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『せりふの構造』読書ノート0;保坂はなぜ演劇論か?・エモい日本ロマン主義問題

初心を忘れないように、ちょっと書いてみる。
演劇論に興味を持ったのは、三つ理由がある。

・近代以降、写真史、映画史、演劇史、美術史、思想史の、影響や相互乗り入れを知りたい。

・映像人類学/マルチモーダル人類学に興味があり、“写真”をつかってエスノロジー/民族誌を知りたい。

・ドキュメンタリー映画における、論文としてのエスノロジーとは異なった演劇由来の語りの作法に興味を持った。

僕らは、気がついている以上に「演劇論」に影響を受けている。
演劇には紀元前四世紀のアリストテレス『詩学』から、西欧の歴史とほぼイコールの長い歴史がある。
詩学はローマ帝国が滅んだ時に失われたが、シェークスピアの時代にルネサンスとして再発見される。
演劇は西欧近代の礎でもある。
しかーし、僕らは小学校の学芸会以来、演劇を知らない。
どちらかというと、マンガや映画、テレビ、小説、ポップスなどの詩歌、そしてお笑いやコントからの間接的需要が多い。
たとえば、意味なし落ちなし冷ややかな笑いのシュールなバッドエンドなストーリーは、1952年出版、53年初演ベケット『ゴドーを待ちながら』というフランス戦後の焼け野原から生まれた演劇に端を発すると言っていい。
保坂は“物語る”以上、演劇という基礎は押さえといた方がいい気がする。

今、読書ノートを書きながら観ているのは『ますい演劇道場』である
これは面白いからおすすめ。
ますい先生がおっしゃる興味深いことがあった。
つかこうへい後の70年代演劇シーンは「ロマン主義」である。
という。
『せりふの構造』もそうだが、日本の70年代までは、いささか学術的、教条的すぎる演劇シーンだったようだ。
そのカウンターカルチャーとして、日本では80年代からロマン主義になってくる。

これには驚くと同時に、保坂は写真やポップス、政治の空気にも同意できると思った。
中平卓馬の“写真は記録”から、森山大道が袂を分かち“写真は記憶”と言い始めたのが丁度1970年前後。
1973年ノストラダムスの大予言に代表される世紀末、終末論ブーム。
1982年には中曽根康弘政権になり、日本人単一民族とか言い始めるし〜。

話しを戻すと、19世紀のヨーロッパの近代演劇はロマン主義の後に来る。
日本の1970年代ロマン主義への揺り戻しは、独自の文化的方言運動だったようだ。
そのロマン主義は現在も続いている。

その名も“エモい”ですよ。

2022/08/25 11:29

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