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白と黒で、写真と#2−4・5

5.「プラットフォーム」ーー結論にかえて

P132:
>>保坂がおすすめするのは、まずここから読みましょう。
>>早く言ってよ

4.記憶のリアリズム

P125:『失われた時を求めて』の語り手は、思いがけない物質的対象に出会い、そこから意思的に思い出したのではない記憶、ほとんど失われていたも同然の記憶が生き生きと溢れだしてくるのを感じて強烈な喜び(あるいは苦痛)を覚える。
>>マルセル・プルーストの「無意志的記憶」の定義、そのまま。
>>p21:というのも、その落差が我々にあたえる衝撃だけが我々の生を形成し、そのつど一つの個体の痕跡として焼き付けていくからである。

P127:森山にとっても「記憶」は、暗室作業に関わっている。プリンティングが、自己表現でなく「記憶」に関わっていることが、クラインと森山を分かつ点である。また写真の出発点としての「写真を見る」が暗室で行われることが、ウィノグランドとの相違である。
>>クライン=実存主義?
>>クライン≒実は細江英公?
>>ウィノグランド=構造主義?
>>ウィノグランド≒実は荒木経惟?

p128:この「見知らぬ自身」との遭遇、「自身の具体性」の知覚こそが、森山大道にとってのリアリティである。
p129:暗室のリアリズムこそが、写真芸術の理知である。
>>理知=理性と知恵

P129:しかし、暗室での自己の再生は、写真作家の特権ではない。暗室で起こる再生は、誰が撮ったかもわからない写真との偶然の出会いによっても生じる。つまり、それは写真を「見る」ことそのものに含まれている。写真を「見る」こともまた無意志的記憶との出会いなのである。
>>p123:そこには何かリアルな、つまり生きられた時間に充満した光景というものを思い浮かべると、それはすでに写真であること、記憶の奥の奥まで写真で満たされてあることの至福が見いだされている。

続く
2022/01/24 0:37

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