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障壁でなく“手掛かり”として考える

最近、思考が散逸しているので、誰かの記事へのコメントという形で失敬。

写真で同様の話しをしてた。
文化のバックグラウンドを抜きに通じる写真はあるのか?と。
赤色にして、火や血をイメージさせる以上のことは、できないのじゃないか?という問いだった。

結論でもなんでもなく、保坂の信仰というべき希望的観測なのだけれども、存在論的な固定的な世界のとらえかたよりも、コミュニケーションの生成論、マルチスピーシーズ人類学でいうところの絡まり合い、で考えると華麗に飛び越えられる気がしてる。

日頃、行動の制限としか思えない論理すら、時には自発的に僕らの方に動き出して、導いてくれることがある。
全てを障壁でなく、手掛かり、と捉えることで、乗り越えられる気がする。

全くの希望的な観測、信仰的な思いなので、もしもそういう場面に出会ったらラッキーだと感じるようにしよう。

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