを捻り出していく。ある意味ここに来ることでタスクの棚卸しができるのかもしれない。

お店側がそこでしかできない体験を作ることができていたらそれは素晴らしい経営者がいるんだろうけど、そんな店は数少ない。
利用者側ももっとその店で体験できる価値を考え意味を持たせていくことがあっても良いのかもしれない。

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