真実の核心に迫るために本質を問う! だけで終わらせていた近代/ポストモダンについて。
関東関西の緊急事態宣言下、いま何が起こってるか?
いろんな言葉で語っている人が目に付く。
長らく、僕は
事象を“言葉”に置き換えて、“正しく”表現し、“相手”に“伝え”たい。(多分、これが近代思想)
としてきたが、実は全く何にもならないことじゃないか、と思い始めてきた。
“言葉”は不完全なものだし、“正しく”も時と時間と場所によって変化する不安定なもの。
“相手”は誤読し、そもそも思いもよらない場所に“伝え”られる=誤配される。
それでも「伝わる」成功経験があるので、ロジックが機能していると信じていた。
実は、そんなロジックは存在せず、むしろ、
あーでもない、こうでもないとウツウツとする回路に迷い込んでいるだけ(人呼んでポストモダン)
かもしれない、と思い始めている。
ポストモダンなウツウツを超えるために、長らくいろいろやってきたが、そもそも本質を問う、自我を問う近代を乗り越えなくてはだめなんじゃないか?
そうだ、真実の核心に迫るために本質を問う!ことを迂回しよう。
と新年から考えている。
語るべきは
事象に対して、
自分はどのようになったのか?
何を学んだのか?
何を感じたのか?
それを語ることで必要十分“伝え”ることが実現できそうな気がしている。
このアイデアは、ブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論から気づき始めたこと。
いままで、ブルーノ・ラトゥールの取説、しか読んでいなかったけれど、いまブルーノ・ラトゥールの著作に手を出すべき、と著作を選んでいる。
2021/01/12
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