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絡まり合う生命第12章中編:記号論のよりみち

・混同

思考する自己にとって、忘れることや取り違えることは重要である。p261

記憶とは差異の忘却である。p262


他方で、思考する自己にとって、取り違えること、つまり、差異に気がつかないこともまた決定的に重要である。そこには、「混同(confusion)」の論理が含まれている。p262

イヌ = 獲物を追跡する吠え声

= アカマザマジカと勘違い

イヌ = 獲物に襲いかかる吠え

= ヤマライオンとアカマザマジカの差異に気がつかない

イヌ = 反撃を受け苦痛を味わった時の甲高い声

= ヤマライオンと関知し退却

= 差異情報をつかみ出す。

イヌ = ヤマライオンとアカマザマジカを「混同」した

= 「とても、愚か」

= イヌが「思考する自己」を持つ


記号過程の中の混同が持つ意味p263

「ファスミド(幽霊のような)」というナナフシの学名は、その虫が周囲に溶け込む幽霊のような存在であることを示している。それは、鳥などの捕食者をめくらましするナナフシの擬態にほかならない。p263

混同は記号過程の中で生命と関わり、諸自己の生態学を支えている。p266

捕食者 = ナナフシと小枝を混同することがない

= ナナフシと小枝の差異にきづいた

= ナナフシを餌食にする

捕食者 = ナナフシと小枝の差異に気がつかなかった

= ナナフシと小枝を混同した

= ナナフシは捕食されず、命を繋ぐ

差異にきづかれるか = ナナフシの生死

= 食べられなかったナナフシの子孫の系統が後世まで残る


小枝と混同されるほどナナフシが周囲に溶け込んでいるありようは、イコンの重要な特性を示している。p266

イコンの出発点の実際には、あるものと別のものと混同すること、つまり、差異に気がつかないことにある。p266


混同することは、生ある自己が、差異や類似について認識する以前のプロセスである。p266

あらゆるものを取り違えていたら、そこに思考はなく、生命もない。つまり、混同は何がしかの制約があって初めて、生産的なものとなるp266


混同が先にあり、類似と差異がその後に続くことになる。p267

イコンは、どんなに原始的であろうとも全体的なのである。p268

コーンの記号論 = 全体が、部分に先行する。

= 混同が、類似と差異に先行する。

= 全体の中に思考と生命が生み出される。

ベルクソン = 意識こそが生命進化の運動原理


・生命

個々のミツバチは、記号論過程の中の解釈者として、カオスを自己組織化する。記号論過程の中に、ミツバチは生ある自己として現れ、生命活動の全体性に参入する。p270

コーンが言うように、人間が人外と共有するのは、身体があるという点ではない。人間と人外とを問わず、あらゆる有機体が、諸々の記号とともに、記号を通じて生きているという事実こそが、諸自己の生態学の本領である。p27

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